永遠のアセリア 1
Recordation of Suppressor
14話 眠れる剣
2
イオと別れた後、第一詰め所に直行する。第二詰め所のスピリットは誰も戻ってきていないので、寄る必要はないからだ。
第一詰め所は誰もいないかのように閑散としていた。そんなことはないはずだが、不思議とそう思ってしまう。
中に入っても、誰にも会わないまま奥へと進む。
不法侵入みたいだと思い始めた頃に、ようやくユートを見つけた。何やら忍び足で厨房へ向かっているようだったが。
「何してる?」
「!」
ユートは口を押さえて、震えるように飛び上がる。恐る恐る振り返る様子は、悪戯を見つけられた子どもみたいなものなのか。
「……そんなに驚くなよ」
「ぐ……いたなら、すぐに声をかけてくれよ」
「かけたじゃないか。別に足音を消してたわけじゃないし」
ユートが勝手に驚いただけだろうに。そんな非難がましい目で見られる謂れはない。
「それで何をしてるんだ?」
「ウルカが料理するっていうから、様子を見ておこうと思ったんだよ」
「……敵じゃなかったのか?」
「……それだけど、ウルカは力を失ってるんだ。神剣の力を使えないらしい。本人は声が聞こえないって言ってるけど」
「声が聞こえない、か」
「それでサーギオスにも見捨てられて、俺たちと敵対する理由もなくなった。だったら、上手くやっていけないかなって」
腕を組み、ユートは時間をかけて答えていく。もしかすると言葉を選んでいるのかもしれない。
「それにオルファも妙に懐いてるからな。なんていうか……イメージを崩された」
イメージの具体的な意味は分からないが、先入観に類似してると判断する。
「それで家事でもやらせようって?」
「そうだけどそうじゃないかな。ウルカからやりたいって言い出したんだ。恩に報いなければ、って」
「……」
「ランセルは反対か? ウルカにそういうのをさせるのは」
「反対以前に気を許せるか、というのがあると思うんだが。そこのところ、ユートはどうなんだ?」
「……佳織をさらったのはウルカだから気にならないって言えば嘘だけど、それでもウルカ個人に恨みはないから。それに今にして思えば、あの時はウルカが佳織を守らなければ今頃どうなってたか……」
あの時――おそらく『求め』に振り回されたと言われる時だろう。
見境なく……ユートが溺愛するカオリごとウルカを攻撃したと、後になって聞いている。結果としてウルカはカオリを守ったことになったとも。
「ならば、ウルカと直接話してから考える。判断するにはそれぐらい構わないだろう?」
「ああ。だったら、ランセルもウルカの飯を食えよな」
「……そうだな。だが最悪の場合も忘れるな」
「最悪って……」
「ウルカもあの時、イースペリア城にいた。万が一ということはあるから……会ってみなければ分からないだろうが」
「……変な真似をしたら止めるからな」
期待する、とは言わない。自分を律するのは己の役目だ。
「そういえばウルカは料理できるのか?」
「さあ……オルファが一緒にいるから、悲惨なことにはなってないはずだけど。それに刃物の扱いなら得意だろ」
永遠神剣と包丁は違うと思うんだが。その理屈が正しければ、スピリットはほとんど達人並みの腕前になるはずだ。
もっともユート本人が自分の言い分を信じていないようだが。
「……本音を言うと不安で仕方がないんだ。アセリアって前例があるから、何が飛び出してくるのか……」
「……見たほうが早いだろう」
ユートは意を決するかのように頷く。そこまで肩を張らないでもいいだろうに。
この時はまだ知らない。ユートの見立てが見当外れだったのを。現実は予想より凄惨なのを。
それを知るまで残り十秒。
ユートが音を立てないよう、厨房のドアを少しだけ開く。
嫌な予感がした。何故って厨房のドアを少し開けただけで、嗅ぎ慣れない芳香がかすかに漂ってきたからだ。
『鎮定』が疼く。駄目もとの警告は無駄に終わる。
「どれどれ……案外、まとも……」
オルファとウルカは並んで料理を作っていた。
二人とも給仕服――俗にいうメイド服を着用している。
しかし不思議な話ではある。どうしてメイド服が常備されているのだ? 第二詰め所も同じである。
もしや国に限らず共通基準なのか? それとも誰かの趣味? とはいえ、趣味だとしても人のそれにとやかく口出しすべきではないだろう。
それでもやはり不思議ではある。知られざる実態、というには大げさすぎるだろうか。
(……固まっている?)
