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永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


31話 その気持ちを知らず














 俺たちがリレルラエルを発ったのは、ユートたちの出立から遅れること三日。
 更に途中のシーオスに到着するまでの間、断続的に戦闘が続く。
 それは小競り合いと呼ぶには不適切な、激しい戦闘の連続だった。
 何かに憑かれたように黙々と向かってくるスピリットの集団を相手に、こちらも全力で迎え撃つ。
 戦闘は常に同数かそれ以上の敵を相手にして生起していた。
 不利な状況下にあってもラキオスは互角、あるいは優勢に戦いを進めていく。
 苦しくないはずがない。しかし、それ以上に終わりが近いことが、みんなの気持ちを支えているようだった。
 戦いの、その先にある未来を信じて。
 そしてリレルラエルを発って、一週間が過ぎた頃。シーオスの攻略戦が始まった。
 シーオスの街はそれほど規模の大きい街ではなく、防衛設備もやはりおざなりだ。しかしサレ・スニルからのスピリットたちが集結していたため、兵力は膨れ上がりつつあった。
 突入前に戦力を削がなくてはならなかったし、サーギオス側からも勝手に攻撃をかけてくる。
 そのため三日ほどシーオスから打って出てきた敵スピリットとの交戦に費やされたが、サーギオスの抵抗も徐々に弱くなってきた。
 そこでセリアは部隊を二つに分け、シーオスの北と南から同時に攻勢をかけさせた。
 南にも部隊を展開させたのは、挟撃するためだけでなくサレ・スニル方面からの増援を警戒してでもある。
 およそ四時間ほどの戦闘の末に、シーオスは陥落した。

「……終わったみたいだな」
「そのようですね」

 戦闘が始まってからというもの、隣のアリカとほとんど行動を共にしていた。
 アリカとこうして肩を並べて戦うのは不思議な感じだ。不思議だが、別に悪い感じはしない。
 敵の気配は感じないので、『鎮定』を鞘に納めた。

「今日はあの力を使わなかったんですね」
「あの力? ああ、『鎮定』の力を深く引き出してる状態か?」

 確認するとアリカは首肯した。

「言ってなかったか? あれは長時間できるものじゃないし、一度やってしまうと充填期間が必要になるんだ。昨日の野戦でやってるから、今日は厳しいな」

 不便な話だとは思うが。それとも……元々できなかったことに過度の期待はするなということなのか。
 こんなに使い勝手の悪い力を実力と呼んでいいのか判断しづらい。
 とはいえ、それに頼るのが現状だ。それにあの時の力なくして、アリカたちは救えなかっただろう。

「では、今日は側にいてよかったみたいですね」
「そうだな。アリカとだと戦いやすい」
「……そうですか」

 アリカはいくらか思案するように言ってきた。
 彼女が何を考えているかはともかくとして、敵の気配を感じない以上は隊と合流すべきだろう。

「あの、ランセル」

 アリカが急に畏まったように話かけてきた。いつぞやと変わらず呼び捨てだ。
 考えてみると、年長に当たるスピリットで呼び捨てにしてくるのはアリカしかいなかった。
 セリアでさえ呼び捨てにはしない。少なくとも、表立っては。
 呼び捨てにはウルカが一度注意をしたこともあるが、俺のほうで構わないと言っている。
 そういった理由は今もよく分からない。考えがあって言ったことではなかったのかも。
 なお、ウルカ隊の他のスピリットたちは様付けである。むしろ、好んでそう呼ぼうとしている節が見受けられた。

「どうかしたのか?」
「ずっと言いそびれてましたけど……ありがとう。私たちがここにこうしていられるのは、あなたのお陰。本当にありがとう」

 急にそんなことを言われても、少し困る。
 時間がなかった、というのを言い訳に触れないようにしてきた話題だった。
 いや、触れられてまずい話題ではない。ただ単純に、礼を言われるのが気恥ずかしかっただけで。

