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永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


16話 黒の三者三様














 ユートとアセリアがいなくなり、『鎮定』の声が聞こえなくなってから、一日が過ぎた。
 スピリット隊総員で二人の捜索に当たったが成果は得られず。
 レスティーナ女王は捜索を続けるよう指示する一方で、ユートたちを外してのマロリガンの攻略案を検討させ始めた。
 最悪の可能性は皆の頭に過ぎっているようだったが、誰もそれを直接口に出したりはしない。言えば、それが事実になってしまうかのような不安もあるのかもしれない。
 翌日、早々にスピリット隊主導の捜索は打ち切られた。女王が別に捜索隊を編成しているので、完全に打ち切られたわけではない。
 もちろん隊内――年少組を中心に捜索に参加できないのに反対する声も上がったが、年長組に説得されて一まずの納得を見ている。
 そうして生存の成否は別にして、二人はいないという事実に基づいての行動が始まる。
 不幸中の幸いと言うべきか、マロリガン側も攻勢に出てくる動きを見せておらず、今しばらくは均衡を保てそうだった。
 加えて、ヨーティア女史からもマナ障壁を解除する目処が立ったという報告も届く。
 遅くとも翌週にはそのための作戦行動が行われることも決められる。
 目標が定まったこともあり、みんなは着々と準備を始めつつあった。
 それでもユートとアセリアの存在は小さくなく、むしろ大きい。二人は間違いなく隊の中心だった。
 中心を突然欠いた隊内には少しずつ焦りや苛立ちが広がり始めている。
 些細なことで口論が発生したり、簡単な失敗が頻出していた。あるいは集中力が散漫になっていたり、暗く沈みがちな者も増えている。
 考えてみれば、自分の知る限りで隊員の誰かを欠いたのはこれが初めてだった。
 年長のスピリットは分からないが、年少のスピリットたちには初めての喪失だ。
 負担にならないはずがないのだ。もちろん年長のスピリットでも負担になっている……事によれば年下よりも。
 確実に隊内は齟齬をきたしつつあった。喪失の傷は時間が解決するなどと言うものの、それを待つ時間は自分たちにほとんど残されていない。
 これはそんな折に、降って湧いた話だ。












 その日はこれでもか、というぐらいに晴れた日だった。日差しは眩しく、快晴と呼ぶに相応しい天気と言える。
 しかしランサ郊外にある館の中は、その正反対に近い雰囲気が漂っていた。
 そして、それを助長させるような出来事が起こる。
 場所は館の中の台所で、食事当番だったヘリオンが昼食で使った皿を洗っていた最中だった。

「あっ!?」

 手を滑らせて、皿を一枚落とす。慌てて拾おうと右手を伸ばしたが、指を掠めて皿は床に落ちる。落ちた皿は音を立てて破片を四方に飛ばす。
 それだけでは終わらない。右手を伸ばした弾みに、左手が洗い終えたばかりの皿が入った籠を直撃する。
 ヘリオンがそれに気づいた時には、籠は半ば以上が宙に落ちようとしていた。
 重心を崩した籠はひっくり返りながら、つまり皿を下に、底を上向きにしながら落ちていく。

「あーーっ!」

 叫ぶ。しかし、それだけではどうにもならない。籠が落下をやめるはずも、籠の中の皿が砕けて散らばるのも防げるはずがなかった。
 館は構造上、台所と居間が繋がっていた。昼食後ということもあり、居間でくつろいでいたスピリットたちも多い。
 当然、彼女たちの耳にも皿が連鎖して割れる盛大な破砕音が聞こえていた。それは甲冑を倒した時の音によく似ている。
 耳を聾するばかりの音が止んだ後、一同の剣呑とした視線がヘリオンに突き刺さった。

