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永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


10話 余暇の過ごし方














 ラキオス王城に登城されたし――その命令がランサのスピリット隊にもたらされたのは四日前になる。
 理由は知らされなかったが、スピリット隊は翌日にはランサを出立していた。
 ただしランサを無防備にするのも危険なので、ヒミカとハリオンの二人は現地に留まったままでいる。
 ランサからラキオス王都までは一日で踏破できる距離ではない。
 安全が確保されている陸路といえど、到着までにはさらに三日を要した。

「それでさっき着いて、まずは休むよう言われたってところか?」
「そうなるな」

 テーブルを挟んで向かい合ってるのは、数週間振りに目にするユートだった。
 場所はスピリットの第一詰め所。最後にここに入ったのがいつだったかは覚えていない。
 ユートはついさっきまで年少のスピリットたちに方々を連れ回されていた。
 それは不在の間の鬱憤を晴らすかのような、清々しい暴風のような光景だった。昼下がりも半ばに解放されたユートは目も当てられないぐらいに憔悴(しょうすい)していたが。
 それでも休憩しつつエスペリアの茶を飲んでいるうちに、体力は戻ったようだ。
 年少のスピリットたちと本気で付き合うと笑えないぐらいに消耗する。これが現実だ。
 その年少組は今も遊び回っているらしい。久々のラキオスということもあり、いつの間にか骨休みのようになっていた。

「俺たちがいない間に変わったことは?」
「ランサで小競り合いが続く以外は特に大きな動きはないな」
「そっか……」

 ここに俺がいるのはユートに不在の間の報告を求められたからだ。
 幸いにも小競り合いが続くばかりで目立った動きはないし、被害も出ていない。
 しかしユートの表情は浮かなかった。
 彼は小競り合いでさえ大きな動きと捉えるのだろうか……少なくとも命という概念に敏感なのは知っている。
 規模の大小はあれ、戦闘には命のやり取りが確実にあり、おそらくそれを気にかけているのだろう。
 消える命……それを気にかけるユートの性格は大切なのかもしれない。

「そういえば、そっちも戻ってきたばかりなのか?」
「ああ。着いたのは夜中だったから半日ぐらい早かったんだと思う」
「そうか。それでユートとエスペリアは今まで何をしていたんだ?」
「……言っていいのかな」
「言いにくいことなら訊かなかったことにするが」
「言いにくいというかペラペラ喋ると後が怖そうな気もするんだよな……要は人を案内してたんだ。詳しいことは明日には分かるよ」

 頷き、それ以上は訊かなかった。誰を案内してたかは気になるが……。

「今回呼び戻されたのはそれが関係あるのか?」
「むしろそれだろ。レスティーナは一度みんなと会わせたいだろうし、あっちも会いたいみたいなことを言ってたからなぁ」

 ユートは思い出すように答える。
 どういった相手かは分からないが、レスティーナ女王の名が出ることからも重要人物なのは疑いようがない。
 自分にも出されていた茶を飲んで、喉の渇きを潤す。
 茶を入れたエスペリアは目下のところ庭いじりに勤しんでいる。

「ああ、それからもう一つ。大したことじゃないんだが、どうして俺なんだ? セリアのほうが要領よく報告してくれるだろうに」
「それは……あれだよ。大きな声じゃ言えないけど、セリアはなんか棘があるって言うか、頭ごなしに怒られてるみたいな気がしてさ……気楽にってわけにはいかないだろう?」
「……言いたいことは分かる」

 辺りに誰もいないのを確認してから頷く。
 こんな話がセリアの耳に入ったら、それこそ棘が実体を帯びかねない。明日の朝食などどうなるか……。

「ファーレーンだと今度はニムの視線が痛いというか……お姉ちゃんを取るな光線が照射されてて気になるんだよな」
「べったりだからな、ニムントールは」
「ファーレーンもニムには似たようなもんだから、どっちもどっちなんだろうけどさ。猫と可愛がりの飼い主って感じなんだよな」
「……ネコってなんだ?」

