永遠のアセリア 1
Recordation of Suppressor
42話 開かれた終末
2
カオリが元の世界――ハイペリアに帰ってから、一夜が明けた。
ユートとアセリアの姿もその日の内に見えなくなっている。夜中に発つと言っていたから、すでにこの世界にはいないのだろう。
しかし、俺の記憶から二人はまだ消えていなかった。
この記憶がいつ消えてしまうかは分からない。消える時も、消えたことにさえ気づかないのだろう。
だから、せめて覚えている内は忘れないでおきたかった。
部屋のドアが叩かれる。誰かは確認するまでもない。身支度はすでに整えていた。
「おはよう」
「おはようございます」
やはり部屋の前にいたのはアリカだった。
今日は軍議がある。ユートたちがいようといなかろうと、ロウエターナルと戦わなければならないのに変わりない。
スピリット隊の人員増加に伴って、軍議は野外で行われるのが通例となっていた。
今だと訓練所を使って行うので、足はそちらに向く。
「昨日は大変でしたね……」
「ああ」
カオリが帰った後もオルファたちは泣きやまずに、しばらく会場は騒然としたままだった。
結局、後片付けが完了したのは真夜中を過ぎてからだ。
それもあって、ユートとアセリアは本当に気がついたら姿を消していたことになる。
いや、気づいていても見送りをしなかっただろう。それはきっと余計に悲しくなるだけの話。
……そういえば、アリカも二人のことをまだ覚えているのだろうか?
(覚えてるに決まってるか)
俺が覚えているのだから。そう考えてみると二人には触れない方がいいような気がした。
消えるのが確定してしまった二人について、何を話せばいいのか見当もつかない。
「忘れられるって……どういうことなんだろうな?」
「……どういう意味ですか?」
「それが知りたいんだよ」
エターナルの概要を聞かされて以来、それがずっと頭に引っかかっていた。
世界から忘却される存在。それは何を拠り所として生きるのだろうか。
アリカは分からないと言いたげな顔をしていた。それはそうだろう。俺にも分からない。
もっとも、今はそれを気にする時ではないだろう。考えるべきこと、やるべきことは他にある。
訓練所にはちらほらとスピリットたちが集まり始めていた。
すでに見慣れた白板に、人数分の椅子。脇には予備でさらにいくらかの椅子が詰まれている。
所定の位置に座って待っていると、程なく全員が揃った。
普段と違うのは、ヨーティア女史とイオ、そしてトキミが場に加わっていることだ。
進行はコウインとエスペリアが務める。
「まずは現状の確認といこうか……」
重々しい口調でコウインは切り出す。すぐにコウインの口調の意味が分かった。
現時点でサーギオスとの決戦から一ヶ月近くの時間が経過している。
一ヶ月で集計された被害は大きい。
まずサーギオス地方。旧帝都と周囲の三都市にそれぞれエーテル変換施設が存在していたが、四基とも破壊が確認されている。
加えて退却中にミニオンの襲撃を受けて、サーギオス領民や義勇兵の間に少なからず死傷者が発生している。
ラキオスに反発して残った領民たちの安否は知れない。絶望視されている、としか言いようがなかった。
スピリットについても同様だ。『誓い』が打ち破られてからサーギオスのスピリットたちは抜け殻のように行動を停止していたが、そのほとんどがミニオンの攻撃や変換施設の破壊に巻き込まれて消滅している。
一部のスピリットは撤退際の兵たちによって保護されていたので、目下のところ治療を受けているという。
いずれにしても、大陸内で最強と謳われたスピリットたちは、そのほとんどが姿を消してしまったことになる。
ウルカやアリカは言うに及ばず、セリアでさえその報告には沈痛な面持ちをしていた。
「裏を返せば、サーギオスを守備する理由もなくなってしまったけどね」
ヨーティア女史は苦笑混じりに言う。女史はどこか冷めた視線で状況を俯瞰しているようだ。
次いで、マロリガン地方について触れられた。
クォーリンを初め、稲妻隊のスピリットたちの表情が強ばる。
ダスカトロン大砂漠に阻まれているため、どうしても連絡が滞りがちだったが、つい一週間ほど前から砂漠越えに成功した難民たちがランサに到着するようになっていた。