「……少し違う。ここにいるのはアリカたちがそう望んだからで、俺はその手助けができたに過ぎない。誰か一人の力じゃなかったんだよ、あれは」

 それにあの時、戦っていたのは俺だけじゃない。
 すぐ近くではヒミカやハリオンたちも戦っていた。ユートたちもソーマを追っていた。
 その中で一人が欠けても、あの夜のような状態にはならなかっただろう。
 『空虚』と戦った時だってそうだ。途中からは俺が一人で戦っていた。だけど、本当に一人で戦えたわけじゃない。

「それでも声を届かせたのが、あなただったのも確かですから」
「そうか……」

 まったく、こそばゆい話である。どんな顔をしておけばいいものやら。
 だが、この機会だからこそ言ってしまったほうがいいことが一つあるのに気づく。

「そういえば、一つ俺からも」
「なんでしょうか?」
「アリカがウルカに宛てた手紙だけど……内容に目を通した。見るなと言われていたのは覚えているが……」

 アリカは特に驚いた様子もなく、こちらを見返していた。
 呪うだの祟るだの物騒なことを言われたのは、今でもよく覚えている。

「でも、あれはウルカがそうして欲しいと言ってきたから見たんだ。好奇心じゃなかった」

 ひどく言い訳じみている……というより言い訳だ。

「……それで?」
「だから……祟るな。俺が言いたいのはそれだけだ」

 アリカは頷かなかった。頷かずに、俺の顔を見返してくる。
 怒った様子は見受けられない。怒ってない確証もないが……。

「気づいてましたし、もう構いませんよ」
「……そうだったのか」
「私も見られたら恥ずかしいので、ああ言ったまでですし……というより、ずっと呪われるとか思ってたんですか?」

 それには答えなかった。呪うだの祟るだの自体は、大して気にしていない。
 見たことを、気にしている。

「私をなんだと思っているんですか、まったくもう……」

 ぼやきが聞こえてくる。恨みがましい目つきでアリカは俺を見上げていた。本心ではない、と思いたい。
 その時、正面の路地から少年が一人飛び出してきた。
 色素の抜けたくすんだ色の質素な作りの服を着ていて、俺たちを見て慌てて立ち止まる。
 あからさまに驚き顔の少年は、逃げるように元の路地に引っ込んでいってしまった。

「子どもですね」
「ああ……」

 背格好も態度も似つかわしくなかったが、サルドバルトの少年の姿を喚起させた。
 ……あの時の少年には、今も憎まれているのだろうか?
 当時と違い、今は戦うための大義名分が備わっている。
 だとしても――それが戦う理由を必ずしも正当化はしない。理由があれば、結果と過程を無視できるわけではないのだから。

「……嫌われてなければいいが」

 アリカが怪訝そうにこちらを見上げる。顔を合わせずに歩き出した。












 シーオスを暫定的に統治するのは、後からやってくる人間たちの役目である。
 スピリット隊が統治を代行するのは、それまでの一時的なものに過ぎない。
 とはいえ、スピリット隊が行うべき処置もいくつかあった。
 敵兵の武装解除であったり、敵スピリットが潜んでいないかの調査である。
 特に後者は重要だった。もしも一人でも敵スピリットが残っていれば、その一人のために人間兵が蹴散らされる可能性は非常に高い……というより、まず間違いなくそうなってしまう。
 そのため、スピリット隊の半数強が敵スピリットの捜索に当たっていた。
 セリアの方針で、ラキオスのスピリット隊とウルカ隊のメンバーは一緒になって任に就いている。
 ウルカ隊のスピリットたちと早く打ち解けるために、という狙いもあった。
 そしてアリカ・グリーンスピリットが青の姉妹と初めて話したのは、その時のことだ。