 ユートは頭を捻って考え込む。それから手振りを交えて説明する。

「猫っていうのはハイペリアにいる動物で、毛がふさふさしてて尻尾と耳がつーんと立って、夜中なんかに目が光って」

 頭の中でネコの姿を想像する。尻尾と耳が立ってて、毛並みがよくて、夜中には目が光るか。
 ……何故だか凶悪そうな動物が思い浮かんでしまった。きっと実物とは違うのだろう。そう信じたい。

「それがどうして……ファーレーンかニムントールのどちらかになるんだ?」
「猫って気まぐれな動物でさ。普段は取り澄ましてるのにほんとは寂しがり屋なんだよ。だけど構おうとすると嫌がって逃げて、逆に無視すると自分から近づいて来るんだ」
「なるほど……」
「その猫もずっと甘えたがる相手が必ずいるんだよ。そういうところ、ニムに似てると思わないか?」
「確かに通じるものがあるな」

 想像していたネコのイメージが変わっていく。ニムントールの要素が加わって、少しは凶悪さも鳴りを潜めてくれた。
 それでも現物に似ても似つかないだろう。

「そんな感じだから俺が行くと猫のニムは大層抵抗する……って感じかな?」
「ユートの話だと、その抵抗もあくまで表面上だと思うが」
「俺もそうだったらいいと思うよ」

 苦笑交じりの言葉はユートの本心なのだろう。

「それならハリオンやヒミカを連れてくればよかったかな。二人なら話やすいだろう?」
「そう……だな。そう言われてみるとそうだ。ランセルもそうなのか?」
「ああ。あの二人は話しやすいと思う」

 気兼ねは要らないし、話は主導してもらえるし。それに落ち着きというか己のペースを持ちながら相手にも合わせられる。
 ……いや、ハリオンはそうでもないかもしれない。あれは巻き込んで煙に巻くタイプか。
 それはそれでいいかと思わせる辺り、大したものだとは思うが。

「ハリオンの言葉を借りるなら、お姉さん的か?」
「お姉さん的って……間違えちゃいないだろうけど、ランセルが言うとなぁ」
「……おかしいか?」
「いや。俺のほうが勝手に先入観を持ってただけだよ」

 そういってユートは一人で納得してしまった。
 言いたいことは想像できなくもないが、敢えて訊く必要もないだろう。

「それでどうしてランセルかだったっけ」
「ああ」

 自分から質問しておきながら、話しているうちにすっかり忘れていた。

「うーん、俺に一番近いからかな、やっぱり。他に男っていないだろう」
「スピリットは誰でも女だからな」
「それはそうなんだけど、なんかその答え方は少し違うとも思うぞ」
「そうか?」
「上手く言えないけどな。ただ同じ男同士だとみんなには訊きにくいようなことも訊きやすいだろ?」

 それはあるかもしれない。事前に訊かれる内容の知識や経験が当然のように在るのは大きいはず。

「それにここに長くいると、逆に同性のほうが珍しく感じるんだよな」
「……そうか」
「みんなに不満があるわけじゃないけど、こればかりはどうしようもないからな」

 頷く。ユートは自分が持ち得ない感覚で語っている。だから実感に欠けたまま頷いてしまう。
 しかし実感がなくとも、ユートにはユートの理由がある。それでいいのだと思った。

「そういえば……そっちはみんなと上手くやれてるのか?」
「……行動を共にする分には問題ない」

 事務的な答えだと、頭の片隅で思った。

「それもそうだけど……普段から仲良くやれてるのかって意味で」
「どうだろう。面白みのない男だとは理解してくれてそうだが」

 実際の距離は分からない。というより計れない。内面とはそういった類のものだ。
 それにどう言っていいかも分からない。自分が向ける信用と、相手が向けてくれる信用は同一ではないのだから。

