永遠のアセリア 1
Recordation of Suppressor
45話 二人の王
2
ラキオス王城、謁見の間。
今、ここにはスピリット隊やトキミらが集っていた。他にもヨーティア女史やラキオスの重臣や地方執政官など、政務に携わる重要人物も集められている。
レスティーナ女王は先日起きたミニオンの大部隊との戦闘による被害集計を報告させたばかりだった。
それによると、ラース、ラセリオ、エルスサーオの三都市が被った被害は甚大で、復興には相応の時間と労力を見込む必要があるとのことだった。
女王はその報告に頷いて、人足をラセリオとエルスサーオに派遣し、復旧作業に入らせるよう指示を出した。
ラースの街は当面、放棄されることとなった。
いずれにせよ、引き続き難民はラキオス王都に引き留めておくことだけは決定している。
話題は、すぐに戦闘詳細に移った。
まずエルスサーオ方面。ミニオンの撃退後にロウエターナルの首魁――正確には違うのだが、この世界に限ってはそう説明した方が話が拗れないだろう――法皇テムオリンが現れてトキミと一戦を交えている。
この戦いは決着がつかずに、法皇テムオリンが勝負を預ける形で退いている。
次いでラセリオ方面。こちらがもっとも被害の酷い地区となった。
ミニオンのみならず二人のエターナル、黒き刃のタキオスと不浄のミトセマールを相手にしたのだから無事で済むはずがない。
コウインとキョウコはそれぞれ重傷を負い、命に別状はないが戦列に復帰するまでしばしの時間が必要と見なされている。
それでもコウインもキョウコも姿を見せていた。
例えばコウインだと左手には包帯が巻かれて、それを首に通した布で吊っている。左頬には白い布が押し当てられていた。
キョウコも似たような状態だ。それでもおちおち休んではいられないのだろう。
稲妻隊も同様で、全員が重傷と判定されるだけの怪我を負っていて――戦死者も五名確認されていた。
結局、タキオスらとミニオンたちも撤退している。どうやら法皇の撤退と前後しての行動らしい。
サーギオス戦が開戦された以降、スピリット隊は稲妻を含めて、スピリット隊と呼ばれるようになっている。
そしてサーギオス戦を経てもなお、スピリット隊は一人の欠員もなかった。それがついに破られた……わけだ。
最後にラース方面。こちらは紆余曲折を経てミニオンと水月の双剣メダリオを追い返している。
その紆余曲折は、大体が自分に絡むのだが。
ミニオンの推定撃破数は三方面合計で百は数えられている。
そう考えると、戦死五人は少ないと言えるのかもしれない――あくまで数字だけで物事を計るならば。
いずれにせよ全体を見て被害こそ無視できないが、なんとか当面は凌げたと判断していいだろう。
そして最後に――俺について。
レスティーナ女王は俺を見て、どうしたものかと尋ねてくる。
「訊かねばならないことは多いですが……まずはランセル殿、とお呼びすべきでしょうか?」
と、いくらか余所余所しく尋ねられる。もっとも、元から砕けた話をするような間柄でもないのだが。
「それには及びません、陛下。出自と事情は抜きにして、未だに私はラキオスに仕えているとお考えください」
「……そうですか。では、ランセル。まずあなたは本当にエターナルですか?」
「その通りです……そこのトキミも知っているでしょう」
「そうなのですか、トキミ殿?」
「はい。彼は確かにエターナルです」
トキミはずっと俺を見ていた。警戒を隠さずに。
それも当然だ。元々俺たちは敵対している立場だし、あれと戦った回数も一度や二度では済まない。
互いに良い感情を持ち合わせてるはずがなかった。
「ロウエターナルが一人、三位永遠神剣『律令』の主にして、法官ランセル。間違いありません」
ロウエターナルと呼ばれて、周囲からどよめきの声が漏れる。
侵略者の一味と、要はそう言っていた。意図的に、秩序側であるのを強調されたようだ。
「お待ちください。ランセル様が我らの前に現れたロウエターナルと交戦したのも事実です。過去がいかようであろうとも」
そう進言したのはイオだった。
トキミは悪びれた様子もなく、イオの言葉を認める。
「その通りです。私が知っているのはあくまで法官という異名を持つロウエターナルであって、彼の心変わりの理由までは計りかねます」
「なるほど……それで、ランセル。あなたは我々と共に秩序の永遠者たちと戦うのですか? それとも何か別の目的が?」
女王はいきなり核心に切り込んできた。
とはいえ、これから話を進めるなら、そこを明確にしなければならないのも確かだ。
「戦う気がなければ、初めからここにいません。そして理由は……イースペリア王国女王、アズマリアがこの世界を愛していたからです」
「……私が以前、初めてあなたと会った時も同じような答えを言いましたね」
