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永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


29話 その魂に祝福を














 法皇の壁を発ったラキオス軍は、サーギオス帝国の都市リレルラエルを巡って剣を交えている。
 リレルラエルは帝国領の最北に位置する都市で、それなりに大規模な都市であった。
 元は侵略された小国の王都だったことに由縁し、それは都市の規模だけでなく帝国への依存度にも関与している。
 住人の気質で言えば反帝国寄り、自然とラキオスに賛同的となっていた。
 そのリレルラエルを巡り、ラキオス軍は戦いを仕掛けている。
 今回は戦力を集中しての一点突破という作戦が取られた。
 リレルラエルは都市であって、防衛施設も急造以外はほぼ存在しないためだ。
 夜明けと共に始まった戦闘は序盤から一進一退の戦いが続いた。
 ユートもコウインも闇雲な突撃は自重し、粘り強く敵を排除するのを徹底させている。
 その甲斐もあってか、日が暮れ始めてきた頃には、余力を残しつつも各所で戦線を破り始めた。
 ソーマズ・フェアリーが横合いから強襲を仕掛けてきたのは、そんな折だ。

「コウイン、こっちは任せた!」

 コウインが応じる声を背中に、ユートが自らフェアリーのほうへと向かっていく。
 動いているのはユートだけではない。アセリアとウルカがユートを追い越す形で前へ出る。そして俺も。
 他のスピリットたちもそれぞれ動くのを気配として感じた。
 時刻は薄暮。見通しは悪いが、それでもアリカたちの姿を探し求める。
 すぐに見つけた。アリカと、他の部下たちも固まっている。そして彼女たちと目が合った。
 偶然か、それとも因果か。だが好都合だ。
 即座に申し合わせたように互いの神剣を構える。

「ソーマ!」

 ユートの怒声に意識がアリカたちから離れる。
 視線がソーマの姿を探し求めた。見つける。相変わらず両脇はスピリットが固めていた。
 ソーマは悠然とした態度を見せながら、横柄にこちらを見ている。

「皆様、お揃いのようで……この戦いが我々とあなた方の決戦になるでしょうから、最後の挨拶をと思いましてね」
「……お前の末期の言葉なんか聞く気はないけどな」
「それはそうです。ここで消えるのは勇者殿ですからねえ」

 嘲笑と怒りが絡み合う。
 ソーマの視線がこちらを順に眺めていく。
 エスペリアのほうを向いた時、意味ありげに笑ったがそれが意味するところは分からない。
 そして視線は最後にウルカへと移った。

「ああ、まだ生きていたのですか。部下たちとの対面はもう済ませましたか?」

 ウルカが息を呑むのが分かった。それに合わせて俺の胸が高鳴る。高揚ではなく、もっと冷たい何かによって。

「その様子ではどうやら済ませたようですね。どういった気分ですかな? 可愛がっていた部下に剣を向ける気持ちは?」

 元凶は、あいつだったのか。殺し合わせて喜んでいる、あいつが。
 ウルカが抜剣の構えに入った。居合いと呼ばれる、彼女の最も得意な型に。
 だが。左手を伸ばしウルカを制していた。他ならない俺が。
 その行動がどうやらソーマの関心を買ったらしい。

「あなたは……ええ、覚えてますよ。そこの人形に助けられた人間様でしたな。またお目にかかるとは思っていませんでしたが、今はどんな気分ですかな?」
「最悪だ」
「それはいい。ちなみに彼女には一番時間がかかりましたが、その分楽しめたというものです。まったくスピリットという道具はいつになっても飽きない」

 それはよかった、という言葉を押し込む。『鎮定』を強く握り締め、意識を少しでも落ち着かせようとする。
 乗せられてはまずい。いつからか、衝動に抑えが効かなくなってしまったのは。
 意志と衝動は違う。自制し、律しなくてはならない。律してこその力もある。

