次の話へ / SSページへ / TOPへ











永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


2話 残者はかく悩みて
















 体に熱を感じた。膜越しの白を知覚する。
 指先が動く。親指と人差し指だけで、他の指はなぜか動かない。

「……ぁっ」

 呻き声のように小さな声が漏れる。
 耳がおかしいのか、声帯を傷めているのか。それとも両方か。
 目蓋をゆっくりと開くと、膜が取り払われていく。顔には暖かみのある白が投げかけられていた。
 視界が霞んでいる。茫洋とした白を光と認識し、光を陽光と断定するまでさらに幾ばくかの時間を要した。
 徐々に力を取り戻しつつある視界の中で、太陽はほぼ頭上に差しかかっている。
 ぼやけた視界のおかげで、太陽を直接見ても眩しいとは感じない。
 この頭にあるのは混乱と空虚。理解できていたはずの事態が理解できず、大事な何かをいくつも失ったという喪失感。
 何が、あった? 何が?

(解っている、くせに)

 右腕で目元を隠すと、陽光が遮られて闇が訪れる。
 この闇もあの漆黒の翼のハイロゥに比べれば、まだ幾分明るい。

(暗いのがお望みか、俺は?)

 違うに決まっている。
 別に何かから目を逸らしたいわけじゃない。ただ、ほんの少しだけ気が動転しているだけ。
 俺もアリカも本物を知らなかったが、あれがきっとマナ消失に違いない。
 とんだ大惨事だ。マナがほとんど残っていないだなんて。

「何も残りやしない」

 腕をずらすと、太陽が目に入る。
 今度は眩しかったので目を慌てて閉じたが、目蓋の裏に太陽の残像が張り付いてしまった。
 もう一つ、張り付いているものがある。
 目蓋の裏ではなく脳裏に、残像ではなく真の実像が。

(……アリカ)

 最後に見たのは背中だ。
 お互いに出会って一日も経っていないのに、あいつは俺を庇うように消えてしまった。
 スピリットとしての役目という義務だったのか、アリカ自身の意思だったのか。
 最後に見せたはずの涙の意味も、尊い毅然とした態度の持つ意味も自分には理解できない。
 それが、辛かった。
 考えれば解りそうなのに、今の自分にはどうやってもその答えに届きそうもない。
 アリカが遺した自分への謎かけだ。

(アリカには、そんなつもりなんてなさそうだが……)

 お互いが係わった時間はあまりに短いが、それでもアリカの性格は想像がついた。
 それを確かめる術は、もうなくなっているのに。
 アリカはもういない。

(消えたんだ)

 自分が生き残っているのが確たる証拠だ。
 アリカが護らなければ、自分はあの暴風雨じみた消失から助からなかっただろう。
 現に体の一部は消滅していったし、今もそれは体に刻まれている。
 右手は小指と薬指の2本で、左手は右と同じく二本に加えて手首まで消失が及んでいた。
 両掌は親指大の穴がいくつも開いているが、左手のほうが残っている面積は少ないのに穴は多い。
 右手に比べて左手のほうが損失が酷いらしい。
 足の指も何本か感触が消えている。痛みはないが、どうやら失ったらしい。
 右手を翳してみると傷口はなく、失った先は皮膚がすでに覆っていた。

「マナを使って治療でもすれば治るか……?」

 傷口を見ながら呟く。
 可能性は高いだろう。やるだけの価値はあるはずだ。それにはグリーンスピリットの助けが必要だが。
 神剣の作用による治癒では直りきりそうにないのは指を見れば判る。
 上半身を起こし、そのまま立ち上がる。体はやや重いが肉体的な疲労よりも、精神的な疲労が原因のような気がした。
 『鎮定』がすぐ脇に落ちていたので、それを拾い上げる。手に持つと、強い、確かな響きが返ってきた。
 鞘に納めようとして、鞘が無くなっていることに気づいた。
 もしかしたら、消失に巻き込まれて消えたのかもしれない。
 鞘が消えるかは自分にも分からないが、あの場の状況ならそれもおかしくない気がした。

