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永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


48話 瞳に映る煌めきは













 誰にとっても、そこは異質な空間でしかなかった。
 回廊が延々と続いている。床は赤黒い素材であるが、表面からは仄かに青い光が放たれている。否、放たれているではなく、包まれているか。
 壁はなく、通路の外側は虚空。その虚空に見えるのは光の渦。それは虚空の中心のようにも見えるが、そう見えているだけかもしれない。
 強いて言えば、そこはマロリガンのエーテル変換施設内部にあった遺跡のような場所に似ている。本来、あり得ないような空間という点で。
 しかし、場の雰囲気はまったく違う。静謐(せいひつ)を通り越して、停滞しているようだ。

「……ソーン・リームの遺跡だよな、ここ?」

 悠人は思わず疑念を口にしていた。それは悠人のみならず、ほぼ全員が共通して感じていることだ。
 彼らはソーン・リーム台地、キハノレにあった遺跡に突入した。そこがロウエターナルの本拠地だからだ。
 しかし中に入ってすぐに出くわしたのが、この場所だった。

「おそらくテムオリンが用意したのでしょう……面倒ですけど、ここを踏破しなくてはならないようですね」

 時深はため息混じりにそう言う。
 現にエターナルの三人でさえ、回廊の先全てを見通せていない。どれほど広大なのかは見当がつかなかった。
 それでも進まなくては終着に行く着くはずもない。
 一行が先に進むと、すぐに道が左右に分かれていた。
 どちらが正解となる道かは判らない。遺跡に入ってからというもの、遠方の神剣の気配がまったく感じられなくなっていた。

「目指すべきは最奥でしょう。少しでも危険を避けるのなら、離れるべきではありませんが……どうやら、先への道は閉ざされているようですね」
「だったら、どうやって開けばいいんだ?」
「……おそらくですが、ロウエターナルを倒すことで道を開けるのでしょう。悠人さんとアセリアは聞いていませんが、テムオリン本人もそう(ほの)めかしていました」

 六人のロウエターナルを倒せば、この世界は救われる。

「あるいは、回廊のどこかにそれぞれ仕掛けのような物があるのか……進んでみないことには断言はできません」
「さながら……これはゲームってわけか」

 光陰が顎をさすりながら言う。その表情にわずかに浮かんでいるのは嫌悪感。

「あくまで仮定ですが、今はこれがもっとも可能性の高い答えでしょう。そうなると目下の私たちの目的はロウエターナルを排除することですが……」

 時深は回廊の先を見据える。

「この回廊、どうやら我々が想像しているよりも、遙かに長大と考えなくてはならないようです。あまり時間をかけていては、最悪の場合は世界の崩壊を防げなくなる可能性が出てきます」
「……ここの時間の流れがどうなってるか分かるか?」

 光陰の質問に時深は頷く。

「そちらには変化ありません。あくまで今は、ですが」
「そうか……だったら、俺は二手に別れるのを提案させてもらうぜ。あんたはどう思う、ユウト?」

 いつの間にか、光陰は悠人を以前と同じように呼んでいる。
 話を振られた悠人は、懐かしさと寂しさの両方が()い交ぜになっていた。
 切られても切れていない縁が、確かに存在していると感じられたのだから。

「光陰の意見に賛成だ。確かに危険は増えるかもしれないけど……俺はみんなの力を信じてるつもりだ」

 悠人は一同を見渡す。
 変わらない仲間の姿がそこにある。例え、悠人が変わってしまっていても、それまでの繋がり全てが無になったわけではない。
 だからこそ悠人は信じる。死線を共に越えてきた仲間たちを。

「では部隊を半分に分けて進みましょう。そうなるとロウエターナルに備えて、私たちも二手に分かれなければなりませんが」
「……ユートはトキミと一緒に行ったほうがいい」
「アセリア?」
「私はテムオリンのやり方をよく知らない……でもトキミなら分かってる。だったら、トキミといたほうがユートは安全だ」

 それに、とアセリアは続ける。

「最後には同じ場所でまた会える。違うのか?」

 終着で合流できる保証はないのだが、アセリアにそれを言うのは野暮でしかない。

「だから今は進もう」
「……ああ!」

 話がまとまった。
 右へ進むのは悠人と時深、光陰と今日子を含んだ稲妻隊。
 左へ進むのがアセリアとラキオス出身のスピリットたち、ウルカ隊の面々にイオとなる。
 双方の間に別れの言葉はない。それは誰もが申し合わせずにそうしていた。
 いざ行こうとした時になって、ヘリオンが大きな声を出す。