「ともあれ、これで最後となるでしょう。スピリットの皆さんが運よく生き残った暁には、私の駒になってもらうので安心してください」

 それだけを言い残し、ソーマが背を向けて下がっていく。
 敢えて無防備なのは誘っているのか、自信なのか。罠を警戒して誰一人として、動きはしなかった。
 ソーマが離れたところでフェアリーの布陣が変わる。
 二人ずつに分かれ、それが左右に大きく広がった。対する、こちらは身を寄せるように互いの距離を縮めた。
 人数はほぼ同数。意図してなのか、俺とウルカの正面ではアリカたち四人が守っている。

「ウルカ」

 だから前もって言おうと思っていたことをすぐに伝えた。

「こっちの相手は任せてくれないか?」
「……ランセル殿?」
「俺もあいつらと無縁じゃない。だから……」
「あのスピリットが……アリカさんだから?」

 割り込んできたのはシアーだった。
 その青い瞳が何を思い、俺を捉えているのかは分からない。

「そうだな、そうかもしれない」
「そうなんだ……」

 シアーはぽつりと呟いた。
 肯定しても(てら)いを感じたりはしない。特別視しているのを認めてしまったからか。

「……アリカ? アリカってどこかで……」

 ユートの疑問は、その場にいる多くの者の共通の疑問だった。
 答えたのはエスペリア。彼女はその名と顔を記憶していた。

「確か……イースペリア城でランセル様と行動していたスピリットです」
「……待てよ、それって」
「イースペリアのアリカと、サーギオスのアリカは別人だ。名前は偶然にも一緒だが」

 ウルカだけが怪訝な顔をしていた。
 俺がラキオスに身を寄せた時の話を知らないからか。
 詳しくを説明している時間はないが。

「イースペリアにいた時もアリカという名のスピリットがいた。だけど、マナ消失が発生した時、アリカは自分の命と引き換えにして俺を助けた」

 端的すぎる、とも思う。それでも何があったかぐらいは伝わったと思いたい。
 元々、この話は誰かに聞かせるような話でもないんだ。

「俺はアリカたちを助けられないかもしれない……それでも、どうにかしてやりたい」
「御自身の命を捨ててでも――ですか?」
「……命を賭ける場ではあるが、死ぬ気はない。仮に俺が死んでアリカたちを助けられても……もしかしたら、あいつらが俺を背負うかもしれないだろ」

 自惚れがすぎるか。どうだろう。
 しかし、現に俺はアズマリアという人を背負って生きているのだろう。根底を冷静に見つめると、そう思えてならない。
 俺がそうやって誰かの分まで生きてる気になるのは、俺の勝手だ。
 だけど、自分が同じ立場になってしまっていいとは、どうしても思えない。

「でも、そんなの迷惑だ。いい迷惑だよ。誰かに俺を背負ってなんか欲しくない」

 俺自身の我がままも叶えるためにも。

「だから俺は生きる。アリカたちも助ける。助けられないなら終わらせる。俺には……それしかできない」

 できること、しなくてはいけないこと。切望と義務がここにある。
 それを決定づけるのは俺ではなく、ウルカだ。
 ウルカは俺とアリカたちを交互に見やった。そして告げる。

「ならば、全てお任せします」
「……ありがとう。全霊を尽くす」

 そこにユートの指示が飛んだ。

「ヒミカ、ハリオン、ネリー、シアー! ランセルの護衛について、他のやつらに邪魔させるな!」
「……ユート」
「助けたいんだろ? だったらお前の好きなようにやってみろよ」

