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永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


23話 彼らと彼女らの立つ場所














 マロリガンのエーテル変換施設、その暴走が阻止されてから一週間が過ぎた。
 一週間の間に、ラキオス王家とマロリガン暫定政府は休戦協定を結んでいる。
 マロリガン旧政府の要人、並びに所属を問わず議員のほとんどはすでに死亡していた。
 後の調査で判明したことだが、クェド・ギン元大統領が暴走を引き起こす前にスピリットを使い暗殺していたからだ。
 現在の暫定政府を運営しているのは、数少ない旧議会の生き残りと地方都市の権力者たちだ。
 これも、さらに後になって判明することだが、議員の生存者はいずれも大統領命令で暴走があった日の議会には出席していなかった。
 彼らはクェド・ギンの(ふる)いにかけられ、生き残った人間たちだ。
 それが彼らにとって、幸運かは一概に言えない。
 しかし敗戦処理という難事を託されていたのは確かだった。当人たちの意思や本心は別として。
 休戦協定だが、実際にはマロリガン側の全面降伏に近い内容である。
 それが成立した背景はいくらかあるが、主に二つ。
 まずマロリガンは戦力の中核を欠いたこと。
 マロリガンで最強を誇っていた大統領直属の稲妻隊は、ラキオスとの戦争末期より、ラキオス側に加担する動きを見せていた。
 それはエーテル変換施設の暴走が止まって以来、疑いようのない事実となって今に至っている。
 エトランジェ三人を敵に回して勝てるだけの戦力を、もはやマロリガンは残していなかった。
 もう一点はマロリガン議会が国民からの信用を失ったことにある。
 暴走の際に議会は混乱を鎮めるための手段を何一つとして取らなかった、というものだ。
 もっとも、これは議会がすでに機能していなかった点を考えると、全ての責任を押しつけるのは適切と言えない。
 しかし一度生まれた不信は簡単に拭いがたいものではある。
 それに議会、即ち上層が機能していないことで、末端に当たる人間兵たちすらが職務を放棄したのも不利に働いた。
 休戦協定を結ばれた段階で、国民の議会への信頼は完全に失墜している。
 国民の反応は身勝手であるが、その是非をここで問うことはしない。
 結局、一週間が過ぎれば戦後処理は完全にスピリット隊の手から離れる部分まで、進んでいた。
 元々、マロリガンに駐留していたのは反乱に備えてだったが、現在はその危険はなしという判断が下されている。
 そしてスピリット隊はレスティーナ女王への報告も兼ねて、全員がラキオスに帰還することになった。
 その中には碧光陰と岬今日子、稲妻隊を構成するスピリットたちも含まれている。
 ラキオス王城。謁見の間で、レスティーナ女王は玉座に腰かけていた。
 玉座の大きさと女王の体は不釣合いではあるのだが、それほど違和感はなかった。
 似合っているのとは違うが、女王からはすでに貫禄が出始めているからかもしれない。
 俺たちは向かい合う形で集まっていた。
 ラキオスのスピリット隊からはユート、エスペリア、セリア、加えて自分。マロリガン側からはコウインとキョウコ、クォーリンが参列している。
 今は諸々の報告が終わったところで、これからコウインたちへの処遇が発表される。
 どのような結果になるかは分からない。だが、すでにユートはコウインらの処遇について上申するなど、いくつかの行動を起こしていた。
 レスティーナ女王の人となりは、未だに把握できてない部分がある。あるが、個人的に不安はない。
 よもや、また敵になるような事態にはならないだろう。

「コウイン殿、キョウコ殿。二人をユートを隊長とするスピリット隊に正式に配属します。また旧稲妻隊も同様に今後はラキオスのスピリット隊として働いてもらいます」
「……こう言っちゃなんだけど、寛大な処置で」

 コウインは相変わらず不遜としか取れない言い方だった。
 対するレスティーナ女王は、特に気を悪くした様子もなく頭を振る。

「そんなことはありません」

 今になって意識したが、レスティーナ女王はエトランジェである二人に敬意を払った呼び方をしていた。

「私にとって、この大地のために戦う者は全て同志です。過去の出来事こそを未来への礎として、同じ道を歩みましょう」

 レスティーナ女王は右手を伸ばしながら語った。
 その手は差し出される証。受け取ったのを証明するのは手ではなく、言葉。

「こっちとしては願ったり叶ったりだ。過去を水に流してくれ……とは言えないけど、今までの分は返させてもらうぜ」
「私もまだ何ができるか分からないけど、よろしくお願いします」

