ロウエターナルとの死闘を終えてから、一週間。
 マナの枯渇によって一度は崩れかけたこの世界も、砕けた『再生』のマナが大陸中に降り注いだことによって安定が取り戻されていた。
 もっとも、それ以前に失われてしまったマナは戻ってこないし、ダスカトロン大砂漠のような枯渇地は相変わらず残り続けている。
 そういう意味では、元の状態に落ち着いたが劇的に環境が改善されたわけではない。
 要は、これからだ。この世界とそこに寄り添う命は、新たな可能性を得られた。その可能性をどうやって広げるかは、その世界の命が決めればいい。
 それこそが世界が本来あるべき形ではないだろうか。そう思うようになったのか、そう思っていたのに気づいたのか。それは大差ない。
 『律令』からレスティーナ女王の声が聞こえてくる。
 イオが『理想』の力で大陸全土に向けて内容を送信しているので、それを拾い上げ再生して聴いていた。
 エターナルからの解放宣言であり、大陸の統一宣言だ。やがて、この宣言も統一宣言のみに変わるだろう。

「この世界を救った英雄たちを迎えてください」

 歓声が届く。『律令』からだけではなく、直接空気を振動させる音としても。
 ありきたりな反応かもしれないが、単純に凄いと思えた。そのまま感動が外に出ているような、そう思わせる音の響き。
 レスティーナ女王がバルコニーの中央に立ち、その横にユートやアセリア、トキミが控えているのだろう。それとも今は紹介だから隣に並ぶのか。
 バルコニーの下には、群衆が溢れかえっている。老若男女、問わず。あるいは人もスピリットも問わずか。そんな光景を思い浮かべる。
 俺はというと、その場には参加していない。現在ラキオス城の外にいる。
 そもそもラキオス領に帰還したのが、つい先程だ。
 ロウエターナルとの決戦後に一度だけ戻ってきたが、それから今し方までは国外に出ていた。
 もっとも、ユートら三人の名前が遠雷のように連呼されているのを聴いていると、とてもではないが参加しないでよかったなどと思えてくる。

(あの中には英雄なんていないのに)

 きっとユートたちもそれは承知している。けれども象徴が必要なのは理解できた。
 せめて俺たちが去った後には、それがスピリットたちに戻ればいいと思う。
 今回の戦い、本当に命を賭けて捨ててきたのは、俺たち以上に彼女たちだったのだから。
 道具として産み落とされ、戦奴として利用され、現実に打ちのめされながらも、それでも生きてきた彼女たちに。

【『再生』が砕けたことで、この世界にスピリットは二度と生まれない。しかし……今の妖精たちはすでに確たる個として生きている】

 それは観念的な面ではなく、生物として。
 命を象徴している『再生』だからこそだろう。残されたスピリットたちには生殖能力がどうやら付加されたらしい。
 自分で確かめたわけではないが、『律令』はそう伝えてきている。
 種……命を絶やさないための力が為した奇跡じみた出来事だった。

【この世界の妖精たちはどのように生きていくのか……】
(それを選ぶのは彼女たちだ。残るも滅ぶも彼女たち次第で、俺たちにそれは強制できないし、してはいけない」

 見ようによっては冷たくもある。けれど、全てを選べない不自由よりも、困難がつきまとう自由のほうが価値があるのかもしれない。
 生きようという理由があるならば、後は困難すら糧に生きていけるのではないだろうか。
 彼女たちはもう惰性ではない。生きるとは、自由と責任を得ること。与えられることではない。

「――私はみなさんにお伝えすることがあります。私たちの大陸はエーテルという――」

 女王の宣告が始まった。痛みの伴う変革が、始まろうとしていた。
 人はどう変わっていくのか。それは人が決めることだ。

「――エーテル技術は、私たちの世界に訪れた災厄がもたらしたものなのです。愚かな私たちは思惑通りに戦いを繰り返し、世界を蝕んでいきました」

 人間の少女が、告白をしている。
 それは人間という種が犯してしまった罪を代弁しているかのようでもあって。

「過去の過ちを消すことはできません。だからこそ、動かなくてはならないのです」

 ――でも私たちは学べる……過去の行いから、何が間違えていたのかを。そしてもう同じ過ちをしないことならできる。
 俺にそう言ったのは――アズマリアだ。
 彼女の生きた証は引き継がれていた。想いは継がれている。彼女の大切な人に。

