永遠のアセリア
Recordation of Suppressor
3話 誠意と信実をもって
1
2
気配は殺したまま森の木々の合間を進んでいくと、神剣の反応がいきなり増えた。
戦闘が始まり、神剣の力を隠すことなく使い始めた証拠だ。
位置はここリュケイレムの森で、さらに奥で戦っているらしい。
反応を感知してから、まだ半刻も経っていないが、神剣の反応は二箇所に多く集まっている。
どちらも部隊を二つに分けているらしいが、正確な数までは読み取れない。
近いほうに接近するため、走るペースを上げる。
森に入ってからというもの、いつもより体の調子が良い。
速く走れるし体に負担も感じない。体内に熱が篭って火照ったような、爽快ともいえる気分だ。
気配が一段と強くなったところで、木の枝に飛び移る。枝が大きくたわむが、折れないで体を支えきった。
そして枝伝いにさらに接近していく。上からなら意外に姿を見つけられにくい。
神剣魔法によるものか大気を震わす振動が伝わってくる。
さらに近づくと、次第に剣戟の音もはっきりしてきた。
慎重に距離を縮めていくと、眼下でラキオスとサルドバルトのスピリット隊が戦いを繰り広げていた。
上から俯瞰すると戦況の推移を把握しやすい。状況は乱戦の様を呈している。
「覚悟!」
「てぇぇぇぇぃっ!」
青と黒のスピリットが敵部隊に深く斬り込み、陣形を大きくかき乱したところに神剣魔法が飛来し、スピリットを打ち倒していく。
個々の能力ならラキオスのほうが高く、サルドバルトを押しているように見える。
しかし数の上ではサルドバルトが優勢で、すぐに切り崩された部隊の穴を他のスピリットが埋めていく。
(もう一方面も同規模の部隊が展開してるとなると、かなりの規模になるな)
案外、サルドバルトは戦力の大半をここに投入しているのかもしれない。
サルドバルトのスピリット隊もイースペリアのマナ消失に巻き込まれているはずだから、それなりの損害は受けているはずだ。
サーギオスからの戦力提供があるといっても限りはある。
戦況が悪化すれば、そのサーギオスも戦力の提供を取り止める公算が高い。
さらに純粋な国力ではラキオスがサルドバルトを圧倒している。時間をかければかけるだけ勝機は失われていく。
サルドバルトがこの一戦に逆転を賭けたとしても、なんらおかしくはない。
「……手を貸すべきか?」
自分以外に聞き取れない声で自問する。
加勢するならラキオス側だが、ラキオスを助けるべきか?
『求め』のユートは信用できる人間かもしれないが、ラキオス国王がそうとは限らない。
それに本人の意思かどうかは別として、ユートが消失を引き起こした張本人の可能性は残ったままだ。
できるだけ目を向けなかった可能性でもある。
(俺は、本当に容認できるのか?)
直接手を下しイースペリアを崩壊を導いたかもしれないユートを。
それを裏で指示し、ほくそ笑んでるかもしれないラキオス国王を。
彼らが安穏と暮らすラキオスという国を。
アズマリア女王を奪った誰かを――。
「――赦せるのか?」
包帯を巻いた腕が腕が疼き、小刻みに震える。
震えを抑えるために『鎮定』の柄を握り、腰から引き抜いた。
どうする?
俺はどうすればいい?
【このまま見殺しにするか、主?】
唐突にぶっきらぼうな男の声が頭に直接響く。
初めて聞く声が誰のものか瞬時に理解できた。
「『鎮定』なのか?」
【ご名答。また汝と話す機会がこようとは】
声には苦笑いの響きが込められているようだった。
また、とはなんだ?
そもそも、この剣は。
「話せたのか?」
【一応は。今までは眠っていたが『犠牲』に起こされた】
「……確かアリカの神剣だったな」
【消失の時だ。己の存在が消える前に】
そこで『鎮定』が一息つく。
微妙な反応までもが読み取れるようになっていた。
そこに付随する感情となると別だが。
【それはいい。それより主がどうするかだ】
「……どうすべきだろうな? ここにきて……」
躊躇っているのだと、自覚している。
もしかしたらラキオスという国は自分にとって敵なのかもしれないからだ。
そうではないと思ってはいる……思ってはいるが、可能性が痼りのようになっている。
【……主が素直になるか否かだ】
意味を聞き返す前に、足元では新たな動きが起こった。
側面からラキオスの部隊めがけて、赤と青の二人のスピリットが襲いかかってくる。
それを敵陣に斬り込んでいたスピリットたちとは別の黒と青のスピリットが迎え撃つ。
ラキオスの青は斬りかかってきたレッドスピリットの刃を弾くと、逆に攻撃に転じていた。
一振りがかなり重たいのが見ていても分かる。
レッドスピリットは熱気を集中させ防御に専念するが、青の攻撃はものともせずに削っていく。
一方、黒のほうは酷かった。
(素人よりはマシだが動きに落ち着きがないし、付け入る隙も多い……)
最初の一振りこそ凌いでいたが、すぐに追い込まれて傷を負っていた。
グリーンスピリットも二人いて、傷を負うブラックスピリットをすぐに治療していくが、それだと他の者への支援が疎かになる。
他への支援も欠かさないようにすると、次第にブラックスピリットの負傷が増えていく。
最初に敵陣をかき乱した二人も善戦しているが、逆に囲まれすぐに下がるのは難しそうだった。
森という地形が、敵の全容を覆い隠してしまっている。流れがサルドバルト側に傾き始めていた。
「きゃあああっ!」
ブラックスピリットが剣を受けきれずに弾き飛ばされる。
致命傷になるほど深い傷は見当たらないが、満身創痍だった。
急いで立ち上がろうとするが、膝が震えて立ち上がれない。サルドバルトのブルースピリットが止めを刺そうと構える。
「へ、ヘリオン!?」
ラキオスのブルースピリットがウィング・ハイロゥをはためかせて跳ぶ。