「……本質は簡単には変わらないでしょう」
「あなた自身は、この世界をどう感じているのです? アズマリアは関係なく……」
「……好きですよ。ここには大切なものがある。それは自分を賭けて守るに値すると考えています」
だから、この根底はエターナル以前とは変わっていないのだろう。さらにそれ以前と比べると変化しているとは思えたが。
「……いいでしょう。私はあなたを信用したいと思いますが……異論のある者はいますか?」
それにはトキミも反対しなかった。
その代わりに一人だけ挙手する者がいる。コウインだ。
「……コウイン?」
「いや、俺もレスティーナ陛下の意見には賛成なんですけど、いくつか訊いておきたいことがあるんですよ」
「質問をさせても構いませんか、ランセル?」
「もちろんです。みんなにはその権利がある」
コウインは俺に向き直る。
ユートがいない今では、世界が修正されてコウインがラキオススピリット隊の隊長として扱われている。
とはいえ、サーギオス戦以降は実質的にコウインが指揮を執っていた面が強いので、違和感はそれほど感じない。
……マロリガン戦以前の記憶に関しては、なかなか混沌としているが。
「今まで通りの関係でいいんだよな、まずは?」
「ああ。俺もそのほうがありがたい」
「そうか。じゃあ、今まで通りにいくけど……ちょっと訊きにくいことを訊いてもいいか?」
「……訊いてから考えるよ」
「……なら訊いておくけど、もしかして時深と仲が悪いのか」
少しだけ答えに窮する。答えは考えるまでもなかったのだが。
「敵と仲が良いはずがないだろう?」
「時深もか?」
「当然でしょう。さんざん邪魔をされてるのですから」
見解は一致していた。だが、共闘する以上は好悪も割り切らなければいけない。
それに……別にトキミ個人を嫌っているわけではない。嫌っているのは、永遠者そのものだ。
もっともトキミは俺を個人的に嫌ってる可能性は高いが。
彼女の言うようにさんざん邪魔……戦っているのだ。気を許せるとは思えない。
「まあ……ほどほどにな? それでランセルはこの戦いで生き残れたらどうするつもりだ?」
それはエターナルに戻った時から決めている。
「この世界から出て行く。エターナルなんかはこの世界にいるべきじゃない」
「……現実に法官が残っていれば、他のエターナルを呼び寄せる原因にもなりかねませんからね」
トキミは痛いところを突いてくる。
俺の場合、他のエターナルに対する抑止力になるどころか、逆に呼び寄せる要因になり得る。
特にメダリオと本格的に交戦した以上、今後はロウエターナルからもより敵視されるだろう。
「いないほうが、世のため人のため妖精のため、だな」
「……そうか」
コウインは重々しく頷いた。そして、あることに気づいたらしい。
「……ちょっと待て。ランセルが出て行って、時深たちもこの戦いが終われば去っていくんだよな?」
「その通りですが」
「ロウエターナルたちはどうなるんだ? 時深はあいつらを追放するって言い方をしたけど、それだといずれ戻ってくるんじゃないのか?」
コウインの懸念はもっともだ。
あくまでこの世界でロウエターナルたちを倒しても、一時的でしかない。
ならば体勢を立て直して、再びこの世界を破壊に現れる可能性がある。
「あー、それに関しては、こっちにちょっとした対策があってね」
そう切り出したのはヨーティア女史だった。
「エターナルは確かマナが希薄な世界では存在できない。できたにしても著しく力が低下するはずだね?」
女史は俺と時深を交互に見て問うてくる。
頷く。エターナルはそれぞれの世界のマナで構成され、その世界に応じた法則やマナ総量などに制約を加えられる。
「詳細は明かせないけど……それを応用してエターナル対策ができるはずなんだ。以前からトキミ殿の協力もあったし、おそらくこれは実現できる」
「そいつはすごいな……それで、それはどのぐらいの期間持つんだ?」
「便宜上、蓋と呼ばせてもらうけど、蓋はかなりの長い期間は効果があるはずだよ。それこそ数千年ぐらいは効力があるはずだ。もっとも恒久的にとはいかないんだが……」
「……それだけの期間があれば当面の脅威に晒されることはなくなるでしょう」
理屈や理論はさておき、確かにそれならこの世界の安全はしばらく保証されるだろう。
ならば戦後の心配をする必要はなく、今は目の前の事態にだけ集中すればいい。
「ロウエターナルは今後どのように動いてくるでしょうか?」
レスティーナ女王は俺とトキミを窺う。
トキミが答えた。
「ミニオンの数は大きく減じたと思いますが、主力であるエターナルはいずれも健在です……ですが、当面大きな行動はないでしょう」
「その根拠は?」
「一つに私たちが受けた被害が大きいこと。私と法官を別にすれば、皆が負傷し即日の組織だった行動は難しいでしょう」