「愚行を繰り返すことなく、未来への第一歩を踏み出さなくてはなりません……この放送をもって、この世界のあらゆるエーテル技術を封印します」

 大きなどよめきが広がっていく。
 それを遮るようにレスティーナ女王の声が続く。どよめきも慌てたように静まる。静まり、沈黙へと。

「それでも……私は未来に繁栄を再び取り戻せると信じています。次は私たち自身の力で」

 両手を掲げる、そんな姿を想像する。その手は高く、理想も高く。
 それでも信じて進むのを願い、その手にはいつかの栄光を掴もうと。

「友愛を持って、手を取り合って、人もスピリットもなく、前へと歩みだしましょう。再出発の時です。始まりに戻る時なのです」

 そして一息。言葉が放たれる。

「みんな、力を貸してください!」

 力を込めて、想いの全てを伝えようと。
 レスティーナ女王は高らかに宣言する。

「私たちの生活は後退するでしょう。今日までできたことが、明日からはできなくなります。試練の時が始まります」

 沈黙が続く。おそらく、国民たちはまだ言葉の意味を正確には把握できていない。
 把握できていても、エーテル技術の放棄が生活にどういう影響を及ぼすのか、正確に想像できている者はまずいないと思う。
 だからこそ、続く女王の言葉は的確だった。
 当人がどこまで計算しているかはともかく、それは迷う人々に希望という方向性を与える。

「私、レスティーナはここに大陸統一女王となることを宣言します。そしてこの国を……ガロ・リキュアと名付けます。全ての人よ、全てのスピリットよ。無から始めましょう。今こそ自分たちの力で、私たちの手に未来を掴みましょう!」

 無からの始まり(ガロ・リキュア)。それは言い得て妙だった。
 今ある全てを放棄はできなくとも、その多くを人々は投げだそうとしている。
 それは簡単には踏み出せない一歩。必要なのは勇気か熱狂か。
 解っている。全てが理想通りに行かないのは。
 この先にあるのが、ただの平和なだけのはずがない。
 いずれ、遅かれ早かれ再び紛争の火種は現われてしまうだろう。人間は、今もどこかにそういった業を抱えている。
 それでも、いずれ人間はその業を乗り越えるのかもしれない。
 あるいはスピリットが、それを越える役割を果たしていくのかもしれない。
 人間とスピリットは違う。違いは認めなくてはいけない。否定も肯定も、まずはそこから始めなくてはいけない。
 レスティーナ……統一女王の名を叫ぶ声が聞こえてくる。
 未来は分からない。しかし、それが望み通りになろうとならなかろうと、全ては世界に生きる者が決めていく。
 これからは、それぞれの道を再び歩いていく。
 時に複雑に交錯し、時に接触すら起こりえない平行を。
 それは俺も同じだ。
 気がつけば演説も終わりを迎え、すぐに国を挙げての祝勝祭になるだろう。
 いい機会だと思えた。いつにするか曖昧に迷っていた気分に決心がつく。
 ここからは、分かれ道を行くのだから。















永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


最終話 そして、さよならを
















 中庭では祝勝会が始まっていた。その中で運良くアリカをすぐに見つけられた。
 彼女は少しだけ驚いたような顔をして、それでも俺に微笑みかけてきた。
 お互いに近づき合う。これが最後だ。
 そう思うと、気分が重たくなる。それでも俺たちは。

「お帰りなさい」
「……ただいま」

 続く言葉は同時に出ていた。

「外に――」

 言葉が重なって、どちらも中途半端な部分で言葉が途切れる。
 すぐにアリカに先を促す。息を呑んでから、彼女が言い直す。

「外に出ませんか? ここは人が多いですし……邪魔されたくないですから」

 元より、そのつもりだった。
 連れたって、城の廊下を抜けていく。人の喧騒が耳に届く。誰もが嬉しさを隠しきれていないようだ。
 その中にあって、俺たちは異質だったかもしれない。
 言葉もなく、それでいて歩調はお互いに早く。まるで何かから逃げようとしているかのように。
 他の誰にも呼び止められることもなく、城の外に出る。
 外は外で国民たちがこぞって祝宴を上げていた。驚き、それでいて何故だか微笑ましくさえ感じる。
 明日のことは分からない。しかし今だけは……そんなところか。