呆然、でいいのだろうか。オルファは何もしていない。
反対にウルカは落ち着き払って鍋を見ていて、それが余計に二人の違いを演出している。
ウルカはメモを見てから、何か呟く。どうやら中身と量を確認しているらしい。
手に野菜を掴むと……切らずに丸ごと鍋に落とす。
それも一度や二度ではない。現に鍋は今にも溢れかえろうとしていた。
とりあえず聞かれないように声を潜める。
「……まともか?」
「神に誓って……まともじゃない……!」
驚愕してるのか絶望してるのか……いや、どっちも状況を表すには大差ないのかもしれないが。
ウルカはとりあえず満悦としていて、オルファは硬直が解けそうにない。
お目付けとしたはずのユートの目論見は脆くも崩れ去っていたようだ。それも早い段階から。
「エスペリア殿のレシピだと……」
レシピを参考にして、さらにオルファがいながらあれを作り上げたというのか。
ある意味で才能なのかもしれない。そもそも料理ってそこまで酷くなるだろうか?
そうそう食べれなさそうなものなど作れないと思う。それともあれは見た目は別にして味は大丈夫なのか。
「ここに隠し味にスゥータスの実……なるほど、さすがはエスペリア殿だ!」
言い終えるや、小刀で実を切り刻む。
皮と実を選別する剣捌きは見事だと思う。思うが、必ずしも料理の腕前に直結しないらしい。
そしてウルカは選り分けた実だけを鍋に落としていく。
ちなみにスゥータスの実は皮の部分だけを使い、先ほどウルカが入れた実は苦くて食べれたものじゃない。
エスペリアなら絶対に入れないだろう。いや、エスペリアのみならず子どもだって入れない。
「あれ、絶対に味が隠れてないな」
「……それ以前からアウトだったみたいだけどな」
力なく頬を痙攣させるように笑うユートはどこか憐憫を誘う。しかし……あれは本当にきつそうだな。
その時、ようやくオルファが少し立ち直ったようだ。
「ウ、ウルカお姉ちゃん。そろそろ味見をしたほうがいいんじゃないかな?」
オルファもユートみたいに引きつった顔で笑う。
「おお、そうでした。すっかり忘れていました」
小皿にスープを注いで口に運ぶ。含んだ瞬間、目を見開き動きが止まる。
「お、お姉ちゃん、大丈夫?」
「こんな……こんなことは……」
さすがに動揺してるのか、わなわなと震えだす。
「この味は……隠し味が……足りなかったのでしょうか?」
「違うだろっ!」
ユートが小声で即座に反論する。
オルファは予想を超えた一言に頭を壁にぶつけていた。その気持ちは分からないでもないが。
「だ、大丈夫だよ。パパならきっと食べてくれるから!」
「しかし……このような味では……」
「アセリアお姉ちゃんの料理も全部食べてたから、だいじょう――」
そこまで言って、オルファはユートと目を合わせる。
ユートが慌てて動く。たぶん、今の発言を取り消せという意味だろう。
オルファは素早く首を大きく振る。もちろん横に。
「ウルカお姉ちゃん、ちょっとトイレに行ってくるね!」
「分かりました」
オルファがドアへと駆け寄ってきたので、俺とユートはすぐにドアから離れる。
厨房から出たオルファは俺たちを押すように居間へと連れ込む。
「お願い! 二人ともウルカお姉ちゃんのご飯を食べてっ!」
俺もユートも即答はできなかった。味見の後のウルカの表情を思い出す。
一体、作った張本人にあんな顔をさせるなんて、どんな料理なんだ。
興味も湧くが、身の危険に関する抵抗のほうが強い。
いくらなんでも命までは取られないだろうが、調子を悪くするぐらいなら十分にありえる気がする。
先に決断を下したのはユートだった。
「……こういうのも初めてじゃないからな」
「じゃあ!」
「俺は食べるよ。ランセルも食べるだろ?」
水を向けられる。オルファなんかは明らかに期待するような目で見上げてくる。
断りにくい状況だ。まあ……なんとかなるだろうさ。
「食べよう……」
「ありがとう!」
「……本当にいいのか?」
純粋に喜ぶオルファと、確認するようなユート。一体、自分はどう見えているのだろう。
「間がいいのか悪いのか……貴重な体験にはなりそうだな?」
「もしかして……ご立腹?」
「別に……だが味覚を断ってもいいか?」
『鎮定』をこれ見よがしに掲げる。こいつの力を使えば、それぐらいはできる、はずだ。
痛覚を消せるなら、それぐらい――。
「それはダメ!」
大声でオルファが怒鳴る。少し、驚く。
「そんなことしたら、作ったウルカお姉ちゃんが可哀想だよ! だって、すごく嬉しそうに作ってたんだから」
「…………」
「本当はオルファだってあまり食べたくないよ。でもウルカお姉ちゃんが一生懸命作ったんだから残さずちゃんと食べないとダメ!」
「……分かった。しっかり食べよう」
オルファは安堵したように眉尻を下げる。さっきとは正反対だ。
あの表情を見て、他にどんな言いようがある? とはいえ、腹を括る必要は出てきたが。
「じゃあ行ってくるね」
