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永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


40話 緑の願い、白の目覚め













 光陰たちはラキオス城に戻るなり、各地の情報をすぐに確認した。
 情報部がすでに各地の情報を収集し分析も始まっていたから、光陰たちの手元にまとまった情報が入るのは早い。
 正体不明のスピリット群――エターナルミニオンの存在が初めて確認されてから、一週間が過ぎている。
 その一週間で、マロリガンとデオドガンとの連絡が途絶えていた。
 両国にはスピリットが少数ながら配属されている。しかしミニオンとの戦力差は明白で事態は最悪に向かっていると想定された。
 そこで一つの懸案が提示される。
 サルドバルト領にあったエーテル変換施設はラキオスに接収された後、そのまま使用されていた。
 そして、それは現在も稼働中だ。観測はラキオス城からもできるので、それは確認されている。
 その変換施設を巡って意見が対立した。
 一つは大至急部隊を派遣して、エーテル変換施設を停止させるべきというもの。
 これは暴走によるマナ消失を避けるという目的がある。マナ消失後の惨禍はイースペリアによって証明されている。
 もう一つが、それよりもラキオス領を中心とした防衛網を構築し、ミニオンの襲来に備えるというもの。
 ミニオンの戦力が驚異であるのに加え、最優先で守るべきはラキオス城であるためだ。
 どちらにも言い分があり、筋から逸脱するものではない。
 結局、この判断は光陰とヨーティアの手で決められることとなる。
 ヨーティアはサルドバルトのエーテル変換施設を停止させるのを強く推し、そのためになら自らが作業に出るとも言っていた。
 光陰としては、一時的とはいえ分散されている戦力をさらに分散させるのには難色を示した。選択を誤れば、それだけで瓦解しかねない状態だからだ。
 それでも最終的にはヨーティアの意見を受け入れる。
 すぐにサルドバルトへの分隊が編成されて、派遣されていく。
 同時に避難民の受け入れ体勢、道中の途上まで衛生兵や食料を派遣させる手はずも整えていく。
 光陰は他にも各都市へラキオス王都まで避難するよう伝令を向かわせた。
 同時にラース、ラセリオ、エルスサーオの三都市に部隊と技術者を派遣し、できる限り防衛網を整備させる。
 ロウエターナルはいずれラキオス領に攻め込んでくるはずだった。今のラキオスにそれを未然に防ぐだけの力はない。
 ならば攻め込まれた時の備えをするしかなかった。












 サルドバルトへの分隊は可能な限り早く、つまりヨーティアの限界に合わせる早さで移動する。
 非常事態ということもあり、ヨーティアはウイング・ハイロゥを持つスピリットたちに代わる代わる運ばれての移動となった。
 しかし人間とは比べものにならない速度で飛行するのは、ヨーティアにはかなりの負担になる。
 結局、地を駆けるスピリットたちに合わせての移動となった。
 それでも出立からわずか五日でサルドバルトに到着している。もしヨーティアが徒歩だったら、この倍の日程でも到着できなかっただろう。
 エーテル変換施設の停止作業はヨーティアと一緒についてきたイオの二人で行い、分隊のスピリットたちはさらに半数に分かれて、ヨーティアたちの護衛と住人の避難勧告に務めていた。

「それにしても体に応えるね。ただ運ばれてきただけなのに体が痛いよ」

 ヨーティアは本当に参ったような顔で言う。
 運動不足、だけではない。スピリットの身体能力は通常の人間が合わせるとか、そういった次元を通り越しているからだ。
 ただ運ばれるだけでも負担がかからないはずがない。
 それでも、泣き言もそこそこに作業に取りかかる。
 変換施設へのマナ供給を段階的に停止させていく。この手順は万が一の事故被害を抑える意味合いも持つ。