 甘いやつ……とは思わなかった。胸にあるこの気持ちは感謝だ。

「了解した。ヒミカたちも頼む」
「任せてください」

 ヒミカの声のなんと頼もしいことか。

「あの方たちの治療も任せてくださいね〜」

 ハリオンの気遣いが、心地よく。

「く〜るに決めて、く〜るに終わらせるよ!」

 ネリーの前向きさに力づけられ。

「……頑張ろう」

 シアーの言葉に後押しされて。

「決着をつけよう」

 それぞれのために。












 目を覚ましていたのはいつからか。所々だ、と思い返す。
 主が私本来の力を強く引き出そうとし、実際に引き出すことに成功した時。私は深遠の縁からわずかに浮かび上がる。
 目を覚ましているとはいっても、半分は眠っているに等しい。だから意識はたゆとうばかり。
 それでも、主の声は聞こえる。強く、激しい感情を。
 元来、それを否定していたのが私だった。故に、制限していた。否、自動的に制限するのが私というべきか。
 色濃く現れた要素に与えたのは『鎮定』の名。全てを均一化し、常に一定であらんとする、私の奥底にある根底とも呼ぶべき要素。
 体が複数の永遠神剣と激突していた。その内の一つ、特に主がこだわる相手の名は『恩恵』。
 位階は六位。現在の私と同じであった。
 主はこの相手を深く知ろうとし、その上で妖精との繋がりを断とうとしている。
 故に私自身も『恩恵』を感じ取ろうとした。
 『恩恵』と妖精の間に立ち入る。それは相手の心に土足で踏み入るのと同義。
 それ故に、滅多に行わない。何より意識が覚醒してすぐに触れた永遠神剣の心は、あまりに本能に寄りすぎていた。
 以降は聞くに値しないと、相手の声を聞こうとは考えもしなかった。
 そして、己の過ちに気づく。
 『恩恵』は悲痛を訴えていた。
 私はすぐに、主と交戦している他の神剣の声にも耳を傾ける。悲痛を訴えていたのは『恩恵』だけではなかった。
 その剣たちは、妖精の心を呑んだことを悔やみ、本能に抗えない脆さに苛まれている。
 永遠神剣と妖精は、二つで一つである。どちらが欠けても成立しない。
 そして、心を呑むのは時として、妖精の精神が壊れる――それを防ぐための防衛反応。
 しかし一度呑んだ心を解放するのは難しい。そして、永遠神剣を襲うのは、本能の侵略。
 妖精が自らの意思で剣の支配に抗うのが困難なように、永遠神剣もまた甘言にも似た本能の囁きに抗いきれない。
 全て――ではない。中には神剣が望んで妖精を呑みこみ、全てを欲しようとする場合もある。
 むしろ本能に負けた永遠神剣の末路など、そんなものであった。
 しかし、主が戦っている妖精が持つ神剣は、その類ではない。
 笑い種だ。真に愚かなのは、やはり私だった。
 一つの事例で全てを決めつけ、都合のよい解釈で相手を見下し、声を聞こうとはしない。
 痛みから目を背けていたのは、私も同じだったのだ。
 ならば、どうするか?
 いくつかの考えが浮かび、消えて、その上で残る選択がある。
 主を所収者として認めた判断は、やはり間違えていなかったのだ。
 だから信じる。主は私が選んだ所有者だ。だから――。












 『鎮定』でアリカと赤スピリットの攻撃を同時に受ける。
 横に倒した刃の腹に槍が打ち込まれ、剣の半ばで振り下ろされた剣を防ぐ。腕にかかる重たい抵抗をこらえ、どうにか踏み止まった。
 動けないのを見越して左から黒スピリットが来る。
 それよりも先にアリカたちを押し返し、強引に『鎮定』を振るえる空間と時間を作り出す。
 剣を返す形で、黒スピリットの居合いを押さえ込んだ。
 しかし、黒は動きを変える。踏み込みながら、防がれた刃先を滑らせて更に突き込んでくる。
 姿勢を低くしながら、地を強く蹴り後ろに跳ぶ。切っ先が左肩に浅い傷を作り出した。
 かすり傷を気にしている余裕はない。
 もう一人の赤スピリットの神剣魔法がシアーのアイスバニッシャーによって相殺される。ハリオンのウインドウィスパーによって体に圧縮された空気の膜が纏わりつく。
 ヒミカとネリーは別のフェアリーたちと交戦していた。
 どちらが優勢なのかは判らない。判らないが、彼女たちが負けるとは思っていなかった。
 今はそれよりも目の前の相手に集中する。『鎮定』との疎通に意識を集中する。
 まだ攻撃には出れない。今のままでは、まだ繋がりを断ち切れるとは思えない。そもそも、どうやって断ち切るかも分かっていないのに。
 そのような状態で、いつまでも防戦を続けられないのは判っている。先に綻ぶのは俺のほうだ。
 だが、だからこそ防戦を続ける。『鎮定』を介して、どうにか接触の糸口を掴む。俺が選んだのは、そういう方法だ。