直前まで追い込んでいたレッドスピリットは無視する形だ。
そしてヘリオンと呼ばれたブラックスピリットと敵の合間に入る。
(大した瞬発力だ)
普段からなのか仲間の危機に反応したからなのか。必死だ。
距離を一瞬で縮め、ヘリオンを狙ったはずの剣を受け止めた。
「シアー!」
「は……早く下がって……」
続いてくる連撃をシアーと呼ばれたブルースピリットが受けていく。
器用に受け流していくが、そこに先ほどまで戦っていたレッドスピリットが加わり均衡が崩れる。
神剣魔法で水の壁も作り出すが、次第に崩されていく。それ以上は危険だ。
だがシアーは下がらない。ヘリオンを守ろうとしているのが、自分にでも分かる。
(逃げない、のか……)
一つの光景が鮮明に蘇る。消失に巻き込まれた際、最後に見た光景だ。
その姿がアリカの背中と重なった。
楯となり――犠牲となる。
(また何もできない)
指が震え始める。さっきよりも激しい震えだ。もう小刻みとは呼べない。
どうしてこう、スピリットというのは。
「……自分の身を大切にしないんだ」
ラキオスのスピリットたちはシアーまで手が回り切らない。
グリーンスピリットの支援も不十分だ。混戦がラキオスにとって不利に働いている。
それでもシアーは退かない。不退転の覚悟でも決めているのか。
(……冗談じゃない)
気がついた時には枝から飛び降りていた。
落下しながら『鎮定』に声を向ける。直接声に出さずともどうも伝わるらしい。
(初めからこうするのが分かっていたような口振り……お前の筋書きに乗せられた気分だ)
【それは違う。私も含めて誰もが舞台の役者でしかない。役者は筋書きを作らない】
躊躇いの間があってから『鎮定』は付け足す。
【脚本家など当てにならない舞台だが】
『鎮定』の感情は解らない。
強いて言うなら諦観のようでもあり、皮肉のようでもあった。
3
シアーは二人の敵を同時に相手にしながら内心で弱音を吐きそうになっていた。
神剣魔法で作った水壁で神剣を防いでいき、壁を突き破ってきた攻撃を『孤独』で弾いていく。
初めはそれで防ぎきれていたが、圧力が増すに連れて次第に防げなくなっていく。
元々、シアーは剣も魔法も双子の姉に当たるネリーに比べて苦手だ。
それでも、今は踏み止まらないと行けない時だと思っていた。ヘリオンを助けるにはそうするしかないと。
『孤独』でブルースピリットの斬撃を弾いていると、水壁を突破したレッドスピリットの双剣が左の二の腕を斬っていった。
灼きつくような痛みに体を引きそうになるが、シアーは堪えて『孤独』をそちらにも振るい続ける。
しかし、すでに一人では抑えきれず、どちらかの剣がシアーの左太ももを斬りつける。
「ぃっ!?」
悲鳴を挙げて、その場で片膝をつく。あまりに大きすぎる隙。
それを敵が逃すはずもなく、レッドスピリットが双剣を腰だめに構える。
シアーは思わず目を閉じ顔も伏せ、最期の瞬間に備えた。
恐怖のせいか、時間が過ぎるのが遅く感じられ、耳に聞こえる音までゆっくりとしている。
最期は痛いのか冷たいのか、苦しいのか熱いのか、目を閉じながらシアーはそんなことを考えていた。
だが、そのどちらもやってこなかった。
代わりに地響きのような大きな振動が、地面から体に伝ってくる。
「えっと……焦らし……?」
そう言ったものの、そこまで悪趣味なスピリットはいないと思い、彼女は恐る恐る目を開いた。
すると、すぐ側には逆に事切れているレッドスピリットが倒れていた。
まだマナに戻っていないスピリットは、力のない瞳を大地に向けている。
咄嗟に顔を上げたシアーの前に、一人の男がいた。男の足元は深く窪んでいる。
色白な顔をしていて、顔は無表情。
顔の造形は悪くない……とシアーは思って、この状況でそこに注意を払っている自分に驚いた。
両手には包帯が巻かれ、その手には袱紗に包まれたままの剣を握っている。
彼はすでにもう一人のブルースピリットも造作なく斬っていた。
男はランセルだ。彼はシアーに視線を移す。
「……」
「あ……」
目が合う。シアーは呆然とランセルを見上げるばかりだった。
ランセルの視線が動く。シアーの瞳から左足の傷、それから瞳にまた戻る。
いつの間にか戦場の動きも停滞している。
闖入者の乱入に、誰もがどう動くべきか一瞬、分からなくなっていた。
二人のスピリットが黄金の煌きに変わるのを見て、いち早く立ち直ったのはラキオス側だった。
突出していたセリアが敵スピリットを斬ると、後ろに下がりながら指示を出す。
「ファーレーンも下がって! ここで体勢を立て直すわ!」
顔を仮面で隠したファーレーンは無言で大きく頷くと、ハイロゥの力を利用して大きく後ろに飛び退く。
それを横目に見たランセルは、シアーにまた目を向ける。
シアーは警戒を含んだ視線を向けているが、ランセルは気にしていないようだった。
「立つんだ。座っていると危ない」
そう言いランセルは右手を差し伸べる。
シアーは彼の顔と腕、それから袱紗に包まれ隠れた剣を順に見ていく。
剣は直剣のようで、柄と指を護るためのナックルガードが露出している。
ランセルが手を差し出したまま微動だにしないので、意を決したシアーはランセルの手を握る。シアーからは強く握らない。
その手を握った時、初めて男の指が足りないのに気がついた。
ランセルは力を入れるとシアーを立たせる。
「痛っ……」
立たされた拍子に左足が痛み、シアーは顔をしかめるがランセルは何も言わなかった。
シアーはランセルの顔を正面から見て、その目と表情にたじろいだ。
無表情……何を考え、何を見ているかが本当に分からない表情だった。
ラキオスのスピリット隊の中にもアセリアやナナルゥのように、表情に乏しいものはいる。
それでもシアーは、その二人にも感情があることは知っている。