「機能停止後の施設はどうします?」
「うーん……後のことを考えると、別に壊してしまってもよさそうな気はするね。女王はエーテル技術を利用しないつもりだから」

 二人はその理由を知っているし、その意志を支持してもいる。もっとも、今はまだ公にされていない目的だ。
 他にもミニオンが変換施設を利用するかは疑問だが、利用を防ぐために破壊するという考え方もあった。
 稼働中に破壊されるから危険なのであって、停止中に破壊する分には問題ない。

「ミニオン……ロウエターナルが、これを再稼働させた後に破壊するのはありえるかね?」
「どちらも直接知っているわけではないので……ですが、ありえないと決める理由がありません」
「なら時間が許せば封印作業か破壊作業か……それもやっていこう」
「畏まりました」

 現状で一番の問題はミニオンの動きが掴めていない点である。
 目的は判明していても、具体的な戦力や本拠地、そうでなくとも破壊に赴いている部隊の規模と動向が一切掴めていない。

(ラキオスに戻ったら、それも調べないとね)

 ヨーティアに目算はある。ラキオスに残した研究者たちに今は任せているが、大陸のマナの流れを観測させている。
 過去のデータも洗い直させているが、それよりも現在の状況のほうが重要だ。
 ロウエターナルの目的がマナを集めることで、存在が判明した以上はその点で何かしら目立った動きが起こるはずだった。
 マナの流れが特に異常な地点。そこを中心に探れば、本拠は自ずと見つかるはず。
 備え付けの計器をヨーティアが確認すると、供給マナは半分を下回っている。完全に供給が途絶え、機能を停止させるにはもう少し時間が必要だった。
 こればかりは機械の問題で、ヨーティアにもどうこうできない時間だ。

「……ヨーティア様」
「うん?」
「もし……私が戦いたいと言い出したらどうします?」
「……さてね」

 ヨーティアは懐から煙草を取り出して咥える。マッチで火をつけ、まずは吸う。

「イオが自分でそう決めたんなら私は何も言わないよ。周りから強制されたりとか、負い目っていうわけじゃないんだろ?」
「負い目は……あるかもしれません」
「それなら私は反対しておきたいけど……でも、イオも子どもじゃないからなあ」

 ヨーティアは頭を掻く。イオは表情を崩さない。

「……好きにするといいさ。本当に間違ったことをしそうな時だけ、私が叱ってやるよ」
「はい……お願いします」

 計器に目を移すとマナの供給は十分下がっていた。ヨーティアは停止作業に入る。
 イオはそれを手伝いながら、ふと違和感を覚えた。
 ヨーティアにではない。変換施設にでもない。
 それは予感めいた警告だった。何かが、近くまで迫っているような。












 アリカ・グリーンスピリットはサルドバルト住人の避難を手伝っていたが、今はそれも一段落しようとしている。
 地方執政官や駐屯兵向けには、分隊の指揮官であるエスペリアが別途で命令書を渡していた。
 この辺りの根回しは光陰の手による。そのため、住人の避難は割合速やかに行われていった。
 今回はサーギオス領の時と違い、準備のできた住人から順次出立していってる。
 できるなら護衛もつけるべきではあったが、ラキオス領内ということもあり、その点は無視されていた。
 どのみち、全ての避難民に目を配れるほどのスピリットはいないし、そういう任務こそ人間兵に期待する点である。
 住人の八割以上がサルドバルトを離れ、残すところは停止作業を続けるヨーティアとイオ。それと残りの二割に満たない住人だけだ。

「こっちは終わったよー」
「じゃあ、少し休みましょうか」

 ネリーとシアーの姉妹と一緒に行動していた。懐かれたものだとアリカは思う。二人の根が明るいためだろう。
 三人は沿道の縁に座る。他に適当な場所が見当たらないからだ。