「うるさい、ヘリオン」

 普段は陽気なネリーも気分を害したのか、いつもより辛辣な言葉が口から出る。

「ごめんなさい……」
「何やってるの、もう」

 明らかに不機嫌な顔をしたセリアが近づいてくる。ヘリオンはすっかり縮こまってしまっていた。

「何事ですか?」

 部屋に戻っていたはずのウルカとナナルゥも戻ってきた。
 セリアは二人の顔を交互に見てから、なんでもないように言う。

「ヘリオンが皿を割っただけよ」
「それにしては大きな音でしたが」
「数が数だから。箒取ってくるわ」

 セリアは廊下の外へ出て行く。ヘリオンはただ困惑したような顔をしている。
 それが気になったのか、ウルカはヘリオンに声をかけた。

「……ヘリオン殿?」

 気落ちを隠せないままヘリオンはウルカと目を合わせて――脇を抜けて走り出す。
 ウルカは慌てて呼び止めるが、ヘリオンは立ち止まらずに行ってしまう。

「……ヘリオン殿を見てきます」

 隣にいたナナルゥに断ってからウルカも追う。ナナルゥはそんなウルカの後ろ姿を見送っていく。
 そうしているうちに箒と塵取りを持ったセリアが戻ってきた。ヘリオンがいなくなっているのに、すぐに気づいた。

「ヘリオンは?」
「夕陽に向かって走ってます」
「はあ?」
「青春の群像です」

 セリアは突っ込んでいいのか迷った。
 突っ込める点は確かにあるが、そこに触れるのは何か安易な気がしている。不用意な隙を見せるのではと勘繰った。
 結局、セリアは触れない。ナナルゥのペースに乗せられてはいけないと思いつつ、本心をぼやきへと誤魔化す。

「……後片付けぐらいしていきなさいよ」

 ぼやきはヘリオンに届くはずもなく。
 ため息交じりのセリアは渋々と箒と塵取りで散らばった破片を片付けていった。

「……全滅じゃない」

 籠をどかしてみて、その惨状にさらに疲れを感じるセリアであった。












 『鎮定』を鞘に納めた。声が聞こえないのには徐々に慣れ始めている。
 経験という名の慣れは時として怖い。大切だったものさえ風化させてしまう恐れがあるからだ。

「忘れるな、か」

 あの日、妙に『鎮定』が口にしていたような気がする言葉だ。おそらく予期していたのだろう、今の状態を。
 だから自分にできることは忘れないことだ。あの時の力を行使する感覚を。今もそれは確かに残っていた。
 剣の声は聞こえない。しかし力は確かにある。死んでいるのではなく、寝ているのだ。
 寝たままの剣から力を引き出すのも不思議な感じではあるが。

「どうかしたの?」
「なんでもない」

 昼食を済ませてからすぐに訓練に付き合ってくれたシアーに頭を振った。
 シアーがこうして熱心に訓練をしているのは珍しい気がする。
 別に普段が不真面目というわけではないが、かといって率先してやるような娘でもなかった。
 ユートたちの不在は、彼女なりに何かを促すきっかけになっているのかもしれない。
 屋外の訓練場には他にヒミカとファーレーン、ニムントールがいる。
 ヒミカとファーレーンは生来の真面目さから、ニムントールはファーレーンがいるから、ここにきているといった具合か。

(それだけじゃないか……)

 シアーに限った話じゃない。他のみんなもユートの不在を受けて、何かしら思うものもあるのだろう。
 だから、じっとしていたくないのかもしれない。結局はもがいていくしかないのだから。

「ランセル様、やっぱり一気に強くなる方法ってないよね?」

 唐突にシアーにそんなことを訊かれた。答えは自明だった。

「……あったら俺が知りたい」
「だよね〜」
「シアー、上達って地道な積み重ねの上に成り立つのよ?」

 ヒミカが口を挟んでくる。見れば、ファーレーンもヒミカの言い分に頷いていた。彼女らが言うと説得力があるように思える。

「でも、それって剣の腕とかだよね。シアーが言いたいのは、神剣の力とかもっとばーんってならないのかなって」

 手を大きく広げながら言うシアー。力が跳ね上がるか、という解釈でいいのだろうか。

「それも地道の積み重ねじゃないかな。神剣の力を有効に使うには、自分でより力を引き出せるようにならないといけないだろう」

 これは普段からやっていることだ。おそらく俺たちは往々にして神剣の力を全て使いこなせてはいない。
 相性なのか適正なのか、はたまた経験や技術など諸々の要素が左右しているとは思うが、とにかく完全ではない。
 だから、そういったものをより完全に近づければ、自ずと発揮できる力は上がるはずだ。