これはロウエターナルではなく、こちら側の事情だが。
しかし、現に軽傷で済んだ者も多いのだが、主力と目されている者ほど重傷を負っていた。
コウイン、キョウコ、ウルカ、セリア、イオ、クォーリンなどなど。いずれも復帰にはどんなに早くとも数日を要すると目された。
そして、そういう状態で都合よく数日で怪我が癒える場合は少ない。
「二つにロウエターナルが進んで攻勢に出る必要が少ない点。今回の戦いは……小手調べに近かったのでしょう」
「確かにそんな雰囲気はあったな……」
コウインもトキミの意見に同意する。
それは事実だろう。でなければロウエターナルたちがあの段階で退く理由はない。
「それにラキオスの変換施設を破壊せずとも、事足りると判断したのでしょう。この世界を崩壊させるだけのマナが集まるのに」
「……まあ、確かにこの調子でキハノレにマナが集まっていけば、そうなるかもしれないね」
女史は頭を掻く。あれはあれで対策を考えている、らしい。
「ロウエターナルは進んで攻勢に出る理由がないのです。ただ、私たちが攻め込むのを待つだけでいい。それにロウエターナルはどうやら任意に空間転移も行えたようですからね」
前回の戦いからロウエターナルの認識について見直された点が一つある。
それは正確に空間転移の類が可能な点。前回の戦いでは、どのエターナルも任意の場所に出現していたようだ。
「今までそうしてこなかったのは……法官、あなたなら理由が分かるのではないですか?」
トキミに水を向けられた。
理由は。
「法皇テムオリンは――」
おそらく。というよりほぼ間違いなく。
「遊んでいます。この世界に起こした戦争で」
「そんなふざけた理由で!?」
キョウコがいきなり怒鳴ってきた。
怒りのためか、頬が紅潮している。
「そんな勝手な理由で私たちを召還したの!? 私たちに、殺し合いをさせてたって言うの!」
「よせ、今日子! ランセルに怒鳴ってもどうにもならないだろう」
「あ……」
キョウコは少し鎮まったようだった。
怒って興奮したのか、呼吸が荒くなっているのが判る。
「……そうだね。ごめん……少し頭に血が昇ってた」
「いや……キョウコが怒るのも当然だと思う」
こうなるのが分かっていて、トキミは俺に言わせたのだろうか。
だとすれば、小賢しい話だ。
「キョウコやみんなには悪いけど、理由はそんなところだと思います。だから……止めを刺せるのに刺そうとしないんです」
「……そうですか。ですが、裏を返せば油断している……そう考えることもできますね?」
「……確かに」
油断はしているだろう。負けるはずがないと考えているからこその余裕の表れだ。余裕ではなく慢心とも言える。
「古来より格上の相手が油断による慢心により敗れ去る場合は多々見られます。ならばこそ、我らにも勝機はあるでしょう」
女王は自信を持って言い切る。場の流れを巧く変えた。大した為政者だ。
トキミが素早く話を再会する。
「私の仲間が来るまで一月……それまでの間、光陰さんたちは傷の治療と訓練に専念すべきでしょう。それからレスティーナ陛下やヨーティア殿を万が一の場合に備えて守らなくてはなりませんね」
「エターナルの襲撃もあり得る以上、護衛はトキミがやるべきだな」
先に言っておく。トキミも頷き返した。
「私のほうがテムオリンの出方には慣れていますからね」
それだけではない。
俺の場合、どうしても元がロウエターナルであるのが問題だ。
体裁としては外れた方がいいに決まっている。
「それからソーン・リームまでの橋頭堡が欲しいですね……」
「ニーハスの街が適所だな。問題はロウエターナルの勢力圏ってことなんだが」
「なら、俺がニーハスに行くべきだな。ミニオンが相手なら問題ない」
「……ではランセルと動ける者を中心にニーハスまで進出してもらいましょう」
話が決まった。
俺を中心に比較的軽傷だったスピリットたちに、数名の技術者や人足を伴ってニーハスを目指すこととなる。
ニーハスにエーテルジャンプ施設を建設すれば、以降の行軍が楽になるだろう。
さらに周囲の反対を押し切ってイオも加わることとなった。
ヨーティア女史は蓋を実用化するためにもラキオスを離れられない。ならばエーテルジャンプ施設の建造に携わるのは自分しかいない、と言い張って。
現実にエーテルジャンプ施設に関しては、二人のどちらかがいないと作業が滞りがちだ。
そういった事情もあってイオの帯同も結局は認められる。
出立は翌日の早朝に行われた。
多くの者に見送られての出立だったが、俺個人はアリカと話す機会を持てなかった。
それは出立の時もそうで、見送りこそされたがやはり話せないままだ。
だから、ひどく胸騒ぎがしていた。
俺は何かを話さなければいけなかったのかもしれない。