オルファが部屋から出て行く。
小さな駆け足の音だけがしばらく聞こえていた。
「オルファはああ言ったけど、程々でもいいと思うぞ?」
「そこは適当に見計らうさ」
とりあえずはテーブルに腰を落ち着ける。
もうしばらくすれば、容易ならざる事態がやってくる。束の間の平穏だと思おう。
ユートも同じ気持ちなのか、何も言わずに向かいに座る。
しばらくすると、ユートが話しかけてきた。
「……そういえばランセルがこっちにきたってことはヨーティアの実験に?」
「ああ。あらましは知ってるんだろう?」
「……まあな」
「人間じゃないそうだ。それともユートには今更か?」
ユートは神妙な様子でこちらを見ている。
「……やっぱり大事なことなのか?」
「さて、な。実のところ、アズマリア女王を裏切ったようで目覚めの悪さみたいな気持ちはある」
何も報いていないんだと、今更ながらにその事実を突きつけられたような気がした。
それはひょっとしたら寂しいことなのかもしれない。
「そっちがどう思ってるか分からないけど、俺は平気だ。正直、もっと悲観するんじゃないかと思ってたんだが」
ユートは何も言わない。どう言葉をかけたものか、迷っているように見えた。
「遅いか早いかの問題だ。いつかは省みなければならなかったんだ」
ユートが何事か言いかけた時に、アセリアが入ってきた。
アセリアはこちらを一瞥するが、特に何をするでもなく所定らしい位置に座る。
今度は自分からユートに話を振る。
「……そっちこそ大丈夫なのか? 俺より重症だろう」
「……光陰たちのことか?」
「ああ」
アセリアがこちらに視線を向けている。やはり気になっているらしい。
ユートはアセリアも窺う。頷くようにして告げる。
「ずっと考えてたんだけど、俺はあいつらとは戦いたくなんかない。だけど、佳織やみんなのためには敵なら戦うしかないのか、って。だけど、やっぱり違うんだ。敵味方がどうこうって、そんな簡単に割り切っていいとも思えない。俺にはあの二人も大事で……だから、俺はあいつらともう一度話したい。話さないといけないんだ」
言い切るが、口調は決して強くない。葛藤はまだ残っているのだろうと、そう感じる。
「こんなこと言いたくないが……もしもユートの話を聞かなかったら? 聞いても通じなければ?」
十分にありえる話だろう。特に相手もまた迷いを持っているなら、逆に何も聞こうとしないかもしれない。
決心が揺らぐぐらいなら、と。
「その時は……俺の手で……できるなら自分で決着をつけたい」
「ユートがそう決めたなら……それでいい」
アセリアの言葉に同意する。戦争をやってるには甘すぎるのかもしれないが、それでもいいだろう。
それさえ許されないほど、俺たちはまだ疲弊していない。荒んではいないのだから。
それに現実問題として、エトランジェにはエトランジェをぶつけるのが無難でもある。自然、あの二人はユートに任せるしかない。
スピリットや自分ではまともに対抗できないのは目に見えている。あるいは犠牲を気にしなければ話は違うかもしれないが、それでさえ怪しい。
好きな言い方じゃないが、費用対効果は劣悪だろう。
「ありがとう、二人とも。でも……俺は最後まで諦めないからな。それにさ……佳織が戻ってきた時に、あの二人も側にいないと佳織が悲しむし」
ああ、それでこそユートなのだろう。ヨーティア女史が敬意を払うバカなのだろう。
しかし、こいつは本当に妹中心だな。あまり人のことは言えないのかもしれないが。
「そうだな……お前にはそれが似合う」
「ん……その通り」
「……なんか恥ずかしいこと言われてないか?」
それは適当にはぐらかしたところで、オルファとウルカが料理を運んできた。
二人とも表情は冴えない。特にウルカは気落ちしているように見えた。
ウルカが俺の姿を見て眉を上げる。考えてみれば、俺はいきなり現れたことになる。それに、あっちは自分を覚えているかどうか。
「ユート殿、こちらの方は?」
「あーっと、ランセルだよ。俺たちの……仲間だよ」
ウルカは自分に一礼する。その表情は怪訝としている。
「失礼ですが……どこかで会いましたか?」
「ああ、一度だけイースペリアで」
「……あの時のエトランジェ殿ですか」
「……そんなところだ」
違うと言いそうになったが言えなかった。もう、その点での否定はできない。
かといって、自分をエトランジェとも認識できないままだ。
「……あの時の非礼をお許しください」
「切りかかってきたことか? それなら敵同士だし仕方ないだろ。それに……いや、この話は後でしよう」
俺はお前の部下を手にかけているんだ。今になって初めて意識したが、本当に恨まれる立場なのは俺かもしれない。
ウルカとオルファは居間から出て、別の料理も取りに戻る。
ユートが話しかけてくる。
「……訊きたいことを訊かないのか?」
「後でいい。雰囲気を壊すかもしれないだろう」
ユートが目を丸くしている。何かおかしなことでも言ったのか?