(それ以外だと神剣自体の力――マナ保有量を増大させるぐらいか)

 永遠神剣の力はマナ保有量に依存する、はずだ。
 神剣はマナを貯めこみ、それは剣の力として直結する。いつもではないが、訓練の際に神剣にエーテルが与えられるのは、そのためだ。
 もっとも、マナもエーテルもいつも自由に取り扱えるほどの量はない。そのために、そういった部分に頼らない技術面を磨くのだ。
 そこまで考えて、自分の仮定は仮定でしかないと気づく。
 引き出せる限界量が決まっているなら、神剣の力がいくら強くなっても変化はほとんどないんじゃないだろうか。
 そうなると、神剣自体が強くなっても有効には生かせないままだろう。
 結局は持ち手の資質に全てが返ってくる気がしてならない。

「……思いつかないな、シアーの言いたいことは分かるつもりだけど」
「そっかぁ」

 シアーは別に残念とも思っていないようだった。あくまで訊いてみた程度の話だったのかもしれない。

「……でも、シアーの言うことも一理あるよね。そうすれば地道に素振りなんかしないでもいいんでしょ?」

 ニムントールの物ぐさ発言が飛び出す。とはいえ、効率的に行くならそれに越したことはないのかもしれない。
 そう考えていると、ファーレーンが肩を震わせていた。

「ニム、お姉ちゃんは哀しいわ……」
「な、なんでお姉ちゃんがそんな目をするの?」
「……今までの素振りがなかったら私はどうなるの?」

 と、ニムントールに抱きついて泣き崩れるファーレーン。いや、本当に泣いてるのかは分からないが。

「伸び悩みか……気にしてたもんね」

 ヒミカがしみじみと呟く。少し納得した。
 ファーレーンはため息をついてから立ち上がる。

「ウルカさんも入ってきましたし、ヘリオンさんも日々どんどん上達してますからね……このままだとお払い箱にされるんじゃないかって」
「お払い箱って……大丈夫だよ、お姉ちゃん!」

 それはないだろう。ユートがい――いないのか。しかし、それでもそんなことはないと思う。ファーレーンの考えすぎじゃないのか。

「別にファーレーンが足を引っ張ってるとは思わないし、むしろかなり実力はあると思うんだが」
「ええ、同感です」

 ヒミカも力強く頷く。

「別に気休めはいいですよ……」
「気休めじゃない。真面目な話だ」
「そうそう。確かにウルカの剣筋はすごいよ。私も見てて惚れ惚れするし。だけどあなたのほうが神剣魔法は得意じゃない」
「……」
「ヘリオンの上達の早さは才能もあると思う。だけど、経験が浅いほうが初めは伸びるものだし。ウルカもヘリオンみたく上達はしてないでしょ?」
「そうですね……」
「あなたもウルカも上達に関しては安定期でしょ? それにファーレーンにはファーレーンの戦い方があるんだから。同じブラックスピリットだからって比べて焦ったりしないでもいいじゃない」

 そこまで言って、ヒミカは口元を緩める。

「といっても私はナナルゥともオルファとも戦い方が違うから、あまり気にしてないだけかもしれないけどね」

 ヒミカの言うことはもっともだと思う。
 強さと一口に言っても、戦い方に応じた強さというものがあるのか。

「私の戦い方か……」
「そういう部分を忘れなければいいんじゃない?」

 それはファーレーンばかりでなく、自分にも言えるのかもしれない。
 自分の戦い方、向き不向き。いざ考えてみると、はっきり見えてこなかった。
 今の自分にできることはなんだ?

