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永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


35話 ゆっくり歩くように














 光陰率いる東側の部隊はトーン・シレタの森でサーギオスの大部隊を撃破し、今やゼィギオスに指呼の距離まで迫っていた。
 命令させ下せば、すぐにでもゼィギオスの攻略に取りかかれる。
 攻勢を目前に控えた矢先に、それは起きた。
 『因果』が、普段とは違う強い反応を発する。
 光陰はそれが『求め』と始めて接触した時と似ているのに気づいた。光陰の思い浮かべた相手は一人だけだ。

「光陰、なんか変な感じがしない? まるで呼ばれてるみたいな……」

 今日子の『空虚』も同じような反応をしていた。
 光陰は頷きながら、西の方角を見る。ゼィギオスとは外れた場所だ。

「誘ってるのか、それとも……」
「やっぱり……秋月?」
「十中八九、間違いないな。何を考えてるんだかな」

 光陰は思案を巡らし、すぐに今日子に尋ねた。

「これから秋月に会ったとしたらどうする?」
「そーね……悠と佳織ちゃんのこともあるし、まずはぶん殴るかも。そういう光陰は?」
「さあな……まあ、懺悔ぐらいは聞いてもいいか」

 光陰は苦笑いを浮かべる。
 彼の腹はすでに決まっていた。今日子は言うに及ばず。

「虎穴にいらずんば虎児を得ずってね。エスペリア、クォーリン」

 光陰は二人の緑スピリットを呼んで、『誓い』がすぐ近くに来ているのを伝えた。
 二人は体を強張らせたが、それ以上の反応は見せない。余計な気負いも動揺もないらしいのに、光陰は満足する。

「では、これより『誓い』のシュンを討ちに?」
「ああ。だけど、それは俺と今日子だけでやる。罠かもしれないからな」
「罠かもしれないなら、なおのこと全体で動くべきではありませんか?」

 エスペリアは表情を曇らせて窺ってくる。
 先日、悠人が一人で瞬と戦い返り討ちにあったためだろう。エスペリアの発想は自然である。
 だが、光陰は首を縦には振らない。

「罠といっても確証がない。それに部隊全体で動いた結果、ゼィギオスから一挙に敵が打って出てくるなんて可能性もある。それに……これは俺たちがやらないといけない因縁なんだろうな。この世界に来てしまった俺たちのな」

 二人は黙りこくる。
 後の理由は理論的ではないと難癖はつけられるが、それ自体にまったく意味はない。
 要は必要以上の介入を望んでいない、ということだ。

「そんな顔をするなって。今日子もいるんだから、鬼に金棒ってやつだ」
「……頼もしいということですか?」
「そんなとこだ。だけど、もし一時間経っても俺たちが戻ってこなかったら、二人が指揮を取ってゼィギオスを攻撃するんだ」

 光陰は戦いがまだ続く気配をどこかで嗅ぎ取っていた。
 仮に光陰たちが瞬を討てたとしても、それで全てが終わりとならない、予感を。
 かくて光陰と今日子は隊を離れてトーン・シレタの森へと向かう。
 悠人と『求め』が瞬と『誓い』に引きつけられて邂逅したのと、それはどこか似ていた。
 そして碧光陰、岬今日子、そして秋月瞬はトーン・シレタの森で再会を果たす。

「お前たちか。もう会わないと期待していたのにな」

 瞬は大して面白くなさそうな顔をしていた。
 彼は一人ではなく、黒と青のスピリットを二人侍らせている。皇帝妖精騎士団のスピリットだ。

「久々の挨拶がそれとは味気ないぜ、秋月?」
「ふん……感動の再会を期待していたわけじゃないだろう」
「それもそうだな」

 光陰は余裕の態度を崩さない。一方、今日子は瞬に対して敵意を露わにしていた。
 瞬は今日子を見て、あからさまに顔を顰める。

「相変わらず品がないな、野蛮人め」
「……あたしに言ってんの?」
「当然だ。この場で他に誰がいる」

 瞬の言葉を受けて、険悪な今日子に対し光陰は失笑する。
 とりあえず今日子は全力でツッコミを入れるのを忘れない。
 それを見つめる瞬の目つきは冷ややかだった。

「痛つ……それより秋月。用はなんだ? まさか時間を持て余してるってわけじゃないんだろ?」
「ああ、これでも僕は多忙だよ。差し当たっては……『誓い』がお前たちの剣を砕きたがっているんだ」