単にそれを表に出すのが苦手なだけ、ぐらいに考えていた。
しかし彼女の前にいる男は、そういう感情がそもそも無いように見える。
その時、ランセルの背後の木立が音を立てて揺れたと思うと、サルドバルトのブルースピリットが飛び出してくる。
「解く暇もなしか」
振り向きざまにランセルは『鎮定』を振るう。
相手のスピリットも横払いの斬撃を繰り出そうとしてくるが、それよりも早く『鎮定』の刃が相手の剣に激突し、軌道を抑え込む。
一歩踏み込みながら剣を戻す挙動で二撃目が続き、がら空きになった相手の胸を切り裂く。
スピリットの体の半分以上を裂く深い傷が走る。十分すぎるほどの致命傷だ。
その光景をシアーは半ば呆然と見ていた。スピリットと正面から戦える人間をシアーは一人しか知らない。
「……エトランジェ?」
疑問の呟きにランセルは答えない。
彼は相手が致命傷なのを確認すると、シアーのほうを向く。
シアーは警戒を解かずにランセルを見ていた。
助けてくれたはずの人を悪人だとか怪しい人だとシアーは思いたくなかったが、そうも言い切れない雰囲気である。
「……立ってないで合流したらどうだ? 他のみんなは集まり始めている」
ランセルに指摘されて、シアーは初めてスピリット隊が一箇所に集まりだしているのに気付いた。
シアーは慌てて、そちらに向かって跳ぶ。
足の怪我もあって一跳びの距離は短いが、何度もハイロゥをはためかせることで補った。
セリアは、シアーがランセルから離れたのを見計らって誰何の声を飛ばした。
「何者です!」
「敵の敵は味方だ、ラキオスのスピリット。それに行動で立場も表明できてるつもりだが」
「かといって、誰とも知れない相手をそう簡単に信用など……」
「……それも、もっともな言い分か。こちらは元イースペリア王国スピリット隊所属特務員、『鎮定』のランセル。元同盟国の誼で、微力ながら貴隊に加勢させていただく」
どこか加勢の拒否を許さないような響きが込められているような声だ。
思ってもいなかった地名が出てきたことで、セリアは戸惑った。
「イースペリアの?」
「今すぐ証明は難しいかもしれないが……亡国は辛いな。今は敵じゃない、それでも十分はずだ。まだサルドバルトは残っている」
その言葉に呼応するように、再びサルドバルトのスピリット隊が動き出した。
数の上ではまだサルドバルトが多い。この場にいるラキオス側はランセルを含めても八人だ。
「……倍は残っているのか。本当に後先考えてなさそうだ」
ランセルが背を向ける。気配から臨戦態勢なのが周囲にも伝わる。
「どうするの?」
ニムントールがセリアに用心した口調で訊く。
サポートする必要があるのか、と言外に含まれていた。
「……様子を見ます。支援はしないでもいいわ」
セリアは支援するなとは言わない。それが最低限の譲歩だった。
共同戦線のような形だが、彼女はランセルを信用していない。未知数な部分が多すぎる。
「敵の敵が味方なんて安直過ぎるわ。やっぱり別の敵である可能性があるじゃない」
「やっぱりそうだよね。いきなり信用しろだなんて……正直、怪しすぎ」
ニムントールが胡散臭そうにランセルの背中を見る。
スピリット隊の総意ではないが、確かに頷ける部分は多かった。
「シアー、あなたは彼をどう思ったの?」
「……分からない……だけど……」
「だけど?」
「……やっぱり分からないや。でも、そんなに悪い人じゃないんじゃないかな……」
それ以上はセリアも訊けなかった。その前にサルドバルトのスピリット隊が動き出したからだ。
4
【もう少し誠実に協力を仰ぐなり申し出たほうが良かったのではないか?】
(……味方だという証明はどうせできないだろ。それに俺が本当に彼女らの味方か分からない)
【やれやれ】
(……後ろから狙われないなら、今はそれで十分だ)
ランセルは鎮定を覆っていた袱紗を取り払う。会話ができるようになったとはいえ、外見に特別な変化はなかった。
木陰に隠れるようにしてサルドバルトのスピリットが近づいてくるのが見える。
(相手にしないといけないのは……三人か。まずはここを乗り切る。力を、貸してくれ)
ランセルは自然体に構えて、相手の出方を観ている。
サルドバルト側も不用意に飛び出さずに注意深く様子を窺っていた。
森がざわめく。と同時に左右から挟み撃ちをするように、2人のブルースピリットが飛び出してくる。
(速度等速、右のほうがやや近い――)
ランセルは瞬時に相手の動きと位置関係を見極めた。
彼は右のスピリットに向かって駆け距離を詰める。左後ろからもう一人が追ってきていた。
ランセルが剣の届く範囲に踏み込むのを先読みして、今は正対するスピリットが胴を狙って神剣を振り下ろしてくる。
瞬間、彼は体を一歩分、外に向けることで剣を避け、そこに横から叩きつけるように剣を振り抜く。
スピリットのか細い体を両断するが、それを最後まで見届ける余裕はない。左後ろからスピリットが迫っていた。
【上からも来るぞ!】
『鎮定』の警告通り、頭上からブラックスピリットが神剣を拝み持ちにして急降下してくる。
咄嗟に『鎮定』を下から頭上へと振り上げる。闇雲ではなく攻撃のための動作だった。
剣と剣が弾き合って互いの攻撃が防がれる。
ブラックスピリットはハイロゥを羽ばたかせ、空中浮遊と姿勢制御を同時に行いながら神剣を持ち直す。
その間にランセルに追いついてきたブルースピリットが神剣を突き出してくる。
上段に構えたままの『鎮定』を剣先を下にして、上から抑え込むように相手の剣身に向けて叩きつける。
ブルースピリットの神剣が『鎮定』に押されて、軌道を逸らし足元に深く突き刺さった。
スピリットの驚愕した表情が、ランセルの視界に捉えられる。
(ここで狙え……ない!)