「聞こえるか? 俺の声が」

 返答は左右と頭上からの同時攻撃。アリカが右、赤が左、黒が頭上。
 苦く思いつつ、体を素早く前へと投げ出す。密着される前に、各個の動きを阻止するためだ。
 『鎮定』を上空の黒に向けて振り上げた。黒が神剣でそれを受け止めたので、そのまま押し出すように跳ね上げる。
 黒スピリットは態勢を崩しながらも、羽を広げながら宙返りを打つ。その間に、こちらも目標を赤に切り替える。
 正面に向かっていた足を無理やり左に曲げる。前に進もうとする抵抗を受けながらも、左へ円を描くように強引に回り込む。
 赤スピリットも背を取らせまいと、こちらに向き直る。その後ろからはアリカが来ているが、赤が邪魔な位置にいるので間合いに到達するのは遅れる。
 複数を相手にするとはいえ、一度に相手取るのは一人になるように動く。
 赤の斬撃を弾いてから、少しずつ後ろに下がる。黒がまたこちらに向かってくるのが見えた。
 その瞬間。

【望め】

 久方ぶりに『鎮定』の声が聞こえたような気がした。
 そして、それがきっかけだったのか。
 敵の攻撃を受ける。弾く、流す。神剣が触れ合う度に頭の中で悲鳴が上がった。
 自分のではない。頭に流れてくるものこそが、悲鳴だ。
 通じている。この意思が、心が、彼女たちと。流れてくる。彼女たちの思いが。
 触れたものは繊細で、猛り狂っていた。
 露わになったものを感じ、この身に置き換えられていく。
 彼女たちが抱える暗いもの。それは魔法では癒えない傷。時間でも癒えるか判らない、深くて惨い傷。行き場を失った傷だった。
 助けを求めて、なお救われなかったもの。

「こんな……」

 傷つく。声を上げる。涙を流す。嗤われる。踏みにじられた。嬲られる。届かない。払われる。犯された。蹂躙される。
 今までも、これからも。
 これからも汚される。これからも卑しく、これからも生きる限り、これからも脅えて。
 ――希望なんか、どこにも。

「お前たちは……」

 安易な同情はできない。しかし、他にどう受け止めればいい?
 アリカたちが迫る。繰り出された攻撃をかわしきれない。肩を貫かれ、大腿をすっぱりと斬られる。
 だが、その傷でさえ。この体の傷でさえ、彼女たちの傷に比べればいかほどのものか。癒える傷、癒えるかも分からない傷の違い。
 俺も『鎮定』も、本当の痛みなど理解していなかったんだ。
 だから、突き動かされる。
 『鎮定』を大振りに、アリカたちは巻き込まれないように銘々が離れる。
 硬い物で締めつけられたように頭が痛い。しかし、負担は目の前のことと比べれば小さくもある。

「お前たちは……笑え。その権利が、お前たちにだってある」

 そうでなくてはおかしい。それさえ望まれないなんて、そんな話があってなるものか。

「だから、望んでくれ」

 お前たちの可能性を、俺に託してくれ。
 笑って――何がいけないんだ。
 前へ、初めて自分から攻撃のために、前へ。俺の動きに合わせて、アリカたちも前へ。
 距離が縮む。最初に来たのは黒。翼を利しての優速を生かし、頭を抑えようとする。
 黒が神剣を抜いた。こちらも『鎮定』を構える。交差した。


 『無月』。それが黒の持つ永遠神剣の名。
 意識せずに黒の思いを『鎮定』が拾い上げる。
 まだ、今より彼女が幼い頃。ウルカに剣筋を褒められて、とても嬉しかった。
 だから、もっともっと上達したいと思う。そうすれば喜んでもらえるから。
 手合わせの一つ一つが眩しくて輝かしく。鍛錬は辛くても本心から辛いと思うことはなく。
 その思いは、いつしかウルカを越える使い手になりたいという向上心に変わっていた。
 ――彼女は近づきたいと願う。


