「じゃあ、5人いるから来週の放課後、ひとりずつ手伝いにきてくれるかな?」
黄薔薇のつぼみである島津由乃さまが、茶話会の参加者である一年生達に向かってこう言った。
「ねえ、祐巳さんもそれでいいよね」
「えっ、あ、うん、そうだね」
祐巳さまは、たった今終わったばかりの記念撮影のカメラマンと、そのそばにいる一年生のほうを見ていたので、
あわてて振り返ると、そう答えた。
「じゃあ、順番決めたら今日はもうこれで解散だね」
(え)
乃梨子は驚いて祐巳さまの顔を見た。
(いいのか、それで)
同学年の生徒たちは、誰が何曜日に来るかで無邪気にはしゃいでいた。
乃梨子は一度口を開きかけたが、結局沈黙を守った。
そして、そんな自分をお姉さまがじっと見つめていることに気づかなかった。
…………
週があけて、月曜から金曜日までのお試し期間は、乃梨子の懸念した通り悲惨な結果でおわった。
そして、土曜日の剣道交流試合。
会場は混んでいて、紅薔薇姉妹と白薔薇姉妹は、二人ずつわかれて座ることになった。
乃梨子は祐巳さまと離れられて、ほっとした。
(「‥茶話会のお客様のままでいるほうが幸せだったかもしれません」)
つい、皮肉っぽい言い方をしてしまった。
さいわい、通じていないようだったが、あのままだともっと言ってしまいかねなかった。
自分には、そんな事を言う資格はほんの少しもないというのに。
…………
「乃梨子は茶話会の終わりに、あの子たちにアドバイスしなかったことを後悔しているのね」
「すごい‥‥わかっちゃうんだ」
せっかく志摩子さんの隣に座っているのに、黙り込んでいれば落ち込んでいるのはバレバレだった。
「私‥‥あれだったら、初めから由乃さまのいうように妹オーディションって銘打ったほうが良かったと思うんだ」
抱え込んでいた思いを吐き出すことした。
志摩子さんなら受け止めてくれるだろう。
「なにより、心がまえが違ってくると思う‥‥それが茶話会ってワンクッションおくことで焦点がぼけちゃって」
あの子達だって茶話会の初めはお茶をいれる手伝いをしようとしていた。
しかし、それは拒絶された。
茶話会では「お客様」だったから。
けれど、月曜からは‥‥
だから、たった一言告げればよかったのだ。
「来週からは妹オーディションだよ」って。
それで、意識は切り替わるはず。
気づかないのなら、その子はそれまでだ。
でも、私は‥‥
「まあ、言っても一言だけのつもりだったの?」志摩子さんが驚いたように言った。
そういえば、志摩子さんは私が薔薇の館に「お手伝い」に来るとき、事細かにアドバイスをくれた。
それこそ、祥子さまや令さまのお茶の好みまで。
「私は祐巳さんが初めて薔薇の館に来たときのことを思い出していたの‥‥」
その頃の話を聞くのは初めてだった。
あの祐巳さまにも一般生徒の時代はあったのだ。
その頃、志摩子さんは「白薔薇のつぼみ」か‥‥いいなあ、「つぼみ」って語感は私なんかより、志摩子さんのほうがぴったりだよ。
「‥‥乃梨子、聞いてる?」
「うん!」
志摩子さんと話してて妄想にとらわれるのは毎度のことだった。
「‥‥祐巳さんを薔薇の館に案内したのは私だったからよく覚えているんだけれど」
志摩子さんは気をとりなおすと話を続けた。
「初めはいろいろとあったけれど、祐巳さんはお客様として、ちゃんとおもてなしを受けて帰っていったわ」
そのいろいろが気になったが、乃梨子は黙って聞くことにした。
「その次に祐巳さんが来たのは、学園祭の劇の練習に参加するためだったの」
そうか、それが祐巳さまの「お手伝い」だったのか。
「祐巳さんは早めに来てカップを洗ったり、率先して来客の取り次ぎをしたりしていたわ。‥‥劇のせりふもちゃんと覚えていたし」