「どこまで行く?」
「詰め所のほうに行きませんか?」
「そうだな……そうしよう」

 あそこなら開けた場所もあるし、このお祭り騒ぎなら寄りつく者もいないだろう。
 並んで歩き出してしばらくはやはり無言のままだった。
 それでも途中で、アリカのほうから話しかけてきた。

「この数日、どこにいたんですか?」
「……イースペリアまで墓参りに」
「お墓?」
「ああ。どうしても最後に別れを言っておきたい相手が二人いて」

 息を吐く。実際に行動しておきながら、墓参りという行為にそれほどの意味は感じていない。
 失われた者の意思がいつまでも同じ場所に留まるなどと考えられないからだ。
 だから、これはあくまで生者としての俺が行うけじめとしての行動。

「話したことはなかったよな。イースペリアのアズマリア女王と……」
「もう一人のアリカ?」

 アリカの顔を思わず見る。彼女は微笑のまま、俺を見ていた。
 アズマリアはまだしも、もう一人のアリカについて話した覚えはなかったのに。

「ネリーとシアーに聞いたんですよ。何かの弾みで出てきたと言いますか」
「……黙ってて悪かった」
「どうして謝るんです? 私は私で、もう一人のアリカは私じゃないんですよ」

 それはそうだが。触れてこなかった負い目のようなものがある。隠し事がばれていた後ろめたさというのか。

「なんだか運命めいてますよね」
「そうだな……」

 偶然の産物だとしても。気の利いているのか利いていないのか、ちっとも分からない偶然だが。
 今度はこちらからアリカに話しかける。

「アリカは……この先、何がしたいとかあるのか?」
「まだ何も決まってません。しばらくは軍に残って復興作業に着こうとは思っていますけど……」

 アリカは空を見上げてから、視線を元の高さに下ろす。

「でも、軍はいつか抜けます。どうしても……戦いには辛い出来事も多かったですから。軍はどうしても戦いに近すぎます」
「そうか……」

 アリカは多くを語らない。けれど、何があったかは知っている。
 多くの戦友や部下を失い、大切な仲間さえ本当に殺そうとして。自身も陵辱されている。
 それらの傷は、本当は今も癒えていない。一生癒えないかもしれない。
 けれども、彼女はまた笑っていた。笑えるようになってくれた。

「俺はアリカに何かしてやれたのかな?」
「当たり前じゃないですか。前にも言ったのに……あなたがいてくれたから、今の私がいるんです」

 そう言ってくれるアリカを、俺もまた傷つけてしまった。
 道はすでに変わっていた。市街を抜け林道に。
 いつの間にか人々の喧騒からは抜けて、代わりに木々の葉が揺すり合う音が聞こえる。

「ランセル……」

 アリカが小さく呟く。彼女は柔らかな表情で伝えてくる。

「私はあなたが大好き。隊長やみんなとは違う意味で……好き」
「アリカ……」
「私の方もちゃんと言ってなかったから。この気持ちを教えてくれたのは他の誰でもないあなた……私の大切な人です」

 言葉が出てこなかった。代わりに小さく息が漏れる。
 とても大切なものを、俺は手放していく。それでも絶対に後悔しないと堅く望む。
 それが俺にできる唯一。彼女を貶めないためにできる唯一。
 足は詰め所の方角から少し外れて森に入り込んでいた。
 この道は知っていた。ここは確か、あの場所に通じる。

「あ――」

 どちらの呟きだったか。俺たちは光が射し込む場所に来ていた。
 アリカが太陽を向く花を俺に見せ、俺が彼女に告白と別れを切り出したこの場所に。
 どちらの足がここを目指していたのか……あるいは、互いが初めからここしかないと知っていたのか。

