次の話へ / SSページへ / TOPへ











永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


21話 人の心、妖精の心














 マナ障壁という枷がなくなったラキオスは、ダスカトロン大砂漠を踏破するとすぐにスレギトに大攻勢をかけた。
 マロリガンにとって不運だったのは、スレギトに稲妻が駐留していなかったことだ。
 結果、ラキオススピリット隊に対抗できるだけの戦力を持ち合わせていなかったスレギトは早々に陥落することとなる。
 スレギトを陥落させたラキオスの動きは早かった。というよりも早くならざるを得ない。
 スレギトからマロリガン首都への進攻ルートは三つある。それは裏を返せば、スレギトへの進攻ルートも三つあるということだ。
 未だラキオスとマロリガンの保有スピリット数の差は大きい。
 もしも三つのルートから一斉に攻撃を受けては、ラキオスにそれを支えるのは不可能だった。
 そうなる前にマロリガン首都を陥落させるしかない。必然的にラキオスは電撃作戦を実行する運びとなった。
 攻略ルートとして選ばれたのはミエーユを突破し首都を目指すルートだ。奇しくも悠人の希望は叶ったことになる。
 スレギトの防衛も怠れないので、ラキオスのスピリット隊は二分された。
 首都攻略を目指す部隊と、スレギトを防衛する部隊だ。
 首都を目指すのは悠人、ウルカ、ファーレーン、ニム、オルファ、そしてアセリア。
 アセリアを加えるのには隊内でも疑問視の声が上がっていたが、敢えて悠人は連れて行くことにした。
 悠人にとっても今のアセリアは心配だったが、だからこそ自分の目が届く場所に置いておきたいという気持ちが強かったからだ。
 あるいは目が届かなかったからこそ、サーギオスに誘拐された妹の佳織を思い浮かべてのこともあるかもしれない。
 攻略部隊はその性質上、機動力を重視した編成になっている。オルファやニムが選ばれたのも、その身軽さ故だ。
 残りのスピリットはエスペリアとセリアを中心にスレギトの防衛に就く。
 スレギトの防衛体制は整っていないので、彼女らが採る作戦は攻勢的な防衛になる。
 つまり前線に進出し、攻撃を仕掛けることで足止めを計る。水際作戦とも言えるか。
 そしてスレギトを発った悠人たちは、マロリガンの防衛線を次々に突破していった。
 取り分け、復帰したばかりの悠人とアセリアの活躍は目覚ましい。
 悠人はハイペリアから戻って何かを掴んだのか、今まで以上に鋭く力強い攻撃を繰り出す。
 特にマナの扱い方が変化していた。元々、原初マナの扱いは得意だったが、それに磨きがかかっている。
 今まで支援に使っていた力はより深化し、それだけでなく破壊の力として攻撃にも用いれるようになっていた。
 一方のアセリアは魂を取り込まれたせいか、逆に暴力的なまでの力を敵に叩き付けていく。それはもはや技術ではなく、力任せの戦い方に近い。
 しかし、そこはラキオスの蒼い牙と呼ばれたアセリアである。
 力任せの戦い方の裏には、培ってきた剣技がしっかりと表れていた。
 強行軍ながら、両者の活躍と脇を固めるウルカたちの奮戦もあり、ラキオスは確実にミエーヨへの距離を減らしていく。
 そして昼夜問わずの進軍の甲斐もあって、スレギトを発って三日目の朝にはミエーユを目視できる位置まで到達していた。

「みんな、停まれ」

 悠人の命令に一同は進行を停める。
 付近にスピリットの気配は感じられないし、姿も見られない。
 マロリガン側は打って出ずに、ミエーユに篭るつもりだった。

「少し休憩しよう。ウルカとファーレーンは悪いけど、もうしばらく警戒を続けてくれ」
「畏まりました」

 ウルカとファーレーンの二人は、悠人たちより前のほうに移動する。
 悠人を含めた残りの者は、その場に座り込み一息つく。
 唯一、アセリアだけが座りもせずに立ち尽くしている。
 それでも彼女から放たれる気配は落ち着いていた。敵が近くにいないからだろう。

「ア、アセリアお姉ちゃん?」

 オルファがアセリアに駆け寄る。その手には水筒を持っていた。
 アセリアの目が動き、オルファを捉える。
 その瞳に少し怯えたように、オルファは小さな体を大きく震わせた。
 それでも、いつものように笑って水筒をアセリアに向けて差し出す。

「喉、乾いてない? よかったらお姉ちゃんも飲んでよ」

 しかし、差し出された水筒をアセリアは受け取らない。
 水筒を見るには見るが、それをどう扱っていいのか分かっていないようだった。
 オルファも手を差し出したまま、やはりどうしていいか分からないといった感じだ。
 見かねた悠人が動くよりも早く、ニムが立ち上がって二人に近づく。
 ニムはアセリアの手を取ると、勝手にオルファの差し出した水筒を握らせる。

「あ……」
「こういう時は無理にでも渡すの」

 不機嫌、というよりは拗ねたように言い切るニム。
 水筒を渡されてもアセリアはどうしていいのか分からないようだった。

「……面倒」

 そうぼやきながらも、水筒を口につけて飲むジェスチャーをする。それを見たオルファも同じように倣う。
 アセリアは両者を交互に見てから、同じようにした。
 喉が上下に動く。アセリアは確かに水を飲んでいる。
 悠人はそんな三人の様子を驚きを交えつつ、感心した気持ちで眺めていた。












 数日振りに砂以外の物を踏んだような気がした。
 スレギトの街は石畳が敷かれている。ところどころ砕けた場所があるのは戦闘があったからだろう。
 辺りを行き交う人間は明らかにラキオスの人間ばかりだった。今は戦後処理に入っているらしく、物資の運搬や伝令などで駆け回っている者ばかりだ。
 どうやら見込み通り、スピリット隊はスレギトを攻め落としてくれたらしい。
 行き交う人々の中には何人か見知った顔もあったが、のんびりと挨拶をしている場合ではない。
 人の波に紛れて姿を探す。誰かスピリットは残ってないのか。
 その時、見慣れた背中を見つけた。白い服、白い帽子、白い佳人。