 コウインとキョウコはそれぞれ頷く。
 これで体面の上ではコウインら旧稲妻は味方として扱われることとなる。実際の距離はこれから詰められていくだろう。
 話はそこで終わるかと思ったが、コウインは堂々と挙手する。
 レスティーナ女王の視線を承諾と受け止めて、コウインは疑問を発した。

「早速で申し訳ないんだけど、こっちが寝泊りする場所はどうすれば?」

 コウインの疑問はもっともだった。
 ラキオスのスピリット詰め所は二つしかなく、二つの詰め所の空き部屋も少ない。
 端的に行って部屋が足りなかった。それも少しどころではなく。
 対するレスティーナは落ち着いた様子で答える、

「そのことですが、すでに新たに詰め所の建設を始めさせていますが、完成には時間がかかります。ですので平行して小屋を用意しているので、そちらで過ごしてください」

 コウインが頷くと、レスティーナは一同を睥睨するように見渡してから告げる。

「いよいよ帝国との直接対決になります。あなたたちの力、頼りにさせてもらいます。戦支度には二ヶ月を見込んでいますので、その二ヶ月を決して無為には過ごさないよう努めてください」

 時間は確実に進んでいく。二ヶ月などすぐに過ぎていくだろう。
 次への戦いはすでに始まっている。












 謁見を終えて、俺とセリアは第二詰め所に向かっていた。
 なお、ユートたちはコウインらを連れて、街や第一詰め所を案内すると先に行っている。
 しばらくは会話もなく歩いていたが、途中でセリアが話しかけてきた。

「……サーギオスの陣営にいたそうですね」
「ああ」

 ……ふと内通を疑われてるのだろうか、と思う。
 可能性として検討し勘繰るのは、まったく不自然でもなんでもない。

「別に(やま)しいことはなかったが……」
「そんなのは解っています。あなたがそういう人物でないぐらい、いい加減に解ります」

 不機嫌な口調で返された。別の意味で、余計なことを言ってしまったように思えてならない。
 セリアは短い間沈黙してから、問うてくる。

「……ランセル様にとって、サーギオスのスピリットはどう見えましたか?」

 サーギオスのスピリットといっても、アリカしか思い浮かばない。あとはソーマズ・フェアリーだけで。
 だから、自然と思い浮かべるのは真っ先にアリカになってしまう。
 セリアの質問を考える。
 そこには何か、深い意味があるように思えたからだ。
 考えていくうちに、琴線に触れるものがあった。
 ああ、そうか。ふとした引っ掛かりを今になって思い出し、それが解きほぐれていくのを感じる。

「……変わらなかった。同じなんだ。きっとセリアが思ってる通りにな」
「私が思っている?」

 怪訝な眼差しは鋭い。
 かといって、それで気圧されることもなく。

「前に第二詰め所を襲撃されて、俺が寝込んだことがあるだろう。その時、お前はスピリットが人を殺した事実に衝撃を受けていた。その時に俺が何を言ったか覚えているか?」
「……」
「ラキオスとサーギオスのスピリットは違う、だ。でも、そんなことはなかった」

 あの時、直後にセリアが無言で呟いた言葉はそういうことだったんじゃないのか。
 私たちは何も変わらないはずなのに、と。
 それは奇妙なほどに確信めいている。きっと、セリアが直後に否定したとしても、俺にはそれこそが真実だと思えた。
 果たしてセリアは黙している。

「全員が全員、そうだとは言わない。でも同じやつもいて、俺を助けたスピリットはそういうやつだった。守りたいものがあるのも、同じだからな」

 アリカは仲間を守ろうとしていた。それは、きっと俺たちと何も変わらないのだろう。
 ……マロリガンの稲妻たちもそうだった。胸が軋むように痛む。
 本質は誰もが一緒なのかもしれない。
 違うのは立ち位置と目的だけ。たったそれだけ。しかし、決定的に尽きる違い。

(目的が一致しなければ、戦うしかないのか?)