「この地区は問題ないみたいですね」

 手渡された地図と街並みを見比べつつ、アリカは姉妹に話しかけた。
 姉はよく確認もせずに大きく頷き、妹は視線をきょろきょろとさ迷わせている。
 本当に大丈夫かしら――という言葉をアリカは飲み込んだ。
 アリカの見立てでは、見回った地区にスピリットが潜んでいないのは確かだった。
 ウルカ隊は隊の特性上、隠密任務が多い。それ故に、永遠神剣の気配の消し方や察知に関しては一日の長がある。
 不意にさ迷っていたと思っていた青の妹の視線が、自分に向けられているのにアリカは気づいた。

「何か……シアー?」

 尋ねるアリカもシアーの名を確認しているような響きがあった。
 シアーはアリカを見上げるばかりで、何も言わない。
 アリカもさすがに困惑した。ラキオスでは質問に答えない習慣があるのか、と見当外れの疑問を抱くぐらいには。

「ねーねー、アリカー」

 今度はシアーと逆側から声がかけられる。姉のネリーだ。
 呼び捨てに関しては何も言わない。その点について、アリカは大雑把な部分がある。

「さっき、途中の道に噴水があったよね。あそこで一休みしない?」
「その前に報告が先です」
「でも、ここだとネリーたちのほうが先輩だよね。先輩の言うことは絶対だって、ユート様も言ってたよ?」

 アリカのネリーを見る目がいくらか剣呑になる。
 しかし彼女はネリーの願いを聞き入れた。危険がないなら、少しぐらいは構わないだろうと。

「……いいでしょう。シーオスには残敵もいないようですし」
「じゃあ、そうと決まれば行こう!」

 ネリーはアリカの手を掴んで走り出す。
 いきなりのことに躓きそうになりながらも、すぐにアリカはネリーと足を合わせる。

「あー、待ってー」

 間延びした口調でシアーも追ってくる。
 アリカは以前のウルカ隊でも、このようなスピリットたちは見たことがない。
 困惑を感じる反面、面白くも感じていた。
 噴水の前には古びたベンチが置かれている。走りこんできたネリーとアリカはそこをゴールとして減速する。
 ネリーは繋いだ手を離し余韻に浸るように短い距離を歩く。
 アリカもすぐには立ち止まらず、やはり少し歩いてからベンチに座って待つこととした。
 遅れてシアーもやってくる。足はあまり速くなかった。シアーはアリカの左に座る。
 その時になって、シアーの右肘の生地が大きく破けているのに気づいた。

「これは?」
「んー? あー、この前の戦闘の時に破けちゃったの」

 裂傷の跡だろうか、とアリカは思う。破けた部分から覗く白い肌にそのような痕跡はないが、それは治療を受けているからだと当たりをつける。
 どこの国でもスピリットの服はエーテル技術によって精製された物が使用されていた。
 公的な衣装でありながら鎧の代用品としても機能する服が、例えば道端で転んだ程度で破れることはない。

「後で縫いましょうか?」

 相手は年下ではあるが、アリカは丁寧な口調で話しかける。

「お裁縫できるの?」
「ええ、ちょっと自信あります」

 シアーは感心したようにアリカを見る。
 その頃になるとネリーも戻ってきて、アリカの右に座った。
 アリカはせっかくだからと、何気なく二人に訊く。

「ウルカ隊長はこちらではどのようにしていたんですか?」
「うーん……」

 ネリーとシアーはそれぞれ話し出す。
 訓練ではヘリオンやファーレーンと組む場合が多く、よく緊迫した組み手をやっている。
 真面目で硬いけど、セリアのようにがみがみ怒らない。ああ見えて園芸が好きらしい、などなど。
 それからネリーは一つの話を披露する。