「イオ!」

 イオがこちらをゆっくりと振り返る。表情に表れているのは、軽い驚き。
 彼女のそういった表情は珍しい、と思う。それだけ普段から動じないという印象がある。

「ランセル様? ……生きておられたのですね」
「生きて?」
「あなたには戦死判定が下されていました」
「……あの状況なら当然か」

 いざ自分が戦死扱いされていたと教えられると、複雑な気分にはなる。
 とはいえ、あの状況なら妥当な判定だろう。むしろ、自分でもよく助かったものだと思える。

「とにかくご無事で何よりです……これで皆様、揃いましたね」
「揃った?」
「はい。ユート様とアセリアも戻られました」
「二人がいるのか? 無事だったのか?」
「今はここにいません。それから……無事とは言い切れないかもしれません」
「……どういう意味だ?」

 イオはユートたちがハイペリアにいたこと、戻ってくる際にアセリアの魂が剣に飲まれてしまったのを教えてくれた。
 二人が無事だったのもそうだが、予想もしてないことばかりだ。
 だが、状況はどうあれ、二人が無事なのは喜ばしい。

「お疲れでしょう。今はお休みください」
「いや、それより今はどうなっている?」
「今は三方に分かれて、それぞれの役目を果たそうとしています」

 イオは西と南を順に呼び指していく。

「エスペリアとセリアを軸にそれぞれ防衛に入っています。今のところ戦況は一進一退で、当面は瓦解の危険はないとの報告も入っています」

 次いでイオは南西の方角を呼び指した。

「現在、ユート様が部隊を率いてミエーユに進撃中です。ミエーユを落としたらすぐにでもマロリガン首都へ向かうでしょう」
「となるとユートたちが一番苦戦しそうか。マロリガンのエトランジェたちも出てくるだろうからな」

 『鎮定』の柄を握る。あの感覚、『空虚』との戦いでの感覚はしっかりと覚えていた。
 問題はあれだけの力をもう一度発揮できるか、発揮しても体が耐えられるかが分からない。
 この場で試すわけにも行かず、実際に挑戦するしかなかった。

「水と食料だけ用意してくれ。準備が整ったらユートたちの後を追う」
「それではすぐに用意させます」
「頼む……それとウルカはどこの部隊に加わっている?」
「ウルカはユート様たちと行動しているはずです。それが何か?」
「いや、大したことじゃない」

 だがアリカの書簡を渡すには都合がいいとは思う。後はそれまで責任を持って守るだけだ。
 その時、イオが不意に小首を傾げてきた。

「その服……少しよろしいですか」

 イオは俺のコートの裾を摘むと、手触りを確かめているようだった。

「これはスピリットの物ですね。それも手製……しっかり織られてます」

 興味深そうにイオはコートを見つめている。
 女史の助手ということもあり、彼女の探究心は深い。それを垣間見たような気がした。

「そちらには何があったんですか?」
「……サーギオスに拾われてたんだよ」

 怪訝そうなイオにかいつまんで説明をする。
 細部を説明したくはなかったので、アリカの名前は伏せたし書簡の話もしていない。ただ助けられたとだけ伝える。
 イオは俺の話を聞いて頷くだけで、特に口出しはしてこなかった。
 ただ一言、しみじみと言った。

「相変わらず、色々起きていたようですね」

 まるで普段から何かしらに巻き込まれてるような言われ方だった。そんなことはないと思うが。
 実際がどうであるかは抜きにして、すぐに数日分の食料と水を用意してもらえた。
 アリカから渡された鞄にそれらを詰めて、すぐにスレギトを発つ。
 ユートたちとの合流がいつになるかはまだ分からない。とにかく今は休息よりも合流を優先すべきだと思った。












 碧光陰はマロリガン大統領クェド・ギンと彼の執務室で面会していた。
 これは光陰から申し出たものではなく、クェド・ギンの意向によるものだ。
 クェド・ギンは古びた煙草を吸っていた。光陰は煙草の銘柄が自由(トヤーア)と描かれているのを見る。

「そういえば大将が煙草を吸うなんて知らなかったな」
「……これは特別だ。煙草など、もう何年も前に辞めている。今日だけは吸わずにいられないだけだ」

 そう思い立った理由は告げなかった。
 彼は煙草の煙をくゆらせながら、天井を見上げる。肺に溜まった紫煙を完全に吐き出してから、光陰を見た。

「私は死ぬ。おそらく今日の内にな」

 光陰は無言で大統領を見つめた。
 冗談だとは思っていない。光陰は口元に笑みを浮かべて言った。

「奇遇だな。大将だけじゃなくて、俺もきっとこの今日の内に死ぬと思ってたんだ」
「まったく奇遇だ。どうやらお互い運命には嫌われているらしい」

 クェド・ギンは押し殺したような声で笑う。

「運命か……俺は案外信じてるつもりだったんだけどな」
「ほう……意外だな」
「そうでもないさ。こっちに来る前は宗教にある程度は関わっていたんでね。俺の教わった宗教じゃ、運命は変えられるものだって前提なんだよ」
「なるほどな……確かに運命は変えられるのだろう。人間が願ってもいない運命だとしても」

 光陰の表情が変わる。核心に入ろうとしているのに気づいたからだ。

「お前はこの世界をどう思う? 俺には都合の良すぎる世界にしか見えん」
「都合のいい……?」
「今、この世界で起きていることを一つの物語として考えてみろ」
「……主役は悠人で、俺は話を盛り上げる脇役ってところか」
「察しがいいな」