「ランセル様の様子はどうだったの?」
「最後に見た時はまだ意識を取り戻してませんでした……戻った時には目を覚ましているといいけど」

 サーギオス城からしばらく意識を失ったランセルの世話はずっとアリカが見ていた。
 できることなら、サルドバルト行きにも参加せずに、彼の様子を見ていたいという気持ちもある。
 しかし、ラキオスで動ける者が決して多くないのもアリカは分かっていた。だから、仕方がないと割り切っている。
 それなのに、ランセルを意識するアリカの思いもあった。
 血を吐いた瞬間、すぐ近くにいたせいなのか。それとも、彼女を救ったのがランセルだったからか。
 どちらも正しいと思えるのに、どちらも明確な答えだとアリカは思えない。
 だからアリカは戸惑っていた。この上、何か理由があるのかと。

「まさか、あんな風になるなんてね。コウインは知ってたらしいから、それなら教えてくれればよかったのに」

 ランセルの力の弊害、反動について光陰は事前に知っていた。初めての吐血の時、居合わせていたという。
 どれだけ危険だったのか知っていて、光陰は誰にもそれを教えてこなかった。
 ネリーにはそれが不服らしいが、アリカの意見は少し違う。
 反動を隠そうとしていたのは、ランセル自身だ。心配されるのを嫌ってだとアリカは考えている。

(そんなことされても、みんなが困るだけなのに)

 けれど、とアリカは逆説的にも考える。
 もしも危険性を周囲が知っていても、どこまでそれを抑えられたのか。ランセルが力を使うのを止められたか。
 答えは否だ。そして、ランセルが普段から力を慎重に使っていたのもアリカは知っている。
 それに、ランセルの力こそが、アリカたちを救ったと……彼女はそう信じている。
 皮肉めいたものをアリカは感じる。

「起こってしまった以上は……仕方ありません。それに今は考えてもどうにもなりません……」
「……ほんとにそう思ってるの?」

 そう言ったのはシアーだった。円らな瞳がアリカの目を見つめている。

「それは……どういう意味ですか?」
「本当は気になってるんだよね……シアーにはそう見えるの」
「確かに気になりますけど……」
「なのにアリカも、アリカだけじゃなくてセリアもエスペリアもみんな、何かあると仕方ないって言うよね。どうしてなの?」
「どうしてって……」

 アリカは目線を足下の石畳に向けて考える。
 自分に何もできなくなってしまうから、仕方なくなってしまう。そうとしかアリカには言いようがない。
 シアーの言い分は、きっと幼い見解に違いない。諦めなくてはならない、その積み重ねが気づかせてくれる教えのような割り切りは。
 しかしアリカは真摯に受け止め考えて迷った。幼い言い分が、どうして間違えていると決めつけられるのだろう。
 そうしてアリカは一つの答えを導き出すのだが、それをこの場でシアーには伝えられなかった。
 神剣の反応が現れたからだ。分散しているが、一つや二つではない。

「敵……!」

 最も手近なミニオンは二人だった。下手に戦闘を避けては避難している住人に危害が及ぶ可能性が出てくる。
 それよりも前に、なるべく早く迎撃しなくてはならない。
 ふと街のエーテル灯が消えたが、アリカはその意味を深く考えなかった。

「二人とも行きましょう」
「うん!」

 三人は気配のほうへと進んでいく。ミニオン相手だと三対二という状況は決して優勢とは言えない。
 すでにミニオンと戦闘をする場合は、一人に対して二人以上でかかることが半ば義務づけられている。
 多くの場合、スピリット単体の戦力をミニオンは凌駕しているからだ。
 この場合は互角の戦力……劣勢と優勢のどちらに傾くかは、直接戦うまで分からない。
 三人はミニオンたちの前に出る。
 黒と青の混成。外見はスピリットとほとんど変わらない。強いていえば、どこか無貌といった印象。アリカ個人はそれ以上の印象を受けているが。
 相性や敵の動き、将来的な目的を予想して、アリカが指示を出す。

