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永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


7話 第三者たちの血戦














「ヨフアルを九個」
「あいよ。ところで兄さん、後ろの嬢ちゃんたちは連れで?」
「そうだ」

 何か悪いか、とは言わない。だが相手はこっちが思っているのと逆の返答を返してきた。

「そうかい。あの子たちも、もそっと暮らしやすくなればいいんだがねぇ」

 意外な物言いに、初めて相手の顔を正面から見た。すでに薄暮に差しかかっており、朱に染まった日光が男を横から赤々と照らしている。
 日焼けして浅黒くなった顔に、濃い口髭を蓄えていた。体つきもがっしりとした骨太だ。年のころは30半ばといったところか。
 それはヨフアル屋というよりは、建設現場の労働者といった印象だ。屋台と白のエプロンがなければ、ヨフアル屋には見えないような風貌だった。
 しかし、それで彼の作るヨフアルがラキオスでも評判という事実が覆るわけでもない。

「……どうしてそんなことを?」
「うん? ああ、そうさな。少し色々とあったのさ」

 凹凸のある鉄板に生地が流し込まれ、これがヨフアル独特の紋様となる。ほのかに甘い香りを漂わせていたそれは熱を加えられ、香ばしい匂いへと変わっていく。
 その色々を訊いたのだが……答える気はないのかもしれない。

「常連さんの気遣いを店の人間がしたら、おかしいと思うかい?」
「……自然なことじゃないかと」
「なら、俺が言ったことも自然になるわけだな」

 生地が焼かれる鉄板を、さらに別の鉄板で挟み込む。
 はぐらかされてるのを意識する。なら、それでもいい。無理に聞きたいとまでは思っていなかった。
 しばらくすると、ヨフアルが焼きあがる。生地はこんがりとした茶色で、表面には網目のような凹凸がある四角形。
 色といい香りといい食欲をそそる。甘い物はそれほど好きじゃないが。
 一つ一つを紙袋で包んでいき、さらにそれを大きな紙袋の中に詰めていく。

「冷めないうちに食べてくれよな。冷めてても美味いけどな」

 店主は快活に笑い声を上げる。なかなか好ましい。ヨフアルを受け取り、代金を現金で手渡す。そしてすぐに(きびす)を返した。
 現金はイースペリア以前から持っていたし、今もあくまでラキオススピリット隊の訓練士という立場にある。黙っていても給料として現金が得られていた。

「兄さん、釣りはどうするんだい?」

 足を止めて振り返る。自分と店主の距離では、手を伸ばしてもすでに届かない。引き換えしてまで釣りを欲しいとは思わなかった。
 それに今は金を使う必要がなければ、未来に使う予定もない。だったら還元してしまったほうがいいだろう。

「要らないので。それに……」

 それに、なんだ。好ましいのか。スピリットを悪く言わなかったのが。きっと、そうなのだろう。

「とにかく、いらないので」

 店主が困ったような顔をする。それ以上何か言われる前に歩き出していた。
 そして店主が言っていた「後ろの嬢ちゃんたち」の前に戻る。

「ほら、ヨフアル」
「うわぁ〜、ありがとうございます〜」
「……本当によかったんですか?」

 素直に喜ぶのはハリオンで、どこか戸惑いを見せるのはヒミカ。二人とも両手で買い物袋を抱えている。
 ラキオスの市街で彼女たちに会ったのは、ほんの偶然だった。彼女たちは館の食料品や雑貨などの買出しが目的で、自分は何もすることがないから街に繰り出しただけ。
 無趣味、というのは平時において考えものである。時間を有効に使えてないのと同意義だから。
 日が暮れる前に館に戻りたかったので、すでに街路を歩き出していた。
 周囲の人間は意外なほど、こちらを気に留めていない。どうせ碌な視線を向けられないなら、たまにはそういう日もいいだろう。

「別にこれぐらいなら。金も余っていたし」
「ですが、こういうことは……」
「う〜ん、せっかく買ってもらったんだから甘えちゃったほうがいいと思うんですけど〜」
「ハリオン、あんたは少し遠慮をしなさい」
「ヒミカ〜、遠慮と謙遜の行きすぎはかえって失礼になりますよ〜?」