「はっきりしないな……あんたはどう思ってるんだ? 好きなのか嫌いなのか?」
「二択しかないのか?」
「煮え切らないランセルが悪い」
「……その二択なら前者だ」

 好きだ――とは言えない。嘘になるわけじゃないが、好きという言葉は口に出したくなかった。

「だけど隊のみんなが俺にそう思うかは別だろう?」
「そうだよな」
「……なんで笑ってる?」
「別になんでもないぞ」

 そう言って含み笑いを隠そうともしない。
 分からん。何を考えている?

「そういうユートはどうなんだ?」
「……大事だと思ってるよ」

 大真面目な顔で断言する。そんなユートに少し唖然として、深く感嘆した。自分にはこうも言えまい。

「大事なのは確かだよ。それで身近で……仲間とも少し違うかもしれないけど……」
「それでも大事なのに変わりはない、か?」
「そうだな。そこは譲れない。俺はみんなを守っていきたい。誰にも死んで欲しくなんかない」

 今度こそ頷けなかった。否定してるからじゃない。
 その気持ちの重さは、安易に頷いていいものじゃなかったから。
 ユートが何か言おうと口を開いたのと同時。

「パパ、パパー!」
「ユートさまー!」

 足音が廊下をけたたましく鳴らす。これだけで誰だか分かってしまう。
 ドアが壊れんばかりの勢いで開けられる。その時にはユートも椅子から立ち上がっていた。
 先を争うようにオルファとネリーが部屋に飛び込んで、そのままユートに抱きつく。
 ユートはそんな二人をしっかりと受け止める。テーブルなど辺りの家具に被害の出ないように。
 ……察していたのだろうか。おそらくは経験か何かで。

「どうした二人とも? って、シアーもいるのか」

 シアーはドアから顔だけ出して辺りを窺っていた。警戒しているような素振りに見える。
 そうする理由は想像できた。おそらく、というよりほぼ確実にオルファとネリーはエスペリアに叱られる。
 あれだけの音を立てれば庭にいるエスペリアが気づかないはずもない。
 エスペリアの耳に入れば、第二詰め所の主セリアの耳にも届くという流れ。叱責は繰り返しやってくる。
 もっともオルファとネリーはそこまで考えていないらしい。
 年少のスピリットが年上に叱られるのも日常茶飯事と言えなくもないし、楽しそうな二人に水を差すこともないだろう。

「ねえねえ、パパは今暇だよね?」
「暇って……そんなにはっきり言われると悲しくなるぞ」
「じゃあ暇じゃないの?」
「いや……時間はあるんだけどさ……疲れてるけど時間はな……」

 渋々頷くユート。敗北感のような雰囲気を滲ませて項垂れている。
 一方のオルファとネリーは顔を見合わせて頷き合っていた。

「ならユート様。買い物に行こうっ!」
「買い物?」
「うん。買い出しだよ」

 買い出し――というと聞こえはいいが、この組み合わせでの実態はそうでもない。
 平たく言えば、お菓子の一つでも買ってよ。
 ユートもそれは承知しているが、嬉しそうに誘ってくる少女たちを見れば無下にもできないようだ。
 と、ユートがこちらに視線を向けた。オルファとネリーもこちらを向く。
 三者とも何かを期待するような目、というのは考えすぎでもないと思う。何を期待しているかは一人と二人で違いそうだが。
 ユートたちから視線を逸らす。ちょっとした独り言のようになるように。

「行ってきてもいいんじゃないか」
「え?」
「だから買い出し。必要な物さえ買っておけば、他に嗜好品でもなんでも買っても問題ないはずだ」
「そういう見方もあったか……いや、だけど疲れて――」
「嫌なのー?」