「ネリー、シアー、あなたたちは一緒に黒を片付けてください。青は私が抑えます」
「一人で大丈夫?」
「大丈夫じゃありません……だから早く助けに来てくださいね」

 三人は苦笑い。ミニオンは無反応。
 即座に双方は神剣を構えて戦闘態勢に入った。それぞれが申し合わせた相手へと向かう。
 アリカは自分の脚に風を纏わせ、大気への壁とする。脚力を増幅し、速度を加速させるためだ。
 間合いでいえば、アリカのほうが長い。しかし、そもそもの実力では見劣りする。
 それは初めの打ち合いで再認せざるを得ない事実となった。
 時間稼ぎに徹しざるを得ない。攻撃は身を守るために。防御は回復までの時間稼ぎとして。回復は命を繋ぎ止めておくために。
 無言の攻防が続く。一般的に青スピリットは防御のための技術が低いと目される。青マナが変化する水や氷は物理的な耐性が低いからだ。
 しかしミニオンの剣はその弱点を補って余りある。
 ミニオンの生み出す氷壁は心臓や頭など急所への備えに近く、そもそも『恩恵』の突き込みをミニオンの剣は通さずに阻む。
 逆に攻撃の合間を縫うように繰り出されるミニオンの攻撃は、ただの一撃でアリカの命を奪いかねない。
 ネリーとシアーの支援には向かえない。
 安易に神剣魔法を行使しようとすれば、即座にミニオンによって相殺されて逆に致命的な隙を晒すのが判りきっているからだ。
 ミニオンの剣をシールドの上から受けるが、その上から姿勢を崩されそうになる。
 そうなるよりも前にアリカは体の中心線上を守りつつ、後ろへと飛び退く。
 確実にアリカがミニオンより勝っているものがあるとすれば、それは戦闘に関する経験だった。
 だから致命的な失敗や隙だけは晒さない。その結果を彼女は幾度となく見てきている。

「自ら隙を見せるのは……下策」

 そんな真似をすれば、持ち直す間もなくミニオンはアリカを断つだろう。
 息を整えつつ、アリカはミニオンを観察する。
 彼女はミニオンと魂を飲まれたスピリットに相違を見いだせない。
 それ故に、魂を飲まれていた自分がどういう姿だったのか容易に想像できた。
 そんな自分たちに声を届かせようとしたランセルの気持ちが少しだけ解ったような気がする。
 虚しい、起こるはずのない奇跡にすがるような心境。
 アリカとミニオンの間に言葉はない。あっても、それは意思の疎通とならないだろう。
 両者の間には繋がるべき感情がないのだから。
 アリカは小さな痛みを感じる。それは正体の掴めない感情のせいだ。
 ふざけた奇跡を信じた男がいて、運命の悪戯は彼に奇跡を許した。その結果が自分と仲間だ。
 だから。

「私は死なない……救われた命を全うする。そうでないと……」

 顔向けできない。会えなくなってしまう。どうしてだか、それはとても悲しいとアリカは胸の内で断じる。
 下がる体が前へと向く。風の加護が加速を促す。腰を落として体は半身に。
 捻りを加えて『恩恵』を繰り出す。空気が破裂する音が響いた。音の壁を突破した証だ。
 ミニオンはその一撃さえ防ぐ。しかしアリカの攻撃はそこで終わらない。
 『恩恵』を引きつつ、ミニオンの神剣を横に叩く。引き終えるなり、外に傾いだ神剣を打ちつけ弾く。
 ミニオンは神剣を手放さない。どちらでもいいとアリカは判断する。槍を扱く。空気の破裂音が、彼女の耳に心地良い。
 幼い時から握り、鍛錬と実戦の最中で磨かれた槍。それが彼女を生き残らせたらしめた、技術。
 三度目の突きが胸元に張られた氷壁を打ち砕いて、ミニオンの肉体を捉える。

(浅い!)