3
――彼女、アリカ・グリーンスピリットは迷っていた。未だに答えは出せず、気持ちも固まっていない。躊躇いも迷いも残っている。
それは安易に踏み出せない一歩。踏み出してはならない一歩。
故に、彼女は考える。考えても答えには至らない。
だから迷った末に彼女は歩いて、いつの間にかとある部屋の前で足を止めていた。
「どうして……」
その部屋の前に来た理由は、判った。彼女の疑問に答えを出せる者がいるからだ。
アリカは逡巡する。話を聞いてしまえば、それで全ての可能性が閉ざされてしまう気がしている。
しかし、逆に新たな可能性が開けるかもしれない。
踏み切れない彼女を後押ししたのは、部屋の奥からの声だった。
「入ってきても構いませんよ」
部屋にいるのは倉橋時深。互いに面識はほとんどない。
それでもアリカは意を決した。
「それでは、失礼します」
部屋の扉を開けるのに迷いはしなかった。
しかし、いざ時深と対面すると、アリカは本当にそうしてよかったのか分からなくなる。
そんな胸中を察してか、時深から話を進めてきた。
「まずはそこにかけてください。少々立て込んだ話になりそうですからね」
時深は部屋の椅子を指す。彼女自身はベッドの上に腰かけていた。
言われた通りにアリカが座ったのを確認してから、時深が切り出す。
「私に会いに来たということは、エターナルに関する話ですね?」
「……その通りです」
アリカは頷いてから、深呼吸をする。
緊張を隠しきれないまま、アリカは尋ねた。
「私でも……エターナルになることは可能なんですか?」
時深は即答しなかった。アリカの目つきや所作を一通り確認してから答える。
「可能です。私の案内が必要となりますが、前提としての条件をスピリットであるあなたは備えています」
スピリットは永遠神剣から直接生み出されている。故に、永遠神剣に最も近しい生命とも言えるだろう。
時深は思案しつつ、アリカに問う。
「あなたはエターナルになりたいのですか?」
対するアリカは正直に答える。
「……分かりません」
「そうですか。あなた……アリカがエターナルになろうと迷う理由は、ランセルのためですか?」
「そう……です。エターナルになれば彼とも……」
「エターナルの道は、茨の道で済むほど甘くはありません」
時深は断じた。叱るでも怒るでもなく、淡々とした口振りだ。
「あなたのように迷いがある者に、永遠者としての試練を与えるわけにはいきません」
「それは……そうですよね」
「もっとも、あなたの理由が軽薄だとも不適切だとも思いません。恋する乙女は私も同じですから」
千年の恋、というのを時深は体現している。
もっとも、その千年の恋は冷めるよりも前に、破れ去ったようなものなのだが。
時深は今現在でも恋路を譲ったつもりはないのだが、それはあくまで本人がそう思っているだけに過ぎない。
いずれにしても、それはエターナル云々という話には関係なかった。
「アリカ、あなたはランセルをどの程度知っているのです? 法官としてではない彼を」
「……全てを知っているわけじゃないです」
アリカはランセルがエターナルに戻る直前を思い出す。
メダリオに対して怒りを露わにしたのは、アズマリアという人物に関連して。
アズマリアが旧イースペリア王国の女王とアリカが知ったのは、ごくごく最近の話だ。
アリカは亡きアズマリアに対し、いくらか嫉妬した。
「恋することが全てを知ることだとも思いませんけれど……そうですね、法官ランセルについて少し話しておきましょう」
あくまで私の私感ですけど、と時深は前もって断っておいた。
「おそらく、法官はエターナルそのものを嫌っています」
「エターナルを……ですか?」
「ええ。あれは他のロウエターナルとも毛色の違う敵でした」
時深曰く、直接手を下して滅ぼした世界は一つだけ。
他のエターナルたちとも、あまり協同はしない。だから世界の破壊に直接的に関わることは少なかった。
その代わりに。
「私たちカオスエターナルが介入してくると、大抵立ち塞がってくるんですよ。ですから交戦する機会は割合多かった」
時深も何度かランセルと戦ってはいる。戦いにくいエターナルだったと時深は思う。
「本当に彼がエターナルを嫌っているのか、それは私に断定はできません。ですが、そう考えた方がいい節が多いのは確かです」
だから、と時深は続ける。
「それに考えてみてください。私は混沌に属する永遠者です。私は去就のはっきりしない者を誘うことはできません。何より、私の誘いでエターナルになれば、法官と敵対する可能性もあるのですよ?」
「……それはランセルがロウエターナルだったからですか?」
「いいえ。それも少しはありますが、それ以上に法官が今後どのように行動するのか不明瞭だからです」
