永遠のアセリア 1
Recordation of Suppressor
11話 天才きたりて
2
ヒミカとハリオンを除いたスピリット隊の面々は謁見の間に集められていた。
意外なことに他に人間の姿は見受けられなかった。例えば従者や近衛兵など、普段なら堂々と控えてるはずがどこにも見受けられない。
どうやら人払いをしたらしい。そうした理由までは分からないが。
ただ、人を排したというのはそれだけレスティーナ女王がスピリットを信用している証なのだとも思った。
でなければ、こんな真似はできるはずがない。
形式的な口上を終えた後、レスティーナ女王は早々に本題を切り出した。
「皆に紹介したい方がいます。帝国打倒のために我がラキオスに協力を申し出てくれた……賢者、ヨーティア・リカリオン殿です」
ざわめきが広がった。この世界ではヨーティアの名を知らないものはほとんどいない。
ヨーティア・リカリオン。エーテル技術に多くの功績を残した人物で、現在実用化されている技術の基礎はヨーティアが作り上げたといっても過言ではない。
元はサーギオス帝国に身を寄せていたが、ある時に帝国を放逐、今やいずこに住んでいるかも分からないとされている稀代の人物。
人は敬意と羨望を込めて賢者と呼ぶ。もっとも今は隠者と呼ぶ場合が多いが。
ユートたちが連れてきたのは高名なヨーティアだったのか……確かにおいそれと名を出さないのも納得できる。
「ねえねえ、ヨーティアって凄い人なの?」
……中には知らない者もいる。誰が言ったかは言うに及ばず。
「……あとでみっちり教えてあげるわ」
応じる声も言うに及ばず。血の雨が降らねばいいが。
「静まりなさい! こほん……それではヨーティア殿。お入りください」
女王の声に応じて、扉が軋み音を立てて徐々に開いていく。
天才という肩書きに多くの者はどれだけの憧憬を感じていたのだろう? どれだけの期待をしていたのだろう?
そこに現れた人物はそういった予想を裏切るには十分な
皺でくたびれた白衣を纏い、丸眼鏡を鼻の上に乗せるよう掛けている女性。
髪の手入れには無頓着なのか整えた様子もなく、気ままに逆立っている。ユートに似た髪形だと思う。
よれた白衣の胸元は締まりなく開いていて、やはり白衣と同じようによれたシャツが見えている。
当然はいているズボンも同じような状態だ。着慣れている、という段階はすでに通り過ぎて久しいらしい。
唯一、首にかけているリングが女性らしい身だしなみだろうか。取り繕うには手遅れだが。
さながら、だらしなさ自身が服を着ているような女性だ。
【む……】
『鎮定』が反応を見せる。ヨーティアに対してではなく、その脇に付き従う従者に。
スピリットだ。神剣の気配があるから間違いない。
だけど、そのスピリットは今まで見てきたどのスピリットとも雰囲気が違った。空気が違う。
白と紺のローブのような服を身につけ、
目は深紅、髪は白とも銀ともつかない綺麗な色をしていた。
スピリットは青だったり緑だったりと固有の色を持つ。そのスピリットも固有の色を持っている、はずだ。
上手くは言えない。だけど彼女の色はおそらく白だ。透けて見えるような白。それでいて何か別の強い白を主張している。
白は何か心に残る色だった。
「ラキオスのスピリットはなかなか美人揃いじゃないか。中にはそもそも違うのも混じってるようだけど。ま、しばらく厄介になるだろうからよろしく頼むよ」
世間話でもするかのように、天才はこちらに話しかけていた。
気さくな態度に、側にいたセリアが胸中を呟く。
「本物……?」
「もちろん本物だとも。まあ外側ばかりを見ていたら物事の本質はなかなか見えないだろうさね」
セリアの呟きをヨーティアは大口を開けて笑い飛ばす。嫌味や皮肉なのかは判断しかねるところだ……どうにも変わり者らしいのは窺えたが。
「私のほうは自己紹介なんて必要ないだろうね。世紀の大天才といったらこのヨーティア様だけだからね」
「ヨーティア様、それは少し手を抜きすぎです」
「そんなことはないぞ。第一、己の口から出る自己紹介は脚色が入り混じるもんだ。そうだろう?」
「……皆様、主はこのような方ですが、どうかよろしくお願いします。根はいい方なのです――おそらく」
「おそらくってなんだ!」
ヨーティアの叫びを無視する従者。渋々といった体でヨーティアは咳払いをする。