「うわーーーん!」
「ヘリオン?」

 いきなり館からヘリオンが飛び出していく。泣きながら。

「何かあったのかな?」
「どうせまた備品でも壊したんじゃないの?」

 我関せず、といった体で答えるニムントール。発言の内容を否定できないのは悲しむべきなのか。
 そんなことを考えているとウルカも館から出てきて、ヘリオンの去っていったほうに走っていく。
 ……あまり自分が気にするような話ではないのかもしれない。

「なんだか忙しそうね……って、ファーレーン?」
「あそこ」

 ニムントールの指したほうを見ると、ウルカをさらに追跡するファーレーンの姿が。
 何をやっている、とは誰も言わない。好きなようにやらせようと俺は思っていた。

「しかし……」
「どうかしたの?」
「いや……」

 シアーに曖昧に答えてしまう。これでは何かあると言ってるのとあまり大差ない。
 実際、シアーも俺の返答を言葉通りには受け止めなかった。

「何か考えてるの?」
「……強くなるってどういうことか考えてただけ」

 『鎮定』を鞘から抜いてみた。外見は何も変わっていない。

「単に神剣をもっと上手く扱えればそれだけで強くはなるのかもしれない。だけど、ヒミカの話を聞いたら、それは無軌道なだけなのかもと思ったんだよ」
「えっと……分かりやすく?」
「……力が強かったら、それだけで強いわけじゃないってことだよ」

 ……言いたいことは本当にそれでよかったのか? 言っておきながら、自分であまり自信がなかった。
 シアーもよく分かっていないかもしれないが、とりあえずは頷いてくれる。
 ヒミカはそんな俺たちに言う。

「私はやれること、できることをやるしかない、って思ってるだけですよ」
「それが一番正しいんだろうな、きっと」

 だけど、それは考えているほど簡単じゃないのかもしれない。

「できることか」

 そう考えると、自分の限界はどこにあるのだろう。
 『鎮定』の力を今まで通り引き出せるのは分かっている。だけど、それが本当に限界なのか?
 いつもならこんなことは考えもしなかっただろう。

「忘れるな」
「え?」
「独り言だ」

 剣を水平に持ち、目を閉じて気を鎮める。体の芯に残っている感覚を手繰り寄せる図を想像した。
 普段のその先、ある種の非日常を実現しようと――。

「剣が……」

 ヒミカが息を呑んだのが分かった。どうしてそうなったかまでは分からない。
 シアーとニムントールにも見られているという認識が伝わってくる。
 胸が高鳴り、逆に頭の中が冷たくなっていく。そして、一本の剣が思い浮かぶ。光の中にある一本の剣。
 きっと自分はそれを取れる。そう思ったところで、そこから意識を引き離した。
 息を吐く。肩が少し重たいような気がしたので、首を回す。

「どうだった?」
「神剣が光ってた」
「そうですね。中心に、こう白い光が一本走ってましたけど」
「……そうなのか」

 普段とは明らかに違うが、以前に『鎮定』の力をより強く意識した時とも違う。
 とはいえ収穫はあった。今回は進まなかっただけで、おそらくは前よりも力を使えるはずだ。
 それが何かを意味しているのか、あるいは何かの意味を持ってくるかまでは分からないが。

(大丈夫だよな?)

 胸の内の問いかけに『鎮定』は答えてくれない。












 ヘリオンは脇目も振らずに走る。当てはない。ただ館から離れたかっただけだ。
 失敗には慣れていた。それでも失敗はしたくない。悠人たちがいない今、ヘリオンは特にそう思う。
 誰の負担にもなりたくなかった。
 小高い丘に着いたところでヘリオンは短い悲鳴を上げて転んでしまう。
 上半身だけを起こしたヘリオンは、そのまま足を投げ出したまま座り込む。
 日差しが眩しかった。目を細めつつ手を掲げ傘代わりにする。
 ヘリオンは一息ついて、薄い雲のかかった空へと目を向けた。
 しばらくそうしている内に、足音が近づいてくるのに気がつく。
 敵ではないと思いながら、首を後ろへ回す。

「ウルカさんにファーレーンさん……」

 ヘリオンの呟いた通りに、二人が近づいてくる。ウルカが前を行き、数歩分遅れてファーレーンがいた。
 ファーレーンの追跡は途中でウルカに見つかっている。もっとも、ファーレーンに隠れる気はあまりなかったが。