 ヒミカは剣呑な視線を向けるが、ハリオンは自覚してるのかしてないのか、その視線を意に介さずに受け流していた。
 ヨフアルを買ったのは自分の意思によるところが大きいと思う。きっかけがハリオンにあるとしてもだ。
 館のスピリットたちへの親睦も兼ねて、だったか。ハリオンが言ったのは。それで、あとは話の流れが買う方向で進んでいた。
 ……これでは単に流されているだけなのかもしれない。

「遠慮してると思いますよね〜?」
「……ヒミカが?」
「私はそんなつもりはないと思っていますが……」

 どうなのだろう。確かにヒミカの俺に対する接し方はハリオンやネリー、シアーたちとは違う。かといってセリアとも似ていなければ、ニムントールの無関心とも違う。
 そして接し方に絶対はなくて、それぞれに適した付き合い方があるはず。
 ヒミカが俺に遠慮してるのかなど分からない。俺はヒミカじゃないんだから。

「いいんじゃないか。本人に遠慮してるつもりがないなら遠慮なんかしてないだろ」
「そうでしょうかぁ〜? 遠慮というのは私たちが気づかないでするものじゃないでしょうか〜?」
「あんた、どうしても私が遠慮してるようにしたいの?」
「ヒミカ、そういうのを邪推って言うんですよ〜」
「どうだか」

 ぞんざいな態度のヒミカ。それでも心底嫌がっているようには見えなかったが。
 道はすでに街を抜けて城壁の内側に入っていた。周囲はほとんど天然の林となっている。

「まあまあ、ヒミカ。あんまり難しいことを考えてると老けますよ〜?」
「どういう理屈よ?」

 言いたい放題だ。こういう関係を親密というのだろうか?
 正直、率直、あるいは忌憚なく。お互いに言いたいことも感情も隠してるように見えない。
 ……これならヒミカは自分に対して遠慮してる、という理屈も通る。
 ハリオンとランセル、この二人に対するヒミカの接し方は違う。それは当然だ。しかしハリオンから見れば、それは遠慮にも見えるのかもしれない。
 しかし、そうだとしてもハリオンがそれを気にするのだろうか? というより接し方の差異を知らないわけでもないだろうに。

「ランセル様、ここで先ほど買ったヨフアルの出番です〜。ヒミカに食べさせてあげてご機嫌取りですよぉー」
「はい?」

 ヒミカが眉をひそめる。露骨な反応で、しかも反射的。もしかしたら本当に嫌われているのかもしれない。
 それ以前にご機嫌取りだとかそういうことは、思っても口に出さないほうがいいのでは。それとも正直でよろしい?

「ヒミカはランセル様が嫌なんですか〜?」
「そうじゃなくって意味が分かんないの!」

 深呼吸を挟んで、ヒミカは真顔でこちらを見る。

「あの、ランセル様。別に私はあなたを嫌ってなんかいません。むしろ信用できる相手だと思っています」
「……それはどうも」
「だから、あなたに対して思うところがあるわけでなく、横のハリオンが――」
「信用してるなら食べさせてもらって平気ですよねー? さあさあ、ランセル様は一思いに食べさせてあげてしまってください〜」
「だから、どうしてそうなるの!」

 慌てふためくヒミカの声は心なしか震えている。見ようによっては怒りなのかもしれない。本当に怒っているわけではないのだろうが。
 しかし、よく考えると疲れそうな関係にも見える。どことなくヒミカが気の毒にも思えてきた。
 それと別に俺もヒミカは嫌いじゃない。しかし食べさせるだとかそういうことは次元の違う話である。
 そして、こういう話の流れは何か好ましくない展開になりかねないので先手を打つ。

「ハリオン、荷物を交換してくれ」

 ヨフアルの詰められた紙袋を突き出す。素材の芳香が鼻先をかすめて漂う。
 それに釣られてハリオンが匂いを嗅ごうと、食いしん坊の小動物を思わせる動きで首を動かす。
 ヨフアルの数は九個で、第二詰め所のスピリットたち一人当たり一個である。俺の分は甘いものを特には好いていないので買っていない。

「交換ですか〜?」

 そして俺と彼女が持つ荷物、その両方を交互に見比べる。ハリオンは両手で抱えないと持てない大きさの紙袋、かたや自分の紙袋は片手で持てる大きさ。
 ハリオンは微苦笑を浮かべてから、さらに見比べる。これもあれか、遠慮じゃないだろうか。