 その言葉を飲み込んだ。
 今更何かを殺すには躊躇いはないし、それが自分にとっての真実でもあった。

「……そのスピリットに少し会ってみたいかもしれませんね」

 セリアはそれだけを言い、先を歩き出した。
 会って、か。会えるのだろうか。見殺しにした、という事実は考えないようにしている。
 あの時はそうするのが正しいと思ったし、止められないとも思った。
 それは今も変わらない。だけど、俺はまた手を伸ばせなかった。
 俺はやはり、弱いんだ。

「どうかしました?」

 前を行くセリアが振り返り、こちらを見ていた。
 誤魔化して、俺も歩き出す。もう考えていても仕方ない。
 託された書簡はウルカに渡せたんだ。その気持ちだけは果たせたのだから、それでよしとするしかない。
 そうして歩いているうちに、気分もいくらか紛れてきた。
 これから第二詰め所に着くにしても、考えてみれば、多くのスピリットたちと顔を合わせるのが久々となる。
 エーテル変換施設の暴走を止めてから、マロリガン首都に滞在しっぱなしだったからだ。
 その間に現地にいたファーレーンやニムントールとは何度か顔を合わせているが、他はそうもいかなかった。
 それに顔を合わせても、戦後処理の多忙さにかまけて、ろくに何かを話したわけでもない。
 ウルカともそうだ。アリカとのことは少ししか話せないままでいた。
 いつか話さないといけない。そう思っているうちに、見慣れたようで懐かしさを感じる屋根が見えてきた。第二詰め所だ。
 俺はまたここに戻ってきた。
 入り口まで来て、どうしたものかと思う。
 マロリガンにいた頃は余裕がなかったが、今はある。
 それだけにどんな顔をして、どんな態度で入ればいいのだろう、と思ってしまう。
 自分らしくない、と一笑に付すのは簡単だったが。
 セリアが扉を開ける。

「ただいま」

 応じる複数の声が詰め所の奥から聞こえてきた。おそらく居間に集まっているのだろう。
 セリアについて歩く。躊躇う暇もなくセリアは居間に入っていった。
 ……行くしかない。セリアに続くように入る。
 一同の視線が集まるのを感じた。ひどく場違いな場所に放り込まれたような気分になる。

「おかえり!」

 そんな気持ちを吹き飛ばすような、快活な大声。
 続く声はいくらか控えめに。それでも安堵を顔に滲ませて。

「おかえりなさい」

 報われた、とはこういう時を指すのか。
 真に救われているのは、もしかしたら俺のほうこそなのかもしれない。

「……ただいま」

 考えた末に捻り出した言葉は、陳腐だった。それでも。
 これ以上の言葉は思い浮かばなかった。
 この場所こそが、今の自分に必要な場所なのだろう。












 悠人とエスペリアは光陰らを連れて、ラキオスの城下街に出ていた。
 彼らの姿は目立つ。エトランジェとスピリットの組み合わせは、好む好まざるを別に人目を集めてしまう。
 それでも向けられる視線は刺々しさを潜め、今ではいくらかの敬意さえ含まれているようだった。
 光陰とクォーリンはそんな人々を見、今日子はラキオスの街並みを見ていく。

「こっちはマロリガンと比べると、ヨーロッパみたいで洒落てる雰囲気だね」
「俺もこっちに来てすぐにそれは感じたな。いかにもファンタジーな街並みだと思うよ」

 悠人は今日子に同意する。光陰も口には出さないが、何度も頷く。

「ヨーロッパとは……なんでしょう?」

 その中でクォーリンが疑問を口に挟む。
 答えるのは光陰。

「こっちは分からないが、ハイペリアは球体の世界なんだ。んで、俺たちが住んでいた国から海を越えた場所にあるのがヨーロッパって地方なんだ」
「球体? 球なのに……立っていられるんですか?」
「それはだな……」