「ヘリオン殿、どうしたのです?」

 ウルカの問いにヘリオンは答えない。俯いて視線を逸らす。
 ファーレーンは少し考える素振りを見せてから、腰を下ろした。
 戸惑うウルカにファーレーンは隣に座るよう勧め、ウルカもそれに倣う。目線の高さがほとんど同じになる。
 改めてウルカは同じことを尋ねた。
 ヘリオンは膝を抱えて、膝頭に顎をつけて項垂れる。

「失敗したんです……」

 ウルカはそうなのかと思い、ファーレーンはまたかと思った。そして二人は共通して、気の毒にと思う。
 それだけヘリオンの落ち込み方はよくない。顔を上げないままにヘリオンは続ける。

「……もう、いつまでもみんなには迷惑ばかりかけていられないのに」
「ヘリオンはよくやってくれてると思いますけど……」
「そうでしょうか……でも、それならこんな失敗なんか……」

 ヘリオンは盛大にため息をつく。

「……私はお二人ほど立派じゃないですから、もっともっと頑張らないと」

 二人は答えあぐねた。ヘリオンの言葉は簡単に肯定してしまってはよくない。
 それぞれ考え、次に口を開いたのはウルカだった。

「この前、料理をしました」

 当然の切り出し方に、ヘリオンは顔をあげてウルカを見る。ファーレーンも視線を向ける。
 二人とも普段より目を大きく開いていた。

「それはそれは酷い出来で、我ながら情けなくなるような味でした。その上、厨房を勝手に使い材料も余計に使ったのとで、後でエスペリア殿にも叱られました」

 失敗談だった。思わずファーレーンが口を挟む。

「どんな料理を作ったんですか?」
「……筆舌に尽くしがたい味の一品を」

 ファーレーンもヘリオンも詳細は分からなかったが、どういったものかは想像できた。だから、それ以上触れまいと密かに誓う。

「ヘリオン殿、立派とはどういった意味でありましょうか?」
「それは……尊敬できるという意味です」
「手前は剣しか知らない身です。なれば剣が得意だとしても、他には疎いのです。ヘリオン殿が考えられているほど、手前は立派でもありません」

 言葉を切ったウルカのヘリオンを見る目は穏やかだ。
 それはサーギオスに残した部下たちに見せていたのと同じ種類の表情だった。

「手前から見れば、ヘリオン殿も尊敬できる相手です。ヘリオン殿がいつでも真剣なのは皆様にも伝わっているのでは?」
「そうですよ、ヘリオン。あなたが頑張っていないのだとしたら、私たちの誰も頑張ってないことになりますよ」

 ヘリオンは即答しない。彼女は迷った末に一言。

「……ありがとうございます」

 そしてヘリオンは足を屈伸させるように投げ出す。三人のブラックスピリットは申し合わさず頭上の中天を見上げた。
 しばらく黙して空を見ていた三人だが、ファーレーンが話し始める。まるで世間話のような気安さで。

「私は……二人に嫉妬してます」

 即座にウルカとヘリオンはファーレーンを見るが、当の彼女は相変わらず空を見上げている。

「ウルカさんはすごい腕前ですし、ヘリオンさんはどんどん上達していって。私なんかきっと置いてかれるんだろうなって、そう思ってます」

 声にはかすかな上擦りがあった。しかしファーレーンの表情は暗くなく、むしろ笑みが浮かんでいる。もっとも、それは他の二人からは見えないのだが。

「ファーレーン殿の腕前はかなりのものだと思いますが……」
「そうかもしれません。でも上には上がいるんです。でも、でもです。私には私のやり方があると思うんです。剣で二人に勝てなくてもいいんじゃないかって……ほとんどヒミカの受け売りですけどね」