「どうした?」
「あ、ああ、いや別になんでもないぞ」
おかしなやつだ。まあいいが。
程なくしてウルカたちも戻ってくる。そして大皿をテーブルの中央に置く。
なんとも言えない香りが周囲に漂い始める。食事の時間だ。
……妙に緊張する瞬間でもあった。特に今回の料理は、これからが大変だ。
食卓を囲んで、誰ともなしに食物への礼をする。スピリット隊の間にはいつの間にか、ユートが持ち込んだハイペリア式の礼が普及していた。
「いただきまーす!」
いつもよりも大きく明るい声のオルファ。
アセリアは無言で料理に向かって礼をする。俺もそれに倣う。
「……いただきます」
ウルカは明らかに自信を失くした様子で、ユートは呑まれたように小さな声でそれぞれ言う。
食べるとは言ったものの、いざ実物を目の当たりにすると決意が鈍ってしまう。ユートもそれは同じらしい。
見た目の第一印象はそれほど酷くない。酷くないが、よく見ると明らかに大きすぎる食材がごろごろしていて、どこか違和を感じてしまう。
初めに手をつけるのを躊躇う者多数の中、アセリアが自然と
この場において、唯一料理の過程を知らないアセリアだ。
誰もが一様にアセリアを食い入るように見つめる。その一挙手一投足を見逃すまいと。
「っ!?」
明らかに表情が歪む。痛みさえ感じる表情に。
オルファが慌てて水の入ったコップを差し出し、それを受け取るなり水を一気に飲み干す。
そしてむせる。静まり返った場には、むせる声しか聞こえない。なんて気まずい。
「オ、オルファも食べるね」
やはり引きつってるようにしか見えない笑顔で宣言する。
ハトゥラから小さめの――それでも一般の基準よりずっと大きい芋をスプーンに乗せる。
口の近くまで上げたそれを数秒ほど見つめてから、オルファは思い切って頬張った。
「むぐっ!?」
喉を詰まらせたらしい。水を何度も何度も飲んで、ようやく落ち着く。
「……すっごく……辛いよ……」
息も絶え絶えにそれだけを伝える。苦行のようにもそろそろ見えてきた。
どの道、食べねばならないならば、これも遅いか早いかの問題だ。
とりあえずスプーンでスープだけをすくう。野菜の配分が圧倒的に多いせいか水っぽい。
一口だけ口に入れる。下手に舌で味わおうとするからいけないのであって、すぐに飲み下せば――。
「水」
「あ、あの……」
「いいから水」
無理だった。なんというか、ねっとりと絡みついてくる。往生際悪く味わえとばかりに。
喉は痛いのか辛いのか分からない。ただ、これを食べ物と読んでいいのか、ますます分からなくなった。
食べれればなんでもいい……と思えるほど、食には無頓着ではなかったようだ。
味は……刺激が強すぎてまだ分からない。慣れてくれば、これはこれで珍味になるのかも。
結論として言えるのは、おおよそ料理とは思えないこと。それに尽きてしまう。
「そこまで酷くは……!」
「……どれどれ」
ウルカとユートも食す。結果はもう言わずもがな。
全員が一口食べたところで、手の動きが完全に止まっていた。
料理を見つめて、黙り込んでしまう。おそらく、誰もがこの料理をどうするか考えているのだろう。
続く沈黙を破ったのはウルカだった。
「……申し訳ありませぬ」
詫びてるという気持ちが確かに伝わってくるような声。生真面目なんだろうか、そう伝わる。
「気にしないで大丈夫だよ、ウルカお姉ちゃん。辛い以外はなんともなかったよね?」
その辛さが前面に出すぎているのが問題なのだが。
「いえ、まだまだ修練が足りませぬ。せっかくの材料も……無駄にしてしまいました」
「そんなに気にするなよ。アセリアだって似たようなもんなんだから」
「ん……」
実情を知らないのも、きっと幸運なのだろう。
これと同規模のことが過去にも起きたとは、あまり考えたくない。
「……そうでしょうか?」
「そうだよ。ウルカお姉ちゃんもアセリアお姉ちゃんも手先が器用だから、絶対にお料理うまくなるよ」
オルファが綺麗にまとめる。実際、そういうものだと思う。
ただ、初めの一手が平均より少しばかり大きく道を踏み外しすぎただけだと……そう考えたい。
「……必ず精進いたします」
「よし、そうと決まったら……恒例だけど、これ片付けるか」
「お水、いっぱい持ってくるね」
ユートもオルファも微苦笑を浮かべて。だけど、それは本当に苦りきってはいなかった。
「……ユート殿」
「食べようぜ。冷めたらせっかくの料理が台無しだからな」