ランセルが『鎮定』の剣身をすぐに振り上げると、金属音が響き、彼の両足がわずかに大地に沈む。
ブラックスピリットの一撃を受けたのである。
視界の端ではブルースピリットが神剣を引き抜こうとしていた。
ランセルは強引に頭上のブラックスピリットに『鎮定』を打ちつけ、空中からはたき落とす。
傷は浅いが、空中から頭を抑え続けられる状態は阻止した。
その時、ブルースピリットが神剣を完全に引き抜く。
ランセルは背後に高く跳躍する。今までいた場所を神剣が貫いていくのが見えた。
跳躍したランセルは木の幹に足をつき、手近な枝に左手をかける。
両の膝を曲げて体を屈め、素早く周囲の様子を観た。
(今の二人とは別に新手の気配か……これで打ち止めならいいが)
サルドバルトの繰り出せるスピリット隊の規模次第だが、これ以上はないとランセルは踏んだ。
木の幹を足場として、敵の中に再び跳ぶ。
ブルースピリットが手前に、ブラックスピリットはあのあと木に打ち付けられていた。
今度は回避ではなく攻撃のためだ。合流される前に叩くつもりだった。
「てぇぇやあぁぁっ!」
「――!」
狙われたブルースピリットは気合を込めて迎撃に移り、対するランセルは無言のまま加速を乗せた『鎮定』を振り下ろす。
刃が激突し、受けた場所からスピリットの神剣が叩き割れる。
勢いを殺がれないまま、首の横から始まり脇腹の辺りまで刃が食い込んだ。
『鎮定』を引き抜くと即座に、弧を描くように回り込んで。
ブラックスピリットは木の幹を支えとして立ち上がろうとしている。だが動きが鈍い。
スピリットが完全に立ち上がったところを、『鎮定』が幹ごと胸を貫いた。
血と一緒にくぐもり声が口から零れる。それもすぐに光の霧になって消えていく。
【新手がきたぞ】
一息つく間もなく『鎮定』が警告する。その言葉の終わらないうちに新手のスピリットが姿を見せた。
ブラックスピリットだ。しかし先ほどまでのスピリットたちとは雰囲気が違う。
ハイロゥは黒い……魂を飲まれている証拠だが、それを差し引いても気配が違った。
(手練れか。飲まれてるのは幸いか不幸か……どちらでも変わらないか)
ブラックスピリットはいきなり動いた。抜剣から首筋を狙った払いがくる。
ランセルは上半身を下げると、わずかに遅れて首の高さを神剣が通り過ぎるのを見る。
彼が攻撃に転じるよりも早く、ブラックスピリットは次の攻撃に移っている。
後じさりながらランセルは相手の剣を受けていく。一歩下がる間に三度の斬撃に見舞われる。
的確に急所を狙ってくる剣にもランセルは表情を変えない。
ブラックスピリットが神剣を鞘に戻し、抜剣の構えを取る。
【押されているぞ、主】
(分かってる……持ち直せばいいだけだ)
相手の抜剣に合わせて、ランセルも神剣に向けて『鎮定』を打ち付ける。
強引な方法だが、スピリットの神剣を打ち弾いた。
ブラックスピリットは脚力だけで横に跳びながら、崩された構えをすぐに戻す。
スピリットの連続攻撃は防げたが、ランセルの追撃を許す隙はない。
ランセルも後ろに下がり距離を開く。その判断は良くなかった。
彼とブラックスピリットの違いは、距離を置いた敵への攻撃手段があるかどうかだった。
「闇の槍よ、枷となり縛りつけよ」
高速詠唱のあとに、スピリットの掲げた左手にマナが収束し黒い槍が形作られる。
「アイアンメイデン!」
スピリットが振りかぶり、槍を投擲。
マナの力で制御された黒い槍は大地と平行に飛翔し、ランセルの左肩に突き刺さった。
外傷はできずに出血もないが、槍は不純物に変化し体を侵食していく。
ランセルは体から力が抜けていきそうになるのを自覚した。
「っ……毒か」
ランセルは歯を食いしばり、心ならずも眉をひそめていた。
好機と見たブラックスピリットがウイング・ハイロゥを展開し、さらにもう一本の槍を作り出し再び投擲する。
「そう何度も―――弾け」
『鎮定』の力を解放すると剣身を仄かな光が纏う。そして、剣を飛来する槍の真横から叩きつける。
水を零したような音と共に黒い槍が砕け散った。と同時に『鎮定』を覆っていた光も消える。
【今の主にこれ以上は無理だ。体の調整を優先する】
(これで斬られたら元も子もないだろう!)