 クェド・ギンは苦笑を浮かべる。彼なりの光陰への気遣いが表れた表情だった。

「ラキオスのエトランジェは守るべき妹を帝国に拉致されている。その帝国から妹を救い出すために、今も傷つきながらまっすぐに戦い勝ち続けている。その姿はまるで英雄そのものだ。加えて、ラキオスの女王レスティーナは両親を帝国の刺客に殺されての即位、つまりは悲劇の女王ということになる」
「……ぞっとしないな。どこかで聞いたことがあるような構図の話だ」
「まったくだ。そして今や女王の理想は国に広まり、かの国ではそれまで被差別種だったスピリットへの待遇さえ変わりつつあると聞く」
「そして俺たちはあいつの成長を促すための配役って訳か」

 クェド・ギンは煙草を机に押しつけて潰す。

「都合のいい話だ。あまりに作為的で、とても自然の流れとは思えん」
「……大将は誰かが裏で手ぐすね引いてるって考えてるのか?」
「無論だ。何者かは知らんが、それこそが我々の真の敵だ。人間にとってもスピリットにとっても……そしてお前たちにとってもな」
「……いつからそう考えてたんだ?」
「気づいたのは昔……まだ私がサーギオスにいた頃だ」
「サーギオスに?」
「ああ。昔は研究員だった……もう、遠い昔の話だ」

 クェド・ギンの目が遠くに向けられるのを光陰は感じる。回顧しているのだろうと思い、口は挟まない。
 その物思いはすぐに終わったらしく、普段通りのクェド・ギンがそこにいた。

「初めは些細なことだった。人間には心変わりというものがある……パンを一切れ食べるつもりが、気が変わって二切れ食べた。それと同じに人間が皆、それまでよりわずかに多く食事を取る。それを一人二人が行うなら大した影響はないし、不自然とも思わん。だが、それを一つの国の人間が全員で行えば?」
「……食物の減りが早くなって、下手したら生産が追いつかないってとこか?」
「ああ、一人一人なら大した影響はなくとも、数が揃えばそれは大きな変化にもなる。今のこの状況と同じだとは思わんか?」
「……実際にそういうことは起きたのか?」
「ああ。現にどこの国も食物の生産は滞りがちだ。本来の国力に見合わないほどな。そして、これが食料以外のことでも起きていたとしたら? 例えば戦備拡充だ」
「……みんなで戦力を増強しろって言い出すのか?」
「今から二十年以上前だが、ダーツィ大公国の王が当時国内にいた魔龍シージスを討伐した。隣国のイースペリアとの軍事的緊張が高まったことでマナを欲しての行動だったが……」
「確か逆に大飢饉を呼び込んだってやつか?」
「そうだ。当時の国民も龍を討伐するのをこぞって支持していた。そしてイースペリア側も誰しもが声高にダーツィを制裁しろと謳っていた頃だ」

 光陰は何も言えなかった。クェド・ギンの言葉が真実なら、偶然の一言で片付けられない。

「大衆心理と呼ぶにはあまりに出来すぎていた……初めから狙っていたかのように変化するのだからな。それに気づいてからは、この世界の何もかも、俺自身の思考さえ信じられずに疑っている」
「……ったく、聞かなきゃよかったかな」

 光陰のその様子をクェド・ギンは満足げに笑う。

「俺が教えられるのはここまでだ。今のこの瞬間をもって、お前たちを自由の身にする。どことなりへ行くといい」
「……いいのか?」
「お前はよくやってくれた。事情はどうあれ、私に力を貸してくれたのは確かだ。感謝する」
「そう言われてもな……大将はどうするつもりだ?」
「俺は誰かが用意した未来を受け入れるつもりはない。果たして俺の意志が勝つのか、運命が勝つのか」

 クェド・ギンはおかしそうに喉を鳴らす。ひとしきり笑い終えてから立ち上がり扉のほうへ向かう。
 すれ違いざまに光陰は顔を合わせないで問う。

「止めても……無駄だよな?」
「すまんな。俺の意志は誰のものでもない。誰にも止めることはできんよ」
「……やれやれ。大将、どうして俺にこんな話をした?」
「言ったはずだ。俺とお前はお互いに運命に嫌われているらしいからだ」
「なるほどな……だったら、俺が悠人を倒して、運命を変えるのも悪くないか」

 クェド・ギンが足を止め、光陰の顔を凝視した。

「何故だ? お前がそこまでする必要はない」
「そうでもないぜ? 今日子を助けるには悠人と決着をつけないといけないし、同じ運命に嫌われた者同士、あんたの味方をしてもいいだろう」

 クェド・ギンは無言で光陰を見続ける。
 ややあって懐から煙草を一本取り出し火をつけた。

「受け取れ」

 光陰に煙草をパッケージごと投げる。光陰はそれを確かに受け取った。

「餞別だ。知り合いが寄越した物だが、もう俺には必要なくなった」












 ミエーユへの攻撃が始まっていた。悠人が予想していたほど敵のスピリットは多くない。
 それでも幾重もの防衛線を張って、スピリット隊を寄せ付けまいとしていた。
 悠人は素早く『求め』を通してマナを集中させる。

「敵陣に穴を開ける! マナよ、一条の光となりて彼の者どもを貫け! オーラフォトンビームッ!」

 悠人の頭上で収束したマナが光の柱に変わり、スピリットたちの頭上に突き刺さる。
 光の柱がもたらすのは、純粋な破壊の力。
 破裂した光がスピリットといわず、大地といわず吹き飛ばす。
 その期を逃さずにウルカたちも敵陣に突入する。
 ウルカとファーレーンが混乱する敵を斬り倒して道を開く。
 開かれた道を今度はアセリアが進む。何人ものスピリットがアセリアに向かうが、逆に次々と薙ぎ払われていく。
 しかしアセリアとて決して無傷ではいられない。幾人もの敵と当たるうちに負傷は増えていく。負傷を意に介さないアセリアの戦い方が、それに拍車をかけていた。
 敵陣に近づいたニムが、アセリアに向けてアースプライヤーを行使する。
 アセリアの傷は癒えていく。そして癒えきる前に別の傷が生まれる。