「隣にいるのは私の助手を務めているイオだ。イオ・ホワイトスピリット。技術者としても訓練士としても優秀だから皆の助けになってくれるはずだよ」
「イオと申します。不束者ですが、どうかお見お知りおきを」
優雅に頭を下げるイオ。ひょっとしたらイオのほうが天才像には似ているのかもしれない。
しかしホワイトスピリット……聞き慣れない単語だ。
「ヨーティア殿にはしばらくの間は別の研究に専念してもらいますが、もし協力を要請されたらできるかぎり優先して協力してください」
「まあ私からはせいぜい神剣を少しの間見せてもらうぐらいだから、そんなに拘束したりはしないよ」
女王の言葉に頷くようにヨーティアはやはり快活に笑う。
全面的に女王も信用しているしイオも普通のスピリットではないようだ。
想像とは違うがどうやら彼女が賢者ヨーティアなのは間違いないらしい。
謁見の間を辞した後はスピリット隊総出で訓練を実施した。
訓練を終えると、そのまま自由行動に移る。この時、自主的に居残って訓練を続けるスピリットもいる。
普段ならヘリオンやファーレーンがこれに該当し、ファーレーンに付き合う形でニムントールが残る場合も多い。
他のスピリットも残らないわけではないが、他に所用を抱えていたり、あるいは休息を優先する場合も多いといった具合だ。
自分はというと最近の傾向で言えば、居残っているほうだろう。
もっとも素振りをするでもなく、大抵は『鎮定』の力をより引き出そうとするばかりだが。効果の程はまだ現れていない。
(うるさいな……)
周囲の雑音が耳に入ってくる。できる限り意識しないようにはしているが限度もある。
音の出所は主に年少のスピリット――ネリーとシアーの姉妹やオルファの発する声だ。
今日の居残り組の中には珍しくユートがいた。そのためか普段はそそくさといなくなるはずの年少組も残っている。
体を動かしていれば、この声も気にならないのかもしれないが。
(力を引き出す……)
鞘から『鎮定』を抜いて意識をそちらに向ける。感覚的ではあるが力はそうやって引き出す。
応じるように『鎮定』からの力が伝わってくる。加護を受けていると言えばいいだろう。
意識や感覚が鋭くなる……周囲がいつもより鮮明でさらに広く見え、音もはっきりと聞き取れる。
肌には空気やマナの流れを感じて、ともすれば自分が何か別のものに変わったとさえ錯覚しそうだ。
だが、それだけ。それだけと言うのはおかしいが、それだけだった。普段通りの『鎮定』の加護でしかない。
『鎮定』の加護を解いてから、また力を引き出してみる。それを何度か繰り返してみるが、結果は変わらず。
(……あれは偶然だったのか?)
サーギオスのウルカ隊と戦った時に起きた『鎮定』の力の広がり。
痛みさえ認識せずに、それでいて状況を瞬時に理解できる、あの感覚。
危険だとも思う反面、あれが本来の『鎮定』の力なのだとも思える。つまりは引き出せていない部分がある。
今後のことも考えれば、ある程度自由に使いこなせるようにはなりたいが。
(……ままならないか)
力を抜いて座り込む。『鎮定』はそれをどう考えているのか知りたかったが、答えてくれないのは解かっていた。
だから自分で考えて見つけるしかない。最善の道を選びたいなら。
と、騒がしい声が俺の名を連呼しながら近づいてくる。
ネリーと……それからユートたちもだ。
「ランセル、ランセルー!」
「大声でなんだ、ネリー?」
「手合わせしてっ! 今日こそネリーの勝利で幕を閉じるんだから!」
いきなり直接的な話だ。それにしてもまだ諦めてなかったのか。いや、諦めてもいけないのか……そうだな。
「いいとも。その代わり、今日は神剣の力を引き出してやってくれないか?」
「いいの?」
「……怪我をしても治してくれるだろう」
なかなか短絡というか投げやりな言い方にも思えた。
ネリーは特に間上げた様子もなく頷く。一応、もう少し身の安全や周囲への影響も考えて欲しいが……言い出したのは自分なので、そんなことは言えない。
「おい、二人ともそんな状態でやるのか?」
ユートは流石に何かを感じたのか、聞きとがめてくる。
「もっちろん!」
「……危ないと感じたらすぐにでも止めてくれ」
ユートが離れた位置にいるファーレーンに目配せし、ファーレーンもかすかに頭を下げて答える。
とりあえずは大丈夫と判断したのか、ユートは俺たちから距離を取った。
「二人とも、程々にしとけよ」