 瞬が『誓い』を抜き、光陰と今日子も身構える。しかし、瞬は動こうとせずに問うてくる。

「……碧。前々から思っていたんだが、どうして君は裏方に徹しようとしているんだ?」
「あ?」
「とぼけるなよ。君はそこらの有象無象どもとは違う優れた人間だ。だが、どうしてか……それを隠したがっている。それだけならまだしも、いいように利用されている。僕にはそれが理解できない」

 光陰は答えない。どう受け止めていいのか迷ったからである。その一方で、瞬の真意を読み取ろうともしていた。

「この世の中は二つの人種に分けられる。支配するべき優れた存在と、支配されるべき弱い存在だ。碧、君は弱者を支配するに値する優れた人間だ」
「……それはどうかな」
「だが解せない。どうして、あんな疫病神やそこのバカ女みたいなのと付き合っている? 足を引っ張られてるのは解ってるんだろ? あのレスティーナとか言う小娘だってそうさ。現実が何一つ見えてない、口が少し立つだけの夢想家だ。そんなやつに人を導けるはずがない」

 瞬は荒く息を吸う。その姿は興奮を無理に抑えつけようとしているように見える。

「だとしたら、どうだって言うんだよ?」
「僕は碧に関しては生かしてもいいと思っている。殺してしまうには惜しい人材だからね」
「秋月……さっきから何を言ってるの?」

 今日子が口を挟む。瞬の言葉はどこか異国の言葉のように聞こえ始めていた。
 だが横から口を挟まれた瞬は、癇癪(かんしゃく)を破裂させていた。

「黙れ! お前には聞いてないんだよ! 僕が話しているのは碧だ」

 紅く光る目で今日子を睨む。

「岬、お前は誰かの邪魔にしかならない女だ。この世界に来てからも碧に頼ってばかりで生きてきたんだろう。そんな女が僕に口を聞くな。不愉快だ!」

 今日子は咄嗟に言い返せずに、言葉に詰まった。
 瞬の言葉を否定しきれないのに気づいてしまったからだ。

「あの疫病神もお前も! 揃いも揃って邪魔なだけの荷物なんだよ! お前たちは寄生するだけ寄生して、依存するだけ依存して――」

 瞬の言葉は強引に中断させられる。
 『因果』の鉄塊じみた刃を、『誓い』が正面から受け止めていた。

「……誰が誰のお荷物だって?」
「なんだと……」
「俺も不愉快だ。今日ほどお前を不愉快に思ったことはない、秋月!」

 競り合いの状態から力任せに光陰は瞬を後ろへ弾き飛ばす。
 それでも瞬は危なげなく着地する。
 上目に光陰を睨みつけ、その間に皇帝妖精騎士団のスピリットたちも神剣を抜いていた。

「碧ぃ……僕の善意を無駄にしたなぁっ!」
「的外れな善意なんて迷惑なだけだ」

 『因果』も『誓い』も『空虚』も、それぞれの力を展開する。

「光陰……」

 今日子の小さな呼びかけに光陰は応じない。
 それに今日子は何も言われなかった不安と、何かを言われずに済んだ安堵の両方を感じる。

「スピリットども、お前らは岬をやれ! 碧はこの僕が直々に殺してやる!」
「取り巻きは任せるぞ、今日子!」

 奇しくも両者の希望は一致した。
 光陰と瞬が地を蹴りつける。二人は正面から、小細工もなしにぶつかりあった。
 『因果』の刃を正面からは受けずに、『誓い』はできる限り外へ滑らすように流していく。
 阻害の力を含んだ『誓い』の斬撃を、『因果』の加護の力が相殺しながら刃そのもので受け止める。

「僕がせっかく話し合いの機会を設けてやったというのに!」
「話し合い? こっちを見下してるばかりで、話し合いには前提から間違えてるぞ」
「黙れ! 僕がお前より上なのに変わりはない!」

 永遠神剣が持ち手の心に感応し力を発揮するのなら、瞬は『誓い』の力を存分に引き出していた。
 しかし、それは光陰にしても同じことだ。『因果』に囚われず、それでいて力を十二分に引き出している。
 二人の神剣は本来が五位であり、悠人の『求め』と比べれば格下に当たる剣だ。
 だが二人は僅差で負けたとはいえ、一段上まで己が神剣の力を高めていた。
 どちらが有利とも判然としない戦いを二人は繰り広げていく。












