永遠のアセリア 1
Recordation of Suppressor
25話 戦端の裏で
1
聖ヨト暦331年、スリハの月、緑ひとつの日。
ラキオス王国はついにサーギオス帝国に対し、正式に宣戦布告を行った。
とは言うものの、今更な感もある。
宣戦布告以前にサーギオスのスピリットと交戦したことは何度もあるし、先代の国王夫妻を殺害したのもサーギオスのスピリットだ。
だから、この宣戦布告はけじめ、あるいは国民に向けた国威高揚に近い。あるいは正当性の主張か。
いずれにせよ、全ての流れが加速し始めた。多くの思惑を乗せて、全ては終局に向かいだす。
その先にあるものは見えない。故に、そこを目指す。
宣戦布告と同時に、事前に旧ダーツィ領ケムセラウトに集結していたラキオス軍は南下を始めた。
その中にユートとアセリアの姿はない。彼らは別行動を取っている最中だからだ。
そのため、ラキオス軍の指揮は現在コウインが執っている。
元は敵将であったことを考えると、この措置は異例であり大抜擢だろう。
おそらくは反対意見もあったのだろうが、それが自分らの耳に届くことはなかった。
「今日で何日目だ?」
道中、コウインにそんなことを尋ねられた。
俺を含んだ部隊は後続に当たり、全部隊の三分の一は前衛としていくらか先を先行している。
何度かサーギオスのスピリットと交戦しているが、今のところ戦場に大きな動きはない。
サーギオスの抵抗もまだそれほど激しくなかった。
スピリットの数も質もそれほどではない。甘く見られている、というよりは様子見に近いのかもしれなかった。
戦力の小出しは、それとも裏に何かあるのか。
「今日で五日目。そろそろ頃合かもしれない」
「じゃあ、今日も一日目立つとしますかね」
コウインは無精ひげの目立つ顎をさすりながら言う。
頃合というのはユートたちのことで、先ほどの日付もユートたちの出立日からの逆算だ。
ユートとアセリアは事前にサーギオス領に進入して、とある研究施設からマナ結晶体と研究結果を奪取しに行ってる。
どうしても女史の研究に必要らしいのと、アセリアの魂を神剣から取り戻せる可能性が見つかるかもしれないからだ。
危険も大きかったが、ユートは作戦の決行に踏み切った。
その間に俺たちは法皇の壁を目指している。それは自然と陽動も兼ねた戦いになっていた。
「なあ、アセリアってのはどんな子なんだ?」
「あ、それは私も気になる」
コウインの言葉に、側で話を聞いていたキョウコも同意する。
言われてみると、二人は魂を飲まれたアセリアしか知らないはずだ。
話が戦闘と関係のない方向に逸れる。
「……無口だな。質問をしても、ん、とか一言で返してくる。ナナルゥに似てて、似てないんだが……分かるか?」
「想像はできるな」
「うんうん」
「それから青い牙の異名を持っているな。現にウルカとは系統が違うけど、ラキオス出身のスピリットの中では随一の剣の使い手といってもいい」
アセリアの剣は剛剣と呼ぶべきものだ。あの力強さは出そうとして出せるものではない。
しかし、ここで言うべきことが見当たらなくなった。
他にはなんだ? 鉱石を掘るのが好きと教えたほうがいいのか?
あるいはユートに訊けと言うべきなのか。
「……他にどうだったか説明できない。付き合いが短いわけでもないのに、そんなに詳しくないんだ」
正直にそう告げる。
特に何も言われなかったが、代わりに言えることが一つ思い浮かんだ。
「ユートはアセリアを好いてる、ぐらいか」
「へ〜……って、嘘っ!?」
「嘘はついてないつもりだが。見てても分からないか?」
キョウコは腕を組んで考える。思い当たる節はあるのだろうか、難しい顔をしながら。
「あの悠人がねぇ……」
「いや、ありえなくはないだろ。あいつ、アセリアちゃんを気にして世話を焼いてただろ?」
「そう言われるとそうよねぇ……でも、ちょっと意外かも。佳織ちゃん一筋でそういうのに鈍感だったし」
「鈍いのは相変わらずだと思うけどな」
コウインは苦笑。
ユートは一部の感情の動きについて、ひどく鈍いことがある。悪感情には鋭い嗅覚を持つのに、その逆には逆でしかない。
「それにしてもアセリアちゃんか……悠人もどうやら年下の魅力が分かってきたようだな」
「あんたじゃないんだから……」
「でもオルファちゃんの例もあるだろ?」
「む……確かにオルファちゃんにはパパって呼ばれてるぐらいだし……」
「それは何か問題あるのか?」
口に出したら、キョウコに睨まれた。
心外だと思う反面、何がまずかったのか分からない。
すぐにコウインが口を挟んできた。
「ランセル、パパの意味を知ってるのか?」
「敬称じゃないのか?」