それぞれ頷き、鞘に納めたままの得物を構える。あらかじめ距離は取っておく。
「行くよ、『静寂』!」
ネリーの頭上にハイロゥが展開したと思うと、白い翼となって背に広がった。翼だけではなく、青いマナの輝きも体を覆うように広がる。
確かにネリーは『静寂』の力を得ている。
スピリットならばハイロゥが展開し、同時に固有色の輝きを持ったオーラも展開されるからだ。
ユートにしても同じことが言え、『求め』の力を行使している時は剣が青い輝きを帯びてそれと判る。
対して、自分にそのような変化はない。もちろん力が行使されてないわけじゃないが。
「先手必勝の突撃ー!」
ネリーが駆ける。いや、飛んだ。ウイング・ハイロゥを広げ上空から突っ込んでくる。
身を引きながら『静寂』の突きを弾く。ネリーは着地するや否や、翼をはたいて前へと加速。
間合いに入ったと見るや、『静寂』を連続で突き出してくる。躊躇いのない真っ直ぐとした攻撃だ。
剣を合わせて受け流しながら移動を続ける。理由もなく一箇所に留まるのは下策。
「集え、マナよ。この身に、この剣に」
周囲のマナに加えて『鎮定』本体が持つマナをエーテルの膜という形で顕現、剣身にまとわせる。
ネリーの動きに合わせて『鎮定』を振り上げ、『静寂』を上へと跳ね上げた。
そのまま反撃には転じないで、ネリーから距離を引き離す。
『鎮定』の刃がかすかにだが白く輝いている。自分にできるマナへの干渉などせいぜいがこの程度の強化だ。
オーラフォトンはまともに展開できなければ、スピリットの真似事もできない。
ネリーはというと、俺が反撃してこなかったのが気に入らなかったらしい。
「……もしかして手を抜いてるの?」
「思い違いだ」
むしろ、いつもより力を引き出せないか試行錯誤してるつもりだ。
何かが足りないのだろうか? だとしたら何が?
「……隙ありっ!」
「!」
ネリーの突撃に反応が遅れる。
胴を狙う『静寂』の先端に『鎮定』の刃を当て、すんでのところで盾代わりにした。
しかしネリーの一撃は予想以上に重く、後ろに押されながら足元が地に沈む。
ネリーは腕を素早く引いて、左から右への払いに移る。
『静寂』は先端に向かうほど細く尖っていくので突きに向いているが、何も斬撃ができないわけじゃない。
その場に踏み止まりながら、『鎮定』を斬撃の来るほうへと倒して受け止める。
競り合う間もなく、ネリーは一足分下がる。背のハイロゥが力を溜めるようにしなっていた。
訓練とはいえ、もう余計に考えている暇などない。ネリーよりも先に打って出る。
姿勢をさらに落として踏み込む。同時に肩口に向けて『鎮定』を振り下ろす。
肩を
咄嗟の判断かネリーが後ろへと飛ぶが、それより早くこちらの攻撃が届いた。浅めのそれはネリーを突き飛ばす。
柄を握り直し『鎮定』を構え直し――。
「そこまで」
さほど大きくはないのに、よく透る声が遮った。厳しさとはかけ離れていたのに無視できない強さがある。
訓練所の入り口にいつの間にか一人の女がいた。イオだ。
構えた『鎮定』を下ろして力も抜く。ネリーはまだ不満そうな表情だったが『静寂』を大人しく収める。
イオはユートに向かって会釈をすると、俺たちのほうに近づいてきた。
「ぶつけた所は大丈夫?」
「へーきへーき」
「よかった。えっと……」
「ネリーだよ」
「ありがとう。ネリーは攻撃ばかりに気を取られてると危ないですよ」
そうしてイオは細かい立ち回りや動き方をネリーに教えていく。
その説明がまた適切で感心する。ネリーもいつもと違って真面目に耳を傾けている。
きっとイオというスピリットは物を教えるのが得意なのだろう。
「分かりましたか?」
ネリーは何度も首を縦に振る。イオを見る目は何かいつもと違った熱を帯びているように見えなくもない。
次にこちらに振り返ったイオは俺の顔を見てから、『鎮定』に視線を落とす。
不思議なスピリットだ。近くで見ると、その印象はより強くなる。
「失礼ですが、お名前をお聞かせ願えますか?」
「ああ、名は……」
「あっちの愛想なしはランセルって言うんだよ」
「そうなのですか」
ネリーが先に答える。それはいいとしても、愛想なしを否定されないのは悲しむべきだろうか。
そんな思いを余所に深紅の瞳は『鎮定』を見やる。
「……あなたの神剣は変わっていますね」
『鎮定』が大きな反応を返す。なんだ……高揚してるのか?