 交差した『無月』は頭をかすめ、髪が何本か舞い散った。逆に『鎮定』は相手の胴に吸い込まれるように命中する。
 横向きの力は黒を吹き飛ばす。手応えはいつもと違った。絶対ではないが、この手応えの違いを今は信じるしかない。
 アリカたちに間合いを詰めきられない内に横へ――跳ぶ。アリカたちを引き離す跳躍は、しかし回避のためではない。
 空中で身を捻り回転。体の向きが逆に変わった。
 膝を深く曲げて着地。体を起こしながら走る。すでに捉えていた。中距離に控えていた赤を。
 後ろからアリカたちが追ってくるのも感じるが遅かった。赤も慌てて炎を張り巡らせるが、それぐらいでは止まらない。


 『滑落』。この赤の持つ永遠神剣の名。
 得意とするのは神剣魔法を使っての支援と典型的な赤スピリット。
 彼女はいつも仲間の背中ばかりを見ていた。ウルカ隊はその構成上、近接戦闘を得意とするスピリットが多かったからだ。
 逆に彼女のようなスピリットは、ウルカ隊においては珍しいとも言える。
 だからだろう、彼女は本当は前に出たかった。背中を見ているばかりの自分が歯がゆいから。
 それもいつしか変わる。畏怖という感情をそのままに見つめていた背中は、自分が守っているとも知ったから。
 ――そこは彼女だけの位置。


 『鎮定』を振り下ろす。炎ごと赤スピリットの肩から太腿までを斬る。
 手応えはやはり、いつもと違う。
 『滑落』を担う少女が支えを失ったように倒れるのを横目に、すぐにアリカたちへ向き直る。
 もう負ける気はしない。そして、賽は投げられている。
 今必要なのは、止まることじゃない。
 赤と緑が迫る。体は意識せず赤のほうへと寄った。
 距離を詰め、素早く『鎮定』を打ち込む。迎撃してくるのは、炎を纏った一撃。


 『走破』。二人目の赤が持つ神剣の名。
 神剣魔法よりも、むしろ直接的な近接戦闘を得意とする赤スピリット。
 彼女は自らを不器用と定義する。事実、手先が器用なほうではなかった。
 裁縫をすれば縫い目は粗く手際も悪い。皿を洗えば手を滑らせて割った皿の数は知れず。
 そして不器用なのは付き合い方も。避けているでも嫌っているでもない。ただ苦手。
 だから、いつも表せない。その想いを、素直に。
 ――彼女は正直になりたかった。


 『鎮定』が炎を打ち消しつつ切っ先を体の外へ逸らした。炎の名残は散りゆく光の粉。
 外に流した『鎮定』を手元に引き寄せるようにしながら、赤の胸を一薙ぎ。
 すぐに一歩ほど身を引く。最後の一人、アリカが来た。

「アリカ」
「…………」

 つくづくアリカとは奇妙な縁だ。
 初めて戦ったのはラキオス国王夫妻が暗殺された日。こいつは第二詰め所の足止めに来ていたはずだ。
 あの時の戦いでは、アリカは俺よりも一段上の相手だった。
 まだ名前も知らない、ただの名無しでしかない。しかし、どこかで強敵という認識が植えつけられていたのは確かだ。
 だからか、『空虚』との戦闘でも、アリカを強く意識した瞬間がある。
 そして再会はその『空虚』戦の後。今度は命を助けられた。
 二度、だ。遭難した俺を保護したのもだし、理由が別にあったとしても逃がしたのも彼女。
 だけど、アリカ。分かっているんだ。

「君が助けたいのは俺じゃない」

 アリカは神剣を右手で突き出してくる。それを横に滑らせつつ、懐に入り込む。
 だが、アリカはそこから体を更に前へ出してくる。左手にシールド、それを前に立てて体ごと。
 激突は避けられない。咄嗟にこちらも左手を盾代わりに構える。
 初めから意識していたかどうか、それが結果に出る。
 後ろに突き飛ばされた。そのまま体を丸め、地を転がるのに逆らわない。
 逆に反動を利用してすぐに立ち上がる。立ち上がると同時に、脇目も振らずに右へ体を翻す。
 予想通り、槍がいたはずの場所を通過した。
 離れ、息を整える。