「その通り! パパは全人類共通の敬称で男の浪ま――」
「嘘を言わない!」
キョウコが迅速にコウインをハリセンで叩きつける。
薄いはずのそれは、キョウコが使用すると法則を無視したかのように硬く重い。
全力での打ち込みはもはや武器による打撃に等しかった。
額から煙を上げて倒れるコウインを一瞥しておく。
「加減も何もないな」
「ツッコミに手加減なんて、ありゃしないわよ」
何かを悟ったかのように言われた。反応に困るので、何も返さないことにする。
「それで結局どういう意味なんだ?」
「パパって言うのは父親よ、父親。自分の子どもって名乗らせてるようなものよ?」
「……確かにどうかと思うな」
そこのコウインも同じだな、とは言わない。言うまでもないからだ。
もっともコウインの場合はそれが全てではないし、ユートもそこまで意識していないんじゃないか。
いずれにしても、俺が気にかける事柄ではないのだろう。
「あれは……森か」
いつの間にか立ち直ったコウインが前方を見ている。
事前に分かる範囲での地図には目を通していた。
ケムセラウト南の森林地帯。東には山があり、西にはダスカトロン大砂漠が出張ってきている。
サーギオス領に潜入した経験はない。それほど他国の誰にとっても命の保証がない危険な地帯だったからだ。
「あの森はそこそこ長いぞ。迂回するのも無理だ」
「……敵が伏せるには絶好の場所だな。前衛との距離を詰めて合流する。挟み撃ちに気をつけろよ」
コウインは手早く指示を下すと、すぐに部隊を動かす。
軽口を叩くだけではない。この男はそういう男だ。
そしてコウインの予想通りに、この地を皮切りにサーギオスのスピリットたちと本格的に激突することになる。
高嶺悠人とアセリアがラキオス領に帰還したのは、ラキオスとサーギオスのスピリット隊が本格的に激突した翌日で、それから更に三日をかけてラキオス王都まで帰還した。
Eジャンプは使用していない。マナ結晶体をジャンプさせることで何が起こるのか把握できていないためだ。
もしも予想外の事故が起きてしまっては、全てが水の泡になってしまう。それどころか大惨事になる可能性さえある。
悠人たちはほとんど休むことがなかった。サーギオス戦への不安がそこにある。
戦闘が始まっているのは悠人も感じていた。しかし趨勢が分からず、仲間の安否も分からない。
焦慮は募っていたが、まずは帰還を最優先とする。何よりアセリアが元に戻ったのを悠人はすぐにでも誰かに話したかった。
ラキオス王城に帰還した悠人らは、すぐにヨーティアの元に向かう。事前の連絡は取れなかったので、ほとんど突然の来訪に近い。
ヨーティアとイオは幸いにも研究室にいた。
ヨーティアは机に向かって何かを書き込んでいるところで、イオは書類や備品の分別と整理をしている最中だった。
二人ともアセリアが元に戻っているのに、すぐに気づく。
「マナ結晶体は使ってない……なのに、どうしてアセリアが元に戻ってるんだ?」
ヨーティアは労いの言葉よりも先に疑問を口にした。
イオはその間に椅子を二人に勧めている
悠人は研究所から脱出する際にアセリアが暴走し、それを助けるために『求め』の力を借りたことを伝えた。
結果、『求め』は『存在』と混ざり合ったアセリアの意識を引き上げてくるのに成功していた。
「なるほどね。だったら、その前後の事を詳しく教えてくれないか?」
「……後のことも?」
「もちろん。状況を詳しく調べておけば、理由もはっきりと見えてくるからね」
ヨーティアからすれば、なんでもない質問だった。答えに窮するようなことはないはずなのだから。
しかし悠人は渋面を作るばかりで、なかなか口を開こうとはしなかった。
「どうした?」
「いや……後のことはちょっとな……」
「言いたくないのかい?」
「ああ、できればね」
苦い表情で悠人は目を泳がせる。
ヨーティアはそれを見つめてから、視線をアセリアに向けた。
「アセリア、魂が戻ってすぐに何があったか覚えてるかい?」
アセリアは首肯する。
悠人が止めるよりも早く、アセリアは何があったのか答えた。
「ユートと一つになった」
瞬間、場が硬直した。
ヨーティアは事態を即座には飲み込めず、悠人はしどろもどろに視線をさ迷わせる。
そしてイオは片付けていた紙束を床に落とした。音を立てて紙束は周囲に広がる。その音は普段よりも大きい。
「……失礼しました」
イオはそそくさと片付け始める。彼女も少なからず動揺していた。
状況を飲み込んだヨーティアはユートを見る。彼女の口元は自然と緩んでいた。それは見守るというよりからかいに近いのだが。
「分かったよ、ユート。話さないでいい」
「助かるよ」
「そうか、じゃあこれ」