 オルファとネリーの二人が揃ってユートを見つめる。結果、ユートはあえなく口ごもってしまう。

「だから行ってくればいい。俺は――」

 行かない、と告げる前に左手を掴まれ引かれた。包帯越しでも相手の指が小さいのが伝わる。
 振り返るとシアーが手を何度も引こうとしている。子どもっぽい――当然だが――仕種だと思う。

「約束ー」

 片言の言葉、その意味を胸の内で推し量った。シアーの表情は真剣そのもので、それが逆に迷いを深める。
 それに気づいたのかどうか、シアーは言う。こちらの目を真正面から見据えて。

「約束。何か買ってくれるって……」
「……あ」

 そんな約束もしていた。しかも、確か自分から。

「……よし、買出しに行こう。ただしランセルもついてこい。俺一人に全部押し付けるつもりか?」
「何を……」
「いこいこー!」
「いこー」

 反論の間もなくオルファとネリーは盛り上げるし、シアーもより強く手を引く。

「ここまで言われてこないつもりか?」
「……分かったよ。付き合う」
「やったー!」

 三重の歓声。それは館の主が好む静寂の度合いを超過していて――いつの間にかドアの前に立ち塞がっていたエスペリアの怒りを煽るには十分すぎた。

「エ、エスペリアお姉ちゃん……」

 その物言わぬ気配に圧倒されるオルファ。というより、この場の誰もが圧倒されている。
 こうなった以上は自分も無関係ではいられない、という気がした。粗相を見逃すは年長者の不覚、という具合に。
 オルファとネリーはユートの陰に隠れてしまい、シアーは俺の手を握り締める。
 ……とりあえずはそのままにさせておく。

「オルファ、ネリー、シアー。屋敷の廊下を走り回ってはいけません。それになんですか、はしたない。ユート様たちに失礼でしょう」
「まあまあ、エスペリア。三人とも分かってるだろうから、ここは、な?」
「いいえ、ダメです。大体、ユート様はユート様で甘やかしすぎです。もう少し厳しくしていただけないと困ります」
「……ごめん」

 (なだ)めるはずが逆に萎れるユート。この場の支配者が誰なのかをまざまざと見せつけている。
 そしてエスペリアの独壇場が始まった。

「そもそもユート様は――」

 普段からの態度に始まって、礼儀作法や生活習慣など、諸々に注意と注文を加えていく。それはもう微に入り細にわたって。
 中にはこじ付けとしか思えない言い分もあったが、そんなこと指摘できるはずもない。
 指摘しようものなら、それは即座に失言と化すとこの場の空気は示している。
 エスペリアの語り口は想像してたよりも大人しかった。もっと苛烈なものを想像していたのは、きっとセリアのせいだ。
 その点がセリアとは大きく違う。言ってる内容はどちらも正論ではあるが。
 とはいえ、もう十分だとも思う。反省という言葉はこの瞬間にはすでに適用されている、と思う。
 ネリーやオルファなら数日もすれば忘れてるに違いない、という事実は意識して無視しても。

「私の話を聞いているのですか?」
「聞いてる! 誓って聞いてる……って、だからお前もおかしな部分で反応するなって!」

 ユートはエスペリアに怒られながら『求め』に何か言っている。微笑ましき、かな?

「パパ、しっかり!」
「ユート様、がんばれー!」
「がんばれー!」
「お、おう! 任せとけ」

 何をだ。というか何かが間違ってる気がする。何かが。

「あの、エスペリア」

 彼女の驚いた視線が向けられる。
 それはそうだろう。説教が始まってから何も話していなかったし、彼女自身が俺に話を向けなかったようにも感じる。

「お詫びとして一同、街まで買い出し行こうと思うんだが、どうだろうか?」
「買い出しですか?」
「反省は行動と態度で示すべきじゃないか? それに足りてない物は多いだろう?」