「あ、今思いついたんですけど!」

 どこか興奮したように、ヘリオンは言う。いくらか早口で。

「ランセル様のために目印を残すのはどうですか? どっちに誰が進むのかを床にでも刻んで!」

 それに答えたのは時深だった。冷ややかではないが、どこか醒めたような口振りで。

「……あの男がそれを信じるかは分かりませんよ。場合によってはテムオリンの罠とさえ考えるかもしれない」
「あ……それは確かに」

 最初の意気込みが消えて、ヘリオンは肩を落とす。
 そこに助け船を出したのが、悠人だった。

「まあ、やってみていいんじゃないのか? それで本当に困るってわけでもないだろ」

 悠人としては、特に考えがあって賛成したわけではない。
 あくまで、別にそれぐらいという軽い気持ちだ。しかし、ヘリオンを勇気づける理由にはなった。

「そ、そうですよね? じゃあ書いちゃいますよ? 刻んじゃいますよ?」

 そこまで来て、ヘリオンを止める者はいなかった。
 むしろ、他の者も後に続く流れとなる。
 進んで刻もうとする者もいたり、渋々ながらでもあったりと、決して一様ではなかったが。
 それでも最終的に、各々の神剣で床に名を刻むことになる。
 名前を刻み終えて、今度こそ最後の戦いへと向かう。












 二手に別れて進んですぐに、エターナルミニオンたちが行く手を阻むように現われるようになった。
 一度に現われる数はそう多くないが、それが立て続けに続く。
 切れ目なく襲いかかってくる様は、まさしく波状攻撃だ。
 ミニオンが現われれば、アセリアは率先して突撃を敢行している。
 それは悠人と出会った頃の戦い方と似ているが、目的はまるで違った。
 以前のアセリアは、『存在』の声に導かれるままに、ただただ剣を振るっていた。
 しかし今のアセリアは他のスピリットたち――かつての仲間たちに及ぶ危害を少しでも減らそうと矢面に立ち続けている。
 アセリアの奮闘もあって、被害らしい被害を受けないままに、彼女たちは回廊の奥へと進んでいく。

「アセリア様、お体は大丈夫ですか?」

 そうアセリアに話しかけてきたのは、エスペリアだった。
 戦い詰めだったためだろう。エスペリアはアセリアにかかる負担を心配しているようだった。

「ん……大丈夫」

 アセリアは横目にエスペリアを見てから、手短に答える。
 実際、アセリアは今のところ疲労も負担も感じていなかった。エターナルだから、というより単に神剣の加護による面が強い。

「あまり無理はなさらないでください。差し出がましいとは思いますが、アセリア様は無理をしすぎる嫌いがあるようにお見受けします」

 エスペリアはそう忠告してくる。それは適切な言い分だとアセリアは思う。
 そして、それはスピリットであることから、散々言われ続けてきたことでもあった。

「……気をつける」

 それ以上、アセリアには言いようがなかった。
 それでも以前のアセリアなら聞き流していたはずなので、これでも大きな変化と言えるかもしれない。

「……エスペリア」
「いかがしましたか?」

 呼びかけておきながら、アセリアはなんでもないと首を横に振る。
 エスペリアは一瞬怪訝そうな顔をするが、深くは触れてこない。
 彼女の態度は丁寧だ。しかし、それだけにアセリアは逆に距離を実感する。
 スピリットの頃の距離はもうないのだ。それはエスペリアだけではない。
 オルファもウルカもセリアも、他の仲間たちも今や誰一人としてアセリアを記憶していないのだ。
 分かっていた。覚悟もできていた。もはや、お互いに別世界にいるのだとは。
 それでも、寂しいと思う心を止めることはできない。

「……エスペリア、心配してくれてありがとう」

 アセリアは先程の言葉を言い直す。
 もうエスペリアの中にアセリア・ブルースピリットという記憶はない。
 この世界を去れば、永遠のアセリアという記憶も消えてしまうだろう。
 それならばせめて、アセリアは今まで言えなかったことを伝えようと思う。
 以前なら口にしにくかったこと。近すぎて、逆に言えなかったようなことを。
 アセリアはそう考えて、結局出てきたのはありふれた言葉だった。
 けれども、それがアセリアの本質を表わしているのかもしれない。