【主、あのスピリットの神剣の名を訊いてくれ】
言葉の節々から真剣さが伝わってくる。珍しい場に立ち会ってるのかもしれない。
「イオ……殿?」
「そのまま呼び捨てていただいて結構です」
「イオ、そっちの永遠神剣はどう呼んでいる?」
「私の剣は『理想』と呼ばれています」
また『鎮定』の反応が強くなる。
【『理想』か……いい名だとは思わんか、主? 私は惚れてしまいそうだ】
……さて、どうしたものか。『鎮定』を腰から抜いて、肩の高さまで上げて……落とした。
「……どうされましたか?」
「別に」
どうもしてないはずはないが、説明できるような話でもない。
『鎮定』からは非難の声が上がるが、まともに取り合ったほうがいいのか。
【貴様……剣が剣を好きになっていけないなど誰が決めた!?】
(……それはそうだが)
【大体、私はあれこれどうこうしようではなく、あの剣の名前に惹かれたのだ】
(名前?)
【我らの名は含意が込められている……いわば象徴だ。そこを『理想』だぞ。羨ましいよ、私は】
それだけ言うと、『鎮定』は沈黙する。思えば、これは『鎮定』が自分に垣間見せた本心なのかもしれない。
羨ましい。それは言い換えれば憧れなのか。
だけど、言い分は正しいのか? 『静寂』とネリーはおおよそ一致しない気がするんだ。
【永遠神剣と所有者を同一視しようとするから、そう思うのだ】
今度こそ、黙ってしまう。
一方、さっきからほとんど口を開かなかった俺に対して、ネリーはある仮説を立てていたらしい。
そして仮説を惜しみもなく大声で発表してくれる。
「むむ、ネリーには分かっちゃったよ。これは一目惚れだよ!」
「えーっ!?」
遠くから驚きの声が上がった。主に年少のスピリットだ。
イオも眉を顰める。迷惑至極といったところか。
ネリーはまた短絡的に誤解を招くような発言を……何も考えてないのか。考えていないんだな?
「……適当なことを言うな」
「えー、だってさっきからずっとイオのほうばかり見てるじゃん」
「……それだけで?」
「あとは簡単な質問に答えられないし」
そして好奇心と想像力の暴走か? 気が滅入るような話だ。連想が子どもっぽい……いや、その通りか。
イオは自分に向けて微苦笑を浮かべる。分かっている、という意思表示なのだと思いたい。
「ネリー、適当なことを言うとイオに迷惑がかかるだろう」
「じゃあイオはどう思ってるの?」
「初対面の相手に好き嫌いは言えませんよ」
たおやかな笑みを浮かべながら、きっちりとはぐらかす。
ネリーは何か言うかと思ったが、逆にイオをじっと見つめてしまう。いつにも増して、よく分からないやつだ。
「ランセル様はマナの扱い方が不得手のようですね」
看破されていた。いざ面と向かって指摘されると複雑な気分ではある。
「……よろしければ、今度私なりのマナの使い方を教授さしあげましょうか?」
「今は教えないの?」
不思議そうに問うたのはネリーだ。イオは頷き返す。
「どうしてもというなら別ですが時間がかかりますし、今日はまだ挨拶だけのつもりだったので」
そしてイオは俺に視線を移す。どうしますか、と問うように。
「……明日から頼んでいいか?」
イオも了解したように目を細める。
今までの経験から、マナの扱いを一両日中に扱えるようになるとも思えない。
悠長な話かもしれないが、焦って結果が出てくれるわけでもなさそうだ。
「それでは私はこれで」
頭を下げたイオはユートたちのほうへと歩いていく。
そして、ネリーはしばらくイオの後姿を見つめ続けていた。
いつもと違う、その様子に思わず訊いてしまう。
「どうしたんだ?」
「……くーるだね、イオって。負けてられないよ」
答えられなかった。ただ、ネリーの中でイオが目標にされたらしいのは推測できた。
11話、了
二〇〇六年十月一日 掲載。