ブラックスピリットがハイロゥで大気を打ち付け急加速してくる。彼女は投擲後、すぐに行動に移っていたのだ。
抜剣し縦に神剣を振り下ろしてくる。それを『鎮定』を頭の前で水平に構えて受け止めた。
金属音が耳朶を打つ。先程よりも重い一撃だ。
だが、それ以上に力を抑えつけられているのが大きい。
(……確かに枷か、これは)
ランセルはブラックスピリットの攻撃を完全に振り切れずに受けに回るしかなかった。
致命傷になるような深手は負わないが、攻撃を受ける度に擦過傷が体に刻まれていく。
ブラックスピリットはランセルが反撃に転じる余裕を与えずに、ひたすら剣を振るった。
徐々にだが、確実に彼女の攻撃はランセルの体力を削っていく。
5
――敵、殺せ。我に、マナ。神剣、砕け。それ、こそ、絶対、唯一、救い。
ブラックスピリットの神剣が、人形に近い主に命じる。
闖入者一人を討ったところで戦況に寄与しないのは、神剣も薄々だが気づいている。
しかし、それを言うなら、すでにこの戦いは失敗としか言いようがなかった。
他の神剣の反応は次々に消えていっている。サルドバルトは敗北していた。
なればこそ――少しでも剣を減らそうと、その神剣は考える。
それは本能だった。その神剣が存在を得た時から有していた、使命にも似た本能。
だから剣は命じた。
――目前、男、敵、殺し、略奪――。
【くだらんな】
突然介入してきた声に神剣は狼狽した。その声の強烈な存在感にも圧倒された。
それは低位の神剣が持てないような、明確な意志に基づく声。
【疑問が欠如している。所詮は本能のみか】
神剣は声の出所を探した。いや、探すまでもない。相手の神剣こそが声の正体だった。
剣はますます困惑する。相手の神剣からは、そこまで強力な力を感じない。
自身よりも多少強力ではあるが、ここまで明確な意志を持てるほどとは思えなかった。
――問う、何、言う?
【何も。思考が無いなら話すだけ無意味だ】
素っ気ない、完全に突き放した言い方だった。
神剣は何故か底知れない恐怖を感じたが、それを怒りで塗り潰す。
――消え、滅、お前、たち。
【消えるのはそちらだ。朽ちて還るがいい。秩序の永遠者がやがてお前を原初に導いてくれるだろう】
6
ランセルは体に力が戻るのを実感した。『鎮定』が枷になっていたマナを除去し始めていた。
それだけではない。いつの間にか周囲のマナが風として集まり、彼の体を護っていた。
その証拠に、ランセルの耳は風の渦巻く音が絶えず届いている。
「ウィンドウィスパー……ラキオスか?」
ランセルは口中で呟きながら、力で競り合う神剣を払い除ける。
何故かブラックスピリットの反応は鈍く、払われた剣に泳がされるようにたたらを踏んだ。
ランセルにとっては攻撃に転じる糸口だった。
「……もらう」
ランセルは上半身を外に向け、『鎮定』の剣先を相手に向けて胸の前で構えた。
左足で踏み込み、腰の捻りを加えて『鎮定』を突き立てる。ブラックスピリットは抵抗一つせずに、為すがままだった。
確かに剣は刺さっているが奇妙なことに手応えに乏しい。まるで空気のように希薄な存在であるかのように。
スピリットが完全に消滅したところで、彼は後ろを振り返った。
ラキオスのグリーンスピリットが彼に笑みを向けている。結った髪が誇らしげに揺れていた。
名はハリオン・グリーンスピリット。彼女はランセルの窮地を見かねて支援したのだ。
もっともランセルには彼女の名前も意図も分からないのだが。
だから彼はハリオンに何の反応も返さずに顔を背ける。
「救われた、か。借りは作りたくなかったのに」
ランセルは『鎮定』を杖代わりにして息を整える。体の状態もほぼ平常時と変わらなくなっている。
予想外に大規模な戦闘となっていたが、戦いは終息に向かっていた。
周囲から敵の気配が完全に消えたのを確認すると、ランセルはラキオスのスピリット隊のほうに歩き出す。
それに気づいてスピリットたちの警戒と興味の視線がランセルに集中する。
彼は一定の距離を置いて立ち止まった。
「あなたは……何者ですか?」
セリアが最初と同じような、しかし前よりも深い意味を含んだ質問をした。
「名はランセル。人間だ、これでも」
「人間……?」
「ああ。弱くて頼りない、ただの人間だ」
「エトランジェではなく?」
エトランジェという単語が彼の頭に引っかかる。
それは過去に何度も確認された質問だった。代わり映えのしない陳腐な定型句のような。
「この世界の生まれだ。
「では……あなたの本当の目的は?」
本当の、とくるか。ランセルは内心で苦笑した。
そして彼は一つ嘘をつく。
「ユート殿に協力したいからだ。そんなにおかしなことか?」
協力と言っておいたほうが、波風を立てずに悠人に会える可能性が高くなると考えての発言だった。
もっとも、セリアたちがその言葉を素直に受け止めるかは分からない。
それに実際に会うと協力どころではなくなるかもしれないとランセルは思う。
セリアは注意深くランセルを観察する。本当に信用できるのか計りかねているようだった。
少なくともサルドバルトのスピリットを斬るのに躊躇いがないのはセリアにも分かる。