難民のほとんどは人間だったが、中にはごく一部スピリットたちもいた。
マロリガン地方の守備隊だった彼女たちも懸命に反撃したが、歯が立たずに壊滅の憂き目に遭っている。各地の施設も完全に沈黙しているのが確認されていた。
生き残ったスピリットたちは身を挺して、避難民の撤退を支えたそうだ。
詳細は分からないが、避難民たちがランサに到着した時、人間がスピリットを逆に護るような形になっていたという。
時間が経てば、このような話は美談になるのか。あまり興味をかき立てられなかったが。
一方、ランサは避難民を受け入れたために、食料や衣類などの生活必需品が欠乏しつつある。
情報部の試算で一週間後には備蓄食糧が底を尽きかねないとの結果が出た。
そこでレスティーナ女王の指示で急遽輸送隊が編成されて、ランサに向かっている。
ここで問題になったのは、マロリガンからの避難民をランサに留めておくべきか、ということである。
ランサには神剣から解放されたごく少数のスピリットが配置されていただけで、ランサの防衛設備もマロリガン戦終結以降は大幅に縮小化されている。
避難民と共に生き残ったスピリットたちを含めても、十に届くかどうかのスピリットたちしかいない。
もしランサがミニオンたちに襲撃されたら、到底防ぎきれるものではないだろう。
「レスティーナはこの件に関して、どう言ってるんだ?」
イオが答える。こういう時のイオは代理人のような役割も果たす。
「陛下は避難民たちをランサに留めておく方針のようです。コウイン様の意見は?」
「俺も賛成だ……このまま行くと次の戦場は
もっとも、これはランサが襲撃されないのを前提にしての考え方だ。こればかりは確証がない。
ランサには防衛施設以外の軍事拠点はなく、それさえ縮小されている。
ロウエターナルの的になる要素は少ない。現時点で無視して差し支えのない拠点のはずだった。
……しかし、これは希望的観測であるのも確かだ。
結局のところ、ランサまで守備隊を増派する余力がない。
最悪の場合、ランサは見捨てねばならなくなるだろう。
仮にユートが『求め』を失わずにここに残っていたら状況は違ったのだろうか……結局、変わらないのだろう。
「ロウエターナルの目的がエーテル関連施設の破壊にあるなら、俺たちはラキオス王都を中心にして防戦を図らなければならない。今も稼働している変換施設はここにしかないからな」
コウインが地図を叩く。ミニオンを相手にして一番厄介なのは、ミニオンが神出鬼没である点だ。
トキミや女史の話ではエーテルジャンプと同じような手法で転送されているとの見立てだが、精度に関しては甘いようだ。
そうでなければ転送事態を防ぐのは不可能なのだから、今までももっと正確にこちらの拠点を狙ってきたはず。
「当面の間、俺たちは専守防衛に努める」
「あの、それはいいんですけど、敵の本拠地はどこか分かっているんですか?」
「見当はついてるさ」
一同の視線がヨーティアに集まる。この話は初耳だった。
「マナの流れを観測をした結果、どうもソーン・リーム自治区にマナが集められている。おそらく……最奥にあるキハノレだろう」
「キハノレ?」
聞き覚えがないのだろう、キョウコが首を傾げていた。
女史が補足する。説明できるせいか、どことなく表情は楽しそうに見えた。
「マロリガン地方の北にある年中が雪に閉ざされた場所だよ。その気候と周辺が峻険な山に囲まれてることから、他の国の目が行き届きにくい。加えて、ソーン・リーム自治区そのものが特別な場所なんだ」
「特別って……どういうこと?」
「この世界の人間にとってはね、あそこは神聖不可侵な聖地なんだよ。古来からそう言われ続けているし、マナ信仰発祥の地でもある。宗教的な価値観でも切り離せなくて、あそこを支配下に置くっていうのは為政者でもそれなりの勇気が要るものなんだよ」
だから、誰もあそこに手はつけなかった。
それ以上に産業として成り立つ要素がソーン・リームには欠けているのも理由となる。
マナこそ豊富だが、峻険で過酷な環境が産業を育ませてこなかった。
エーテル変換施設なども同様で、資材の運び込みや中継所の設置、管理維持を考えた場合、徒労以外の何者でもなかった。
何より、そのような真似をすれば、それこそマナ信仰に対する冒涜として考えられるだろう。
