「おかえりなさいませっ、お嬢様」

 

乃梨子はビスケット扉のノブを握ったままの姿勢で固まった。

(今の声は…?)

迷いようがなかった。

薔薇の館、二階の会議室には顔を真っ赤にして、口に手をあててあたふたしている白薔薇さましかいなかったのである。

 

「はあ、小寓寺で、メイド喫茶を」

「…父が考えついたの…これからは、お寺も積極経営だと」

(そんなに、お布施が減ったのだろうか)

「あの、まさかと思いますが、志摩子さんもメイド服を?」

「その、まさかよ」

(まあ、挨拶を練習していたくらいだからなあ)

「……………私だけじゃなくて母もなの…」

「!」

志摩子さんのお母さんは、本当は祖母にあたる。

(そりゃあ、お年の割にきれいなひとだったけれど)

…タクヤ君は往年の八千草薫に似ていると言っていた。

乃梨子はしばらく絶句していた。

いろいろと、頭の中に画像が浮かんできたからでもある。

「でも、なんでいまさらメイド喫茶を…」

その単語自体を、久しぶりに聞いた気がする。

「あら、世間的に十分認知されてきたからって、父が…初めの頃は風俗と勘違いする人もいたんでしょう?」

乃梨子は、今でも、半分風俗のように認識していたが。

「それに、お寺でするならまだマスコミがとりあげてくれるからって」

どこまで計算高いんだ、あの坊さん。

実際やりては、やりてらしいけれど。

 

「…それでね、ふたりだけじゃさびしいからって、父が…」

ひどく嫌な予感がした。

乃梨子にも手伝ってもらえないかって…」

的中した。

無理っ、無理無理無理っ、私なんかが、メイド服着たって似合うわけないですよっ!」

大声で叫んだ。

じゃ尼僧服でもいいんだけど…」

なんだ、それは。もっとマニアックじゃないか

 

「…乃梨子、メイドに偏見をもっているの?」

悲しそうな目で、こちらを見る。

「偏見とかはないですけどねっ、人には向き不向きってもんがあるんです」

もう少し、論理的に反駁しよう。

「大体、リリアンは原則アルバイト禁止でしょう?志摩子さんはお家の手伝いだから、まあいいとしても、私はただ働きですか?」

一般生徒ならともかく、山百合会幹部が校則違反はまずい。

志摩子さんは、その点を考えていなかったのだろう、黙り込んでしまった。

とはいえ、乃梨子自身は姉のメイド姿は、ぜひ見てみたかった。

……オムライスに、なんて書いてもらおう。

「……今回は、特別に幽快の弥勒もお店に展示するのだけれど…」

……なんてことするんだ、あのおやじは。

あれは重文級の仏像なんだぞ。万一のことがあったらどうするつもりなんだ。

「…わかりました。あくまで、お姉さまのお手伝いということで」

「まあ、うれしいわ」

志摩子さんは、道連れができてこころからホッとしているようだった。

 

          ******

 

「それで、なんで私までこんな格好しなきゃなんないのよっ」

瞳子が、握った両こぶしを、真下に突きさげるようにして怒鳴った。

「いいじゃん、毒くらわば皿までって言うでしょ」

「私は皿かっ」

怒ってはいるが、縦ロールには意外とメイド服とヘッドドレスが似合っていた。

なんだかんだ言いながら、着替えて姿見の前でポーズをとっていたのを乃梨子は見た。

…演劇とコスプレは深層心理的につながっているんじゃないかと乃梨子は思った。

 

カフェが実際にオープンされるのは、土、日だけだった。

さすがに、住職もメイド喫茶のために娘に学校を休ませることはしなかったようだ。

とりあえず、メイドは志摩子さん、私、瞳子の三人で、志摩子さんの

お母さんにはキッチンに入ってもらった。

 

…残念ながら、オムライスは無かった。

基本的に飲み物が中心のメニューになる。

食品衛生法上の規制とか、いろいろあるらしい。

乃梨子は学園祭のフジマツ縁日村を思い出していた。

まあ、お寺の境内で、土、日限定なら規模としても、あまり変わりはない。

 

土曜日はまあ、順調だった。

天候にも恵まれ、盛況だった。

事前に雑誌や、地方新聞、ネットなどに取り上げられていたせいか、開店時間の二時間前には行列ができていた。

これで、もっと都心からアクセスがよく、駐車場が完備されていればもっと集客できたはずだ。

 

乃梨子には、お客の回転率が悪いように思えたが、メイド喫茶とは本来そういうものだそうだ。

瞳子が教えてくれた。

彼女はプロ根性(女優根性?)を見せ、完璧なメイドを演じた。

お客と一緒に記念撮影をして、ニャンニャンとか言っていた。

乃梨子と志摩子は途中で、瞳子に演技指導を受けるほどだった。

半分、だましたようにして連れてきた甲斐があった。

 

問題は日曜日だった。

土曜日の画像がネットにアップされたのだ。

行列の長さは、前日の数倍に達した。

循環バスは常に満員で、駅前のバス停では乗り切れない乗客があぶれる事態になった。

男性客ばかりが増えたわけではない。

むしろ、土曜日よりも若い女性客が割合としてはかなり増えた。

中には、見知った顔もずいぶんあった。

 

「カシャッ」

「あ、撮影は一言、ことわってからお願いしま…」

「やっほー」

武嶋蔦子さまだった。

後ろには、内藤笙子さん、山口真美さま、高知日出実さんがひかえていた。

考えうる限り、最悪のメンバーだった。

リリアンかわら版の見だしが、目に浮かぶようだった。

乃梨子が顔を青ざめさせていると、瞳子が寄ってきた。

「大丈夫よ、乃梨子。…メイド服のストックはあとちょうど4着あるし」

それは、大変よいアイディアだった。

お客はあふれかえっていて、人手はいくらあってもよい。

彼女たちもミイラとりがミイラになるとはまさか思わなかっただろう。

しかし、大変な窮状を、目の当たりにし、志摩子さんに頭を下げられては断れる者はいなかった。

実際は、心のどこかにやってみたいという気持ちもあったのかも知れない。

 

椅子の数は絶対的にたりなかったが、さいわい境内は広かったので、さしずめ立食喫茶のようになった。

意外なのは、眼鏡と七三の需要が乃梨子よりも高かったことである。

ひっぱりだこといって良かった。

写真を撮られる機会が少なくなったのはよかったが、

乃梨子はオリジナルとしてのプライドを傷つけられ、あまり面白くはなかった。

つい、お客につっけんどんな応対をしてしまった。

すると、かえって人気がでた。

(どういうキャラなんだ、私は)

そこで、「おかえりなさいませ」は無愛想に、

逆に、「いってらっしゃいませ」はほんとにうれしそうに言ってみた。

すると、さらに受けた。

(これが、俗に言う「ツンデレ」ってやつか)

乃梨子は見当違いな解釈をしながら、来週は他の山百合会メンバーや

可南子さんも誘ってみようと考えていた。

…実際に勧誘に成功したのは、というか立候補してきたのは、花寺学院生徒会のアリスひとりだけだった。