(鞘の代わりも必要か……それまでは抜き身のままで我慢するしかないな)

 これでは警戒される、と思いながら『鎮定』を腰に差し、足元に何かないか見る。
 そして見つけたのは槍状のアリカの神剣だった。
 抜け殻になっており、刃は白く灰のような色に変わっていた。
 マナを全て失った結果だ。
 名前は確か『犠牲』だったか。永遠神剣の多くは能力や特性を、その名に表す場合が多い。
 『犠牲』という言葉を、結果的にアリカは実証していた。
 枯れ果てた刀身を持ち上げて穂先を少しの間見ていたが、おもむろに落ちていた辺りに突き立てた。
 柄を天に向けた『犠牲』は、一つの墓標のようだ。頭に自然と思い浮かんだ言葉を口にする。

「……さようなら。俺はアリカにも泣いてやれない」

 女王の死を受け容れた時もそうだった。
 悲しくないのとは違うと思うけど、それでも悲嘆を行動で示せない。悲嘆だけじゃなく怒りも憎しみも。
 示すべきなのかも解らない……誰かのために嘆き悲しむのは、そんなに大切なのか。
 自分みたいなやつを冷血漢とか薄情者と呼ぶのだろう。
 それならそれでいい。今の自分には適切だし、起きた事象は変わらない。

(一度、王都に戻るべきか)

 事態を把握したいし、王都がどうなったかも気になる。
 見ない方がいい気もしなくはないが、だからこそ見るべきだという思いもあった。
 それにこの場に留まる意味を自分は失っている。
 かすかな不安を残しながらも、王都に向かって歩き出していた。
 走ろうという気にはならない。そうするには気力が欠けている。
 一陣の風が吹いて、林の木々を揺らしていく。
 木々からはマナが失われていて、力なく惰性で揺れるだけだった。












 王都の北から街中に入る。意識を取り戻した時からそうだが、マナの存在を一切感じなかった。
 街中からも一切の活気がなくなっている。
 通りを歩くのはラキオスの兵ばかりで、イースペリアの人間は見当たらない。
 どうやらラキオス軍は保護の名目で出張っているようだったが、用心のため気づかれないように移動する。
 それに動きが早すぎるのも引っかかった。
 自分の神剣を見られると、間違いなく尋問される。
 正規の軍属であることを伝えれば問題ないだろうが、今は混乱しているはずなので、確認にも手間取るに違いない。
 確認が取れるまでの時間が惜しかった。それに人間のくせに神剣を使っているとなると、余計な手間をかけられるかもしれない。
 せめてアズマリア女王が生きていれば、状況も多少は違うはずだが……。
 気配を殺し、王城に向かって物陰を進んでいく。
 家々からは人の気配を感じるが、外に出る元気はないようだ。

(イースペリアも敗戦国ということか……)

 敗戦国の待遇は占領国によって変わる。幸いラキオスの占領統治はそこまで酷くないので、その点は安心できると考えていい。
 しばらく歩いていくと物陰が減ってきた。物陰を作るはずの建物が少なくなってきたからだ。
 代わりに増えてきたのが、瓦礫と家の土台の跡である。残っている家も半壊しており、痛々しい傷跡を晒していた。
 王城に近づくにつれ、その傾向は顕著になっていく。

(……消失に巻き込まれたのか)

 エーテルに頼る人々の生活では、エーテルの欠乏がどのような事態を引き起こすか分かったものではない。
 マナ消失に伴うエーテル欠乏が、何かの事故が連鎖的に引き起こした結果、と考えるのが妥当だろう。

(――人はマナに頼りすぎている)

 教訓といえば教訓だが、エーテル技術はすでに数百年の歴史を持っている。
 このような側面があるとしても、おいそれと止めるわけにもいかないだろう。
 生まれてきた時から、すでに当然のものとしてエーテル技術は存在するのだから。
 在って当然が失われるのを人は拒む。それが自分たちにとって密接なら、なおさらだ。

(……なんでエーテルが無くなることを考えているんだ、俺は?)