額面通りには受け容れられないが、敵ではないとセリアは一応の判断を下した。
「分かりました……私たちに付いてきてください」
セリアを先頭にして部隊が動き出す。彼女の後ろにシアー、ナナルゥ、ヘリオン、ハリオンと続いた。
その後ろをランセルが行き、彼を挟む形でファーレーンとニムントールが最後尾を歩く。
森を進んでいくと、悠人たちの部隊と合流できた。疲労の色はあったが誰一人も欠けていない。
悠人は先頭のセリアに話しかける。
「そっちは大丈夫か?」
「ええ、こちらは大丈夫です。それと……」
セリアは後ろを振り返る。悠人もそれにつられて視線を移す。
その時になって、悠人は初めて男がいるのに気がついた。
悠人は息を飲んだ。その顔には見覚えがあった。
「はじめまして、ではないですね。『求め』のユート殿」
ランセルは意識せずに右手の包帯を胸の前で締め直していた。
その手を悠人に見せつけるかのように。
「あの方が私たちに助力を申し出てきているのですが……」
サルドバルトのスピリット隊を撃破したあと、ラキオスのスピリット隊は第1詰め所の前まで移動していた。
その中にはランセルの姿も含まれている。彼は周囲をスピリットたちに囲まれて歩いていた。
悠人はスピリットたちに話しかけながらも、頭の中では別の事に気を取られていた。
別の事とは、もちろんランセルの事だ。
助力が目的とセリアからは聞かされていたが、素直に受け止めることはできなかった。
そして、彼の指は間違いなく数が足りなかった。
悠人はその原因が、あのマナ消失にあると考えている。
先に城から出た悠人たちでも、マナ消失の範囲内から抜けることはできなかった。
後から出たはずのランセルが巻き込まれなかったとは考えにくい。
それにもう一人、グリーンスピリットのアリカが一緒にいたのも悠人は覚えている。
あの日、悠人たちはアリカにも一緒に来るよう言ったが、彼女はかたくなに拒んだ。
最終的にエスペリアとアリカは何かを話して、エスペリアは説得を諦めるに至っている。
彼女の姿が見えない理由を悠人はあまり考えたくなかった。
一方のランセルもそれとなく悠人の行動を観ている。
悠人は道中、スピリットたちに怪我がなかったかを確認し、無事なのが分かるとほっとしていた。
それは演技ではなく、本心から彼女たちの身を案じているように見える。
(実際にそうなんだろう)
悠人のそういう態度はランセル個人としても好ましい。
その悠人は時折、ランセルを見て、目が合いそうになる度に視線を逸らしていた。
何かを切り出そうとして、それでもできないといった具合だ。
ランセルは不意に自分が何をしようとしているのかが分からなくなってきた。
(迷って……いるのか? 迷わないはずがない)
それでも、自分が後に引けないところまできているのは理解している。
(いざ真実に、か)
どこか諦めにも似た決意を彼は固める。そうして彼らは第一詰め所の前に着いた。
詰め所の前は広々とした広場のようになっていて、周囲は森に覆われている。
街道のように広い道が一つあり、ラキオス王都に繋がっていた。
詰め所の建物は豪華な作りで、かなり大きい。しかしランセルの目にはそれがまやかしのように見えた。
「えっと……ランセル、さん?」
意を決した悠人はランセルに話しかける。その隣にはエスペリアが心配そうな目つきでランセルを見ていた。
スピリットたちは、いつの間にか思い思いの場所に移動していた。
それでも二人の会話が聞こえる範囲からは離れようとしていないが。
「呼び捨てで結構です。ユート殿」
「はぁ……俺より年上みたいだし、なんかやりにくいな……」
ランセルは人間であるので、エトランジェに対して敬語を使うのは、この世界では特殊と言えた。
ぼやきながら悠人は視線を落として腕を組む。
次に視線を戻した時には、割り切るしかないと考えていた。
「あなたは……俺たちに協力してくれるんですか?」
「ええ。だけど、それは建前だ。ユート殿」
その言葉にセリアが眉をひそめ、手が自然と『熱病』の柄にかかっていた。
「セリア」
そばにいたヒミカが周りから見えないように服の袖を引き、小声で注意する。
セリアは慌てて柄から手を離した。確かに彼女の反応は早計過ぎる。
それを見ていたランセルは『鎮定』を足元に投げ捨てた。剣身が大地にざっくり突き刺さる。
【乱暴に扱うな】
『鎮定』の文句をランセルは無視し、悠人たちに向かって口を開く。
「これで神剣はない。いくら剣の加護があるからといって、生身でどうこうできるものではないでしょう」
悠人よりもスピリットに対する牽制だった。
セリアはむっとした表情になる。遠回しに非難されたと感じたらしい。
ランセルは深く息をついてから、悠人を見据える。
「本当のところは貴方に教えて欲しいことがあるから、ここまで来た」
「…………」
「用件はすでに察してるかもしれないが……どうだろう、ユート殿?」
ランセルの問いかけに悠人は表情をやや強張らせて何も言わなかった。
「……尋ねる前に聞きたいが、今からの質問をここにいるスピリットたちが聞いても平気なのか?」
悠人はまた何も言わなかった。今度は考えるための時間が必要になったからだが。