 クォーリンの疑問に光陰は一つ一つ答えていく。
 光陰という男は人に何か教えたり説くのを好んでいるのか、その表情は嬉々としている。

「マロリガンはその中でも地中海って地方に似てたな。あっちもやっぱり普段から暑いし砂漠も近くに……」

 それを熱心に聴いているクォーリンの姿を、今日子とエスペリアは見つめていた。

「どうかしたのか?」
「あー、ううん。別に」

 悠人の言葉を流して、今日子は口を開く。

「そういえば私と光陰は、第一詰め所ってほうで寝泊りすればいいの?」
「ああ。まだ部屋も空いてるし、近くにいてくれたほうが連絡も取りやすいし」

 しかもエスペリアの食事は絶品だぞ、と悠人は付け加える。
 言われたエスペリアは照れたように笑う。

「料理かぁ……そういえば全然してなかったな」
「……今日子って料理できたっけ?」
「当たり前でしょ! これでも花も恥らう乙女よ、乙女!」

 力説する今日子に悠人はたじろぐ。
 エスペリアはそんな二人を笑って見ているだけで、止めようとはしない。

「なんだったら今度作ってあげるから、ちゃんと見ておきなさいよ」
「……楽しみにしとくよ」
「なんか気のない返事ね」
「そうでもないぞ、なあ光陰?」

 悠人は助け舟を求めるように光陰にいきなり話を向ける。
 光陰はそれにちゃんと応じる。

「もちろんだ。腹を空かせて待つぜ、俺たちは?」
「む……ならいいんだけど」
「そういえば第一詰め所って言ったら、赤い髪の女の子がいたよな?」

 光陰は活き活きと訊いてくる。
 しかし、その表情は。

「コウイン様……目がいやらしいです」
「バカな!? この鉄面皮が下心丸見えなどと!」
「おやおや碧君? そんな顔して説得力がどこにあるって言うのよ」

 今日子は引きつった笑みを浮かべ、肩をわななかせる。今日子の髪が逆立ち放電が始まった。
 その手にはいつの間にか白いハリセンが握られている。
 どこから出たという疑問を余所に、悠人は仲介に入ろうとした。

「ケンカはめっですよ〜」
「な……?」

 今日子の気配から怒気が消える。
 調子が崩れたように声のほうを見ると、緑スピリットがいた。

「ハリオン? どうしてここに?」
「今日はお休みだからですよ〜。いいでしょう〜、ユート様」
「それは俺たちも同じなんだけど……」

 悠人はすでにハリオンのペースに呑まれていた。いや、悠人だけでなく、その場にいた者全てが。

「何やってるの、ハリオン! 邪魔しちゃダメでしょうが!」

 人の波の奥からヒミカが駆けてくる。その手には茶の買い物袋を抱いていた。
 遅れてヘリオンもやってくる。やはり彼女も買い物袋を持っていた。
 二人の顔を見て、今日子の表情が一瞬曇るのを光陰は見逃さなかった。そしてクォーリンも。

「ユート様たちは御友人方と休日を楽しんでいらっしゃるのよ?」
「でもエスペリアもいますよ〜?」
「それは……そうだけど」
「それにやっぱりケンカはいけませんよ〜」
「だからケンカじゃないって!」

 そんなやり取りに悠人はどこか乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
 それでも、この辺りで収めないとまずいと判断したのだろう。

「まあ、ヒミカもそんなに気にしないでいいよ。それより、せっかくだから紹介させてもらおうかな」

 悠人は三人に左手を向けて、コウインらを見る。

「紹介するよ。赤スピリットのヒミカに、緑スピリットのハリオン。それから黒スピリットのヘリオンだ」
「『赤光』のヒミカです」

 ヒミカははきはきと、しかし短く答える。

「『大樹』のハリオンです〜。怪我をされたら私のところにいらしてくださいね〜。あ、でも〜、遊びたくなった時でもいいですから〜」
「いや、それはまずいでしょ」

 ハリオンのとぼけたような言葉に、ヒミカは頭を押さえていた。

「あらあら〜、頭痛ですか〜?」
「あー、うん。そうかも」

 なんとも投げ遣りにヒミカは答えるばかりだった。

「まぁ……こんな感じだけど、優しいし性格もいいから……」
「……ちょっと変わってるけど」
「……個性的ですね」

 今日子とクォーリンは複雑そうな顔でハリオンを見ていた。

「それから……」
「『失望』のヘリオンです。よろしくお願いします」
「可愛いね君! こっちこそよろしく!」

 悠人を押し退けるように光陰がずいと前に出る。
 その気配に押されて、ヘリオンは慌てて一歩下がった。あるいは逃げる。

「あの……」
「俺はエトランジェの光陰。これから一緒に戦う仲間として!」

 言い寄るその姿に、ヘリオンは本能で危険を感じ取ったらしい。
 光陰の表情は笑顔なのだが、目元や口元が緩みきって、鼻の下も伸びているように見える。

「煩悩を退散させるの、手伝ってあげようか?」

 今日子は乾いた笑みを浮かべて、指を鳴らしていく。

「よ、よせ今日子! それ以上鳴らすと指が太巻きみたいになるぞ!?」
「その前に光陰の顔がお好み焼きみたいになるかもね」

 しかし、そんな空気をまたしてもハリオンが打ち破る。

「だから駄目ですよ〜、ケンカは」
「む……」

 調子を狂わされた今日子は拳を引く。
 ハリオンはそれを確認して、満足げに目を細める。

「では、仲直りの印に握手〜」
「……いいわよ、別に。いつものことだから」
「えー。じゃあ、親睦の印に握手〜」

 ハリオンは今日子に向かって、手を伸ばした。
 驚いた今日子が弾みで少しだけ手を伸ばしてしまうと、ハリオンはその手をしっかりと握って上下に振る。
 今日子が呆気に取られていると、ハリオンは手を離す。