 自分でもよく分からない。
 街の惨状が自然と喚起したのか、物思いから派生しただけなのか。それとも予感めいたものなのか。

(どうかしてる)

 いつの間にか、物陰は完全になくなっていた。自分は隠れることも止めて、王城に向かって歩いている。
 時折、ラキオス兵が自分を見つけるが、誰も抜き身の剣を腰に差す俺を気にしない。
 占領統治は悪くないかもしれないが、兵の士気やモラルはそれほど高くないようだ。
 これなら、初めから隠れる必要などなかったのかもしれない。

(油断だ、それは)

 すぐに王城を見つけた……正確には、その跡地だが。王城はすでに原型を留めていなかった。
 何があったかは考えるまでもないが、原因は変換施設の暴走だろう。
 それがどういう形で、城や街並みに被害を与えたかまでは分からない。知りたくもない。
 気がついたら踵を返していた。見るべきものが本当になくなっていたからだ。
 アズマリア女王始め、襲撃の際に失われた人たちはいない。おそらく形さえも残らずに。
 城の中にいた将軍や重臣、わずかに生き残っていたスピリットとそれに比べれば多かった人間の兵士も当然いない。
 呼吸が荒くなっている。慌てて『鎮定』の柄を握り締めた。
 足がどこかに向かって歩きだす。どこに行くかを考えるより、今は気分を鎮めたかった。
 あまりに自分らしくない。
 目線は常に足元を向く。顔を上げるのが怖かったから。

(――らしくない)

 それでも顔だけは上げずに早足で進んでいくと、やがて一つの家の前で足が停まっていた。
 運よく、どこにも被害を受けていない家の前だ。

(……俺の家か)

 鍵を外し家の中に入り、ドアを後ろ手に閉めて、部屋の中を見回す。
 部屋の中は多少埃を被っているものの綺麗だった。
 ドアを背もたれとして座り込む。立ち上がるのが億劫になるほど疲れていた。
 家といっても使うことはほとんどないから、生活臭も感じられない。
 その暇がないぐらいに各国を訪れないといけなかった。

「イースペリア国スピリット隊所属特務員」

 自分の身分を口に出す。今や宙ぶらりんの肩書きで、便宜上、女王が与えたに過ぎない。
 本来は中身のない肩書きは、いつの間にか空白に代えて中身が与えられていた。
 特務員の実務として、他国の内情調査を命じられたのはいつだったか。
 元々、女王は自分に何か別の役割を持たせたかったらしいが。

「スピリットに関する何かか……最後まで具体的な内容を訊けずじまいじゃないか」

 女王はスピリット絡みの何かを自分にさせたかったらしいが、今では真相も闇の中に消えている。
 考えてみれば、自分が諜報任務を与えられた本当の理由も闇の中だ。
 自分に諜報任務が与えられた裏にはアズマリア女王と重臣たちの諍いがあったらしい。あくまで噂程度の話だ。
 それを信じるとすれば女王に対して面と抗議できない重臣たちが、矛先を自分に向けたと考えるのが妥当だろう。
 大方、自分への不都合は女王にとっての不都合にもなると考えて。
 本当にそうだったとしたら、よくそんな状態でアズマリア女王も国をまとめられたものだ。
 女王の気苦労に密かに同情する。
 一方で、自分のような例外にこだわらなければ良いのに、という思いもあった。
 ともあれ、自分には他国の内情調査、つまりは諜報を命じられた。
 自分の場合、人間なのに永遠神剣を所有しているという理由で、この役職に就けられた。
 確かに普通の人間と同等かそれ以上の情報を集められ、万が一の襲撃でも人間よりも生還率が遥かに高い。

(……打ってつけではあるな)

 結局、自分が諜報活動を始めてから、イースペリアにいる機会はほとんどなくなった。
 重臣たちは自分がこの国にいるのさえ嫌いだした。
 それは女王に対する後ろ暗い当て付けだったのかもしれない。

(……裏であることないこと言われてたんだろうな)