「……面倒。ただでさえ面倒見切れないのに……」

 ニムはぼやきながらもアセリアの治療を続ける。
 敵の攻撃はいつの間にかアセリアに集中していた。それだけアセリアが突出しすぎている。

「アセリア! 前に出すぎだ!」
「アセリアお姉ちゃんはやらせない!」

 悠人がアセリアに向かって駆け、その後ろからオルファがアセリアに群がろうとする敵に向けて炎の礫を降らしていく。
 一撃必殺の威力がなくとも、敵を怯ませ動きを鈍らせるには十分だった。
 悠人がアセリアを庇うように、前へ飛び出る。そのまま切り込んでいき、少数のラキオス勢が多勢のマロリガン勢をかき乱す形で戦闘は推移していく。
 気がつくと、マロリガンのスピリットはいなくなっていた。
 散り散りになったのもあるし、消滅させられたのもあるだろう。だが、一番の理由は徹底抗戦の意思を見せなかったことだ。
 マロリガンはミエーユの防衛を放棄した。
 その理由は悠人には分からない。だが事実が残った。
 悠人たちも自分たちだけでミエーユを占領下におくことはできない。それは人間の兵士が行うべき仕事だ。
 悠人たちにできるのは残存戦力が伏せていないかの確認と、自分たちがいることを住人に知られるだけ。
 そして後者はほぼ自然と成る。
 悠人は小休止を命令すると、一息つく。
 マロリガン首都まであとわずかであったが、街一つ攻略すると消耗も無視できない。
 その日はミエーユで一夜を過ごそうか……そう考え始めた頃だった。

「……この感じは?」

 悠人は違和感に気づいた。それは西の方角、つまりマロリガン首都のほうからだった。
 『求め』もそれに反応してか、小刻みに震えだす。普段見られない震え方だ。

(……違う?)

 『求め』の振動と、西からの違和感は直接関係がないようだった。

「ユー……おい……え……か」
「なんだ……『求め』からか?」

 声が断続的に聞こえてくる。それはヨーティアの声だった。
 悠人は意識を集中し、『求め』を耳元に近づける。すると声が鮮明に聞こえるようになった。

「返事をしろ、ユート!」
「ヨーティアか? なんなんだ、これ?」
「……やっと繋がったか。これはイオに頼んで、神剣同士を共鳴させて声を伝えてもらってるんだ」
「そんなこともできるのか……」

 悠人は感心したように呟く。イオの多才は悠人も知っていたが、こういったことまでできるとは思っていなかった。

「それはそれとして、今どこまで進めた?」
「ちょうどミエーユを落としたばかりだ」
「ミエーユか……なるほど、まだ運は尽きてないってわけだね」
「何かあったのか?」
「ちょっとまずい事態になった……情報部から降りてきた情報だけど、マロリガンのエーテル変換施設が暴走を始めてるらしい。こっちでも膨大なマナがつぎ込まれてるのを観測した。長くは持たないね」
「暴走!? このざわつきはそのせいか……またサーギオスが絡んでるのか?」
「いや、どうも大統領の仕業らしい」
「どうして大統領がそんなことを? 自分の国だろ!?」
「そんなこと、あたしに聞かれても分かるか! だけど、あの大統領のやることだから、ただの暴走とは限らない。別の目的があるのかもしれない」

 悠人はそこでふと違和感を覚えた。ヨーティアの口振りはクェド・ギン大統領を知っているようだったからだ。
 だが、それを確認する余裕は悠人になかった。

「ヨーティア、暴走ってことは……マナ消失が起こるのか?」
「起こるね。しかもマロリガンの動力施設にある神剣は、イースペリアのやつより位が高い。暴走したら、被害も比べ物にならない」
「……止めるしかないってことか」
「ああ。そこからならまだ十分に間に合うはずだ。でも引き返す時間はないからね」
「分かってるさ……また何かあったら連絡してくれ」

 ヨーティアと会話している間に、他のスピリットたちは悠人の側に集まっていた。
 悠人は手早く要件を伝えていく。
 突然の事態にアセリア以外、誰も驚きを隠せなかった。

「……止めないと、あいつに顔向けできないな」

 そうして悠人たちはほとんど休むことなく進撃を再開した。












 いつの間にか日は傾き始めていて、紅の残光が光陰の頬に投げかけている。
 彼は一人、荒野に座り込んで胡坐をかいていた。
 左肩には『因果』が立てかけられるように置かれている。上背のある光陰だと、それは自然な姿に見えた。
 周囲に他の人影はない。
 稲妻は光陰の命令で、今日子の護衛とマロリガン首都内の要所を押さえるために当てられていた。

「これで夕陽も見納めかもな……どうせなら今日子と二人で見たかったもんだ」

 その呟きは、光陰自身が叶わないと思ってる願いが反映されていた。
 光陰が召還されてから頻繁に思い返す過去はいつも三人だ。光陰と今日子と悠人。
 三人はいつしか二人と一人になっていた。光陰は今日子を見て、今日子は悠人を見て、悠人は二人を同じように見る。
 それは小さなすれ違いであり、大きな食い違いだった。
 光陰はいつか考えた時がある。彼が三人でいる理由を。
 気が合うのは確かだし、居心地がいいのも確かだ。しかし、光陰は小さな齟齬(そご)が自分の中で大きくなるのも認めていた。
 一緒にいるのに理由は要らない。悠人なら、そのような答えを出すのだろう。
 光陰はそれに同意し理解しながらも、それともと考える。
 結局のところ、光陰にとって大切なのは誰かという部分にいつも行き着く。
 二つを取れないなら、光陰が取る選択は決まる。それは必然だった。
 光陰が自分以上に大切に思うのは、いつだって一人の少女だから。彼にとってその少女より大切に思える存在はない。

