夢の終わりは覚えているが 夢の始まりを覚えている人は きっといないのだろう 〜Luca=grandfrere=Cayne〜 〜プロローグ〜 夢。 僕は今、夢を見ている。 何時の頃からか見慣れてしまった天井。 時折聞こえてくる、どこか懐かしい旋律。 まるでそれは、夢でないかのような、そんな錯覚に陥る。 何時目覚めるとも知らないこの世界は、それでもなお、存在し続けている。 誰が何のために、そんな理由さえも陳腐に感じるような、そんな、どこにも歪みのない世界が、今ここに存在している。 僕が望んだ、世界が。 ここに。 一日目 〜何時の日も変わらぬ日常〜 目の前にあるのは、見たことのない天井だった。白く、透き通るような、そんな感慨を無為に沸かせるような、そんな質素な天井だ。僕の知っている、いつもの光景との差異に多少の戸惑いがあった。 しかし、僕はすぐにここが夢の世界であることに気がついた。正確には、そう直感したといったほうが正しい。なんともいえない浮遊感が、体全身を包んでいたからだ。 耳を澄ませば、誰かの会話が聞こえてくる。壁に遮断されているためか、その会話の内容までは聞き取ることができなかったが、それはどこかで聞いたことのある声であった。 ピピピピピピピ。 電子音がけたたましく鳴り響く。非情に私を不快にさせるその音は、朝の訪れを私に伝えるための機械から発せられていた。しかし、毎朝この不快な音に心地よい睡眠を咎められていると思うと、破壊的衝動が沸いてくるというものだ。だが、ここでこの不快な機械を破壊したところで、僕自身には何にも利益がないので、それはやめておくとしよう。  大体、人間の幸福なんてこういうところにあると思う。やってはいけないと言われればやりたくなってしまうのが人間の性だ。目覚めなければいけない時間に眠る。これはもう、一種の快楽的動作だと見ても問題はない。  そんなことを考えていると、階下から怒鳴るような声が聞こえてくる。あれは母親の声だ。最終的に僕の目覚めを呼ぶのは、決まったこの声だ。今日のところは潔く目を覚ましておこう。 「七時三十三分か」  ようやく朝の光を受け入れられるようになったところで、時間を確認する。一応これでも、都内の高等学校に通う立派な高校生だ。義務教育ではないが、やはり学校に向かうという習性が、いまだ意識を支配しているということは否定できない。  紹介が遅れたが、僕の名前は衛藤侑希、先ほども述べたように都内の高校に通うごく一般的な高校二年生だ。成績は可もなく不可もなく。得意科目は数学、という当たり障りのない高校生をしている。ちなみに、部活は帰宅部だ。毎日立派に活動しているあたり、自分の真面目さに気がつく。  さて、こんなことをしている場合ではなかった。早く準備をしなければ自転車で十分の距離とはいえ、遅刻は免れない。朝寝坊が常にできる特権を手に入れたいものだ、などと下らない事を、本気で考えているあたり、その可能性はほとんどないとも思っている。  洗面所で顔を洗うと、急に目が覚めだした。この時期の水は冷たく、睡魔にとっては弱点なのであろう。朝一番の行動が、洗面になるのは、目を覚ますという目的達成のためには、一番の方法だと思っている。 朝のニュースを見ながらパンとコーヒーを口に運ぶ。ほろ苦いコーヒーを口に運ぶたびに、やっぱりコーヒーは豆からだよなぁ、などと通ぶったことを思う。正面に座る父親は和食派で、ご飯にのりに納豆という、いかにもこれが日本の朝食である、というメニューを食している。しかし、新聞を読みながらの食事は、どう贔屓目に見ても行儀がいいとはいえない。まあ、それほど時間がないということなのだろうが。  眼前にあるテレビはいつもの朝と変わらない、和やかな雰囲気を醸し出している。今日の運勢占いやら血液型占いやら、当てになるのかわからないようなものでさえ、自分によりよい結果が出れば、一時の幸福を得られるものだ。 人間なんて単純なものである。 目に付くようなニュースもない中、テレビの中の時計が七時五十分を告げる頃、ようやく朝の食事を終えることができた。