 だから――女王は本当に自分に係わらなければよかったのかもしれない。
 実を言えば、あの人との出会いをはっきりと思い出せなくなっている。
 ただ自分は本当に感謝して……何かあの人の役に立ちたいと思った。
 それは紛れもない真実。
 だからこそ係わらなければよかったと思う。
 守れもしないこんな半端者と係わらなければ――。

「裏切り者め」

 自分に向けた呪詛が口から出る。短い言葉には精一杯の自己嫌悪が滲み出ていた。
 今の考えは否定しなければならない。
 係わらなければよかったなどというのは、女王に対する裏切りだ。
 守れなかったくせに、これ以上踏みにじるつもりか。

(アズマリア女王、貴女は俺に何を望んだんだ?)

 答えが出るはずのない疑問。
 もしも望みが分かるなら、今こそそれをしたい。答えを得ることが叶わないからこそ、切に願ってしまう。
 ふと視界に時計が見えた。針の動きは止まっている。まるで時間まで止まってしまったような錯覚。
 時は時計など関係なく進んでいるというのに。

(……俺の時計は進んでいるのか?)

 何故か、そんな疑問が頭をもたげた。
 考えても詮無いことと、すぐに意識の外に追いやったが。
 いずれにせよ、身の振り方だけは決めなくてはならない。
 ある意味で自分を縛る存在や理由はすべて消えている。アズマリア女王でさえ、自分にとってはある種の縛りだろう。

(……縛りだなんていうと、悪感情みたいだ)

 自分が女王に抱いていた感情は、悪感情とは正反対なのは自分自身が一番理解しているつもりだ。
 思考が乱れている……というより、方向性がバラバラになっている。
 差し当たって大切なのは、今後どうするかだ。
 ぎこちなくなった体を起こして、テーブルの椅子に降り積もった埃を払い落として座った。
 椅子の柄に背をもたれかけ、体重をかける。
 体も頭も自分が思っていた以上に疲れているらしく、すぐに眠気を催した。
 自分は何かを知りたがっている。
 それは一体何か――まどろみに落ちながら、ぼんやりと考えていた。

(ラキオス、兵士、統治、占領、女王、崩壊、王城、事故、喪失、スピリット、消滅、エトランジェ……)

 頭がいきなり覚醒した。
 もしかしたら眠ったあとかもしれないが、自分ではよく分からない。
 それに重要なのはそこじゃなく、大事な見落としをしていた点だ。
 あの日、あの時、あの場所に誰がいたかを。
 サーギオスの漆黒の翼と、ラキオスの『求め』のユートたちがいた。
 彼らは今回の事故について何かを知っている。あるいは、当事者。

(……会うべきなのか?)

 自分としては知りたい。
 エーテル変換施設の中枢では何が行われたのか。そして誰がアズマリア女王を亡き者にしたのかを。
 訊けば答えてくれる内容か?
 そうは思わないが、一度だけ話したユートの顔を思い返す。
 あれは嘘が下手な人間だ。初見の印象ではそうだった。

(……会う価値はある)

 サーギオスへの潜入は難しいが、ラキオスなら簡単だ。
 ユートが全てを知らなくとも、今の自分よりは間違いなく事態の中心に近い。
 しかし、知った上でどうするか分からない。

(違うだろ……それこそを知るために会いに行くんだから)

 行動は決まった。まずはラキオスに赴き、ユートたちと接触する。
 重要なのは、彼について正確な情報を得ることだ。事前に情報収集する必要があるだろう。
 今までの仮定は、ユートを首謀者として考えたもので、真実は違うかもしれない。

(ユートよりはサーギオスのスピリットのほうが可能性は高そうだ)

 いずれにしろ自分はまずユートを知る必要がある。何が起きたのかを知るために。
 彼がどういうエトランジェで、何をしてきたか。そして、これから何をしようとするのか。
 早速、準備に取り掛かるが、それほど手間取らないで終わる。
 元々、持ち歩くものは少ないし、そもそも家には持っていくべき物が少ない。
 少ない手荷物といつの間にか貯まっていた通貨を鞄に詰めると準備はほとんど終わった。
 それから包帯を巻いて指と掌を隠した。包帯を巻くと逆に人目を引く気もしたが、穴だらけの手を晒しているよりはいいだろう。
 最後に『鎮定』の鞘代わりになるものを探したが、そうそう見つかるはずがない。
 仕方がないので、家の中から見つけた紫の布を巻きつけ、剣身の根元の辺りから紐で布の先を縛って隠した。

袱紗(ふくさ)でよかったかな、これの呼び方は?)