「……来たか」

 光陰は地平線の付近に複数の人影を認めた。
 人影は少しずつ近づいてきて、徐々に姿形もはっきりとしてくる。
 互いの表情がはっきり見て取れるようになった頃、光陰はおもむろに立ち上がった。

「よう、悠人。遅かったじゃないか」
「……光陰」

 光陰は本当に気楽に挨拶をしていた。それは今から雌雄を決しようとする者たちには不釣合いな態度だ。
 碧光陰は高嶺悠人との再開を改めて果たした。

「……みんなは先に行ってくれ」

 悠人は後ろに控えるウルカたちに命令する。
 戸惑うような反応が返ってくるが、悠人は光陰をけん制するように一歩前に出た。

「頼む……きっと追いつくから」

 悠人の決心の固さに気づいたのだろう、ウルカたちは大回りに進んでいく。
 光陰はそれを追わないし、気に留めない。
 光陰も悠人も、互いしか見ていなかった。

「光陰……今、俺たちが戦う理由がどこにある?」
「俺たちが戦う意味か……」

 呟き、光陰は『因果』の力を解放する。オーラフォトンが光陰の体から立ち昇る。
 オーラが突風のように光陰を中心として吹き荒れだす。
 それが光陰の答えでもあった。

「今日子は神剣に飲まれていて、このままだと壊れちまう。『空虚』の支配から解放するには眷属である神剣を破壊するしかない」

 その眷属には己の『因果』さえ含まれているのを光陰は理解している。
 彼はすでに殉じる覚悟を固めていた。

「お前が佳織ちゃんを助けるために戦うように、俺は今日子を助けるために戦うしかない。俺にとって今日子以上に大切なのは、この世界にもあっちの世界にもない……悪いな、悠人」

 光陰は小さく笑みを浮かべる。そこに一切の迷いはない。
 だが悠人も簡単に引き下がりはしなかった。

「だからって……知ってるんだろ! このままだとあの大統領がマナ消失を引き起こすのは!」
「それもお前たちを片付ければ、大将が暴走を引き起こす必要もなくなる」

 光陰は『因果』を抱え上げる。反射的に悠人も『求め』を正眼に構える。

「それに大将にも俺たちみたいに譲れないものがあるらしいぜ」
「俺には光陰も今日子も大切で譲れないものだ! もうやめてくれ!」
「……じゃあ逆に訊くが、今からラキオスの女王さんを裏切ってこっちにつけないだろ?」
「そんな……当たり前だろ!」
「俺も同じだ。大将を裏切りたいとは思えないんでね」

 光陰はすでに戦う構えを見せている。悠人だけが、それに抵抗しようとしていた。

「何か……何か方法があるはずだ。それを探せば……」
「……悠人、俺はお前に消えて欲しいんだ」

 光陰の突然の一言に悠人は硬直した。辛うじて、悠人は声を絞り出す。

「……何を言ってるんだ?」
「お前がいると、今日子の心が揺れる……お前が邪魔なんだよ、悠人!」

 言葉が悠人を刺す。それは光陰の知られざる本心だった。
 悠人は自失のあまり『求め』を取り落としそうになる。
 光陰が『因果』に取り込まれていないのは悠人には分かっていた。

「それにな……一度、お前と本気でやり合ってみたかったんだ」
「光陰!」
「いくぜっ!」

 光陰が地を蹴る。突風ごと光陰が迫ってきた。
 悠人はそこに至って、ようやく戦う以外の道がないのを受け入れる。

「くそぉぉぉっ!」

 『求め』を通して、悠人の中に誰へとも分からない怒りが湧き上がってきた。
 光陰は『因果』を軽々と振り回し、次々と激しい攻撃を叩きつけてくる。
 悠人は防戦に徹し、一度も反撃しない。『求め』からは殺せと矢のような催促が響いてくる。
 光陰はなおも体の動きを止めずに、流れるように攻撃を繰り返していた。
 しかし、それがいきなり止まる。自分から止めたのである。
 光陰は運命の踏み台になる気など毛頭ない。それでも、悠人のために言えることが残っていた。

「悠人、そんな情けない顔で俺に勝てると思うな」
「!」
「俺たちは誰もが自分の目的の上に立っている。そのためには何かを傷つけて、時には自分さえ傷つくのが分かっていてな……お前の仲間もそうだったんじゃないのか?」

 光陰は二歩後ろに下がる。助走距離だ。

「お前はどうなんだ、悠人? お前にも覚悟があるって言うんなら……そいつを見せてみろ!」

 光陰が駆ける。疾走から強烈な振り下ろしを見舞う。
 悠人は『求め』でそれを受け止めるが、力で薙ぎ払われる。悠人は砂の上を転がりながらも、反動を利用して立ち上がりつつ踏み止まった。
 視線が向く。悠人の表情には力強さが戻り始めている。

「光陰……俺は……何も知らなかったんだな。お前の気持ちなんかぜんぜん……今まで気づけなかった自分に腹が立つ」
「……」
「でもな……俺にだって守りたいものがあるんだ! だからお前を倒す!」