 控えめに笑うファーレーン。そして言葉もまた激しさはなく、しかし消え入りそうに弱いわけでもなく。

「二人には言っておきたかったんです。私がどう思っていたのかを」

 ファーレーンはほうっと息を吐き出す。
 言葉がまた途切れたので、生暖かい風が過ぎる音が三人の耳には大きく聞こえた。
 やがてファーレーンがウルカに話しかける。

「そういえばウルカさん、ラキオスには慣れましたか?」
「はい。皆様には良くして頂いております故、手前としては気の休まる思いです。ですが……」
「何かあったんですか?」
「いえ……ラキオスにも皆様にも直接関係してるのではないですが……」

 言い淀むウルカは目を細めて額に手をかざす。

「色々考えてしまうのです。残してきた部下たちのことを……」

 不本意な形でウルカとその部下たちは離れ離れになってしまった。
 そしてラキオスに拠る以上は、部下たちとも戦場で敵として再会する可能性は低くない。
 ウルカは身辺が落ち着き、ラキオスの中でも居場所ができつつある。
 そうして余裕が出てくると、今までなかなか目を向けられなかった部下たちにも気が回るようになっていた。

「ウルカさん、もしその部下の方たちが現れたら……」
「……戦うしかないなら戦うまでです」

 目を伏せた表情は沈痛というべきか。当の本人がそういう顔をしているのに気づいているかは分からない。
 偶然にもウルカと悠人の状況はよく似ていた。相手が部下か親友かの違いであるかだけで、どちらも大切に思われているのは一緒だ。
 そんなウルカを見て、ヘリオンが呟く。

「……戦わないで済めばいいですね」
「そうですよね」
「え……?」
「だって、そうじゃないですか。私が同じ立場だったら嫌ですし……それにウルカさんの部下って手強い方ばかりですから、何もないならそれが一番かなーって」

 視線を下げたファーレーンは横目でウルカを見る。

「……ウルカさん、一人で苦しまないでくださいね?」
「どういう意味です?」
「言葉通りです。私たちはあなたが苦しんでいるのを知ってなお、それを無視したくはありませんから」

 ヘリオンも同意するよう頷く。ウルカはどう答えていいのか――すぐには思い浮かばなかった。
 ただ、その時の気持ちを言葉にするならば、感謝に他ならない。
 だから素直にウルカは気持ちを伝える。ヘリオンと同じ言葉で。
 それを受けて、ファーレーンは首を横に振る。気にするな、という意味だろう。

「上手くやっていけるといいですね、私たち」

 ファーレーンの一言は三者の気持ちを的確に表していた。
 彼女たちはそのまま他愛のない雑談を続け、日が暮れる頃になって揃って館へと戻っていく。
 館が近づくにつれて、ヘリオンが浮かない顔に変わっていった。今回は励ましも慰めの言葉もあまり効果がなかった。
 それでも帰らないわけにはいかないので、三人とも館に戻る。
 折りしも、館の中では夕食の準備に大童になっていた。
 日常というのは同じ繰り返しに見えて、その実は細部が異なる。
 同じように積み重ねられた仕事をこなしていても、順調に行く日もあればそうでない日もある。
 その日はちょうど後者の順調に進まなかった日だった。
 三人が台所の前を通ろうとすると、ちょうどセリアが出てくる。

「あ……」

 ヘリオンはセリアに面と向かい合う。昼時を思い出すにはそれで十分だった。
 二人は何も言わずに、目を合わせたままになる。言葉のない対面はセリアの言によって終わった。

「今忙しいんだから手伝ってくれない?」
「あの……でも……」
「昼間のことなら気にしてないわよ。だから手伝いなさいな」

 一方的に言うと、セリアは料理の入った大皿をヘリオンに押しつけるように渡す。
 戸惑いながらもヘリオンはしっかりと皿を受け取っていた。

「セリアさんは強引ですねー」
「そこ、茶々を入れない」

 台所の奥からハリオンの笑い声が聞こえてきた。
 ヘリオンは手渡された皿とセリアの後ろ姿を交互に見てから、はっきりと告げた。

「分かりました!」

 そうしてヘリオンは皿を運び終え、やがて集まった隊の面子と共に食事を済ませる。
 夕食後にはヘリオンが皿を洗っていた。自ら申し出たものだ。
 今度はもちろん割らない。










16話、了






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