「‥‥完璧じゃないですか」
「ええ、当時の薔薇さま方も感心なさっておられたわ‥‥私はそれを祥子さまのご指導の賜物だと思っていたの。
台本を渡したのも祥子さまだったし」
「‥‥ということは、そうじゃなかったの?」
「ええ、だって祐巳さん、あの子達に何も教えなかったみたいでしょう?」
「単にど忘れなされたんじゃ‥‥」
「それはないわ。祐巳さんは自分が祥子さまにしてもらったことは絶対に忘れない。
そして祥子さまのやり方を踏襲しようとする。書類の書き方まで祥子さまの真似をするのよ?」
それは知っている。
違いがあるとすれば、紅薔薇さまのほうが、かなり達筆だということだ。
「‥‥祐巳さまはご自分ができることは皆ができて当たり前だと思っておられますものね」
謙虚なのではなく、自己評価そのものが異様に低いのだ。
‥‥祥子さまのそばにいれば、そうなるのも無理はないが。
祐巳さまの数少な‥‥いかどうかはともかく、欠点のうちの一つだろう。
「うかつだったわ、私は指導するのなら祐巳さんや由乃さんの役目だと思ったから黙っていたけれど」
志摩子さんの沈黙には正当な理由があった。
「‥‥乃梨子が黙っていたのは瞳子ちゃんのため?」
「!」
志摩子さんは、ぼんやりしているようでいて、本質をはずさない。
「うん、私は志摩子さんみたいに遠慮はしない。たとえ他人のせりふをとることになっても、
余計なお世話だといわれようとも、自分の言いたいことは言う」
何もしないで後悔するのは、何かして失敗するよりずっと嫌だった。
「‥‥でもあの時、私は瞳子のライバルを助けるようなことは、どうしても
できなかったんだ」
「積極的に邪魔をしたわけではないわ」
「それでも、祐巳さま志望の3人はともかく、由乃さまのほうの2人は完全にとばっちりだよね。‥‥かわいそうなことしちゃった」
「‥‥乃梨子はあの二人のことをどう評価しているの?」
「え」
そう言われると困ってしまう。
ミーハーはともかく、逃げ出した子は無理だろう。
山百合会としても、由乃さまの妹としても精神的なタフさは必須条件だ。
「私は結果論だけど、あれで良かったと思っているのよ」
志摩子さんは正面を向き、姿勢を正して宣告するように言った。
「あの三人がもう少しちゃんとしていたとしても、祐巳さんは結局誰も選ばなかったと思うし」
今度は、少し目をふせ小声で
「由乃さんは、ふたりのうちどちらかがもう少しましだったら強引に妹にしていたと思うわ」
と言った。
たしかに、由乃さまはあせっておられた。
すると、あのミーハーが仲間になる可能性が一番高かったのか。
(うわー勘弁してほしいなあ)乃梨子は率直にそう思った。
いや、つきあったら案外いい子かもしれないし、ミーハーってことなら瞳子だって負けてはいないけれど。
それに、本人だってつらいかもしれない。
さっきの紅薔薇さまみたいに、どうしても瞳子や可南子さんと比べられてしまうだろうし。
でも、最終的な決定権は由乃さまにある。
妹にすると宣言されたら、令さまにだってくつがえすのは難しいだろう。
そう思うと乃梨子は自分は黙っていて本当によかったと、ついさっきまでとは180度違う結論に達した。
「あ、お姉さま」
見上げると正面に、紅薔薇姉妹と、大学生っぽい三人が並んで座っているのが見えた。
「あの祐巳さんのとなりにいらっしゃるのが佐藤聖さま。私のおねえさまなのよ」
志摩子さんは、なんともいえない幸せそうな顔をした。
乃梨子はくやしくなったので、志摩子さんと一緒に挨拶するとき、
佐藤某さまではなく、祐巳さまに対して頭を下げた。
もちろん、おわびのつもりだった。