 今日子は剣を交えながらも、心のどこかが虚しかった。
 瞬の言ったことは的外れではない。むしろ、正確に捉えていたといっても過言ではなかった。
 今日子は確かに、光陰に依存している。大事なことや面倒事は、いつでも助けてくれると決めつけてしまっていた。
 それは甘えとも言うのかもしれない。

「この……!」

 今日子の足は止まらない。止まれば、すぐに致命傷を浴びてしまいかねない。
 黒スピリットを今日子は優先的に狙う。攻撃し続けることで、相手の手を塞ぐためだ。しかし決定打を与えられない。
 青スピリットが仕掛けてくる動きを見せたので、今日子は一度距離を取る。

「大仰なのは名前だけして欲しいわね!」

 サーギオス皇帝妖精騎士団。長ったらしい名前だと今日子は思う。
 英語読みだとインペリアルナイツと光陰が言っていたのを思い出して、気取った名前だとも今日子は思う。
 しかし、そう呼ばれるだけあって、今日子が相手にしているスピリットたちは手強い。
 エトランジェと互角の力を持つ、と言われるだけはある。

「たああっ!」

 渇を入れながら、黒スピリットに突撃する。黒スピリットも神剣を掲げ、自ら向かってきた。
 両者の剣が目まぐるしく交差し、軌道の重なる攻撃は弾き合い、重ならない軌道が互いを傷つけあう。
 致命傷が出ないのは弾き合う攻撃の多くが重要部位を狙った攻撃であるからで、そうでなくともそういった場所への攻撃だけは二人も避けようとしているからだ。
 今日子は足の運びを右に切り返る。黒と切り結んでいる間に、青に背後に回りこまれてしまっているからだ。
 しかし黒は今度は引き離されずに追跡してくる。ライトニングブラストを放つ時間もない。
 今日子は背後に青の圧力を感じながら、黒に向けて突き込んでいく。
 不意に今日子の視界に光陰と瞬が飛び込む。
 遠目で、ゆっくり見ている時間もない。だから、どちらが有利かは判らない。

(なんでこんな……こんなに遠いの?)

 今日子はまた想念に駆られた。
 近くにいるはずの光陰が、時折とても遠い場所にいるように今日子は思う。
 足を引っ張る荷物だと、瞬は言った。今日子はそれを否定したいのに否定しきれない。
 光陰との間に感じる距離のせいだ。光陰は大きすぎる。
 相手が悠人ならば、今日子は等身大の自分を悲観しない。
 しかし相手が光陰となると、今日子は等身大の自分、その欠点や汚点を強く意識してしまう。
 対して、光陰は、その不完全さすらが計算されているようだった。
 欠点が意図せずに生まれて邪魔になるものとすれば、光陰のそれは在るべくして作られたというべきか。
 光陰にとっては欠点さえがアクセントであり、魅力にさえ転化しうる。
 欠点は欠点であって、完璧であるはずがない。
 しかし今日子の欠点と光陰の欠点は、在り方がそもそも違う。今日子はそのように見てしまっている。
 だからこそ、今日子は悠人の存在をより強く求めていた。

「うるさいっ!」

 自らに向けて言い放ちながら、今日子は『空虚』を振るう。
 『空虚』が二度、黒の体を貫く。だが、まだ倒れない。
 青の剣が背後から迫ってきた。それを見届ける間もなく、今日子は横に大きく飛び退く。
 自身の無事を確認しつつ、今日子は『空虚』のマナを集中させる。

(どうして……どうして私なの?)

 疑問。
 光陰の好意に気づいてしまったのが、いつなのか今日子は思い出せない。
 それでも今も変わらず疑問に思うのは、自分である理由。

(私……こんなに弱いのに)

 クォーリンにも指摘された、心の弱さ。それが光陰と悠人を戦わせた遠因にもなっている。
 光陰の気持ちを知って、それに依存する弱さ。光陰は裏切らないという、甘えという思い込み。
 それでいて悠人を求める弱さ。一つを選べない弱さ。傷を舐めようとして、傷だけを広げて。