ランセルも悠人が答えるまで、待つことにした。
気難しい顔をしながら、悠人は隣のエスペリアの表情を盗み見る。
エスペリアの表情は緊張で強張っていた。
それでも悠人に見られているのに気づいた、エスペリアは首を静かに縦に振る。
悠人は硬く目を閉じてから、力強く目を見開く。
「……続けてくれ」
「では、問わせてもらう。ユート殿……あなたがイースペリアのマナ消失を引き起こしたのか?」
ランセルは自分の指が震えているのに気付いて、震えを止めるように腕を握り締めた。
「あの時、ラキオスとサーギオスの両国がイースペリアの変換施設にいたはずだ。真実を、教えて欲しい」
二人の間に沈黙が落ちる。正確には二人だけではない。
他のスピリットたちも話し声どころか物音一つ立てず、このやり取りを見守っている。
短い、だけど誰にとっても長くて気まずい沈黙が続いた。
「俺が……」
悠人が呟く。その表情は苦い。悔恨の念がその表情を滲ませていた。
その悠人から、ランセルは一瞬たりとも視線を外さない。
彼に悠人の気持ちが伝わっているかは、彼本人にしか分からなかった。
「……俺がやったんだ。サーギオスも何かやろうとしてたみたいだけど、それは俺にも分からない」
ランセルは目を伏せた。
彼は自分の感情を言葉にしようとして、一つの単語が思い浮かんだ。そして、それを口にした。
「……がっかりだ。とても……とても」
ランセルはため息をつくと、片膝を大地につく。視線は悠人から外れて、足元の地面に向けられていた。
「あなたが、やったと?」
顔を向けずに、抑揚のない声でランセルは確認した。この話し方は質問を始めた時から変わらないままだ。
「……そうだ。俺がやったんだ」
ランセルは息苦しさを感じた。腕が一際強く震え、心臓が大きく跳ねて胸を打つ。
そして再び沈黙。さっきよりも、さらに沈殿し停滞した雰囲気だった。
「……違います」
耐えかねた、搾り出すような声。悠人でもランセルでもない。
「エスペリア……?」
みなの視線がエスペリアに移る。ランセル一人を除いて。
彼だけは地面から視線が動かなかった。
「違うんです! ユート様は何もしていない! 変換施設が暴走するように操作したのは……」
「エスペリアッ!」
「私がやったんです! ユート様はあの場にいただけです! 全部! 全部私が……!」
「それは違う! 何も知らないで、それをさせた俺にだって責任が……」
「……待ってくれ」
ランセルは二人を止める。彼としては庇い合いを見たかったわけではない。
ただ、はっきりさせたかっただけで。
「……あなたたちは最初から暴走させるつもりだったのか?」
「それは違うっ!」
ランセルは目線を上げて悠人の表情を見た。
彼は真剣な表情でランセルを見ている。だからランセルも見返した。
目の奥の、その光を。本心を見極めようと、冷徹に、平等に。
ランセルは密かに納得した。悠人はやはり嘘をつけるような人間ではないと。
「俺たちだって知らなかった……ただ変換施設の機能を止めるための操作だと言われて……」
(確かに、止まりはしたな)
ランセルはまた悠人から視線を外した。
「それは……女王の警護よりも優先されたのか? その、ラキオスという国にとって」
悠人は迷った。確かにラキオス王からの指示は女王の安否確認や警護よりも優先されるというものだった。
ここまで来て悠人は隠し立てするつもりはなかったが、それを伝えていいかには迷った。
沈黙が肯定になるとまでは考えが及ばなかったが。
「いや、今の質問は訊かれなかったことにしてください。……あなたたちはアズマリア女王の安否を確認したのですか?」
「……してない。俺たちは最初から変換施設に向かったんだ」
ランセルは深いため息をついた。
おもむろに右腕を上げたランセルは、握り締めたその手を迷わず大地に叩きつけた。
肉を打つ鈍い音がする。彼はそれを一度でやめようとしない。
何度も何度も、皮膚が裂けて包帯から血が滲み出しても、その動きは続く。
「簡単なことだった」
拳を打ちつけるのをやめずに彼は呟く。小さいはずの声は澄んでいて、誰の耳にもはっきり届いた。
「初めから、俺が間にあっていれば良かったんだ」
右の拳が赤黒く染まる。それでも彼はやめない。加減も考えずに大地を殴りつける。
誰もが動けなかった。言葉を忘れてしまったかのように口は開けず、体は石のように硬直している。
「故郷と呼ぶには、あまりに離れすぎた国だった。それでも失いたくないものがあったんだ。無辜の人々もそうじゃない人々も、多くの者が消えた」
しかし彼の頭に浮かんだのは膨大な数の知らない人間ではなく、二人だけだった。
アズマリア・セイラス・イースペリア。
何故か泣き出しそうな顔で覗き込まれている。それから、安心したように笑う。川のせせらぎ。
女王ではなく個人として、生き生きと感情を込めて語ってくれた幾多の話。
楽しそうに、真剣に、哀しそうに、怒ったように、それでも、やっぱり嬉しそうに。
アリカ・グリーンスピリット。
諦めない気丈さに、不満げにむくれた表情。ころころ変わる表情。
全てを覆う光と気高い背中。聞こえなかったはずの凛とした声。最後に見せた泣き笑いの表情。