「ん……」
アセリアの相槌をきっかけに食事が再開する。
その後は黙々と食事を続けた。それなりに食べてしまっている自分に少し驚き呆れる。
本当になくなるか不安だった料理も次第に姿を消してゆく。
しかし味覚が正常なのに、どうしてここまで趣向に富んだ料理を作れるんだ?
つくづく世の中というやつは分からない。
そう思いながらも食は進み、ついに料理は完全に平らげられた。
ウルカの料理を食べ終えた後、しばらく食卓から離れられなかった。料理一つ食べるのに疲弊しきった感が拭えない。
今残っているのは俺とユートだけで、アセリアは早々に部屋に戻っている。ユートは寝椅子に移って、そっちで横になっていた。
ウルカとオルファの二人は皿洗いをしているので、ここにはいない。
とりあえずは、これで食事に関する問題は終わった。
実際は貯蔵の食料が大量に減っているはずなので、これからエスペリアと何か一悶着起こるかもしれないが。
しばらくぐったりしていると、皿を洗い終えたウルカが居間に戻ってきた。
……とりあえず、ウルカと話しておこう。
「ウルカ、話があるんだが構わないか?」
「大丈夫ですが……」
「じゃあ、そこに座ってくれ」
正面の席を指定する。本当は二人で話すべきなのかもしれないが、そうはできなかった。
二人だけで話すのは危険な気がした。主に自分の行動が。
……大丈夫だと思う反面、急に自分を信用できなくもなっていた。
それに側にいなければ、ユートも止められないだろう。
「初めに俺のことを説明しないといけないか」
ウルカに簡単に自分のことを説明する。
イースペリアにいたこと、ラキオスに身を寄せた理由、その過程。自分の現状。そして、自分が知りたい内容を。
ウルカはその一つ一つに神妙に頷いていく。一通りの説明を終えてから切り出した。
「お前たちはイースペリア城で何をしていた? 何が目的だった?」
「あの時はイースペリア側の撹乱と変換施設の停止が命じられていました。それで、手前の隊も部隊を二つに分けて陽動と進入に分かれておりました」
陽動……真っ先にあの緑を思い出した。
進入にはウルカを筆頭に黒と青のスピリットで固められていて、機動力に劣る他のスピリットが陽動を行っていたのだと推測する。
「……ラキオスに侵入した時と同じか?」
「そうです……違うのは要人の暗殺と……」
ウルカはユートを盗み見る。遠慮、あるいは引け目から来た行動か。
「カオリ殿をシュン殿の前に連れて行くよう命じられていたことです」
「なるほど」
ユートは特に反応を見せなかった。あるいはひた隠しているのか。
考える。違うのは、とウルカは言った。
「……イースペリアの時には要人の暗殺は命令されなかったのか?」
「はい。兵士など邪魔になるような相手は排除して構わないと下命はされましたが……」
つまり進んで殺す命令は出ていなかった。しかし、それが殺してない理由にもならない、か。
そして、一番気にしていることを問うた。
「お前は、アズマリア女王を殺めたか?」
「……いえ。手前も部下もそのような命は一切受けておりませんし、そのような話は報告されていません」
「だったら、ウルカの部下が殺した事実を隠した可能性は?」
「ありえません。部下が嘘をつくなどとても……」
ウルカを見る。残念なことに、嘘をついてる顔には見えなかった。
少なくともウルカはやっていないし、部下がやったとも思っていない。
生憎と、自分はウルカの部下をよく知らない。しかしウルカ本人の生真面目さを考慮すれば、認めざるを得ないだろう。
「……行き詰まったか」
残る可能性は今までの全てを疑うこと……全てを疑って信じないこと。今となっては、到底正しいとは思えない選択肢だけ。
執着が薄れたとは思わない。しかし、同時に追い求めるのにも不毛なものを感じてしまった。
これは一つの限界なのかもしれない。
「……お役に立てず申し訳ありません」
「……そんなことはない」
椅子に深くもたれかかる。急に体に疲労が蓄積したような気がした。
(どうにもならないのが解っただけでも収穫だ)
……自虐的な考えでもあるが。
そして目的を失ってしまったことに気づく。その割には落ち着いているが。
いや……違うな。今の自分にはもう別の目的が存在しているのかもしれない。
「俺に言えたことじゃないだろうけど……気落ちするなよ」
「……そうだな」
側に来たユートに言われる。確かにその通りなのかもしれない。