「助けたいのは仲間、そしてウルカだ」

 アリカが槍を構え直す。こちらも『鎮定』の柄を両手で握る。構える腕に剣の重さは感じない。
 次の一撃が、勝負。
 黒い瞳に感情の揺れは見られない。しかし、本当にそうだとも言いきれなかった。
 踏み切りは、申し合わせずに同時。
 負けられない。あいつよりも――速く、強く。
 『恩恵』のアリカ。それが彼女の名。そして守りたかった。自らの仲間を、拠り所を。
 音は、しなかった。互いの神剣だけでなく、位置も交錯している。
 背中越しにアリカの気配を感じた。

「俺の声が、聞こえる?」

 答える声はない。
 だが、背にアリカが枝垂れかかってきた。その体を支えようとして、『鎮定』からの力も弱くなる。
 全身から力が抜けて両膝を突く。だが倒れかかってくるアリカを支えることはできた。
 左手をアリカの背に回し、彼女の顔を覗き込む。
 目蓋は閉じられている。神剣の支配から脱したかはまだ分からない。

「アリ、カ」

 拙い声が出る。
 右手で彼女の左脇腹に触れた。熱く濡れた感触は、彼女の血。彼女のマナ、彼女の命。
 指が震え、自分の呼吸がひどく煩い。ハリオンが駆け寄ってくるのが見えた。
 その時間は短いはずなのに、ひどくもどかしい。
 震える手はアリカの手首に触れ、脈を探していた。
 俺自身の脈が耳障りだ。そのせいで時間がかかる。音が、聞こえない。
 ハリオンが屈みこんできたのと、脈を捉えたのはほぼ同時だった。
 緑の光がアリカを包む。ハリオンの神剣魔法だ。

「生きてるよ、ハリオン……」
「はい〜。他の方も皆さん、無事ですよ〜」

 間延びした口調が、いくらか余裕を取り戻させた。
 そして、ようやくハリオンの言葉の意味を飲み込めた。
 もう一度、アリカの顔を見る。少なくとも――苦痛の影は見えない。

「……ありがとう、ハリオン……」
「いえいえ〜、でも皆さんを助けたのはランセル様ですよ〜」

 それに関しては分からない。だけど、アリカは確かにここで息をしていた。

「生きてるんだ……生きてて、くれたんだ……」

 顔が震えている。まるで痙攣しているみたいに。
 不意に一陣の風が吹いて、頬を撫ぜていった。












 ソーマズ・フェアリーとの戦闘は月が昇った頃には追撃戦へと移っていた。
 状況が劣勢になると、ソーマは後退を始め、悠人らがそれを追う。
 追うのは悠人、アセリア、セリア。そしてエスペリアとウルカ。
 今は二手に分かれて両側から追い込もうとしていた。右側が悠人と、アセリア、ウルカ。左側がエスペリアとセリアだ。
 ソーマの周囲にはすでに三人のスピリットしかいない。その内の一人にしがみつくようにして、ソーマは逃亡を図っている。
 スピリットと人間では移動速度が違うから、当然の行動ではある。
 ソーマらはすぐに森の中に入り込んだ。悠人たちも森の中に入って、さらに追う。
 月光だけでは森の中を十分に照らすことはできない。
 双方は移動速度を遅くしながらも、森の奥へと向かっていった。

「よく……着いてくる気になったわね」

 セリアは併走するエスペリアに話しかける。
 それでも顔は常に前を向いていた。それはエスペリアも同じだ。

「正直に言うと、来たくはありませんでした。あの男の顔も見たくありません……ですが、同時に避けてはいけないという気持ちもあるんです」
「まあ……自分でそう思ったならいいんだけど」

 セリアの言はどこか歯切れが悪かった。だが、それについて考えている時間もない。
 それまでの道筋と違い、いくらか開けた場所に出た。宵闇の中でもなお威容を誇る巨木が正面にある。
 そして巨木の前でソーマとフェアリーは待ち構えていた。
 悠人たちもほとんど同時に開けた場所に到着する。悠人たちが右、セリアたちが左からソーマらと斜向かいになってるという構図だ。