信仰者は元より、領民からの反発も強いと想像できる。
極端な話だが、関わる必要がなかった。
ソーン・リームに生きる敬虔な信仰者たちも同じ結論に至ったのか、マロリガンとさえこの数十年は接触が途絶えていたという。
つまり、互いに不可侵であるのが暗黙の内に成立してしまっていた。
「そして、首都であり最奥の都市キハノレは『始まりの場所』と呼ばれている。まあ、十中八九ロウエターナルはここを拠点としているだろうね。ロウエターナルもいい場所に目をつけたもんだよ。外部との連絡が途絶えたとしても誰も不審には思わない。堂々とよからぬことをしてようと、誰にも分かりやしないんだから」
女史は頭を掻いて、苦笑めいた表情を浮かべる。感心とも呆れとも取れた。
しかし、こうなってくるとソーン・リームへの認識でさえロウエターナルの介入を疑ってくる。
伝令が大慌てで駆け込んできたのは、その時だった。
それは事態の急変を意味する。
「ご注進! エターナルミニオンの大部隊がここより東、南、南西の三方に出現し王都を目指しているとのこと! また、アキラィス、リーザリオはすでに陥落したとのこと!」
「……ついに来たか。それぞれの方面の規模は分かっているのか?」
「いえ、申し上げにくいのですが、正確な規模までは……今までにない大部隊なのは確かなのですが……」
「……まあ、仕方ないな」
人間の兵では容易に近づくことができない。また、もし敵の規模を調べられても、そこから帰還して無事に伝えるのも難しい。
「やむを得ない、敵の規模はどの方面も同数と仮定しよう。敵の狙いは間違いなくラキオス王都だ。俺たちは部隊を三つに分けて、それぞれ迎撃する」
ラキオス王都を戦場にするのは、本当に最後の手段でしかない。
現在の王都には難民を中心に人間でごった返している。そのような場所を戦場に選ぶ理由がない。
「防衛地点はラース、ラセリオ、エルスサーオだ。ただしラースとは若干距離があるから、場合によっては放棄も視野に入れておく。エスペリア、各都市の防衛体制は?」
「急造ですが、防衛用の塔とマナの活性施設を。ですがミニオン相手にどこまで有効かは……」
「何もないよりはマシだ」
コウインは断言し、顎をさすった。
「……なあ、時深さんよ」
「なんでしょう?」
「あんたを疑うわけじゃないが、援軍はまだ来ないんだな?」
「……残念ですが。まだ一月ぐらいはかかってしまうでしょう」
「となると、ここが正念場ってわけか」
コウインはそこまでを聞くと、指示を始めた。
「時深、エルスサーオ方面の防衛を任せられるか? ここがラキオス王都と一番近いから任せたいんだが」
「私は構いません。ですが、私一人では一時に抑えられるミニオンの数は限界があります」
「分かってる。エスペリアも時深についてくれ。あとは……オルファちゃん、ネリーちゃん、シアーちゃん、ファーレーン、ニムちゃんもそっちの防衛に回ってもらう」
各々が頷くのを確認して、コウインは続ける。
「ラセリオには俺と今日子、稲妻で防衛する。セリアとウルカ隊、ハリオン、ヒミカ、ヘリオンちゃん、ナナルゥはラースを頼む。指揮はセリアに任せる」
コウインの視線がイオに動く。
「イオも戦力として頼っていいんだな?」
「もちろんです」
「よし、それならラース方面に回ってくれ。それからランセル、お前も戦えるのか?」
答えようとしたところで咳き込んだ。ひどく間の悪い。
「……大丈夫だ」
「……あんまり無茶だけはするなよ。ラースに回ってくれ」
「ああ。しかし……」
「どうした?」
「いや……」
一瞬、ユートとアセリアを思い浮かべただけだ。
「気になるな。最後まで言えよ」
「……ユートとアセリアがいればもう少し楽だと思っただけだ。もう詮無いことだろうが……」
いない者をいつまでも頼りにしていてどうする。
コウインは目を伏せ考えるような仕草を見せた。
話かけてきたのは、セリアだ。
「こんな時に話の腰は折りたくないのですが……誰の話をしているんですか?」
「だから、ユートとアセリアだ」
「ですから、誰です?」
苛立たしげに、セリアは苛立たしげに重ねて訊いてきた。
「誰って……」
「知らない者の話をされても困ります。本当に……大丈夫ですか?」
どうして、話が噛み合っていない?