敵か味方か。時深にも未だに判断し切れていない。
永遠者が絡んでくると、時詠の力も不安定になってくる。
直前の未来ならばまだしも、それが遠い未来になるとほとんど何も見えないか、いざ起こった頃には様変わりしてしまう。
「一つ私に言えるのは、あなたがエターナルになったとして――ランセルが喜ぶでしょうか?」
アリカは答えられない。
それこそが決意を固められない理由だと、彼女はようやく思い至った。
4
ラキオス王都に戻ってこれたのは、出立からちょうど一月が経った頃だ。
この一ヶ月の動きについて報告も求められたのもあるが、トキミの仲間のエターナル――ユートとアセリアだが、二人がそろそろ現れるということで俺も呼び戻されていた。
謁見の間では、いつものように上座にレスティーナ女王とヨーティア女史。それに控える形でイオとトキミがいる。
下座には俺を含めてスピリット隊の面子が揃っていた。いつかと違って、コウインたちの負傷は癒えている。その中にアリカの姿があるのを見て、どこかで安心した。
ニーハスへの進軍だが、これは成功している。現在はエーテルジャンプ施設も稼働していた。
ミニオンの襲撃も多かったが、徐々に下火になりつつあり今では途絶えている。
念のため、北に位置するソスラスに向けて多少進出してみたが、近隣にミニオンの気配は感じられなくなっていた。
防衛線を下げたとの見方が強いが、これが偽装である可能性も捨てきれない。
俺が抜けたことで、ニーハスの防衛網に穴が開いてるのも事実だ。この機に攻め込まれないとも限らない。
もっとも、それ以上に攻め込まれるのをロウエターナルが待っている可能性も高かった。
決戦という形で最後を迎えるために。
「ならば、こちらの準備が整うのを待っていると考えていいのですね?」
「希望的観測なのは認めますが、現状ではこちらを待っていると考えていいでしょう」
そもそも、そうでなければ再攻撃を王都なりにかけてきてもおかしくなかった。
今度はエターナルを分散させずに集中させればいい。
俺とトキミだけで、あの全てを同時に相手取るのは無理だ。
「問題は我々に残された時間ですね……ヨーティア殿、見立てでは如何様に?」
「確実とは言い切れないけど……一ヶ月がいいところだろうね」
残された時間はそう多くない。だが、絶望するには早すぎる時間でもある。
懸念があるとすればキハノレ奥地……そこに溜め込まれたマナが解放されて、この世界に元通りに戻るかどうかか。
それに関してはやってみなければ分からない。座していては、ただ破滅を待つだけなのは同じだ。
体の内にある『律令』が唐突に疼いた。即座に感知する。この空間に門が開こうとしているのを。
それはトキミも同様だった。
「イオ、ヨーティア殿を頼みます!」
トキミがレスティーナ女王を抱えて下座に飛び込んできた。イオも遅れてヨーティア女史を連れてくる。
二人の要人を背に、トキミは上座を見上げた。門が開こうとしている。
『律令』はまだ抜かない。トキミもまた『時詠』を抜いてはいない。
迂闊に力を解放するだけで、王宮がただでは済まないからだ。
「来ます!」
門が開いた。鈴のような音が鳴り響く。門の位置は上座だ。
現れたのは、白い少女であり白き王。法皇テムオリン。この目で直接見たのは、いつ以来か。
顕在化した法皇は微笑んでいた。小さな笑い声は、しかし誰の耳にも届く。
白い少女は居並ぶ者を見下ろしていた。
「あれが……ロウエターナル……」
「そうです。法皇テムオリン、この世界の争乱の元凶です」
「随分な言い草ですこと。でも、確かにその通りですわ、レスティーナ女王」
そして、再び法皇は笑った。おかしさをこらえるような、笑い声だ。
「何がおかしいのです!」
「これは失礼。ごめん遊ばせ……」
なおも少女は笑っていた。そして、その視線が移る。俺に向けて。
さて、どうしたものか。
「法皇
「世辞は結構ですわ。時深さんはともかくとして法官。あなたがそちらにいるのは、どういうつもりかしら? あちらの妖精にでも骨抜きにでもされましたの?」
「戯れを」
牽制する。今更ロウエターナルにつく気は毛頭ない。
永い時間は、法皇の行動を否定させていた。
「あなたのこと、気づいていたのに手を極力出さなかった理由は分かっていますの?」
「……遊んでいた、のでしょう?」
「素晴らしい解答ですわ。私たちと長くいたのは伊達ではないということですね」
法皇は笑う。敵か味方か、判然としない自分を遊ぶための要素として残しておいたのだ。
「ではもう一つ……何故、我々があなたの大切な女王様を殺めたのだと思います?」
実に、愉快そうに問われた。
それも遊びだったのか。それとも別の意図があってか。息苦しくなる。衝動を抑え込む。
俺が、近くにいたせいで、あの人は死なねばならなかったのか?