「エスペリアは優しいな」
「ふふ、そんなことはありませんよ」

 エスペリアは微笑み返してくる。
 謙遜というより、冗談として受け止めた。そんな反応だ。
 アセリアは首を振る。

「そんなことはある」

 少しずれた返事をしつつ、アセリアは思い返す。
 エスペリアは結局のところ、世話焼きな性格だ。そして、どこか口うるさい姉のような存在だった。
 戦闘中に怪我をすれば、すぐにでも飛んできて治療をし、不用意な傷を受ける状況を招いたことを叱りつける。
 それでも無事だと分かると、とても安心したような顔をして。

「エスペリアは優しい。だから私はエスペリアにずっとそうであって欲しい」
「アセリア様……」
「私なら大丈夫だ。だから、エスペリアも私のことはあまり気にするな」

 アセリアはもどかしく思う。上手く言葉にできない。言葉では、思いの丈をちっとも伝えられない。

「ありがとうございます、アセリア様」

 アセリアは何も答えられない。
 会話の途切れた二人を余所に一行は進む。
 その内に道が二つに分かれた。正面と左だ。
 正面の通路に、ロウエターナルが待ちかまえていた。まだ距離はあるのに、俄に周囲の温度が上昇したように感じる。
 空中を漂うように浮かぶそれは人型ではない。

「業火のントゥシトラ……」

 ロウエターナルの中でも際立って異質な外観をしている。
 球形であり、球形そのものが単眼であるかのような姿。
 その姿は滑稽にして奇怪。醜悪でありながら、独特の愛嬌を放っている。
 誰にとっても未知の容姿だった。
 ントゥシトラが、啼いた。
 それもまた聞き覚えのない声……鳴き声なのか、何かの意味を持っているのかは判じられない。
 アセリアが前に出ようとしたところで、左の通路にも変化が起こる。
 ミニオンの集団が姿を現わした。この段階での数は二十ほど。
 しかし、それまでの展開を考えると、時間の経過と共にミニオンが増えていく可能性は高い。

「アセリア殿、ミニオンは我々が」

 ウルカを筆頭に左の通路へと進み出る。
 アセリアは迷う。ントゥシトラには自分で対抗するしかないにしても、ミニオンの相手を任せてしまっていいのかと。
 表情にこそ出ていないが、アセリアは案じていた。

「私たちも戦えるんですから、アセリア様はロウエターナルに専念してください」

 そう言ってきたのはヒミカだった。

「でも……」
「ヒミカの言う通りです。私たちは戦うために来ているんですから」

 セリアがヒミカに同調する。
 目を細めて、セリアはアセリアを見た。

「戦っているのは何も貴女だけではありませんから」

 暗にアセリアの戦い方を批判していた。
 相変わらず、皮肉混じりというか。

「セリアは厳しいな」

 小さな笑い声が上がる。セリアは声のした方を向く。

「ハリオン?」

 セリアはことさら冷たい声で問う。名指しをされたハリオンは普段通りに間延びした調子で否定する。

「違いますよ〜。ねぇ、ナナルゥさん?」
「……私にも判りかねますが」

 ナナルゥは言葉を濁す。セリアとは目を合わせようとしない。
 そんなやり取りを見つつ、アセリアはセリアたちの状況を自分の身に置き換えて考えてみた。
 エターナルは外から来た者である。ロウエターナルが争乱の元凶で、カオスエターナルがそれに敵対しているとしても、外からの存在なのに違いない。
 セリアたちが生きるのは、他でもないこの世界だ。そして、この世界は今や消滅の危機に瀕している。
 そう考えて。アセリアは納得できた。
 自分たちが生きる世界の行く末がかかっていて、自分たちもそれを知っている。
 それなのに、全てを外から来た者に任せられない。
 力が足りないとか、敵うはずがないとか。