「どうやら役者は揃ったようですね」

 落ち着き払った声でソーマは悠人たちを迎える。その態度にセリアは不審を感じた。
 ソーマを守るフェアリーは三人。対するラキオス側は五人。
 戦力差はどう考えてもラキオスが優勢なのに、ソーマに慌てた様子も諦めたようにも見えない。

(伏兵……かしら)

 最も高い可能性をセリアは検討する。周囲に気を配ってみるが、神剣の気配を感じ取ることはない。
 もっとも、そう簡単に察知できたら伏兵の意味もないが。
 セリアはまだ敵が伏せているという前提でいた。

「それにしてもエスペリア……あなたが自分から私の前に現れるとは思いませんでしたよ。部屋の隅でがたがた震えているほうがお似合いですがね」

 エスペリアは息を呑む。彼女の内心では相反する感情がせめぎあう。逃げたい気持ちと、留まりたい気持ちが。
 そして強いのは、逃げたい気持ち。背けたい気持ち――何を好んで、心の傷に触れる必要がある。
 傷の痛みは他の誰にも分からない――その誰かにしか。
 エスペリアが一歩二歩と足踏みするように下がる。

「やはりあなたは逃げる……弱く惨めなエスペリアよ」
「……それがなんなの」

 苛立たしげに割って入る声はセリアだった。
 目を細めたその表情は冷たい。

「弱いか強いかだなんて勝手に決めて……何様よ、あんた」

 エスペリアとソーマは共にセリアを見た。共に、驚きを隠せずに。

「二人の間にあったことは知らないけど、いい加減にしなさい。いつまでも昔のことをねちねちと」

 セリアは横目にエスペリアを見た。

「迷うのも悩むのも勝手よ。私はそれを否定しない。けどね、そのまま何もしないのは許せない」

 セリアの視線は再びソーマのほうを向く。

「逃げたいのなら逃げなさい……私はもう止めないから。そうする貴女も恨まない。その代わり、自分で選んで決めて」
「……ご立派ですね、スピリット。その物言い、憎くてたまらない」
「それはどうも。でも、生憎と性分なの。それにたまには、はっきり言ってもいいでしょ」
「……たまには?」

 悠人の余計な一言を、セリアは睨みで沈黙させる。そのまま彼女は『熱病』を構えた。

「エスペリア。重荷を抱えてるのは一人じゃないって言ったけど……重荷を支えるのも一人だけじゃないのよ」

 刹那、ソーマが指を鳴らす。それが合図だった。
 悠人たちの右、セリアたちの左から二組の神剣反応がそれぞれ現れる。

「やっぱり……」

 セリアは呟くなり、伏兵のほうに向かう。
 悠人たちも動く。悠人とアセリアは伏兵のほうへ。その中にあって、エスペリアは動き出せずにいた。
 そしてウルカは前へ、ソーマと護衛のフェアリーへと単身で向かう。

「ウルカ!?」
「止めるな、ユート」

 呼び止めようとする悠人に、アセリアが短く言う。

「ウルカなら大丈夫」

 そこまで断言されると悠人にも止められない。

「こうなったら、早いとこ駆けつけるしかないな」

 悠人は伏兵を見据える。これがフェアリーの全戦力だと判断しつつ。
 一方、反対側のセリアは一人だけでフェアリー二人を相手取っていた。
 戦いづらい相手に、セリアは表情を歪める。三者の色は共に青。
 フェアリーは常にどちらかが盾となり、どちらかが剣となった。
 セリアが片一方と競り合いを演じれば、もう一方が斬りかかってくる。
 逆に攻撃してきた相手をいなして斬り伏せようとすれば、もう一方が果敢に攻めに出てくる。
 セリアにとって、その状況は手詰まりだった。逆に攻撃の手が狭まったことで、フェアリーたちの攻撃も苛烈になっていく。
 防戦に回っていたことで、フェアリーは両方が攻撃に移る。
 追い込まれつつあるセリアは余力のあるうちに、反撃に出た。
 フェアリーが同時に攻撃に移るのと同じタイミングで、セリアも飛びかかった。
 互いの剣が相手を捉えようとするのはほぼ同時。そしてエスペリアも割って入ったのも。
 『熱病』が右のフェアリーの肩から胸を断ち切る。フェアリーの剣はセリアに届かない。
 左のフェアリーの剣も同様。そちらはエスペリアが抑えている。抑えるのみならず、シールドを中心に発生させた障壁はフェアリーの体ごと弾き返す。