「あなたのせいじゃありませんわ、法官。そこのレスティーナ女王のためですわ」
話の矛先がレスティーナ女王に向かう。
「どういう意味です!」
「あなたは道化ですわ、レスティーナ女王。あなたは私が描いたこの舞台のヒロイン。両親を失い、親友を失い、苦しみもがきながらも脅威に立ち向かう、儚なくも強く立ち上がる女王」
そして、法皇は笑みを深める。
「やはりあなたを主演に据えたのは間違いではありませんでした。あなたは私の期待通りに、この世界の国々を敵に争ってくれた。実に素晴らしい独裁者でしたわ」
「……何故、そのような真似ができるのです!」
「退屈でしたの」
法皇は言い切った。そこには一切の虚飾がない。
レスティーナ女王の小さな指は拳を握り、小刻みに震えていた。
怒りか悲しみか、激情がレスティーナ女王に訪れている。
「あなたは、そんなことのために? そんな理由で、私から大切なものを?」
「正確にはそれだけではありませんが、この世界を選択したのは、それが一番の理由ですね」
「そんな……そんな理由で……」
「貴女には理解できませんわ。永遠者を、それこそ永劫に」
確かに、両者には隔たりがある。目に見えず、決して埋めることのできない深い溝が。
理解など決して適わない隔たりだ。故に、対話など望むべくもない。
「それにしても、あなたは分からない人間ですわ」
法皇は初めて不思議そうな顔をした。
「いかに延命を施そうとやがては滅びるのが世界。それならば限りある世界を己が種族のために享楽すればよろしいのに。あなたの命の炎が燃え尽きる頃でも、この世界はまだ枯渇には程遠いですわ。その何代も先でもそうでしょう。あなたが死んだ後の未来を心配してどうすると言うのです?」
問われたレスティーナは答える。
激情は抑えられ、毅然とした口振りで。王としての宿命を背負った少女がいた。
「それでも、失われたものは還ってきません」
「いいではないですか。あなたたちの命も還らないのですから」
「それでも私の身は土となりましょう。土となれば、世界を為す一欠片にはなります」
そうして、レスティーナはテムオリンを否定する。
「この世界は人間のものでもスピリットのものでもありません! ましてや、あなたたちのものでは!」
「笑わせてくれますね……我々が与えた技術を使って文明を築いて、それで仮初めの支配者になったつもりでいるのが人間ですのに」
「無軌道な技術を持つことが、文明だとは言えないはずです!」
両者退かずに、話は平行線を辿ろうとしていた。
口を挟んだのは、トキミだった。
「テムオリン、あなたが書き上げた脚本はもう崩れている」
「時深さん……あなたがその要因とでも言いたいのですか?」
「もちろん。でも、私だけではありません。そこにいる法官はあなたの予定にはなかった。何せ私の見た未来にも本来ならいないはずでした」
「そして、あの坊やですか? そろそろ試練も終わる頃なのでしょうけれど」
法皇はまた小さく笑った。
「まだエターナルになれるかも判らない者を当てにするとは、耄碌しましたわね。やはり押し寄せる年の波には勝てませんでしたか」
「私より二周期も長生きしてるくせに!」
「数字を数え始めたら終わりですわ、おばさま」
「この……言わせておけば言いたい放題っ!」
「……落ち着け、トキミ。こちら側で最年長のお前が乗せられてどうする」
「歳は関係ないでしょう! 歳は!」
トキミは取り乱したように怒鳴って、それから周囲の視線が集まっているのを意識した。
「私としたことが、はしたない真似を……」
咳払いをして取り繕ったが、効果の程は判らない。
トキミは今一度話の軌道修正を図る。
「……それで何をしに来たのです、テムオリン。それだけを言いに来たわけではないのでしょう?」
「もちろんですわ。今一度、正式に挨拶をしておこうと思いましてね――黒き刃のタキオス」
錫杖が――『秩序』が音を鳴らす。法皇の左に門が浮かび上がるなり、一人の男が現れる。黒い獣じみた大男。
タキオスと目が合う。
「まさか、この世界で出会えるとはな……いつかの森では拍子抜けだったが、今回はどうかな?」
「……少しは期待に応えられると思うが」
リュケイレムの森で出会った化け物はあいつで間違いないようだ。