いつもより優雅に食べたつもりでも、習性というものはそう変わるはずもなく、いつもと同じ時間に食べ終えてしまった。  朝の食事も終え、制服に身を包む。これでも身だしなみには気を使うほうで、朝の衣装のセットにはいつも十分くらいかけてしまう。まあ、いつもと変わらない制服であるのが、少々残念なところではある。  八時五分を回った頃、ようやくすべての準備を終え、登校できる体制になった。  いつもの自転車の鍵を手にし、僕は早々と家を出た。  僕の通学路は、さすがに一年以上も通っていることもあって、何時も同じ道を通る。入学したての頃は、興味本位にいろいろな道を通ってみたが、結局は最短の道で落ち着くこととなった。しかし、それもそれまでの行動の恩恵だと考えれば、そんな道探しも悪くないように思えた。  学校に到着。  時間はいつもどおりの八時十五分。早くも遅くもないこの時間が僕にとってちょうどよい時間になっている。  いつもの駐輪所に自転車を止め、いつもの靴箱で上履きに履き替え、いつもの階段を上り、いつもの教室へと足を踏み入れた。  その刹那、僕は唐突に何か違和感を覚えた。何かいつもと違うような、そんな曖昧なものではあるが、確かに感じる差異だった。しかし、その違和感の正体が何であるか、今の僕には思いつかなかったので、その違和感は自然と彼方へと去っていった。  何事もなくホームルームも終わり、学生の本分を全うする時間が来た。  今日の一時間目は数学だ。高校生になってからは、明らかにその内容が難しくなっていることは感じる。大体、三角関数やら虚数やら微分積分やら、いったいこの先なんの役に立つのだろうか。しかしそんなこと、先人たちは百も承知なのだろう。それでもそれを学ぶということは、何かしらの意義がきっとあるに違いない。兎にも角にも、今は与えられたことをきちんとこなしてゆくべきである。すべてはそれから考えればいいことなのだ。 「それじゃあ、出席番号5番…衛藤、この問題やってみて」 唐突に名前を呼ばれ我に返る。どうやら、問題の回答者として指名されてしまったらしい。せっかく当てられたのだ、何も聞いていなくともここは答えをいうべきである。それも迅速に。 「2です」 「なにを聞いているんだ、君は」  よくよく黒板を見てみると、どうやら三角関数の問題であったのか、sinやらcosやら黒板に書かれている。なんだ、これならこの間授業でやった問題じゃないか、きちんと落ち着いて黒板を見ていれば解けたな、などと後悔している中、教師の説教じみた声は教室に響いていた。  結局、教師のぼやきは授業終了まで続いた。 後に友人は語る。あれほどなめた回答はないだろう、と。  その後もいつもと変わらない授業は続く。英語、世界史、物理、古典、どれもこれも結局はまともに聞くことはなかったが、その内容はなんとなく頭の片隅に残っている。なんだかんだ言いつつも、結局まじめに授業など受けていなかったようだ。まあ、学生なんてみんなそんなものだろう。  すべての授業を終え、意味があるのかないのかいまいち理解のできないホームルームも終えると、いよいよ放課後へと突入する。  ここでひとつ、赤馬とかけて学生と説く。その心は―  どちらも放課(放火)後が楽しみ、なんてね。  さて、うちの校風は割かし自由だが、ひとつ大きな標語がある。それは「文武両道」という言葉だ。その言葉が示すとおり、部活動は盛んである。特に意識したわけではないが、僕もその例には漏れず、部活動に勤しんでいたりする。  硬式テニス部。いかにも優雅な響きだ。名前のエレガントさもさることながら、活動内容もその響きにふさわしい。野球部やバスケットボール部のようなスポ根は一切ない。常に優雅に、それが我が部活のモットーだ。標語ではなくモットーという言い方にも、少し優雅さが漂っている感じだ。  そんな素晴らしい部活に所属している。といえば聞こえはいいが、いわば遊びの部活だ。辛い練習などしない代わりに、もちろん大会常連なんていうこともない。楽しむ、ということを優先した、いかにも高校生らしい部である。