 エスペリアは思案顔になる。逃げの口上という側面があるのは分かっているのだろう。
 しかし、側面は側面であって正面ではない。正面こそがそもそもの目的だ。

「それにみんなもユートに久々に会えて喜んでるんだろう。いいじゃないか、そういうのは」
「……分かりました。ただし、そうまで言うからには両方の館で必要な物を二日分、できれば三日分買ってきてください」
「大丈夫だな?」

 話を振られたみんなは一様に驚くが、すぐにはっきりと返事を返した。
 特にネリーなんかは胸を張って。そのネリーが一番の不安要素だと密かに思う。

「セリアには私のほうから伝えておきますので。それから必要な物をメモしますので、少々お待ちください」
「了解した」

 そしてエスペリアはメモをさらさらとしたためていく。
 その後、セリアにも話が通って第二詰め所で必要な物も分かる。
 こうしてオルファたちのおねだりは、大掛かりな買いだしに変貌していた。













「この量はまた……」

 メモを見ながらユートがぼやく。

「こんなに多いと持ちきれるかな……」
「それは大丈夫だろう。五人もいるんだぞ」
「オルファたちがちゃんと持ってくれるならだろ」
「持たせるんだ。エスペリアも言っていたじゃないか、甘やかせるなと」

 話題に出されたとも知らず、オルファたち三人ははしゃぎながら先行している。
 市街までもう五分とかからない位置だ。幅広い道の両側には木々が連なり、伸びた影を歩道にまで投げ出している。その影も時折の風で不規則に揺らぐ。

「別に甘やかせる気はないよ」
「なら過保護か?」
「それも違う……って、そう見えてるのか?」

 慌てた声音のユートに向かって、(かぶり)を振る。

「過ぎてるとは思わない」
「……それって甘やかしがちってことか?」
「さて、どうだろう。でもユートらしくていいんじゃないか?」

 ユートの唸るような声が聞こえてくる。
 確かにユートは甘すぎる嫌いがあるが、それは同時に彼の魅力だとも思う。長所と短所は表裏一体、というやつだろうか。

「二人とも、早く早くーっ!」

 オルファたちが大きく手を振る。ユートも同じように手を振っていた。

「少し急ごう」

 ユートは歩調を速め、俺は遅れないようにそれに合わせる。
 先行した三人に追いつくと、すぐに王都市街に入った。
 商店の立ち並ぶ一角に向かうまでに幾人もの住民たちとすれ違い、あるいは同じ方向へと進んでいく。
 そして視線が集まる。その多くははっきり、それと分かるように。中には立ち止まって見送る者さえいる。
 視線。人がスピリットに向ける視線。それは奇異だの侮蔑だの、おおよそ心地よいものではなかった。
 だというのに――。

「ユート。何かあったのか……?」
「俺に訊かれても分からないよ。だけど、これって……」

 戸惑った。それはユートも同じらしい。
 視線の質が違う。あからさまな悪意に満ちていたはずの視線は、確かに敬意のこめられた眼差しに変わっていた。
 人々の変化に年下の三人は気づいていないのだろうか。
 いずれにしても、建物が同じだけで知らない場所に放り込まれたような気分だった。

「俺たちが……スピリットのみんなが守ってくれてるって分かってくれたのか?」

 自問によく似たユートの問いかけには答えられなかった。

「……でも嫌な視線を向けられるよりはいいか」

 それはそうだが。今までのことも考えれば、スピリットはこれぐらいの扱いを受けてもいいんじゃないかとは思う。
 しかし、だからこそ逆に違和感を覚えた。人間の意識はこうもたやすく変わるものだろうか?