納得した反面、敵うはずのない相手だったとも理解する。
エターナルに戻った現在でも、正面からぶつかれば勝率は五分五分とはいかないだろう。
タキオスはコウインへと視線を移す。
「無事にふるいを越えたようだな、コウイン」
「自分で仕掛けておいて、よく言うぜ……」
コウインも普段通りに飄々と答えようとしているが、いくらか気圧されているようでもある。
「業火のントゥシトラ」
門が開いた。現れたのは、巨大な一つ目の化け物。
球体状の紅蓮の体に、やはり巨大な王冠を被っている。黒い毛が球体後部から生え、鳥のような一本足で立っている。
ラキオススピリット隊も初めて見る相手だ。前回の戦闘の時には出てきていない。
それだけに注目を集めている。警戒以上に、それは興味の視線に近い。
「エスペリアお姉ちゃん、あれ飼いたいかも……」
「だめですよ、オルファ」
そんなやり取りが飛び出す始末だ。
奇声を発するそれが何を考えているのかは、よく分からない。
【あれは集合知性の類のようだな……一にして全、全にして一というわけか】
『律令』もいくらか感心しているようだ。
法皇は咳払いをしてから、先に進める。
「不浄のミトセマール」
別の門が開く。現れたのは目を隠した厚手の外套に下は軽装の女。
「あいつ……」
キョウコが反応を示し、ミトセマールもそれに気づく。
「その声はあの時のお嬢ちゃんかな? 気分はどう?」
「最悪に決まってんでしょうが」
「いいねぇ、粋がっちゃって。なら、もう一度その空元気を奪ってあげようか。嬢ちゃんのお仲間みたいにさ」
「上等――」
キョウコが飛び出そうとしたのを、後ろから押さえる者がいた。
クォーリンだ。俯き加減なので、顔はよく見えない。
「ここは抑えてください、キョウコ様……」
「……ごめん」
制されたキョウコは大人しく下がる。ミトセマールは見下すように笑っていた。
「水月の双剣メダリオ」
現れたのはメダリオ。頭の傷もすっかり癒えていた。
殺気を向けられる。すっかり恨みを買われたようだが――それは俺も同じだ。
「我らに加えて統べし聖剣シュンの六人。いずれもキハノレの地でお待ちしておりますわ。あなた方が私たちを倒せれば、この世界を救えるでしょう……できるなら、ですけど」
法皇はなおも笑う。
「それでは皆様の健闘を期待させていただきますわ。それから、これは」
『秩序』が音を鳴らすと、左手側の壁がまとめて消滅した。
消えた壁の向こうには屋外の光景が見える。
「私からの贈り物ですわ」
屋外の空に方陣が浮かぶ。同時に、巨大な咆哮が響き渡った。
「今の声って!」
誰かの言葉を裏付けるように、方陣から巨大な影が姿を現わす。
それは――龍だ。黒い巨大な龍。龍が大地に降り立つ。位置は中庭だ。
巨大な質量と、相応の重力によって着地の衝撃だけで中庭は半壊してしまう。
龍の登場には、さしものトキミも驚きを隠せないようだった。
「どうして、あなたたちが龍を!」
「あら? 時深さんだって私たちのミニオンを模して人形を作ったことがあるではありませんか。お相子様ですわ」
もっとも、と法皇は続ける。
「手間ばかりがかかる割に思ったほどの力は持たせられませんでしたけどね。それでもミニオンよりは歯ごたえがありますわ」
そう言い、法皇は満足げに微笑む。
「せっかくの置き土産なので、たっぷり遊んでくれるとよろしいのですが」
しかしトキミは頭を振った。口元には笑みが浮かんでいる。
「残念ですが、そうも行かないようですね」
「どういうことですの?」
「まだ気づいていないのですか?」
トキミもまた龍のいる付近の上空を指し示す。
「戻ってきたんですよ、彼らが」
門が現れたのは、その瞬間だった。
5
門から現れたのは二人の男女だ。高嶺悠人とアセリア・ブルースピリットの二人。
否、今の二人はエターナルであって、別の呼び名が与えられている。
聖賢者ユウトと永遠のアセリア、と。
「ラキオス城の中庭か……って!」
龍のかぎ爪が薙ぎ払われるが、二人は飛び退いて避ける。
「なんで龍がこんな場所に!」
「ユート、あそこ!」
アセリアが城の一角を指さす。謁見の間がある場所だ。
悠人はそこに法皇テムオリンの姿を見た。
頭に声が響いてきたのは直後だ。
(悠人さん!)