 手応えで理解する。氷壁が予想していたよりも硬く厚かったのもあるが、神剣を突かれた段階でミニオンはその動きに逆らわずに距離を取ろうとしていたせいだ。
 渾身の攻撃は今一歩で届かない。手の内を見せてしまった以上、勝機が遠のいてしまう。
 しかし、アリカは一人で戦っているわけでもなかった。
 ミニオンの背に向けてネリーが飛び込んでくる。無防備な背中を『静寂』が貫いた。
 体を震わせたミニオンが天に溶け込むように消えていく。最期まで、変わらない表情のままだった。
 それを見届けて、アリカは荒く息を吐き出す。

「ありがとう、ネリー……」
「えへへ……どういたしまして」

 ネリーは誇らしげに笑う。見るとシアーも無事だった。
 二人ともやはりと言うべきか傷を負っている。アリカはすぐに治療を始めた。
 まだ他の地点にミニオンの反応は残っている。戦いは終わっていなかった。
 シアーの治療中にアリカは言いそびれたことをちゃんと伝える。

「……ランセルの側にいたかったんでしょうね、私。もしかしたら、力になれたかもしれないのに」

 シアーは頷く。この少女がどれだけのことを考えていたのかアリカには分からない。
 けれど言うべきことは言う。

「だから戻ったらそうします。私はそうしたいですから」












 ミニオンはエーテル変換施設の内部にも姿を現した。外壁を破壊しての侵入だ。
 現れたのは青のミニオン一人だけ。しかし変換施設内部を制圧するには、それで十分だった。
 その場にいた二人に戦闘能力はないのだから。どちらにしてもミニオンには関係ない事情だ。
 護衛のスピリットたちはそれぞれ別のミニオンとの戦闘を余儀なくされているらしいのがイオには分かる。
 助けが来るにも時間がかかる。それを悠長に待つ時間は残されていない。
 ミニオンの黒い翼が広がる。攻撃態勢に移ろうとしていた。狙いはヨーティアだ。

「『理想』よ!」

 イオは反射的に『理想』を手元に呼び寄せた。瞬時に右手に杖が握られる。
 ミニオンとの間に割って入り、『理想』の力を解放した。
 接触する両者の間で力が反発しあい、互いを寄せ付けない。
 それを嫌ってかミニオンが離れる。それに合わせてイオも後ろに下がり、左手でヨーティアを抱きかかえる。
 イオの呼吸はいくらか浅く速かった。視線はヨーティアではなく、ミニオンから離れない。
 ヨーティアはイオの体から体温とは別のものを感じ取る。

「イオ……震えてるのか」
「はい……恐ろしいと思う気持ちは止められません」

 イオがミニオンとの距離を保ったまま、背中が出入り口の正面に来るように移動する。

「ですが、ヨーティア様を失ったら……もっと嫌な気持ちになるでしょう」

 そこで彼女はヨーティアを下ろす。震えはすでに止まっていた。
 ヨーティアは危惧する。もしやイオは命を捨ててまで自分を逃がそうとしているのではないかと。
 しかし、その懸念を予期していたのか、イオは否定する。
 彼女は淡々と、しかしいくらかの毒を込めて言う。

「私がいなければ、一体誰がゴミで埋もれる研究室の掃除をしなければならないんですか? 誰が好き嫌いの多いヨーティア様にバランスを重視した食事を作るのです? 誰がだらしのないヨーティア様の生活習慣を叱らなくてはいけないんですか?」
「……それは言い過ぎじゃないのか? しかも、こんな時に……」
「いいえ、ちっとも言い過ぎではありませんし、今だからこそ言うんです。言える時に言わなければヨーティア様は聞き入れません」

 イオはふわりと笑う。自信に満ちた笑み。

「今、申し上げたことは他の誰にもできません。助手である私にしかできない仕事です。ですから、ご心配なく」
「……そこまで言われたら、信用するしかないじゃないか。まったく私も有能な助手を持ったもんだ」