 袱紗を巻きつけた『鎮定』を腰に差し直し、鞄を担ぐと家を後にする。
 戸の鍵はかけないで、そのままにしておいた。
 もうこの家には戻らないから、残した家具や調理器具、それに皿やカップも持っていきたければ好きにすればいい。

(今の国民にそれだけの元気があれば――か)

 家を荒らされることを望むのも皮肉か。
 そうして家を出てイースペリアを出国する。次にいつ戻ってくるか、というよりも戻ってこれるかは分からなかった。













 ラキオスの王都に着いたのは、数日後の夜だった。
 その日は宿に泊まり、翌日から情報を数日間に渡って集め始めた。
 ラキオスの城下街は戦勝で賑わっており、誰も彼もがどこか浮かれている。
 窓から街灯の明かりを見ていると、つくづくそう思わされた。
 宿は大通りに面した場所にあり、部屋は二階にある。

(今のイースペリアとは対照的だな……)

 人々の雰囲気も、街の灯火も。戦火に直接晒されないからこそかもしれない。
 今の戦いはスピリットが中心になり、人間は補助戦力でしかない。
 前線に立つことが少なければ、それだけ死の危険からは遠ざかる。
 日常生活でも事故や病気など常に死の可能性を含んでいることを考えれば、十分に許容範囲といえる程度だ。
 むしろ気楽な従軍を偽りの決意で塗り固めれば、箔がつくとも言える。
 近くの酒場に立ち寄った時、偶然居合わせた兵士の言葉を思い出す。

「俺たちが命を張ってるから、お前たちは安心して暮らせるんだぞ」

 兵士は呂律が回っていなかったので正確な言葉は違うかもしれないが、要約は間違えていない。
 酒場にいた人間の反応もまちまちだった。
 兵士に喝采を浴びせる数名の若者、その光景を呆れとも冷ややかとも取れる目で見つめていた他の兵士。
 兵の言葉に興味も持たず、酒を無心に煽り続ける男。
 他には酒場のウェイトレスを熱心に口説き続ける男と、それを適当にあしらうウェイトレス。

(――本当に命を懸けてるのが誰なのか)

 それに対して多くの人間はあまりに無関心だった。
 もっとも、『鎮定』を持つことがなければ、俺もそちら側に立っていたのかもしれない。
 いずれにせよ、もはや気楽に戦争をしたいとは思わなかった。
 窓から離れてベッドの上に横たわった。
 質素なベッドだが寝心地はそれほど悪くないし、野宿に比べればベットがあるだけ幸運だ。
 ベッドの脇には袱紗に包まれたままの『鎮定』が立てかけられている。
 情報収集の合間に代用の鞘も探して回ったが、ちょうどよいサイズは見つからなかった。

(鞘は後回しにするしかないか……神剣を直接見せても面倒になるだけだ)

 目を閉じ、ベッドに全身の重みを預けた。
 そのまますぐにでも眠れそうだったが、そうなる前に自分の集めた情報を吟味しなくては。
 集めた情報は主にユートと王族に関するもので、噂や風評で構成され露店や行商をしている商人や、酒場での聞き込みが情報源だ。
 商人なら買い気さえ見せておけば簡単に話は聞き出せ、酒場は黙っていても噂話が飛び交う。時には酔っ払いの相手をしたり酒を奢る必要もでてくるが。
 他にも街を行き交う人の些細な話題からも、情報を拾い上げる場合もある。
 一般的に持たれがちなイメージと違い、諜報は地味な作業の繰り返しで華々しくない。

(『求め』のユート……聖ヨト暦330年、今年になって現れたエトランジェ)