「それにまた、あんな見下された視線を向けられたくない」

 ユートははっきりと言い切った。彼の視線はオルファたちに向けられている。
 同意の言葉を伝えて、もう一度街に目を凝らす。
 何が違うのだろう。何も変わりはしないのではないか。だが見えない何かは確かに変わったらしい。
 だったら、事実を受け容れるまで。
 そう。ひょっとしたらレスティーナ女王の方針が浸透したのかもしれない。潜在的とはいえ、スピリット蔑視の風潮を嫌う人間だっていた。
 ありえない話じゃないはずだ。ありえない話では。
 目の前の事実を受け容れる。そういうことだ。

「ねえねえ、ユート様。何から買うの?」
「え? あ、ああ、そうだな」

 いつの間にか露店が立ち並ぶ区間に到着していた。
 ユートは改めてメモを見る。そこには丁寧な文字で買うべき物が書かれていた。
 見やすいように行間や空間が取られているのも、エスペリアらしいと言えるのかもしれない。

「食材とか特別何かを指定してるわけじゃないんだよな……」
「それって好きな物を選んでいいのー?」
「のー?」
「……だろうな。変な物を選ぶと後が怖いけど」

 露店の軒先に並ぶ売り物を見ながら、ゆっくりと奥に進んでいく。

「ランセルは何が食べたい?」
「……海産物かな」
「海産物って……なんで?」
「ランサは内陸にあるから滅多に食べられないんだよ」

 ユートは納得した表情を浮かべる。

「今日の分の食材は魚にするとして、必要な物をどんどん買っていくか」
「はーい」
「じゃあ早速……」

 ユートがメモを片手に、書かれているものを次々に買い込んでいく。
 買った物はそのままオルファたちに回されていった。初めは不満顔も浮かべていたが、すぐにそういった顔もしなくなる。
 どうやら荷物を持つこと、それ自体が楽しくなったようだ。
 そんな調子で買い物を続けていく。大体の物を買い終えるには、さほどの時間はかからなかった。

「さてと、こんなもんかな?」
「……ユート。さっきから言おうと思っていたんだが、どうして野菜を買わないんだ?」
「え!? そんなこと書いてたっけ?」

 慌ててメモを読み直す振りをするユート。

「嘘をつくな。メモに何が書かれてたぐらいは大体覚えてる」
「うっ……」
「ラナハナとリクェム。買わないとな?」

 二種類の野菜は、一際大きい文字で中央に目立つよう書かれていた。気づかないほうが無理だ。

「えー、ネリーも買わないでいいのに」
「いいのにー」
「オルファも買わないでいいと思うけど……」
「ほら、みんなだってそう言ってることだし……」
「それが甘やかしじゃないのか?」
「そ、そんなこと……」
「だったら、俺から目を逸らさずに言えるな?」
「……ごめんなさい」

 まったく仕方のないやつらだ。野菜を並べてる露店に自分の足で向かう。

「買ってくるから待ってろ」
「ぬー……! ネリーたちをいじめて楽しいの!?」

 無視。

「さいてー! 極悪ー! ばかー! 廊下で転んで頭でも打っちゃえー!」

 野菜を買うかでそこまで言うか。耳目も集まるし、止めろよユート。
 しばらくネリーの叫びが聞こえてくるが、最後まで無視を決め込む。
 また当初の二種類とは別に、さらにいくつかの野菜も追加で買い込んでおく。
 ユートたちの元に戻ると、ネリーはふくれっ面をしていた。無視してユートに野菜の入った包みを押しつける。

「……すまない」
「何が?」
「なんでもないです……って、なんか種類が多い気がするんだけど」
「気のせいだろ」
「いや、確かに」
「気のせいだ」
「……」

 ユートは不承不承といった感じに頷く。
 これでメモにある物は買い揃えたはずだ。残るは……。

「ユート、そろそろ本来の目的を果てしてもいいんじゃないか?」
「あ……そうだな。オルファ、ネリー、シアー。何が食べたい?」

 いきなり話を切り出された三人は咄嗟に答えられない。
 三人は内緒話をするように固まると、小声で何やら相談する。
 相談を終えた彼女たちは声を揃えて言った。

「ヨフアルっ!」













 俺とユートはオルファたち三人がヨフアル屋の屋台に向かうのを、歩道の端から眺めていた。
 足元には三人が持つはずの荷物が並べられている。
 三人に買い物を慣れさせるためにも、今回は様子を見るだけに留めている。何かあればすぐにでも駆けつけるつもりだ。

