* * 1 * ――それは夕暮れと共に現れる。 白い衣服であるとも、赤いドレスを着ているとも言われる。 どちらであろうと同じことだ。 肩を叩かれ振り向いた少女の目には、逆行を受けた真っ黒なシルエットが映っている。 『ねえ、』 影が口をきいた。 女の声だ。 少女の矮躯に合わせてゆっくりと屈み込む。 そこでようやく、大きなマスクに気が付いた。 『あたし、』 そして、ソレは、マスクに手をかけ――― * * 2 * そして、ソレは、マスクに手をかけ――― 影が口を開いた。影が口を開いた。影が口を開いた。 少女は無我夢中で走っていた。 真っ白な歯が。真っ白な歯が。真っ白な歯が。 どこをどう通り抜けたのかも定かではない。 獣のように。獣のように。獣のように。 息が切れる。肺が破裂しそうだ。 ありえない。ありえない。ありえない。 家までの帰り道を思い出せない。 ――ううん、ちがう、 思い出したくない。思い出したくない。思い出したくない。 嫌だ。嫌だ。考えるな。今は、 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ。 逃げないと、逃げないと、逃げないと、 追われる? 追われている? 追いつかれる? 追いつかれたら? あれに。 姿。声。おんな? ありえない、だって、あんな  の 女の   ―――くちが ×××××。 * * 3 * 追われる? 追われている? 追いつかれる? 追いつかれたら? あれに。 走って、走って、走って、走って―― ――身体よりも先に靴がイかれた。 ぶちりと紐が千切れ、少女はアスファルトを転げる。 絶望のあまり、叫んだ。 狂騒的に泣き喚いて、熱を持ったアスファルトを芋虫のように這いずりながら、ようやく少女は泣くことができた。 そして―― ふと、周囲を包む静けさに気が付いた。 「……」 泣きやんで、呆けたように起き上がる。 息を止めて、三秒だけ躊躇った。 振り向くのには、死ぬほど努力が必要だった。 そこには――何も、何者も、居なかった。 「……あ、」 あは、と。笑いが漏れた。 何を慌てていたのかと。あんな               くちが。裂けて ・・・・ あんなのは見間違いに決まっている、と、少女は声を立てて笑う。 無理矢理に、笑顔を作り腹を抱える。 擦り剥いた膝と肘が痛くて、より一層笑う。馬鹿みたい、馬鹿みたい、と。 よくもまぁ走ったものだ。見も知らぬ住宅地だった。 べろべろの靴を引きずりながら、少女はさてどうやって帰ろうかな!と声に出す。 道もわからないし傷も痛む、とにかく誰かに―― ――あれ? そして少女は、 周囲を静寂に包囲されていることに気がついた。 人は? どうして誰も見かけないのか。 車は? 一台も通りがからないなどという事があるだろうか。 虫の音は? 何故ここは耳が痛くなるほどに何も聞こえないのか。 影は? 私の影法師は―――― 私の影法師は、こんなに、おおきかっただろうか。 『ねえ、』 声は真実、真後ろから響いた 『ア タ シ キ レ イ ?』 * * 4 * 声は真実、真後ろから響いた。 影が覆い被さってくる。 アスファルトの地面に押し倒された。 髪留めがパキンと乾いた音をたてて割れる。 少しだけ安心する。 ああ―――ここにはまだ現実がある。 顔。 女の顔がすぐ近くに。 表情は見えない、見たくない、見たくない、見えてしまう、見たくない、頬の部分が冗談のように裂けて、見たくない、見え、断面から剥き出しになった口輪筋が糸引くようにぬらりと見たくない、見せないで、こじんまりとあぎとに収まった骸骨じみた歯並び、嫌、嫌、嫌、唾液、こぼれて、見たくない、滴る、やめて、目を逸らす、白濁したガラス玉のような瞳と視線が合う、視線が? 見えてない、見ていない、 何も見ていない。 ただ哂っている。 『――――シテヤル』 何か言われたのは判った。 言葉は――ぐい、と頬を内側から引っ張る感触にかき消されて、どこかへいってしまった。 赤錆の匂いがする。舌先に感じるのは、ざらついた金属の感触。 ああそうだ―――ふと思い出す。 誰かに、同じような悪戯をしたことがあったっけ。 両手の人差し指を口の中に突っ込んで、左右に引っ張る。 変な顔、と笑いながら。 他愛のない意地悪だった。 ああなんて悪い事を、私は。 あのとき××は半べそをかきながら―――何ていったっけ? 涼子ちゃん、やめて、        やめて、            ――――さける、さけ * * *