ヨーティアは机の上にあった紙と筆を悠人に手渡す。
きょとんと悠人はそれらを見る。
「今すぐその時の状況を書け」
「なんでそうなるんだよ!」
「ユート、この世界に魂を神剣に取り込まれてしまったスピリットが何人いると思っているんだい?」
「……」
「分かっただろう? 上手く行けば、スピリットたちに自我を取り戻せるんだ。悪いけど、私はユート個人の意思は無視したいね」
「……立派な説明の割に顔がにやけてるように見えるのは、俺の気のせいか?」
「この天才のどこが不謹慎だと?」
そう言いながらも、ヨーティアの顔は意地悪くにやけている。
どこからどう見ても怪しい。悠人はいかにも胡散臭そうにヨーティアを見ていた。
「さあさあ!」
「……遊んでるだろ」
「心外だな、まったく。それならアセリア」
「ん……あの時は勢いと」
「アセリアは話すなっ! ヨーティアは聞くなっ!」
「ユート。私は思うんだが、恥ずかしがるぐらいならやるな」
「それとこれは別だ! なんで俺がこんな羞恥プレイを受けないと……」
さすがに悠人も参ったのか、肩を深く落とす。それを一瞥したアセリアが声をかける。
「……元気を出せ、ユート」
「ああ……ありがとうな……なんか違うけどさ」
「……まあ、そこまで嫌がるなら聞かないさ。せっかく面白い話が聞けそうだったのに」
悠人の視線をヨーティアは相手にしない。
「マナ結晶体と取ってきてもらった資料はもらうよ。それから『求め』が何をしたのかもちゃんと報告してくれ。スピリットの治療法に生かせるのは事実だ」
今度は悠人も頷く。
スピリットの治療。つまりは永遠神剣に取り込まれた魂を取り返すための手段。本当ならアセリアもそれを受けるはずだった。
ラキオスが直面している問題の一つに、黒く染まったスピリットをどうするかがある。
マロリガンを制圧後、多数のスピリットをラキオスは確保したと言えた。想定よりも早期に首都を占領できたことで、多くのスピリットも戦いの場を得ずにいたからだ。
しかしスピリットの多くは魂を取り込まれている状態だった。
現状でも命令は受けつけるので各地の防衛には就いているが、レスティーナの目指す人間とスピリットの共存に当たって、それは望ましい形などではない。
そこでヨーティアはスピリットの治療法の確立を求められたのだった。
「首尾はどうなりそうなんだ?」
「さてね。やってみなきゃ分からないけど、いくつかの腹案はある。それが上手く行きそうになければ、新しく考えるまでだね」
なんでもなさそうに、ヨーティアは答える。
本当はそれが口で言うほど簡単じゃないのは悠人も判る。そして、ヨーティアがそう答える以上、愚問だったのだと気づく。
「……俺たちはもう行くよ」
「もうって、待ちな。今日は一日休め」
「みんなはずっと戦ってるんだ。俺たちだけのんびりしてられない」
「休むのだって戦いには必要だ。それにユートが抜けただけで崩れるほど、今のラキオスは弱くないさ。コウインたちがいるのもそうだし、前の戦いではユートたちがいない間でも戦えたんだ」
イオもヨーティアを支持する。
「御自身ではお気づきではないかもしれませんが、二人とも体に負担がかかりすぎています。今の状態では、いざという時に十分に力を発揮できないでしょう」
悠人は口ごもる。イオの言い分は理に適っていた。
「確かにユート様の力は飛び抜けていますし、アセリアもラキオスには欠かせない戦力でしょう。ですが自分たちだけが、とは思わないでください」
イオは口調こそ柔らかいが、退く気配は見せなかった。
観念したように悠人は頷く。
「分かったよ。今日は一日休んでる。その代わり、明日はすぐに出発する。それでいいだろう?」
「ああ。こっちもエーテルジャンプの準備をしておくから早まらないように」
「大丈夫だって」
悠人は席を立つ。アセリアもそれに続く。
ドアを開けてアセリアを先に悠人は送り出す。そこにヨーティアが声をかけた。
「ユート」
「なんだ?」
「夜は長いぞ。謳歌して来い」
「余計なお世話だっ!」
叩きつけるように悠人はドアを閉めた。
後に残されたのは笑いをこらえようとするヨーティアと、それを見ていくらか眉を潜めるイオだけだ。
その日の夜を悠人とアセリアがどう過ごしたかは別として、翌日にはEジャンプでケムセラウトに転送されていた。
そのまま警戒しつつも急いで南下し、ラキオス軍と合流したのは更に二日後。
サーギオスのスピリット隊を打ち破ってきたラキオス軍が、法皇の壁の攻略準備をしている真っ最中だった。
かくて戦いが始まる。それはサーギオス帝国との死闘の始まりに過ぎない。
25話、了
2007年3月13日 掲載。