今こそ訣別の時、か。それとも許容の時か。まあいいさ。
「……ウルカ、それより俺は言わなければならない。俺は君の部下を、三人殺している」
イースペリア城で二人、第二詰め所を襲撃された時に一人。
ウルカはこちらを凝視して、それから目を伏せる。抑えるような声。
「どうして――そのような話を?」
「……俺はもしウルカたちがアズマリア女王を弑していたのなら許さなかった。だけど、それは俺にも言える。俺はウルカの大事な者を奪っていた……そうだろう?」
ウルカは答えない。ユートも黙して成り行きを静観している。
「だから……俺はウルカに恨まれて斬られても仕方ないんだろうな」
「手前に……そうしろと?」
「そうは言わない。だけど、はっきりさせたかった……奪われたつもりになって奪っているのを忘れていたのも嫌だった」
戦うことに、生きることに付きまとい続ける宿命。身勝手ともいえる正当化、もしくは矛盾。
そういった概念を全て内包して、業とでも言えばいいのか。
自分は……いや、この場にいる誰もが、今も前線で戦い続ける誰もが意識無意識にせよ抱えなければならない業。
「……皆、手前には過ぎた部下でした」
ウルカが静かに話し始めた。だけど、その声は小さくも冷たくもない。
「至らない部分を助けてくれて、いつも笑いかけて励ましてくれて……手前には家族のようなものでした」
心臓が脈打つ。だけど、これは自分が忘れてもいけない事実だ。
「……すまなかった」
「いえ……戦いに身を置けば仕方のないことではないでしょうか? それに我々の手も決して綺麗ではなかった……血塗られていた故」
「しかし……それで納得していいとも……」
思えない、そう言おうとして割って入る声があった。
「……ちょっと待て、二人とも」
ユートの声だ。彼は俺たちをじっと見る。怒っているのか、悲しんでいるのか……普段とは違う表情で。
「そんなことを言い出したら……誰も幸せになれなくなるんじゃないのか? 二人の言いたいことも解るつもりだけど……やっぱり、それは違うと思う。血塗られたり奪ってしまったら、そこで全部がお終いとか……そんな簡単に決めるなよ」
幸せ、か。考えたこともなかった。自分とユートの根本的な違いをまた理解する。
ユートは未来のために生きて、自分にはそれがないという――決定的で大きすぎる違いに。
「……手前にはまだ分かりませぬ」
ウルカは曇らせた表情で答える。俺もウルカと同じ答えだった。
「すぐに分からないでもいいさ。俺だって自分の言ってることが正しいか分からないんだし」
そうして、自然とこの話は終息する。
暗い方向に話が進んでいたので、ユートに感謝すべきなのだろう。謝意を口に出すほどとも思わないが。
「そういえばウルカはまだ神剣の声が?」
「聞こえませぬ……やはり愛想を尽かされて見捨てられたのでしょうか」
自嘲気味に答える。声が聞こえないとはいえ、そこまで悲観すべきかとも思う。
しかし、同時に力の発揮できないスピリットにどういった価値があるのだろう、とも思った。
スピリットに戦奴としての立場が確約されている以上は、戦えないスピリットがどう見なされるかも容易に想像できる。良いとか悪いではなく、それが現実だ。
「うーん、ランセルはどう思う?」
「声が聞こえないのは、加護も得られないってことだよな?」
「……その通りです」
「俺も昔は声とか聞けなかったけど、そんなことはなかったからな……」
とはいえ、考えてみる。声が聞こえない……か。
元は俺も『鎮定』の声を明確に聞けたわけでなく、マナ消失に巻き込まれたのを契機に聞こえるようになった身だ。
「前は聞こえていた声ってどんな感じなんだ? 例えば、俺たちみたいな言葉で話しかけてくるとか、こうしろとかこうしたいって意識が伝わってくるのか、とか」
ウルカは額に手を当てて考え込む。思い返しているのかもしれない。
「どちらかといえば後者ですが……たまに声も聞こえておりました。ですが、はっきりとではなく掠れて聞き取りにくい声だったのですが」
「……どっちが本当によく聞こえてる状態なんだ?」
自問が口に出た。とりあえず鎮定を鞘ごと腰から抜いて、食卓の上に置く。
「神剣のことは神剣に訊くのが一番かもしれない」
「答えてくれるのか?」
「それは今からこいつに訊いてみないと分からないが。気まぐれだから、あまり期待はしないでくれ」
ユートは感心したように『鎮定』を見る。
(……というわけだが、どうだ?)