 南のマロリガン共和国でも二人のエトランジェが今年になって現れたという話を聞いている。
 それは偶然なのか、何か接点でもあるのか……今の段階で結論は出せないので、頭の片隅にその疑問を追いやる。
 ユートに対するラキオス国民の反応は主に二つに分かれていた。
 単純な英雄視という尊敬から、エトランジェという存在に対する蔑視を根に据えた畏怖の二点だ。
 割合としては前者のほうが多く、ユートはラキオス国民から好意的に見られている。
 噂から得た情報の多くは以前から知っていた内容を再確認させられるばかりだった。
 すなわちバーンライト王国とダーツィ大公国攻略の中心となった人物で、魔龍サードガラハムの討伐も行っている。

(国民的英雄か。あながち間違えてはいないのかもしれない)

 一方で悪い噂も当然ある。
 その内容の大半は偏見が原因で、根拠に欠けると判断していたが、一つ気になる内容があった。

「英雄殿には妖精趣味がある、ね。偉人は色を好むとは言うが」

 この話を聞かせたのは露店を営む商人で、彼は忌々しそうにそれを告げた。
 商人曰く「スピリット相手に少し売り渋ったら、逆に商品を安く売るように強要された」というものである。
 その時の態度が逆らったら斬られそうだとかなんだとか、商人は繰り返し言ったがほとんど聞き流していた。
 話半分で聞いたほうがよさそうな口ぶりだった。人相もお世辞でもいいとはいえない顔だったせいもある。
 そして最後に一言、そうするのは妖精趣味があるからだと断言した。

(商人の悪意が反映されているから、鵜呑みにはできないが……)

 妖精趣味かどうかなどそこだけで判断できないが、スピリットに対して好意的なのは間違いないようだった。
 そういえばイースペリア王城で出会った時も、ブルースピリットを背に担いでいたはずだ。
 スピリットに偏見のある人間にできる真似ではない。
 おそらくユートは商人のスピリットに対する態度に腹を立てたのだろう。

(エトランジェだからこそなのか、個人の感性なのか……)

 この話を聞いた時、ユートに対して密かに親近感を持った。
 ユートのスピリットへの態度には共感できる部分が多い。
 自分たちのスピリットへの価値観が同一のものとは限らないが、方向性は近いのだろう。
 親近感を抱く一方、羨ましさも感じていた。
 潜在的にスピリットへの待遇や見方に疑問を持つ者もいる。
 その数は少なくないが風潮は依然として蔑視であり、人間とスピリットの関係に異を唱えることは異端以外の何者でもない。
 村八分になるのを覚悟してまで、それを主張する人間はほとんどいない。
 たとえ王族であろうと、人間とスピリットの関係改善を提唱すれば非難される。
 苦い記憶を思い出しそうになったが、懸命にそれを抑えた。
 主流に反して別意見を提示するのは、口で言うほど簡単ではない。
 しかしユートはそれを堂々と行っている。ユート自身がどこまでそれを意識しているかは分からないが。
 調べれば調べるほど、ユートに会う必要を強く感じるようになっていた。

(年が明けたら接触するか。それまでに普段暮らしている場所を調べださないと)

 エトランジュの住居がありそうなのは王城かスピリットの居館のどちらかだろう。
 できるならスピリットの居館であって欲しい。
 王城だった場合、接触前も後も何かと面倒な事態になりそうなのは目に見えている。

(王族についても一度整理しておくか)

 まずはラキオス国王。名をルーグゥ・ダイ・ラキオスという。
 評判はお世辞にも良くない。
 今は戦勝を続けていることもあって鳴りを潜めているが、治世の拙さで国民からの支持は低く反発も少なからずある。
 領土を大幅に拡大した現在でも、国王に対する不信感は払拭されていない。
 国王としての器量に疑問を感じている国民は多かった。
 王には二人の親族がいる。

(王妃と王女の二人だったな……)

 一人は王妃で、国民の反応は無関心である。
 それとなく名前を聞いても誰も覚えていなかった。それだけ国民にはどうでもいい存在らしい。
 おそらく国政には一切係わらないのだろう。