「そんなのは関係なかったんだ」

 もしエターナルにならなかったとしても、アセリアはそう考えていただろう。
 そうでなくては、この世界で生きる意味を否定するのと、どう違うのか。

「……ロウエターナルは私に任せて」

 アセリアは『永遠』を構える。
 なんのことはない。彼女たちは以前も今も仲間なのだ。

「この世界を守るためにも、戦おう」

 戦いの火蓋が切って落とされた。












 アセリアはハイロゥを翼として広げた。
 スピリットの時とは違い、今や六枚の羽が展開する。アセリアは知らなかったが、その外観は天使を彷彿させた。
 先制攻撃を仕掛けたのはアセリアだ。翼をはためかせて、一気に距離を詰めようとする。
 対するントゥシトラは熱波を周囲に向けて放出した。
 本来、熱波は目に見えるものではない。
 しかし、ントゥシトラの放ったそれは、ントゥシトラを中心に回廊を融解させながら拡がっていく。故に接近が肉眼でも判じられる。
 その熱量にアセリアは進行の停止を余儀なくされ、すぐに氷壁を前方へと展開する。
 しかし、それさえも熱波は容易く溶かし、そのままアセリアに押し寄せる。

「……マナよ、私を守って」

 アセリアは体全体にオーラフォトンを張り巡らせることで、熱波を防ぐ。
 しかし、その異常とも言える熱量の全てを緩和できるわけではない。少しずつ、その場にいるだけでアセリアの体力を奪っていく。
 ントゥシトラの巨大な目がアセリアを捉える。
 炎が巻き上がり、柱のように伸びる。その数は五。
 アセリアが跳ぶと、炎もアセリアに狙いを定める。炎が生き物のように蠢く。
 羽の動きを変えることで速度を極力落とさずに、飛来する炎を機敏にかわしていった。
 そうして、アセリアはントゥシトラの懐に潜り込む。
 近くまで来ると、球体は威圧的ですらある。全長はアセリアよりも一回りも二回りも大きい。
 だが、動きは敏捷ではない。それだけにアセリアは確実に斬れると踏んだ。

「たああああっ!」

 踏み込みから袈裟に切り下ろす。
 赤黒い球体が裂ける。同時に鮮血が吹き上がった。
 そして鮮血は返り血となってアセリアに触れると同時に、燃え上がる。
 灼熱の血液だった。

「うぁぁぁ……ああっ!」

 アセリアは思わず悲鳴を上げながらも、さらに『永遠』でントゥシトラの体を斬りつける。
 さらに鮮血が降り注ぐ。攻撃に集中する以上、アセリアにそれを防ぐ手立てはない。
 攻撃を受けながらもントゥシトラは後ろへと浮遊しながら後退する。
 アセリアもすぐに追撃に移ろうとするが、ントゥシトラの喚びだした炎に再び狙われた。
 それでもアセリアは強引に距離を詰めて斬りかかる。距離を一度離されてしまえば一気に不利になるのは目に見えていた。
 戦闘が始まってから、さして時間は経っていないが、すでにアセリアの体力は大きく減じている。
 ントゥシトラは決して速くなく、スピリットたちの移動速度よりもむしろ遅い。
 追おうとする限り、アセリアがそれを逃がす心配はない。しかし体力勝負となると、話は別だ。
 アセリアに斬られた傷口は、早くも塞がりつつある。

(もう治ってる……倒しきれるのか?)

 『永遠』がアセリアの疑問に答える。

【あれはあくまで表層の傷を治しているだけに過ぎません。根本的な力の回復にはまだ時間がかかるようです。それでも回復の早さには驚嘆すべきですが……】

 それを聞いて、アセリアも思考を巡らせる。
 赤スピリットも張り巡らせた炎で攻撃中に体力を削ってくる場合があるが、ントゥシトラのそれは比較にもならないほど苛烈だ。
 返り血ばかりは防ぎようがない。そうなると。

「どちらが早く倒れるか……」

 決して分のいい戦いではなかった。
 アセリアは打たれ強さという点では、それほど秀でていない。

「それでも、行く!」

 時間が経てば経つほど、不利になるのはアセリアだ。
 それならば、体力の残っている内に叩くしかないと判断する。
 一方のントゥシトラは巨大な単眼でアセリアの動作の一つ一つを観察し、分析する。
 そして多くの意思がそれらの情報を元に、それぞれの判断を下す。
 その上で今度は炎を発生させていく。その数は先程の比ではない。判断の数だけ炎を喚んでいた。
 炎は、ントゥシトラとアセリアの周辺全てを包んだ。つまり、近づけばどこにいようと炎に絡め捕られるように。
 にもかかわらずアセリアは突き進み、ントゥシトラに肉薄する。
 そこから先は体力の削り合いだった。
 アセリアの剣は確実にントゥシトラの存在を削り取っていく。
 ントゥシトラの炎と返り血もまた確実にアセリアから体力を奪っていく。
 至近距離での命の削り合い――その最中にントゥシトラの触毛が一斉に動いた。
 アセリアが返り血を浴びた隙に、触毛がアセリアを後ろへと突き飛ばす。
 アセリアにそれを防ぐ術はなく、転がるように倒れる。
 『永遠』を杖代わりにして立ち上がった時、アセリアの体力は限界に近づいていた。
 そしてントゥシトラとの距離は再び開いている。