【……期待はありがたいが、私個人は気乗りしないな。確かにその神剣……名はなんだ?】
そういえば名を聞き忘れていたのを思い出す。
「ウルカ、神剣の名は?」
「『拘束』です」
【『拘束』か……ひょっとしたら剣との会話はできるかもしれない……いや、できるだろう。だが正直に言えば、あまりしたくない】
(何故?)
【後悔しそうだからだ。それをやったら、何か取り返しのつかないことになりそうな予感がある】
煮え切らない『鎮定』に不審なものを感じる。
(何か知っているな?)
【……力を抑えるのは昔から自発か外からの強制と相場が決まっている。自発なら一向に構わんが、後者だと碌な目に遭わん】
(……お前、怖がってるのか?)
【そうかもしれん】
(なら、やめるか?)
【……主の判断に任せよう。私の考えすぎという線もある】
さて、どうしたものか。『鎮定』の危険はそのまま自分への危険にも直結する。
しかし、試す価値はあるだろう。
……それに声が聞こえないのはウルカにとって死活問題のはず。おそらく、戦うことで自己を証明してきたスピリットには。
贖罪という思いが頭をよぎる。ウルカの家族を奪った代償を払うべきなのかもしれない。それが危険を招くなら、やむを得ない。
それが代価に足るとも思えないから、やるだけやってみるべきか。
(……頼めるか?)
【仕方あるまい】
『鎮定』の声は思っていたより、あっさりしていた気がする。
本当に不安がっているのか、声からだけでは分からない。それでも、こいつがそう感じているのは確かだった。
「やってくれるそうだ」
「それでは!」
「へぇ……『求め』より話が分かるな。こいつ四位のくせに自分勝手だし」
ユートの言葉に反応してか『求め』から青い光が放たれる。
「怒ってるんじゃないのか、それは?」
「ああ。だけど、位が高いならもう少し聞き訳をよくしてもらいた――痛てっ! 何するんだ、このバカ剣っ!」
ユートと『求め』がおそらくは喧嘩を始める。仲のいい話だ。
ウルカはその様子を困惑したように見ている。
「あれは気にしないでおこう」
「そ、そう申されるなら……」
「『拘束』をこいつに合わせて。鞘から抜いたほうがいいかもしれない」
自分も『鎮定』を鞘から抜いて柄を握った。ウルカは抜き身の『拘束』を『鎮定』の上に重ねる。
意識を集中して、『鎮定』に感覚を合わせて……捉える。
『鎮定』に白い光が灯り、その身を包んでいく。初めて見る状態だ。
白く輝く『鎮定』は『拘束』と共鳴しようとしている。その深い部分を見ようと。
【下位神剣なら楽なのだが……】
『鎮定』の呟きが聞こえてくる。とりあえず、意識の外に追いやって、『鎮定』に合わせるのを最優先とする。
周囲から音が少しずつ消えていく。自然と目も閉じる。
「っ……」
こめかみが痛んだ。鋭い物を押しつけられたような気分だ。
しかし変化も始まった。頭の中に見たことのない光景が何度も断片として浮かぶ。
目まぐるしく切り替わっていく光景は、膨大すぎて一部しか記憶に残らない。
それは『拘束』の持つ記憶なのか、ウルカに関する光景しか見えなかった。
オルファに助けられた時、砂漠を一人で歩く姿。宿営所を追い出されて、部下と話していて。
どこかの部屋の一室、カオリと話している。また部下と話して、それはあの時の緑で。
アセリアと切り結ぶウルカ、まったく知らないスピリットを斬って、また部下と話す。
それは終わりなく続くように思えた――しかし、間違いだった。
光景が途切れる。終わったのかと思うが違う。始まりだ。
(見てはいけない――)
危険を直感する。これこそ『鎮定』の恐れていたものだ。知ってはいけない。
これは自分を不幸にする。壊しかねない。積み上げたものさえ無にしかねない。知ってからでは遅すぎる。
「くっ!」
『鎮定』を放す。光景が今度こそ完全に途切れる。そのことに安堵の息を漏らす。