(もう一人が王女レスティーナ……次期ラキオス女王か)

 国王と王妃の一人娘で、彼女の評判はすこぶる高い。
 聡明で気高い、若き麗しの王女様。それがラキオス国民のレスティーナ王女への印象である。
 アズマリア女王も同じような話をしていたのを覚えている。
 いつ頃の話かは正確に思い出せないが、ちょうど密偵が終わって報告がてら、王城に帰還した時だ。
 ほんの二日か三日、国内に滞在できた時だ。
 いくらイースペリアにいないといっても、一年中空けているわけではない。
 そのわずかな日程の間に、女王に呼び出された。
 用件は調査内容を直接聞きたいというものだったが、裏にある意図は違う。
 話し相手が欲しかったようだ。それだけ、女王は窮屈な思いをしていた。

(……アズマリア女王の味方はどれぐらいいた?)

 胸が苦しくなった。優しくない答えが多すぎだ。
 アズマリア女王に何も報いてないという後悔が胸に渦巻いている。
 気を鎮めなくては……自分に必要なのは乱れじゃない。

(考えを逸らすな……アズマリア女王がレスティーナ王女をどう評したかだ)

 規則正しい呼吸を繰り返しながら、記憶をはっきりと形にしていく。
 評した内容はラキオス国民とほとんど同じで、女王もまたレスティーナを非常に高く評していた。
 話の内容に具体性が伴っていたが、それはこの際関係ない。

(信頼……愛情というべきか)

 アズマリア女王がレスティーナの話をした時、彼女の顔は輝き、誇らしげな笑みに慈しむような目をしていたのを覚えている。
 それは信頼よりも愛情と呼ぶに相応しいと思う。
 妹に対する愛情か、娘に対する愛情かまでは判断できなかったが。
 女王はお互いの立場がどこか似ているとも話していた。
 似ているのは境遇だけではなく、目指す理想も指している。それが二人をより深く結び付けていたのだろう。

(レスティーナ王女……貴女はアズマリア女王を好いていてくれたのだろうか?)

 そうであって欲しい。

(俺はあの人に何も報いていないのだから――)

 天井に向かって力を抜いた右手をかざした。
 包帯を巻かれた右腕は依然として、二本の指がないままで穴も開いている。
 それは無力の証明だった。












 戦乱に包まれた聖ヨト暦330年が明けて、新年を迎えた。
 ラキオスの城下街はいつになく賑やかで、新年を祝う祭りが連日続いていた。
 新年のお祭り騒ぎが一段落し、街の様相もようやく落ち着きを取り戻し始めた頃。
 ユートの居場所は調べ終えていた。彼がいるのはラキオスの第一スピリット詰め所で城からも城下町からも離れた位置にある。
 城じゃないのは好都合だ。
 宿泊代を大目に払って宿を後にしようとした途端、遠くから耳障りな鐘の音が何度も聞こえてくる。

(――警鐘か!)

 鐘は乱打されて、一向に止みそうにない。
 すぐに宿から飛び出ると、住民は呆然と城を見ている。
 警告の意味が解らないのか……恐慌をきたす前にその場から離れた。
 逃げ惑う人々の中を進むのは面倒だ。
 警鐘が鳴るのは当然危険が迫っているからに他ならない。

(サルドバルトが侵攻してきた……?)

 サルドバルトだとしても、警戒状態のラースを抜いてきたとは思えない。
 イースペリアの場合は無警戒のところに奇襲を仕掛けたから、電撃的な侵攻を成功させただけだ。
 サーギオスはどうか……本国から遠すぎるから、やはりサルドバルトだろう。
 となれば王都への奇襲。隠密行動となると国境付近からの侵入か。
 ラキオス王都の外に出る。付近に人影がないのを確認してから『鎮定』に触れた。
 永遠神剣同士なら、互いの反応を探ることができる。
 目立たないように気配を殺していれば感知できないが、今の状況ならどうか。
 『鎮定』がすぐに神剣のいくつかの反応を捉える。
 ラキオスの第一スピリット詰め所のある方角からだ。