「強い……こんなに強敵だったなんて……」

 油断していたわけでも、侮っていたわけでもない。
 ただ純粋に知らなかった。ロウエターナルがこれほどの強敵だったとは。
 それでもアセリアは諦めない。心は折れていない。
 だが無情にもントゥシトラは巨大な火球を放ってくる。今のアセリアにそれを避けるだけの体力は残されていない。

「アセリア様!」

 だから、突然の声と事態にアセリアの反応はすぐに追いついてこなかった。
 アセリアは突き飛ばされて、火球の進路上から外れる。
 見上げた視線の先には、エスペリアがいた。彼女はすでに神剣魔法を発動させている。
 アセリアの体が癒しの光に包み込まれた。アセリアの体力がいくらか戻る。

「どうか、あの敵を……」

 エスペリアはすでに火傷を負っていた。髪や服も所々が焼け焦げ、今にも発火しそうになっている。
 攻撃を受けるまでもなく、この場はエスペリアにとって死地だった。

「どうして……」
「放って……おけなかったんですね」
「エス――」

 エスペリアが火球に呑み込まれた。
 燃える。よく燃える。乾燥した樹木のように、音を立てて盛んに燃え上がった。
 エスペリアは悲鳴を上げない。声さえが、炎に呑み込まれていた。
 紅蓮の炎が、その場を支配している。

「エスペリアァァァァァ!」

 アセリアにとって、エスペリアというスピリットは姉のような存在だった。
 いつも世話を焼いてきて、少し口うるさくて。だけど、それ以上に優しくて暖かい姉で。
 そのエスペリアが、燃え尽きてしまう。紅く、紅く。
 命が、燃えている。火の粉が吹き上がった。紅く、燃え尽きようとしている。命が燃え尽きようと。
 刹那、『永遠』に青の光が灯った。

「『永遠』、私にもう一度だけ力を!」

 突き動かすのは怒りではない。熱い何かが、アセリアを動かす。
 それは周囲の熱とは異質な熱さ。
 アセリアは『永遠』を振るう。エスペリアを包む炎だけが吹き飛んだ。
 息は辛うじてだが、している。しかし、全身に重度の火傷を負っていた。
 アセリアはエスペリアを抱きかかえると、離脱を図る。
 ントゥシトラの熱波の圏内から離れた位置にエスペリアを下ろす。
 スピリットとミニオンの戦いは、スピリットたちが優勢のようにアセリアには見えた。

「ハリオン、ニムントール! エスペリアの治療を頼んだ!」

 それだけを告げると、アセリアは再びントゥシトラのほうを向く。
 再び、彼女は翔る。戦いを終わらせるために。












 ントゥシトラは、再び自らの圏内に飛び込んできたアセリアの動きに変化を認めた。
 機動に迷いや乱れがなく、一直線に向かってくる。
 それ故に迎撃は容易いはずだった。進路も速度も予想できているからだ。
 だというのに、アセリアの進攻を止められなかった。炎を張り巡らせ、進路上に焔の塊を発生させようと。
 アセリアはそのことごとくを神剣で消し去っていく。
 ントゥシトラは炎で壁を生成する。それは飛び込もうものなら、その瞬間に相手を燃やし尽くすだけの熱量。
 攻撃ではなく、防御のためだ。本来、ントゥシトラはそうした手段をあまり取らない。
 一つに傷の再生が非常に速いため。二つに、その返り血こそが最大の武器となりえるため。
 しかし、もはやそのようなことは念頭に置けない。今のアセリアは絶対に近づけてはならない相手だと、判断する。