いくぶん幼いアリカ。手を載せられ目を細めて笑っている。
ランセルは感情が己の内で荒れ狂っているのに気づかない。気づかないまま、それを自制していた。
【これは……】
知らない記憶が混ざったことに、ランセルは気づかない。
『鎮定』だけが気づき、それを兆候と見なした。制約でもある契約が破れつつある兆候として。
それを伝える気は『鎮定』にない。それにランセルは制約の存在自体を契約に基づき忘れている。
気づき求めるのは自発的でなければならない。気づかないままでいるなら、それもまたよしだった。
それよりも、と剣は判断を下す。
【辞めろ、主。自傷行為など無意味だ。身も心も、己も他人も救われない。傷つくだけだ】
(黙ってくれ)
『鎮定』の制止もランセルは耳に貸さない。
嫌な痛みが指から腕に走り、一瞬顔をしかめる。その表情もすぐに消えた。
「ユートたちがまったく憎くないって言ったら嘘だ。だけど憎んで誰が還ってくるって言うんだ。それに憎しみは悲しみに繋がり、悲しみは破滅に繋がる。憎しみと悲しみの連鎖が世界を食い尽くすんだ」
【…………】
「それに人を憎むより、自分を憎んだほうが気が楽だ。事実、『求め』のユートは女王陛下の安否を確認していない。つまり俺が急げば間に合ったかもしれないということ」
ランセルは脱力したように、俯き息を深く吐く。
「誰にも罪はなかった。誰にも非があった。ユート、俺の顔が見えるか?」
「……ああ」
「俺は大切な者を失ったと言った……だけど、俺は泣けなかった。今だってそうだ」
悠人はランセルの目を見た。確かに表情からは何を考えているか窺えない。
しかし、その目は無感情な人間のものではなかった。それをランセル自身が分かっていない。
「だから悲しくないと思っていた。鈍感だから、気づかないから、傷つかないと思っていたんだ。いつも通りだと思ったんだ」
悠人は前に出ていた。そして振り下ろされようとしてランセルの腕を掴んで止めた。
ゆっくりとランセルの顔が上がり、悠人の目を正面から見つめる。
「放してくれ」
「だめだ。もう十分じゃないか……大体、誰がそんなことをして喜ぶっていうんだ」
悠人は強くランセルの腕を握る。本気で悠人はランセルを止めようとしていた。
「俺は……あなたに謝らないといけない。どんな事情があるとしても、俺たちがあのマナ消失を引き起こしたのは、変わらない事実なんだ」
「……」
「だから……恨まれてもおかしくない」
悠人は膝をつき、ランセルと同じ高さの目線になる。
「ごめんなさい……」
両手を突き、頭を深々と下げて土下座する。
ランセルはしばらくの間、何も言わずに悠人を見ていた。
スピリットたちも何も言わない。彼女たちも彼女たちで、考えさせられることが多かった。
「良い人だな、『求め』のユートは」
ランセルは無傷な左腕で、悠人の肩を掴んで立たせた。
彼はいつの間にか悠人に敬語を使っていない。
「真実を知れば先に進めると思った。だけど違った。余計に迷っただけだ」
独り言のようにランセルは言う。
彼には彼なりの苦しみがあるのだろうが、それを言葉や仕種から計るのは難しい。
「いなくなった人は残す人に何を願うんだろう?」
「……分からない」
「俺も分からない。分からないが……立ち止まってると怒られそうだ」
ランセルは息を吐き、空を見上げた。空は青く、雲は少しずつ流れていく。
日が暮れるまで、もう少し時間がある。それでも日は暮れて静かな夜がやってくるだろう。
夜が明ければ、また朝が来る。世界は常に変わらず進んでいる。
世界に生きる人々はどうなのか。
「改めて―――改めて、あなたに協力させて欲しい。俺自身のためにも」
再び自分の足で進みだそうとする者が、そこにいた。
今回はキャラクター設定について。なお裏話の次回以降があるかは未定ですので悪しからず。
キャラ設定もプロットと同じく、途中で修正が入っています。
プロットと同じく3話開始付近で作っていれば、おかしな部分もでてくるわけです。
というか、原作の情報が足りないのに作り始めるなよ、というのが正しいですが。
そういう意味でも、そもそも二次創作として間違えてるとしか思えない。
石を投げられても当然か……。
そのキャラ設定ですが、実はそれほど修正は入ってません。
性格などはいじる必要がなく、キャラの背景を手直しするだけでしたので。不幸中の幸いでした。
とはいえキャラの背景が変わると、変化は大きいです。
東京出身から大阪出身になるぐらいには変化します。関係ない時は関係ないですが、場合によってはまったく違う状況になります。
それと1話で公開している設定はあくまで公開用のものであって、自分個人の控えてる設定はもう少し細部や背景まで含まれています。
設定を公開するのは、個人的に苦手だったりします。設定は安易に見せていい代物だとは思っていないので。
それに、どんなに素晴らしい設定だろうと、それを生かすか殺すかは別の話ですし。
ううむ……なんか話が逸れてます。
とにかく設定は大切だと、そんな当たり前の話。
キャラ設定は、その人物の命に等しいわけですから。
では、少しでも楽しんでいただければ幸いです。