ユートとアセリアの記憶はいつか消えるものだ。それは確実。
ならば、どうして俺が知っていてセリアが知らない。いや――俺だけ、なのか?
周囲を見渡すと、一様に奇異の視線が返ってくる。どうして、こんな。
「どうやら、あなたは混乱しているようですね」
そう告げてきたのは、トキミ。彼女は俺ではなく、コウインを見ていた。
「光陰さん、私は彼を戦わせるのに反対です。彼はシュンとの戦い以降、まだ調子を取り戻していないようですから」
「違う! 俺は別に……」
「ランセル、少し黙っててくれ」
コウインに制される。そのままコウインは、トキミに言う。
「俺としてはランセルを外したくはない。酷な話でもあるが、あいつは俺たちエトランジェとも遜色のない力を持っている。この状況で戦力として計算できるやつを外したくないんだ」
「そうですね。確かに記憶の混乱は見られますし、不本意ですが私たちの中でも有数の能力を持っているのは確かです」
セリアもコウインの意見を支持する。同時に、違和感に気づく。
「トキミ様、彼はスピリット隊には欠くべき方ではありません」
「そうですよ。今までだってランセル様は窮地をなんとかしてきたんです。今回だって!」
やっぱり、おかしい。俺の話なのに、俺だけが置いていかれていた。
何かが捻れて、歪。
間違えているのは俺なのか、周りなのか。
「……あなたはどうやら信頼されているようですね」
トキミは、横目にこちらを見て淡々と言う。俺を見る目にこれといった感情は見受けられない。
何故か、トキミだけがこの歪な状況を理解しているような気がした。
「戦いに加わるのに反対はしません。ですが、忠告を一つだけ」
その時になって、初めてトキミは俺と向き合った。
「あなたはもう神剣の力を無理に引き出さない方がいい。そうでないと、あなたは――」
ラースが遠くに感じる。
行き慣れた道でないのは確かだが、それ以上に足が重たい。足以上に体が重たい。
体が自ら進むのを拒んでしまったかのようにさえ思えてくる。
俺は、壊れた。自覚した。理解した。そして、受け入れていない。
だからこそ、より明瞭に距離が見える。俺と世界の隔たりが。
周りにはウルカやイオたちだっている。けれど、その距離は見た目以上に遠くて、その縮め方が分からない。
咳き込む。この胸が潰れそうな感覚は確かなはずだ。けれど、それは世界との距離を埋めるに至らない。
失われるべき記憶と、失われなかった記憶。認識の差違。自覚して理解して、なお受け入れられない。
俺は終わりに近づいている。この虚飾もついに剥がれ落ちて。
今一度、咳き込んだ。いっそ全て吐きだして、終わってしまってもいいような気になる。
「……隊長、皆さん。先に進んでてもらえますか? 彼は落ち着くまで私が見ていますから」
アリカの声だ。その必要はない、と言い出せない。
だから流されていく。アリカの意見は受け入れられて、皆が俺たちを追い抜いていく。
行き際の顔をどうしても覚えていられなかった。あるいは、見てさえいなかったのかもしれない。
遠ざかっていく気配だけは確かに感じた。
「……トキミ様に言われたことを気にしているのですか?」
「いや……そうじゃない。あれはあれで気になるが……」
言われた言葉を思い返す。
あなた――俺は積み重ねた全てを失ってしまう。『鎮定』の力を使い続ければ取り返しがつかなくなる、ということか。
当たらずとも遠からずだろう。
トキミの言っていることは、きっと正しい。従った方が賢明だ。