「またヨフアルか……」
「ん? 何かあったのか?」
「いや、変わり映えしないと思って」
「それだけヨフアルが美味しいってことでいいじゃないか」

 確かにユートの言う通りかもしれない。それに不満があるわけでもなし。

「ちゃんと買えるかな……」
「買えるにしても量が量だから時間はかかるだろう」

 三人にだけ買うと、それを理由に後で小言を聞かされるかもしれない。
 そこでスピリットの人数だけのヨフアルを持ち帰り、その上であの三人の分のヨフアルも焼いてもらっている。

「待つしかないか」
「ああ」

 沈黙がくる。しばらくの間はどちらも話さないでいたが、ユートは心なし声を潜めて話しかけてきた。

「なあランセル。アセリアはヨフアルで喜ぶのかな?」
「アセリア? 俺よりユートのほうが詳しいんじゃないか?」
「……そうか?」
「そうだろ」

 そもそも、俺とアセリアの接点が少ないんだが。
 互いに嫌い合ったりとかそういうことはないが、かといって親密かと言われれば首を横に振らざるを得ない。

「ユートは昔、アセリアに何か説いたんだろう? ダーツィでそういうことをしたとは聞いてる」
「あれは……説いたんじゃなくて我慢できなかったんだよ」
「だとしても、それがきっかけでアセリアが変わったと言う話もあるんだ。ユートはアセリアにとって深い位置にいると思う」

 ユートは黙ってしまった。少し考えてから、先の質問に答える。

「それでヨフアルで喜ぶかだけど大丈夫だろ。それより喜ぶ物もあるかもしれないけど」
「ヨフアルより?」
「俺も人から聞いた話なんだが……アセリアって石が好きらしいじゃないか」
「あ……」

 どうやらユートには心当たりがあるらしい。

「アセリアは石を加工してペンダントとかを作るのが好きなんだ」
「だったら何かの原石なんか喜ぶかも。アセリアが普段はどういう石を加工してるか知らないが」
「俺も石には詳しくないからなぁ……だけど、ありふれた石ばっかりだったよ」
「それなら原石とかいいかもしれない。普段とは違う輝きをあなたに――」

 そこまで言って、はたと思い立った。
 深く考えないで話していたが、これはもしや。

「ユート。これって色恋沙汰か? アセリアが好きなのか?」
「なっ!?」

 ユートの頬に朱が差す。

「そ、そんなにストレートに言うやつがあるかっ!」
「直接という意味か? とりあえず悪いことをしたな」
「そう言って悪く思ってないだろ?」
「ああ」

 ユートは横でおかしなうめき声を上げている。
 しかし、これは……否定しなかったな。誰かに言うのは黙っておくとして、こういう時にどうしてやればいいんだ?
 背中を押すのか? それで谷底に落ちたら笑うに笑えないところだが。

「ユート。余計なお節介かもしれないが……右の通りの角に貴金属や宝石を取り扱ってる店があるんだ」
「それって……」
「ひょっとしたら原石も置いてあるかもしれない。加工品は高すぎるが、原石なら買えるかもしれない。どうする?」
「どうするって……なんだよ、この金は?」
「それだけあれば一個か二個は買えるだろう。三人が戻ってくる前に行ってきたらどうだ?」

 ユートは渡した硬貨を握り締めつつ、俺とヨフアルを待っている三人を見比べる。
 彼は意を決したように大きく頷いた。

「行ってくる」
「ああ、三人が先に戻って来たら適当に言っておく」

 ユートが駆けていく。後姿はどんどん遠くなっていった。
 ヨフアルを待つ三人にも変化がないのを確認してから、手近な壁に寄りかかる。

(……まったく)