「時深か! そっちは、みんなは無事なのか?」
(はい。ですが、動きを取りにくい状態です……その龍を倒せますか? テムオリンの放ったものです)
悠人は改めて龍を見上げる。色は違うが、外見は以前彼が倒したサードガラハムによく似ている。
しかし、それほどの知性を持ち合わせているようには見えない。本能だけで動いているのを看破する。
「倒してみせるさ。こんなのを野放しにしたら、どんな被害が出るかも分からない!」
悠人は新たな剣を抜く。第二位永遠神剣『聖賢』を。
「いけるな、『聖賢』!」
【よかろう。『秩序』がいるなら、手を抜く道理もない】
『聖賢』がオーラフォトンに包まれる。白い輝きはどこか神々しくさえあった。
龍が腕を振り上げる。その動作中に悠人は龍の懐へと飛び込む。
踏み込みからの振り下ろしが龍の腹部を切り裂き、巨体を仰け反らせる。
そのまま薙ぐように右から左へと斬りつけた。龍が身悶えし、咆哮を上げる。
悠人の動きそのものは今までの戦いで培ってきたラキオスの剣術と変わらない。
しかし繰り出す速度、強さ、精度。その全てが以前の悠人の動きとは比べものにならない。
悠人は切り上げながら、跳び上がる。龍の体を断ち切りながら、なお止まらない。
『聖賢』と同調する。一撃が必殺であり、必中と化していた。
「コネクティドウィル!」
『聖賢』が龍の巨体を二つに断ち切った。
止めとばかりに、降下と同時に振り下ろされた剣が龍の首を落とす。
悠人は苦もなく龍を撃破していた。それは今までからは想像もできないほどの力だ。
その光景に周囲は驚くこととなるのだが、悠人もまた強い驚きを感じていた。
龍を断ち切るという壮絶な光景に、一瞬だけ虚が生まれる。
誰もがユートの動きに釘付けになっていた。
その瞬間に、動く。胸元に手を当てると、指が一瞬体に沈み込む。即座に『律令』の柄を引き抜いた。剣身が急速に実体化を果たした。
一直線に法皇を目指す。姿勢は低く、地を這うように。
すぐ横を並ぶ者がいた。トキミだ。狙いは同じ……法皇への奇襲。
法皇がこちらへ向き直るよりも先に、間合いに到達する。
「甘いわっ!」
黒い巨漢が割って入っていた。タキオスだ。
『無我』の巨大な刃とタキオスの黒いオーラフォトンがこちらの剣を阻んでいる。
奇襲は失敗した。
「目の付け所は悪くないが」
『無我』が大きく振るわれる。俺もトキミも、それを利用して後ろへと下がる。
「主への狼藉、捨て置くわけにはいかんな!」
タキオスから黒いオーラフォトンが膨れ上がる。
生半可な力では相殺は難しい。こちらも力を展開しようとした矢先に、法皇自身がタキオスを制した。
「おやめなさい、タキオス」
「しかし……」
「構いませんわ。今回はこちらのお遊びが少しばかり過ぎただけでしょう」
法皇はおかしそうに小さく笑う。
……仮にタキオスが割って入らずとも、法皇を仕留めるのは難しかっただろう。そう考えさせるような態度だった。
「それに精度の低い模造品と言えど、龍をああも圧倒するなんて……面白い坊やも見られましたし」
法皇の視線はトキミに向かう。
「時深さん、私たちを利用しましたね? あの坊やをエターナルにするための踏み台として」
「さあ……何を言っているのか分かりませんが?」
「あらあら、耳も遠いのですね」
トキミと対照的に法皇は笑う。
笑い終わるなり、『秩序』を鳴らした。法皇たちの背後にそれぞれ門が現れる。
「今回はここまでにしておきましょう。では、次に出会う時を楽しみにしていますわ」
そうして風に乗るような笑い声を残して、ロウエターナルたちは門の向こうへと消えていった。
完全に気配が消えたのを確認して、力を抜く。
改めて、法皇たちと敵対したのを認識する。悔いとかそう言った感情はないが。
無くなった壁の向こうでは、ユートがアセリアに担がれ飛んでくるのが見えた。
こうして見ると、二人がそれほど変わったようには感じない。
それでも、もう二人はエターナルだ。
聞こえていないと分かりつつ、声をかける。
「二人ともお帰り、か? けど歓迎はできないな」
エターナルになってしまった以上は。
願う言葉があるならば、その選択が二人の後悔にならないのを望みたい。
「あの二人なら大丈夫ですよ」
トキミがそう言ってきた。
確かに、その通りであればいい。自らの意志で、永遠を選んであろうあの二人ならば。
いずれにしても、法皇の描こうとしている舞台は終幕を迎えようとしている。
かくて、全ての役者が出揃い直した。
45話、了
2007年7月15日 掲載。