「どうして、いつも!」

 光陰の足を引っ張りたくないと思い、どうすればいいのかに迷う。
 戦うことだけではないと分かっている。それでは目の前のスピリットたちと何も変わらない。
 光陰もきっとそれは望んではいないはず。そうであって欲しいと今日子は思い――答えを出せない。
 今日子はマナを解放する。
 雷が、立て続けに落ちた。稲光がスピリットたちを飲み込む。
 雷が消え去った後に、スピリットたちの姿はどこにも残っていなかった。
 今日子は膝に手をついて、一息つく。それも束の間、今日子は顔を上げてすぐに駆け出す。
 光陰と瞬の戦いはまだ終わっていない。
 今日子が駆けつけた時、二人は睨み合っていた。
 どちらも無傷ではないが、光陰の足元には小さな血溜りが広がりつつある。光陰のほうが深手を負っているのを物語っていた。

「光陰!」
「今日子か……無事らしいな」

 光陰は笑ってみせる。無理をしているのが判って、今日子は不安げに見返す。
 だが、その不安をすぐに瞬への戦意に転化する。

「これで形勢逆転だな……秋月」
「あの愚図どもめ……露払いも満足にできないのか」

 瞬は吐き捨て、殺意を光陰と今日子に向けた。さながら刃のような冷たい威圧感でもある。
 だが、唐突にそれが静まった。脈絡のない変化に二人も戸惑う。

「ああ、もうこんな時間だ……帰らなきゃ……佳織が僕を待ってるんだ……」

 先ほどまでの殺気は鳴りを潜め、今度はうわ言のように呟く。
 そのまま瞬の目が二人を捉える。血走った表情よりも、今のどこか呆けた表情のほうが今日子の印象に残った。

「今日は見逃してやるよ……でも次に会った時は、あの疫病神と仲良く殺してやる」

 言い残して、瞬が立ち去っていく。光陰はもとより今日子もその背中を追わなかった。その考えさえ抜け落ちたように思い浮かばない。
 完全に気配が消えてから、今日子が呟く。

「なんだったの、あいつ……」
「さあな。案外、気紛れとかだったのかもな」

 気紛れと言われて、今日子は逆に薄ら寒いものを感じた。
 そんな理由で戦いに来て命を奪うのか、と。もちろん光陰の言うことで、事実という確証はない。

「俺たちも戻るか」
「え……ちょっと光陰!」

 光陰は歩き出していた。出血は止まっておらず、歩く度に赤黒い染みが落ちていく。

「そんな怪我で……」
「戻らないと治療できないんだ。それに、これでもだいぶ治まってきてるんだぜ? もうしばらくしたら、『因果』のほうで出血なら止められそうだし」

 だが今日子が歩く光陰の前に回りこみ、両手を広げて進路を塞ぐ。
 強く言い放つ。

「だったら、それまで休んでればいいじゃない!」
「そんなに怒るなよ……」
「怒るな? 目の前でそんな大怪我されてて……心配するこっちの身にもなってよ!」

 今日子は本当に怒っていた。光陰も今度は言い返せない。
 肩で息をして、今日子は次の言葉が出てこなかった。何かを言いたかったのに、それがどんな言葉だったのか思い出せない。
 今日子は苛立ちを隠せなかった。

「……悪かったな」
「いいよ、謝らないで」

 今日子は言葉と裏腹にまだどこか拗ねたような顔をしていた。
 光陰は苦笑を浮かべる。今日子はむっとしたが、今度は何も言わなかった。

「じゃあ、ゆっくりと歩いていこう。それならいいだろ?」
「……そうね」

 ゆっくりと歩き出す。
 ゼィギオスへの攻撃はまだ始まっていない。間に合うかは分からない。
 今日子は長い時間のようにも感じていたが、実際の時間はそれほど経過していなかった。
 光陰が呟く。それは今日子に向けられていた。

「秋月はああ言ってたけどさ……」

 今日子は光陰の顔を見るが、光陰は今日子の顔を見ようとはしなかった。

「俺は……今日子に見返りを求めてない、きっと」

 今日子は何も言えずに歩いて、時間をかけて頷いた。
 そして今日子は不意に思う。それは閃きにも似ていたのかもしれない。
 この歩みと一緒だと、今日子は思う。光陰とのことも、悠人のこととも、自分自身のことも。急かず慌てずに、一つ一つを確認して、知っていけばいいのだと。
 気の長い話なのかもしれない。それでも隣の光陰は、それを許してくれる気がした。
 ゆっくり歩くように。一歩一歩を踏みしめるように。
 岬今日子は、碧光陰でも秋月瞬でもない。
 先を鋭く見通すことはできなくとも、今を大切にすることはできる。










35話、了





2007年5月14日 掲載。

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