「エスペリア!」
「話は後です!」

 弾き飛ばしたフェアリーに向け、エスペリアは『献身』を投擲する。
 フェアリーは力を振り絞って神剣を振り上げ『献身』の軌道を逸らすが、それで精一杯だった。
 セリアが翼を打つ。『熱病』を立てたままフェアリーに肩から激突する。フェアリーが剣を下げる間もなく『熱病』はフェアリーの胸を貫いていた。
 『熱病』を引き抜くと、フェアリーはマナへと霧散していった。
 セリアはエスペリアへと顔を向ける。

「……ありがとう。礼は言っておくわ」

 エスペリアは目を伏せ、首を横に振った。その表情から憂いが完全に取り払われてはいない。
 それでも、今はそれでいいのかもしれない。
 そして、ウルカとソーマたちの接触は、凄惨な戦場へと早変わりしていた。
 ウルカは一瞬の内に二人を斬り捨てている。それは瞬きさえ許さない剣速によって生み出された結果。
 マナに戻りきる前の血が、周囲に飛び散っていた。
 暗さもあり、色ははっきりと分からない。しかし濃密な血の臭いは残っている。
 その状況にソーマはここに至って恐怖を感じた。触れるべきではないものに、触れたのだと。
 恐怖を誤魔化すように、ソーマは口を開く。それでも、彼は生きた心地がない。

「か……敵討ちですか?」

 ウルカは答えない。だが態度が答えを物語っていた。
 半身になった姿勢は低く、右手は『冥加』の柄にかかっている。

「で――」

 ソーマが何かを言い切るよりも早く、ウルカの剣が閃いていた。
 最後のフェアリーの首が落ちる。落ちた首が地面に当たり、重たい音がした。
 前のめりに倒れた体は頭のあった場所から大量の血を吐き出していく。
 ソーマはそれをどこか呆けたように見つめていた。
 だが、すぐに動き出す。逃げるではなく、フェアリーの持っていた神剣を取ろうとしていた。
 ウルカはその動きをわざと見逃す。ソーマが神剣を取るまでの間に斬ろうと思えばいくらでも斬れた。
 それにウルカはソーマに永遠神剣を扱えるはずがないと知っていた。人に、永遠神剣は重たすぎる。持つという、単純なことが。
 だが、しかしソーマは神剣を持った。そして構える。
 その構えはウルカが想像していたよりも遥に洗練された構えだった。

「私を……また私をバカにするのか、スピリット!」
「……何を言ってるのです?」

 分からないと言いたげにウルカは訊き返す。事実、ウルカにはソーマの言葉の意味が掴めない。

「お前たちはいつだってそうだった……私を憐れむ! 私を見下す! 私を認めてくれようとはしなかった!」
「……だからと、それで自身が他を見下しているようでは……なりません」
「最初にそうしたのは、あなたたちスピリットだ!」

 ソーマは喚き、そのまま斬りかかってくる。
 人間の剣、という見地で考えればソーマの一撃は熟練者の域に達していた。
 しかし、それがウルカに届くことはない。ウルカが身を引いたことで、ソーマの剣は大きく空振りする。
 そしてウルカが取った構えは居合い。
 その一瞬、ソーマはある言葉を追い返していた。

(あなたは、その道具に殺されるのよ)

 手を下すのはそういったスピリットの仲間。それも何かの因果か、と思う。
 そしてソーマはウルカの剣を見た。惚れ惚れするような綺麗な軌跡が見える。
 ウルカが全力で向かってきたのを、最期の最後に悟った。それは望んだ対等だったのか――。
 結果は明白だった。ウルカは『冥加』に着いた血を三度振り払う。
 脇に落ちた永遠神剣。それがソーマという男の墓標だった。
 それまで吹いていた風が、ぴたりと止んだ。
 頭上の欠けた月だけが、全てを見ていた。










29話、了





2007年4月14日 掲載。

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