 ヨーティアは苦笑いのような表情で言う。続けてイオは部屋から出て少しでも離れるように言う。

「何分、私自身が『理想』の力を把握し切れていないので……この場にいてはヨーティア様を巻き込む危険性が」
「分かった分かった……けど、一人だけで逃げてる時にミニオンと鉢合わせしても終わりなんだから、早く来てくれよ」
「承知しています」

 ヨーティアが入り口に向けて駆けだしていく。ミニオンの視線がそれを追う。
 追跡するよりも先に、イオが『理想』を横に払う。

「余所見は禁物です」

 空中に氷柱が三本生まれて、ミニオンを押し包もうとする。
 ミニオンは翼を翻して、それを避けた。そのままミニオンは滞空した状態でイオに襲いかかってくる。
 イオは氷柱を連続して生成するが、そのいずれもミニオンに追いつかない。左右に折り重なって後逸していく。
 ミニオンが間合いに入った時、すでに神剣を振りかぶっている。
 イオは、跳躍した。ミニオンの神剣は何もない空間を斬る。
 直後、イオはミニオンの背後、折り重なった氷柱の上に現れた。

「エーテルジャンプと同じ原理ですか……」

 ごく短距離だが『理想』の力はイオの体を跳躍させた。
 イオは息を吐く。『理想』は同時にイオに戸惑いも与えていた。
 だが、いくつかのことをイオは理解している。あるいは、失われた彼女の記憶がそうさせたのかもしれない。
 ホワイトスピリットであるイオは、全てのマナに対しての適正を持つ。白であるが故に全ての要素を併せ持っている。
 その中でイオにとって特に攻撃としての相性がいいのは、青マナを使っての戦い方だった。
 そして、『理想』は限定的にしか力を発揮してくれない。その理由まではイオにも分からない。

「『理想』よ、主の意に答えよ。停止の世界を生み出せ――」

 刻まれる魔法陣は三重。『理想』がイオの意思に応じる。
 マナの動きを感知して、ミニオンが神剣魔法の発動準備に入った。その判断は間違えていない、とイオは思う。
 誤りがあるならば、イオの力をミニオンは計り切れていない点だ。
 ミニオンの神剣魔法では、イオの力を阻害するなど到底不可能だった。
 『理想』が限定的にしか力を発揮しないならば、その全てを攻撃のためだけに用いる。
 注ぎ込んだ力全てで、敵を攻撃ごと呑み込んで殲滅してしまえばいい――。
 マナの流れは、イオの頭上に巨大な氷塊を生み出す。

「アイスクラスター!」

 氷塊が墜ちる。同時にイオは余波を避けるために跳んでいた。
 ミニオンも咄嗟に氷塊を避ける。直撃こそ避けたが……それでは足りなかった。
 床に落ちた氷塊は、瞬時に周辺の熱を奪って極寒の世界へと変える。
 それはエーテル変換施設の半ばにまで及ぶ。瞬時の内に物質が凍りついていく。
 ミニオンとて例外ではなく、もはや抵抗など意味を為さない。
 床に触れていた足が張りついたのをミニオンが認識すると同時に足が完全に凍りついた。
 それを認識する以前に胴体が氷結し、身中の臓器が機能を停止させられる。
 そして呼気ごと、頭部が凍りつく。思考と判断は、一瞬の内に無用の長物と化していた。
 氷塊が砕け散るのと同時に、ミニオンを含めた物質が砕け散る。
 イオは――自身が生み出した光景を、どこか呆然と見つめていただけだ。

「これが『理想』の……私の……」

 イオはどうして『理想』が限定的にしか力を発揮しないのか、自分が記憶を失ってしまっているのか。
 その理由が漠然とながらも、解ったような気がした。
 彼女は『理想』の力に、過ぎたる力に危うさを感じる。
 それでも、イオは決心してもいた。
 守るために力が必要で、守りたい相手が存在するのならば。
 イオは自分の意思で力を使うと決めた。今のイオには確かに理由が在る。
 力に恐れこそ感じても、振るうのに迷いはしない――と。










40話、了





2007年6月16日 掲載。

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