「こんな炎で!」

 アセリアが炎の壁に自ら飛び込む。
 次の瞬間には炎が断ち割られていた。アセリアも決して無傷ではないが、ントゥシトラが想定していたほどではない。
 ントゥシトラはアセリアと、その神剣の輝きを見る。青い輝きで、しかし単に青いだけではない輝きを。
 その輝きをントゥシトラは知らない。無数の知性でさえ導き出せない光が灯っている。
 集合体は興味を覚える。未知なる輝きに、強く惹きつけられた。
 しかし、その思考とは別にアセリアを阻止する方策も思索していた。
 アセリアから逃れることは敵わない。ならば炎で迎撃をするしかない。
 考え得る全ての進路に炎を発生させ、可能な限りの熱量を注ぎ込む。
 その全てをもってしても――現状のアセリアは止められない。無人の道を征くが如くの状況だった。
 そして、ついにその時が来た。アセリアが間合いに到達する。

「てぇやぁぁぁぁっ!」

 一閃。アセリアの神剣がントゥシトラの触毛を斬り捨てる。
 返り血を浴びながらも、アセリアはそれに耐えた。
 アセリアの神剣が煌めきを放っている。

「これで終わらせる! エタニティリムーバァァァァァ!」

 オーラフォトンの込められた連続攻撃が、ントゥシトラの肉体に刻み込まれていく。
 必殺の血液は体外に出た瞬間に消滅していく。傷口の再生も間に合わない。
 ントゥシトラの把握していない力が、アセリアを守っているようだった。
 神剣との強い同調を感じる。それが力の源かと、ントゥシトラは推論する。
 しかし、それも完全な解答とは思えなかった。煌めきこそが、答えのようにントゥシトラには思える。
 そこまで思考を巡らせて、ントゥシトラは世界に存在を維持させるだけの力を失った。












 不思議な手応えだった。軽くも重くもないが、確かに何かを斬ったという感触がアセリアの手にはある。
 それは今まで『存在』を振るっていた時には、一度も感じたことのない手応えだった。
 そして斬られた相手――ントゥシトラは聞き慣れない断末魔を上げながら、マナへと還っていく。
 その輝きは黄金色だ。マナという原初の命は黄金に輝いていた。
 ントゥシトラの消滅に合わせて、残りのミニオンたちも一斉にマナに還っていく。
 アセリアはよろめくように、その場から離れる。ントゥシトラが消滅したとはいえ、まだ戦闘の痕跡は残っていた。
 加熱しきった空間はアセリアの体を今も蝕もうとしている。
 強い疲労感を感じていた。あれだけの戦闘を行えば当然でもあったし、『永遠』との深い同調が負担になったのかもしれない。
 しかし何も戦闘の後だからだけではない。

「エスペリア……無事なのか……」

 一番の原因はそこにあった。
 最後まで見ている余力はなかったが、エスペリアの状態は悪い。一命を取り留められるかも怪しい状態だった。
 無事だったとしても、この場で戦うのは難しいだろう。ひょっとしたら後遺症さえ残るかもしれない。
 アセリアはすっかり重たくなった体でエスペリアの元に戻った。
 すでにセリアらはエスペリアのいた場所に集まっている。そちらのほうは誰も欠けていないようだった。
 ニムントールがアセリアに治療を施していく。それを受けながらアセリアは問う。

「エスペリアは……」
「まだ意識を失ったままですが、一命は取り留めています。でも、これからの戦いには……」

 そう言ってきたのはセリアだ。沈痛な面持ちで。それだけエスペリアの状態は悪いという証拠だ。

「……そうか」
「私たちは……覚悟してきています。最悪の場合は死ぬ覚悟を……ですから、アセリア様。今は進みましょう」

 セリアはそう言う。アセリアとしては何も言えなかった。
 アセリアもまた前に進もうと思う。そうしなければ、自分を庇ってくれたエスペリアに申し訳が立たない。

「……全員の治療が済んだら奥に進む。それから…・・・何人かはエスペリアについてやれないか?」

 そう言ってから、アセリアはすぐに言い直した。

「……ついていてあげて欲しいんだ。危険なのも勝手なのも分かってる。でも私は……助けられるなら最後まで諦めたくない」

 セリアは目を細めて、アセリアを見ている。
 アセリアは感情を表情に出さずに、そのセリアを見返していた。
 ため息をついたのはセリアのほうだ。

「そこまで言われたら嫌とは言えませんね。それに私もエスペリアを死なせたくはありませんから……」

 そうして話がまとまった。エスペリアと一緒に残るのはハリオンとヒミカ、シアーの三人と決まった。
 残りの者は治療が済み次第、回廊のさらに奥を目指していった。
 その最奥は未だに見えてこない。










48話、了





2007年8月3日 掲載。

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