そう考える一方で、無理な相談とも思えた。ミニオンを相手にして楽な戦いなどない。
「私は……気にしています」
「何?」
「だって、そうじゃないですか。具体的にどうなってしまうのかトキミ様は言いませんでしたけど、ランセルによくないことが起きてしまうんでしょう?」
そう言われて初めてアリカと目を合わせる。茶の瞳がしっかりと俺を見ていた。
「嫌です……そんなのは……」
「……考えすぎだ」
そうは言ってみたものの、気休めにもならない。俺自身がそう思っていないからだ。
「遅れるから、もう行こう。少し弱気になってただけだ……」
そう割り切って歩き出す。迷ってるからおかしなことになるんだ。
大体、自分の正体がはっきりしない時点で、何かがおかしいのは分かっていた。今になって、気にしてどうするつもりなんだ。
そう思って踏み出した足が止められた。
「……アリカ?」
どう、言えばいいのだろう。
後ろから抱きつかれた、のか。背中にアリカを感じる。彼女の腕が体の前に回されていた。
吐息が聞こえてくる。早く、荒い。腕が震えていた。体も震えている。
「……どうして、私は震えているんでしょう? なんで、こんなに怖いんですか?」
背中越しの声は切実だった。
「おかしいです……こんなのおかしい……なんで、こんなに苦しいんですか!」
かける言葉がなかった。
アリカは泣いている。彼女は涙を流すまでに、強い感情を俺にぶつけていた。
「俺のせい……なのか?」
「……きっと、そうです。あなたのせいで、こんなに辛いんです……」
「……すまない」
「そう思ってくれるなら……一つだけ……約束してください」
「……何を?」
「もうこれからは絶対に……あの力を使わないでください。私たちを助けたあの力を……」
使わないで済むなら、それに越したことはない。
しかし、戦いが激化しているからこそ必要な力だとも思う。
迷う気持ちにとどめを刺したのは、アリカの一言だった。
「いなく、ならないでください……」
アリカの腕を振りほどく。彼女は抵抗しなかった。
もう一度向き合って、彼女の手を取る。今も震えは止まっていなかった。
アリカについて考えてみる。
リレルラエルで魂を飲まれていた彼女を助けようとした時を思い出す。
今でも理由は分からない。だけど、俺はとにかくアリカを助けたかった。
ウルカのためだったのかもしれない。アリカのためだったのかもしれない。俺自身のためだったのかもしれない。
あの時。アリカが息をしていて、それが嬉しかった。助けられたことが、嬉しかった。
そういう気持ちは、今も変わらないと思う。
「分かった……」
「本当ですか……?」
「ああ。以前だって書簡をちゃんとウルカに渡したじゃないか」
「……でも、中は見たんですよね? 見るなって言ったのに……」
「あれは渡し終わった後の話だ。だから……もう一度ぐらい、信じてもいいんじゃないか?」
これが今の自分に言える限界。
アリカは目元を拭って吐息。
「……そんな言われ方をしたら……信じるしかないじゃないですか」
かくして、一つの約束が結ばれた。
そして俺は、すぐにこの約束を破ってしまう。
けれど、それは。きっとアリカも薄々感づいていたのだと思う。
それと知りながら約束し、きっと彼女は望みを賭けた。少ない可能性に賭けて。
幕が上がる。『鎮定』のランセルにとっての終幕劇が開かれようとしていた。
42話、了
2007年6月25日 掲載。