 倒した上で、救うとは言わない。それは今はまだ不要な言葉だった。

「……そうこなくっちゃな。勝負だ、悠人!」

 両者は同時に地を蹴る。相手を目指しただ一直線に。
 すれ違いざまの斬撃は互いに届かず、すぐに次の行動に移る。
 向き直った両者は互いの神剣を振り下ろし、激突した。世界を震わせるような衝撃が辺りに走る。足元から砂が広がり、吹き飛ばされていく。
 どちらの剣も相手には届かずに、じりじりと競り合う。
 競り合いから抜けたのは悠人だった。大きく後ろに飛び退いてから、再び前に詰める。
 『求め』の力をそのままに叩きつけていく。それは乱雑とも取れる攻撃だが、悠人の攻撃はそれを補って余りあるほど速く重たい。
 光陰も巧みに悠人の攻撃を捌いていくが、一撃の重たさでは悠人に軍配が上がるのを確信した。
 だが、戦いはそれだけで決しはしない。
 光陰は『求め』と比べて、取り扱いにくいはずの『因果』を巧みに使いこなしていた。
 『因果』の上段で攻撃を受ければ、手首を回し下段で打ちつける。
 攻撃のために『因果』を構えたと思えば、即座に防御のための構えに切り替わる。
 足運びも常に悠人の死角を取るように動き、容易に優位な位置は取らせない。
 一進一退の攻防が続き、双方とも決定打が出ずに、時間と体力が減っていく。
 先に動いたのは悠人だった。
 大きく飛び退くなり、マナを収束させ始める。集まるマナは強烈の一言に尽きた。
 それを感じ、光陰は咄嗟に悠人に向かって全力疾走する。光陰も『因果』のマナを収束させ始めていた。
 光陰が悠人に追いつくよりも早く、悠人は動く。左手を光陰に向けて突き出す。
 悠人の前に直径が背の倍以上はある巨大な円が生まれる。円には幾何学的な紋様が刻まれていく。

「マナよ、彼の者を払え!」

 光陰も集めたマナを行使する。
 『因果』を正面の大地に突き立てた。そこを基点として二重円に三本の直線が走る陣が大地にマナで描かれる。

「神剣の主が命ずる。光となりて我を守れ」

 両者の声が響く。一つは破壊を、一つは守りの力を。

「オーラフォトンビーム!」
「プロテクション!」

 光の壁が光陰を包み込む。それをさらに覆うように光の柱が光陰を飲み込んだ。
 光の奔流が荒れ狂いせめぎ合って、そして均衡が失われた。
 悠人のオーラフォトンは光陰の防壁を圧迫していたが、貫き切る前に爆ぜる。
 その余波は光陰のみならず、悠人自身にも降りかかった。
 悠人も光陰も爆発に薙ぎ倒される。
 先に立ち上がったのは光陰だった。『因果』を掴み直すと、刀身にマナを収束させていく。
 光陰は額を切っており、左目を塞ぐように赤黒い血が垂れていた。
 一方の悠人も立ち上がる。顔は薄汚れ、頬や手は血が滲んでいた。
 悠人も『求め』に残る力を集めていく。二人とも、それが最後の一撃だと申し合わせたように。
 同時に踏み込み、切り込む。

「うおおおおっ!」

 裂帛の気合と渾身の力。死力を尽くした一撃が交錯する。
 二人は背中合わせに立ち尽くしていた。しかし、それも刹那の出来事に過ぎない。
 光陰の体が出し抜けに崩れ、両膝を地に突いた。

(俺が負けるのか……)

 光陰はそれを素直に受け入れ認めた。どこかで分かっていた。運命は関係なく。
 高嶺悠人は碧光陰が知らない間に、一回りも二回りも大きくなっていた。
 それまでとは打って変わり、光陰の胸に淡い安堵の気持ちが浮かんでくる。

(嘘は突き通せないか……)

 本当はどこかでこういう結末を迎えたかったのか。あながち間違えていない、と光陰は束の間思った。
 今日子の立場に立った時、どんな理由に事情があれ、悠人を討った光陰を今日子は認めないと予感していた。
 それでも今日子にだけは生きて欲しかったからこそ、光陰は自ら業を背負おうとしていた節がある。最後には自分の命さえ捨てる気になっていたのは、それに起因するだろう。
 しかし悠人であれば、自分の生死は関係なく今日子は受け入れるという諦めに似た確信があった。
 だから光陰は思う。自分が勝ってしまうよりもいい結果になるのだろう、と。
 それでも戦うのは、やはり彼にも譲れないものがあるからこそだ。
 碧光陰は満足し、納得した。

「光陰!」
「……結局……お前には敵わず終いか……」

 光陰は傷口を押さえる。『因果』の力もあって出血こそ少ないが、内面はあまりいい状態ではなかった。
 それでも光陰は笑みを浮かべて悠人を見る。
 悠人は光陰を本気で心配していた。それは光陰にも伝わる。
 見ようによっては愚かしくもある素直さだ。光陰は自分が勝てなかった理由を見つけたような気がした。

「行けよ……大将を止められるのは、もうお前だけだ」
「何言ってるんだ……光陰も行くぞ。今日子を『空虚』から解放するんだ」
「……先に行け。俺は大丈夫だ……『因果』もまだ死んじゃいないからな」
「本当に……大丈夫なのか?」
「当たり前だろ? あとで必ず追いつく……だから先に行け。それに急がないと時間がない……」
「……分かった。絶対に来いよ……絶対だぞ! お前が死んだら今日子も佳織も悲しむんだからな」
「分かってるさ……女の子は泣かせないのが俺の主義だ」

 悠人は一抹の不安を感じていたが、光陰の軽口に押されるように走り出していた。
 実際、光陰の傷はそこまで深くないようだったし、力もそれほど衰えたようには感じていない。
 光陰は徐々に遠く小さくなっていく悠人の姿を見送ってから、一息ついた。
 そしてそのまま倒れこむ。

「……見栄を張るのも楽じゃないな」

 光陰はまた傷口から血が流れ始めているのを感じる。
 限界が近いのか、体外に出た血はすぐにマナに還り始めていた。
 光陰は仰向けになって苦笑いを浮かべる。
 悠人に言った通り、休めばまた動けるはずだった。だから光陰は目を閉じる。
 しばらく眠っていたかった光陰だが、程なくして目を開いた。
 起き上がると、マロリガン首都へと歩み始める。傷口はまだ塞がっていない。
 刺すような痛みと、一歩ごとに滲む血に光陰は顔を顰める。
 本調子には程遠いが、歩くだけならどうにかなりそうだった。
 歩いていると、光陰は後ろから神剣を持った誰かが近づいてくるのを感じる。
 すぐに光陰は近づいてくる者を見つけた。走っているためだろう、近づいてくるのが早い。
 相手も光陰の姿を認めて、距離を開けて立ち止まる。