「オルファから聞いたんだけど、ウルカが料理に挑戦したって聞いたことがあるよ」
「料理? 隊長に作れたかしら……?」
「うーん、なんか大変だったらしいよ?」

 ネリーも詳しいことは知らない。オルファが少し口にした程度で、実情はほとんど言わなかったからだ。
 ちなみにアセリアが料理を作った時も、オルファはただ大変だったとしか言っていない。
 一方、その話を聞いたアリカは、ウルカには料理に限らず家事全般をさせてこなかったのを振り返っていた。
 それにも理由がある。
 ウルカ隊に下される命令の拝命、あるいは完了報告を行うのは隊長であるウルカの役目だった。というより、ウルカ以外がこの任に就くのを硬く禁じられていた。
 それらを行うためにはサーギオス城へ登城しなくてはならない。多くの場合、ウルカは浮かない顔をして戻ってきた。
 どういうやり取りがあり、何があったのかアリカは知らない。ただ何も聞かない代わりに、出来立ての食事を用意するようにしていた。

「あの頃とは全部が違うんですね……」

 空を見上げてアリカは呟く。分かりきっていた変化を、今更のように感じていた。

「アリカは……」

 声をかけてきたのはシアーだった。小首を傾げて見上げている。
 問われた中身は唐突でもあった。

「ランセル様と仲がいいの?」
「……どうでしょうね。私にもよく分かりません」
「じゃあ、アリカはランセル様が好き?」

 アリカは硬直してしまう。冗談かとも考えたが、シアーの顔つきはそういう風には見えなかった。
 迷った末にアリカは言う。本心からの疑問。

「好きって……どういうことですか?」
「好きは一つだけじゃないの?」
「私にも分かりません……でもウルカ隊長に向けていた好きとも違うような気がします」

 その違いを説明する言葉をアリカは持たない。
 一般的な色恋沙汰とは無縁の生き方をしてきたから、異性に対する感情を知らないとも言えた。
 それはシアーにもネリーにも多少なりとも通じる部分がある。

「赤い糸だっけ? コウインが言ってたやつって。ネリーにもどういうことなのかよく分かんないんだけど」
「運命、だったかな?」
「コウインが運命って言うと、なーんかおかしいと思うんだけど」

 ネリーは口をへの字に曲げている。
 光陰の場合は、単に口説き文句感覚で言ってるだけなので、ネリーの感じ方は的外れでもないだろう。

「でも、アリカとランセルは案外運命かもね」
「何故です?」
「同じ名前のスピリットと知り合いだったって」
「なるほど……」

 ネリーはごく自然と話していた。だから口を滑らせたという気持ちもない。
 アリカは合点がいった。ダスカトロン大砂漠でランセルを助けた時に、彼がアリカの名を呟いた理由に。

「その、もう一人の方は?」
「うーん……」

 ネリーは言葉を濁す。シアーに目を合わせると慌てて逸らされる。
 アリカが仮説を導き出すには十分な反応だった。

「もういないんですね?」
「うん……」
「……私は代わりか」

 アリカは自分でも思っていなかったことを口にしていた。
 自分の言葉に自分で驚き、自分の耳を疑う。
 一方で言葉にしがたい不快感もあった。それがどこから生まれたものか、アリカには分からない。

「……きっと違うよ……シアーには難しいことは分からないの……だけど、だけどね」

 アリカの言葉をシアーもはっきりとは否定できない。
 それでも、たどたどしくも懸命に伝えようとする。

「ランセル様、すっごく頑張ってた。アリカたちを助けようってすっごく頑張ってたの」
「ネリーもそう思う。あんなに必死なランセルって初めて見たかも」

 アリカは黙考する。神剣に呑まれていた時の記憶は完全ではない。
 しかし、ランセルとの戦いは覚えている。答えは最初からそこにあった。
 ぶつけられた声、ぶつけられた気持ち、ぶつけられた想い。そのいずれもが、真実だった。

「……嫌な女、か」

 疑った自分に、アリカはその言葉を向けた。
 それはランセルが二度に渡る戦いの最中向けた一連の言葉の中で、唯一の嘘である。
 アリカもそれに気づいていた。気づいていたが、今の自分には似合いの言葉なのかもしれないと思った。
 彼女は、やや物憂げな気分で空を見上げる。
 今まで考えもしてこなかったことに、気づいてしまう。
 だというのに、その正体は見えないままだった。










31話、了





2007年4月30日 掲載。

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