「大丈夫ですか!?」
「……ああ」
そう言ってみたものの、危ない綱渡りをしていたとしか思えない。
なんだ、これ。冷や汗か? どうかしてる。
『鎮定』の光は収まっていない。おそらくはまだ見ているのだろう――自分が見れなかったその先を。
しばらく見ていると、白い光が収まっていく。完全に消えたところで『鎮定』を手に取った。
触れた瞬間、『鎮定』が困惑しているのを感じる。どうしたものか迷っていると、あちらから話しかけてきた。
【予感的中だ。厄介事を持ち込んでくれたものだな】
呻くような声。自分にとってまったく聞きなれない声だった。
「はぁはぁ……バカ剣め……で、なんて言ってるんだ?」
息を切らしたユートが訊いてくる。『求め』との喧嘩はとりあえず収まったらしい。
「……待ってくれ」
『鎮定』の言葉を直接ではなく、自分の言葉に直して伝えなければならない。
しかし、それ以前に話せるだろうか?
(……話せそうか?)
【……ある程度ならば。全ては伝えられないし、伝えるべきでもないだろう】
それはそうかもしれない……こいつが見たのは、まさしく知らないほうがいいことだと思う。
【まず結論を言おう。その神剣は『拘束』であって『拘束』ではない。別の神剣が力を抑えられている状態だ】
(……なんだって?)
【だから別の神剣だ。どういった神剣までかは分からないが、姿を隠しているとでも考えればいい】
(どうしてそんなことを?)
【知らないほうがいい】
それ以上の質問を許さない、といった響きを含んでいた。しかし、簡単に引き下がっていいものか。
(……抑えられていると言ったな。どういう意味だ?)
【そのままの意味だ。だから厄介事だと言った】
……それは伝えるべきなのか。いや、知らない振りをしていたほうがいいだろう。
どっちにしても誰が、それとも何がそうしたかは分からないんだ。
「『拘束』だけど……どうやら別の永遠神剣だそうだ」
「別の……ですか?」
その顔は、信じられないと言っているようだった。確かに自分でもあまり信じられないが。
「理由は分からないが、その通りだ」
「『拘束』がそうだとして……それが声の届かない原因なのですか?」
『鎮定』に実際のところはどうなのか問う。
【そうとも言える……おそらく変化の過渡期なのだろう。どちらに傾くかまでは分からないが】
(……ウルカに剣の声は聞こえるようになるのか?)
【……所有者が心から望めば、あるいは応じるかもしれん。『拘束』から元の姿に戻るきっかけにもなるやもしれん。その妖精は剣の声が聞こえないと言っているが、妖精の声もおそらくは剣に届いていないだろう】
どう伝えればいいのだろう。剣ばかりではなくウルカにも原因があるようだが。
「そうかもしれない。ただ『鎮定』が言うには、ウルカの声もその神剣には届いていないらしい」
「手前の声も……?」
「ああ。何かもっと強い呼びかけなら応じるかもしれないそうだ。うまくは言えないけど……多分、悲観しすぎないほうがいい」
こういう言い方でよかったのだろうか? 言ってしまった以上は、どうにもならないが。
ウルカは何も答えなかった。これ以上は、自分にできることなどないだろう。後はウルカ自身が解決するべき問題だ。
「……こんなところかな」
「あ……ありがとうございます」
ウルカは深々と頭を下げる。どこかこそばゆく、そして申し訳ない気持ちになった。
礼を言われる資格など、自分にはないのではないか。
「……別に大したことはしてない」
「そんなことはありません」
そうだろうか。ウルカの言葉を素直に受け取れない自分がいた。
だけど、どこかで安堵もしていた。憎まれないで済んだらしい、そのことに。憎まないで済んだ、そのことに。
それがあってか本音が口に出ていた。
「ウルカ、話せてよかったよ」
ウルカは驚いた顔をして、それから微笑を浮かべる。
「手前もです」
14話、了