「お前は……あの時の。生きてたんだな」

 光陰と向かい合っているのはランセルだ。
 死んだとばかり思っていた相手の遭遇に、光陰もさすがに驚きを隠せないようだった。
 光陰もランセルも神剣は構えずに、向かい合う。双方とも相手の出方を窺っているようだった。

「……あんたが俺の死神だったのか?」
「そうは思いたくないな、『因果』のコウイン。だが、この前とは立場が逆転したな」

 ランセルは光陰に向かって、足を踏み出す。
 光陰はそれを見て、『因果』を取り直し構えた。ランセルも『鎮定』を引き抜いている。
 両者とも臨戦態勢に入っていた。












 悠人は先行していたウルカたちとの合流を果たしていた。
 ウルカたちは何度か敵と交戦していたので、少なからず消耗している。
 その代わりに、悠人は敵の妨害を受けることもなかったが。
 悠人は手早く治療を受けると、首都に向けて移動を始めた。
 西の異変は少しずつ強くなってきている。マナが異常な早さで首都に集まっていくのを肌で感じていた。自然では起こりえない現象だ。
 どのぐらい時間が残されているか悠人には分からなかったが、のんびりしている余裕がないのだけは疑いようがなかった。
 ミエーユからマロリガン首都までの道のりは、決して平坦ではない。むしろ砂漠を抜けても荒地が続くなど、不毛な土地だ。
 西日を浴びて朱に染まる大地を彼らは進む。不毛な土地はより実りのないものとしてその姿を見せている。
 悠人たちの行く手に小高い丘があり、その上に複数の人影があった。
 すぐに悠人たちもそれに気づく。誰がそこにいるのかも、悠人はすぐに勘づいた。

「今日子!」

 悠人の声は届いているはずだった。しかし今日子は返事を寄越さない。
 再度呼びかけて、ようやくそれに今日子が応じる。いや、正確には今日子ではなく『空虚』が。

「……お前は敵。『空虚(わたし)』の敵……『求め』のユート」
「今日子っ!」
「間違えるな、私は『空虚』だ」

 今日子は言い放つと悠人に近づき始める。その後ろには稲妻のスピリットが三人控えている。
 ウルカたちは自発的に、彼女たちのほうへ向かう。悠人たちの邪魔はさせないつもりだ。
 しかし、それは稲妻も同じだった。稲妻の中にはクォーリンもいる。
 彼女は両手を上げて、無防備であるのを示しながら前に出た。

「こちらには今すぐ戦う意思はありません。どうしてもと言うなら、あの時の続きをしても構いませんが」

 クォーリンはウルカに視線を向ける。
 ウルカは鞘にかけていた手を納めた。それを見て、クォーリンは会釈を返した。

「感謝します……我々には決着を見届けなければならない義務がありますので」

 クォーリンの視線は悠人たちに戻る。その表情はどこか強張っていた。あるいは嫌悪の表情だったのかもしれない。
 両陣営のスピリットが見守る中、悠人は粘り強く今日子に呼びかけていた。

「今日子、こんなバカなことはやめて戻ってくるんだ!」
「無駄だ。すでに今日子という人格はほとんど残っていない。もっとも……私を倒せれば戻るかもしれんな。体の保障はできないが」

 今日子は含み笑いを浮かべ、悠人を見下ろす。
 その態度に悠人は激しい怒りを覚えた。

「お前らの戦いに他人を巻き込むな! 今日子も目を覚ませよ! 剣なんかに操られてどうする! 一緒に元の世界に帰るんだ!」
「そこまで言うなら呼びかけてみるか?」
「何!?」
「それも面白い戯れだ。どれ、最後に残った意識を返してやろう」

 『空虚』の気配が遠のくのを悠人は感じた。
 途端に今日子から苦悶の声が漏れる。そして苦悶の声はすすり泣きに変わった。

「ぁ……あたし……あたし、いっぱい殺しちゃったよ……スピリットも人も……いっぱい! いっぱいだよ! あたしが……あたしが全部!」
「考えるな! お前のせいじゃない!」
「だめだよ……あたし、生きてちゃだめだ……悠も傷つけた……光陰も傷つけた……こんなの、だめだよ……」
「だったら償えばいい! 俺の手だって血で汚れてる。今までだって何度も殺してしまった」

 今日子は苦痛に耐えるように頭を押さえ、そして頭を振る。

「違うよ……悠は佳織ちゃんを助けようと、光陰にはこんな私を助けようと……でも、あたしにはそういうのない……自分が死にたくないだけ……ただ帰りたいだけ……全部自分の我がままだけ」
「俺たちのも我がままだ! でも、それが殺していい理由になるなんて思ってない! 俺たちにできるのは……償うだけなんだ」
「……どうやって? 私には傷しか与えられない……」
「それを探せばいいんだ! だから死んじゃだめだ! そうしたら……俺たちは何もできなくなる……本当に傷しか与えられなくなっちまう」
「ごめん……でも悠……私を殺して……もう自分じゃいられない……あいつが出てくる」
「今日子!」
「ごめん……約束……したからね」
「諦めるなぁっ、今日子ぉぉっ!」

 瞬間、『空虚』から電光が天に立ち昇った。
 眩いばかりの白光が白く染め上げていく。それに伴い『空虚』の気配も強くなる。
 悠人は『求め』のぼやきを聞いたが、ほとんど頭に残らなかった。
 今日子に取って代わった『空虚』が目元を拭う。