 とりあえずユートのことは口外はしないほうがいいだろう。余計に(はや)し立てたり言いふらす趣味はない。
 後はもう流れに任せよう。これ以上、自分がどうのこうのと関わる必要はないはずだ。
 しばらく待っていて先に戻ってきたのはユートで、表情からは首尾は上々だったらしいのが窺えた。
 この頃には日は傾き始めていて、少しだけ天気も薄暗くなってきたように思う。

「……どうもありがとう」
「まだ感謝には早いぞ。というより感謝なんかしないでくれ。余計なことに首を突っ込んだとも思ってるんだ」
「そうか」

 ユートは苦笑を答えとして寄越す。

「金は……」
「気長に待つ。催促はしないけど、ちゃんと返してくれ」
「ああ、必ず返すよ」

 そうして会話は終わった。頭を壁につけて、ぼんやりと空を見つめる。

「なあランセル。そっちはその……誰か好きだったりするのか?」
「……どうだろう」

 おそらくユートの言った好きは恋を指すのだろう。
 恋心というのはどうにも解からない。自分とまったく結びつかないからだ。
 例えば、誰かに愛を誓う自分はどうにも想像できないように。
 しかし恋には一方的という側面もある、らしい。
 だとすれば自分がアズマリア女王に向けた思慕も、見ようによっては恋なのかもしれない。
 しかし――恋愛と忠誠の境界線は一体どこにあるのだろう?
 今のスピリット隊に照らし合わせれば、仲間内の大切という感情も恋に括られてしまうのだろうか?
 じゃあ、ユートはどこでアセリアに恋をしたのだろうか?
 そもそも恋ってなんだ?
 色々と考えてはみても、最後には解からないという結論に落ち着いてしまう。
 だから自然と曖昧な返事にもなる。

「見てる感じだと、シアーにはだいぶ懐かれてるんじゃないか」
「……嫌われてはいないと思うけど」

 実際のところ、ユートの言うように懐かれていると思う。
 素直に嬉しいことだ。嫌われるとか避けられるとかよりも、間違いなくずっといい。
 しかし、それは好きか嫌いかであって、やはり恋でもないと思う。いや、好きか嫌いかが恋になるのか?
 それでも自分がシアーに向ける好意は恋ではなく、シアーの向ける気持ちもやはり違うはず。

「ユート。俺はみんなが好きだとは思うけど、それはやっぱり恋じゃないというか……特定の誰かを指すような好きじゃない」

 それとなく屋台のほうを見ると、三人もちょうど買い物を終えたらしい。

「……三人が戻ってくる」

 オルファたちがヨフアルを頬張りながら戻ってくる。この話はこれで打ち切られた。
 紙袋はオルファが抱えている。
 俺たちの所に戻ってくる間に三人はヨフアルを食べ終えていた。もっとゆっくり食べてもいいのに。

「ちゃんと買えたか?」
「もっちろん!」

 ユートの問いにオルファがヨフアルの入った紙袋を突き出す。ちゃんと買えていた。
 偉い……と、ここで言ってしまうのは子ども扱いだろうか。しかし、やはりまだ子どもっぽいというか。

「……三人とも口の周りに食べかすがついてるぞ」

 教えてやると三人は慌てて口元を払っていく。しかしネリーとシアーは見当違いの場所を払うばかりでなかなか取れない。

「シアー。もう少し右……違う、逆だ。で、その上のほう……ネリーは俺の外套で口を拭くんじゃない」
「えー、いいじゃん別に。減るものじゃないんだし」
「そういう問題じゃないだろ」

 こいつは人の服で口を拭いて汚いとか思わないのか。
 ユートはユートでなんか笑ってるし。……好きなようにさせている自分もかなり甘いのかもしれない。
 こうして偶然発生した余暇は過ぎていく。










10話、了





二〇〇六年九月二十二日 掲載。

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