「……ここで俺たちは終わったんだ」
「違います」

 アリカが頭を振る。
 彼女は俯いていた。視線の先にはいつかの花がある。今も太陽のほうを向いていた。
 アリカも同じように顔を上げる。

「ここから別々の一歩を始める……そう考えたほうがいいでしょう?」
「そうだな……その通りだ」

 道を違え、しかしそれぞれの足で踏み固めて。
 ここが俺たちの終わりであり、始まりの場所。

「ランセルは……これからどうするんです?」
「世界を見て回りたいとは思う。この世界に来て、俺も『律令』も本当は何も知らない、解ってないのを知った。だから、もっと見ていきたいんだ」

 息を吐く。ため息ではない。

「嬉しいことも悲しいことも、楽しいことも辛いことも。全部ひっくるめて俺は知らないんだ。だから、まずは知っていくことから始めたい」

 時間は永い。それでも全てを知るのは難しい。だが多くを知ることはできる。
 見えるもの、見えないもの。今あるもの、すでに失われたもの、これから生まれるもの。全てはまだ未知の中に。
 俺の道は決して輝かしくはない。しかし暗く先行きが覚束ないわけでもない。
 ならば、手探りでも進んでいく。

「ランセル……」
「君を……俺は忘れない」

 絶対に。二度と会うことはできなくとも、彼女から俺が消えてしまっても。

「君が俺を忘れても、俺はアリカを忘れない!」

 大切だから。だから、この想いだけは絶対に。

「だったら……最後に一つ、わがままを聞いてくれませんか?」
「……ああ」
「口づけ……してみませんか?」

 冗談じゃないのは、アリカの表情をよく見れば分かる。
 少し、ほんの少しだけ彼女は震えていた。そうして、彼女が目を閉じた。
 委ねられている。目を閉じて、彼女はその時を待つ。
 迷う。どこにすればいいのかに。それでも迷った時間は短い。せいぜい、躊躇いと同じ程度の時間でしかない。
 体を寄せて、閉じた目の上に唇を押し当てる。時間は短い。きっと短かった。
 口を離して体も離すと、アリカがゆっくりと目蓋を開く。

「唇じゃ……ないんですね」
「それは他の誰かに残しておくんだ」

 この先、アリカにもまた誰かとの出会いがやってくる。
 唇はその時でいい。その誰かのために。

「でも……どうせなら……本当はもっと早くにして欲しかったです」

 それには何も言えない。
 ただ、もう十分だ。俺たちはこれで終わり――いや、始まりか。
 それぞれのために、進んでいこう。
 体から『律令』を引き抜き、力を収束する。
 開くのは異世界への門。行き先は不明。だが、今はそれこそが頼もしくもある。

「離れて」

 『律令』の剣身に文様が浮かぶ。収束した力が、門を出現させた。
 人一人が通り抜けられる程度の小さい門……閂のような鍵が右側に三つ並んでいる。
 開けと念じると、閂が一斉に回って外れる。そうして、門が開かれた。
 風が吹いていた。この世界から門の向こうへと流れ出すように。

「……お元気で」
「ああ」

 アリカが離れていく。門までのわずかな道のりの間、周囲を見回す。
 この世界には眩しいぐらいの命が生きている。俺たちは、それを守れたのだろう。
 その過程の、歩みが正しかったのか過ちだったのか。それはまだ分からない。
 けれど命はいつだって、それこそ懸命だ。
 門の直前まで来て、後ろを振り返る。風が強くなっていた。
 アリカは風に揺れる髪を左手で押さえつけながら、俺を見送っていた。
 片足が門の向こうに届く。後は吸い込まれるように引っ張られていくだけだ。

「ありがとう、アリカ」

 アリカは首を二度横に振った。
 彼女は、泣き笑いのような表情で。

「私はだめだったけど……いつかランセルにも!」

 体の半分がすでに門を越えていた。
 アリカの声が届く。切に、響く。

「ランセルにも……また大切な出会いがやってくる! だから……あなたに幸せな出会いを」

 俺は、そんなアリカに笑いかけた。
 君のこれからに、幸せを。
 最後の言葉を。別れの言葉を。感謝の言葉を。

「さようなら」

 最後に見えた空には太陽が輝き、一面が青く澄み渡っている。
 今日もいい天気になりそうだった。
 それぞれの道を、その空の下で生きていこう。
 だから、さようなら。






















終幕





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