「ヒミカも〜」
「え? 私は……」

 ハリオンに背中を押し出されて、ヒミカが今日子の前に出る。
 二人とも、手を伸ばせない。
 むしろ、どこか気まずそうに目を合わせようとしなかった。

「ヒミカは嫌なんですか〜?」
「……そうじゃないんだけど」
「別に握手ぐらい平気だろ? 今日子だってそう思うよな」
「……うん、別に私はいいと思うんだけど……」

 悠人の言葉にも、今日子は濁したような言葉で返す。
 それでも今日子が先に行動を起こした。

「……あの、ヒミカ。色々あったけど、できればよろしくね」
「あ……はい。もったいないお言葉です……」

 おずおずと差し出された手は、どちらともなく結ばれる。
 二人の表情は、まだぎこちない。

「そういえばヒミカたちは買い物の途中ですか?」

 エスペリアが不思議そうに問う。彼女の記憶では、ハリオンの当番日ではなかったからだ。
 問われたハリオンは笑顔を深める。よくぞ訊いてくれました〜、そんな声が聞こえてきそうだった。

「これからお菓子屋さんに勉強に行くんですよ〜」
「お菓子屋さん? ヒミカとヘリオンもですか?」
「そうなんですよ〜」
「私はただの付き添いです。戦い以外に役に立つことなどありません!」

 ヒミカは全力で否定する。しかし、その言葉こそをハリオンは否定した。

「そんなことないですよ〜。お菓子屋さんのご主人もヒミカは筋がいいって、絶賛してるんですから〜」
「そういうことは言わないでいいの!」

 頬を赤らめヒミカは怒る。
 悠人はいくらか感心したように、そんなヒミカを見ていた。
 その視線に気づいて、やはりヒミカは言い訳をする。

「これも鍛錬の一環なんです! 私は赤スピリットですから……火加減を見るための」
「でもヒミカさんの焼いたケーキって、ふわふわ感が絶妙なんですよね」
「ヘリオンまで余計なこと言わない!」

 またヒミカは怒る。もっとも、それは本気の怒りではなく、恥ずかしさからきているのは疑いようもなかった。

「とにかく、鍛錬だと言ったら鍛錬なんです。遅れるといけないので、これで!」

 ヒミカはそそくさと去っていく。その様子は普段の彼女らしくなく、どこか少女のような幼さがあった。

「あらあら〜、照れちゃって可愛いですね〜」
「ハリオンッ!」

 遠くからヒミカの怒声が届いた。ハリオンは笑みを深めるばかりだ。

「では〜、待たせるとまた怒られるので、私たちも行きますね〜」
「それでは失礼します」

 二人は一礼してから、ヒミカを追っていく。
 その後ろ姿を今日子は物も言わずに見つめている。

「どうした? そんな浮かない顔して」
「うん……ちょっとね」

 今日子の口調は重たく、まだ人ごみに紛れたヒミカたちの行き先を見ていた。

「困ったな……嫌なことはぜんぜん忘れてないんだ。あたし、あの三人とも戦ってる……」

 今日子は自分の掌に視線を落とす。
 その手に残る感触を思い出したのか、今日子の表情はあからさまな嫌悪に変わる。
 そんな今日子に言葉をかけたのは、意外にもクォーリンだった。

「キョウコ様、それを言うと私はこちらのエスペリアとも直接戦っています」
「……そうなの?」

 二人は頷く。

「私は、きっとエスペリアもお互いに本気で斃そうと思って戦っていました。ですが、今は違います。経緯はどうであれ、今の私たちは同じ場所に立っています。まずはその意味を考えてみてはいかがでしょうか?」

 クォーリンの言葉に今日子は耳を傾けていた。
 一通り聴き終えてしばらくしてから、今日子は頭を二度三度と振る。
 表情はいくらかさばさばとしていた。

「そうだね……ありがとう、クォーリン」
「いえ……」

 今度はクォーリンが目を逸らしていた。しかし、暗い影は見られない。
 彼らと彼女らの向く方向は違うのかもしれないし、今は同じでもいずれは変わっていくだろう。
 それでも、その瞬間に立っている場所はきっと同じだった。









23話、了





2007年2月25日 掲載。

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