「涙だと……愚かな人間め。弱き心しか持てないからこうなるのだ」
「……ふざけるなっ!」

 悠人は『求め』を体の正面に構える。
 『求め』の刃は青い光に包まれ、強く輝く。

「人の心を弄んで……お前は許せない、『空虚』ぉぉぉっ!」
「許せない……? それは私も同じだ、『求め』ぇぇぇっ!」

 両者が激突しあう。周囲の大気やマナが振動し、鼓膜を震わせる。
 数合打ち合った二人は、一度距離を取る。

「こうなったら『空虚』だけを砕く! 力を貸せ、バカ剣!」

 一直線に突撃し、『空虚』本体めがけて『求め』を叩き込んでいく。
 『空虚』の外観は細剣だが、いくら攻撃を叩き込まれても折れる気配は見せない。
 打ち込みを続けている内に、両者の戦いは刃を押し合っての競り合いに移行する。

「目を覚ませ!」

 悠人が今日子の腹を蹴り飛ばす。
 『空虚』は体勢を崩さずに、優雅に空中で一回転してから降り立つ。しかし、その動きは隙だらけでもある。
 悠人は迷わず駆け出していた。『求め』を上段に振りかぶる。
 加速と体重を乗せての一撃を放とうとした瞬間、今日子の声が届いた。

「やめて、悠!」
「なっ!?」

 悠人の動きが止まる。それを見、今日子は意地悪く笑った。目を見ただけで嘲笑されていると、悠人は確信する。
 悠人が失態に気づいた時には、攻撃も防御も間に合わない。
 電撃を帯びた突きが、悠人に襲いかかる。
 『求め』の加護による緩衝を突き破って、悠人の身を削っていく。

【何をやっている! あれは『空虚』が声音を真似ただけだ!】
「くそっ……バカにして!」
「どうする? この女ごと私を斬るかな?」
「っ!」

 『空虚』は無防備に両手を上げる。悠人は攻撃できない。間違いなく今日子の命まで奪ってしまうからだ。
 今日子の目には嘲りの色が浮かぶ。『空虚』は一方的に悠人を攻め立てる。
 防戦一方の悠人は徐々に追い込まれていく。そして、ついに『空虚』の放った電撃をまともに浴びてしまう。
 力を失ったように両膝を突き、顔も両腕もだらりと垂れ下がる。
 今日子は悠人の真横に立ち、首先に『空虚』の刃を当てた。悠人は俯いたまま動かない。

「もう限界か? では、そろそろ終わりにしよう」

 今日子は『空虚』を大きく振り上げる。
 刹那、悠人が上を向く。その視線は今日子を捉えている。視線は力強い。
 『空虚』もまた失態を犯していたのに気づく。高嶺悠人という男を過小評価しすぎていた。

「うああああっ!」

 『求め』が振るわれた。その軌跡は捉えることさえできないほどに速い。そして今日子は支えを失ったように倒れた。
 悠人は斬った。今日子ではなく『空虚』の精神そのものを。
 どうしてできたか理屈は悠人も分かっていない。ただ、それができるような気もしていたし、しなくてはいけないことでもあった。

「今日子!」

 悠人は今日子の体を抱き起こす。体を支えた手には赤い物がべったりと着いていた。
 確かに『空虚』の精神を斬るのには成功していたが、今日子が無傷というわけにはいかない。
 その上、『空虚』の力が薄れたことで、今日子への加護も霧散している。
 魂が解放されても肉体が持ちそうにない。
 ニムを呼ぼうとするよりも早く、二人の側にクォーリンが近づいていた。
 彼女は今日子の顔を覗き込んでいる。いくらか穏やかさを取り戻した今日子と対照的に、クォーリンの表情は険しい。

「早く回復を頼む……今日子を助けてくれ。もう戦うつもりはないから……」

 悠人は懇願するがクォーリンは動かない。彼女が今日子を見る目はどこか冷ややかであった。

「頼む、早くしてくれ! このままだと今日子が死んじまうんだ!」
「……私はこの方が嫌いです。憎いです」

 予想外の反応に悠人は言葉に詰まる。ようやくクォーリンの今日子を見る目が穏やかでないのに気づいた。

「私はこの方の弱さが許せません……それがどれだけコウイン様を苦しませてきたかも知らずに……」

 クォーリンの視線が悠人に移る。彼女の眼光に一瞬悠人は怯んでしまう。

「側にいるのが誰かも分からずに呼ぶのはあなた……どうしてこんな人が……」

 クォーリンはそこで言葉を切った。耐えかねるように口元が震えている。
 ややあって紡がれたのは、癒しの言葉だった。
 言葉に呼応して、今日子の体が癒しの光に包まれる。青ざめ苦痛を浮かべていた表情がいくらか和らぐ。

「行ってください。コウイン様が敗れた時点で、我々稲妻はあなたたちの邪魔をしないよう命令を受けています」
「……光陰からか?」
「はい。ですからあなたたちは目的を果たしてください。キョウコ様は私たちで見ておきます」
「だけど……」
「キョウコ様が死なれてはコウイン様が悲しみます……だから死なせません」

 悠人はクォーリンの目を見る。深緑の瞳はまっすぐに悠人を見返していた。

「分かった……今日子を頼む。絶対に死なせないでくれ」

 クォーリンが頷くのを見て、悠人は今日子を彼女に預ける。
 不安もあったが、それでもクォーリンを信用しようと悠人は決めた。
 残るはエーテル変換施設に立てこもっているはずのクェド・ギンただ一人だった。
 悠人たちは(はや)る心を抑えながら、首都へと向かう。
 ラキオスとマロリガンの戦争は遂に決着を迎えようとしていた。
 賭けるのは世界の運命そのもの。その意味も重さも悠人はまだ知らない。











21話、了





2007年2月7日 掲載。

次の話へ / SSページへ / TOPへ