(これはユートたちか……)

 反応は少しずつ動いているようだが、はっきりしない。
 こちらの気配は気取られないように注意しながら、探索を続けた。
 潜入側も戦闘を始めてしまえば、気配を隠すどころではなくなる。両者の位置関係を把握してから動くべきだ。













「サルドバルトのスピリット隊がリュケイレムの森に侵入した。敵の規模は分からないけど、たぶんそんなに数は多くないと思う」

 悠人の言葉に面々が頷く。
 奇襲の難しさは悠人もイースペリアに潜入する際に実感していた。

「そこで俺たちは部隊を大きく前衛と後衛の二つに分けようと思う。前衛は敵を探りながら叩く部隊。
 後衛は後方支援と、伏兵や前衛を突破してきた場合に備えてものだけど……どこかおかしな点は?」

 悠人はスピリット隊の面々を窺う。
 実戦の経験を重ねてきているとはいえ、悠人の指揮官としての手腕は未知数な部分が多い。
 悠人自身、自分が指揮官としての器なのか懐疑的な部分がある。
 それとなく不備がないかを確認したのだが、誰も部隊を二つに分けるのに異論を挟まなかった。
 悠人はそれを確認してから、話を先に進める。

「割り振りは前衛は俺を含めた第1詰め所のメンバーにヒミカとネリーの二人を加えた六人で、後衛はそれ以外のメンバーでどうかな?」

 前衛は機動力と攻撃力に重点を置いた編成だ。前衛を主攻に据えたい悠人の意図が窺える。
 スピリットたちもすぐに了承した。
 編成を終えた悠人たちはリュケイレムの森に向かう。
 そして森に踏み込んですぐに、前衛部隊がサルドバルトの部隊に遭遇した。
 サルドバルトのスピリット隊は奇襲に失敗すると、すぐに作戦を切り替える。
 潜入した部隊の半数以上を前衛に足止めとしてぶつけ、残りは迂回して王城を目指すというものだ。
 それに気づいたセリア率いる後衛の部隊が、行き先を塞ぐように部隊を展開した。
 戦線は悠人らの予想に反して、広く伸びている。












2話、了










□後書きというか裏話。

今回はプロットについて。
プロット……実は紙に書いたり、データとして残していません。
あまり褒められた状態ではないのですが、頭の中でまとめてそのままという状態だったりします。
つまりは脳内補完。本当は良くない状態なんですけどね。
目に見える形にしたほうが、抜け落ちや矛盾は探しやすいですし、いざという時に骨子がしっかりします。
ですが、今回の自分はそれをしてないです。プロットを作る手間を惜しんでしまったというのがあります。

それだけ、今回長編を立ち上げたのは自分の中で追い込まれていたからだったりします。
ごちゃごちゃ考える前に書こう、そんな危なっかしい思考が働いていたわけで。
しかもプロットを立てたのがゲームクリア以前。確か3章に入った頃だったような……無茶をやるもんだ。
当然プロットや人物設定は、あとになって作り直すことになりました。公式設定との食い違いが多すぎたので。

そんな状態で始めたせいで、この長編は一度大幅な修正をかけています。
1話に関していえば、最初の説明文以外は新規書き直しになるぐらい。
量としては1万文字近く……これを多いと取るか少ないと取るかは人次第。
自分は文を打ち込むのに時間がかかる人間なので、かなり痛かったですが。
とはいえ、そういうことがザラにあるので、慣れてると言えば慣れてます。
あー……だけど、プロットを明確化しないから、こういうことになるのかも。
ここを見ていて、文章創作する人はプロット作成するのを強く推奨します。

見えない部分での準備を惜しむと、かえって首を絞める典型的なパターンですね。
みなさんは、そうならないように注意しましょう。


それでは、少しでも楽しんでいただければ幸いです。


2006年1月8日  第2期修正。
2006年1月11日 HTML化作業。一般公開開始。

次の話へ / SSページへ / TOPへ