「片手だけ空いてるのは手持ち無沙汰なんだ」
「……そういうことなら〜」

 手放しとは言えないだろうが、ハリオンは一応の納得を示す。
 スピリットと人間の立場を抜きにしても、重たくなる荷物を持たせることに抵抗があるのだろう。おそらくは。
 ……そういえば彼女たち二人は俺を人間として見ているのか、それ以外と見ているのか。まったく気にならないといえば嘘だが、訊きたいとも思えない。

「それでハリオンがヒミカに食べさせればいいじゃないか」
「あ〜、なるほど〜」

 ハリオンがヨフアルを一つ取り出す。紙に包まれたそれをヒミカの口元に運ぶ。

「ヒミカ、あ〜ん」
「あ〜んじゃない!」
「嫌なんですかぁ〜? 私のあげるヨフアルが……」
「なんで酔っぱらいみたいな口上なのよ……」

 ヒミカは嫌がる素振りを見せるが、強くは断りきれていない。
 ふと思う。ハリオンはこうしたいがためだけに、さっきの話を振ってきたんじゃないだろうかと。
 仲睦まじい二人を見ていると、あながち的外れとも言い切れないような気がした。
 ハリオンじゃないがこれは邪推だろうか……どちらでもいいか。あまり縁のない光景だが、見てる分にはそう悪い気はしなかった。
 じゃれあう二人を余所に、詰め所への道を歩いていく。いつもと同じなんら変哲のない道。

【――主】

 ――それが違和感に変わった。『鎮定』の呼びかけがいつになく警戒心をかき立てる。何かがおかしい。ここはまるで敵地にいるような。
 だけど神剣の気配はほとんど感じない。詰め所のほうでいくつか、おそらくスピリット隊の神剣だろう。
 しかし、何もない状態で『鎮定』が反応するものか。

(何かあったのか?)

 疑問を発した瞬間だった。おぼろ気ながらも神剣の気配が突然現れる。それも、よりにもよってラキオス城の内部から。
 体の内にある何かが強く跳ねた。体から飛び出さんばかりの鼓動。確かな痛みを伴っているそれは、殻を打ち破ろうとする小鳥を思い起こさせる。
 続いて別の神剣の気配が動き出す。それは王城に向かっているようだ。その動きは俺のみならず、横の二人も気づいていた。

【この気配は『求め』らのものだな。四位ともなれば、私たちより先に気配に気づくのも道理か】

 感心したような『鎮定』に答える暇もなく気配がさらに増える。今度は王城とは別の位置で――自分らの本来の目的地、スピリットの第二詰め所の付近で。
 数も位置も靄がかかったようにはっきりとしない。元々、神剣の気配は正確に把握できるものではないが、拍車をかけて酷かった。手段は分からないが、何か妨害でも受けているのかもしない。
 だが第二詰め所は……これはスピリット隊の足止めか。だとすると王城はユートたち第一詰め所の四人だけで防がなければならない。
 唐突にハリオンが決めかねるように呟く。

「ランセル様は王城の防衛に行ったほうがいいですかね〜」
「でも……そうね、私もそう思います」

 それは捨て置けない内容だった。確かに王城の守りは不安がある。だからといって、第2詰め所を抑える敵を無視していいものか。
 相手の正確な数は判断できないが、スピリット隊の面々と同数ぐらいは詰め所の抑えに回っているようだった。
 この状況はどこか似ていた。図らずも人間のアズマリアとスピリットのアリカの命を天秤にかけた、あの日に。
 イースペリアが消えたあの日。女王を守ろうとして守れず、生き延びようとアリカを犠牲にしてしまったあの日。今の自分がここにいる理由となった、あの日。

「行くべき……なのか?」
「レスティーナ王女たちの救出が最優先ですからね〜」
「それに私たちなら心配いりませんよ」

 あまりにも当然のように言われて、逆に戸惑った。確かにスピリットという立場から言う彼女らの提案は間違えていないのだろう。
 だけど、そうした場合の結果を無視してはいけない。スピリット隊は窮地に立たされてるいるだろう。それを踏まえてなお、行くべきなのか。
 ……この選択も似ている。対象は違えど、目の前のスピリットを助けるべきなのか、遠くの人間を優先させるべきなのか。
 これは一つの可能性だ。あの日、アリカを見殺しにすればアズマリア女王を助けられたかもしれないという――。

(本気で――そう考えてるのか、俺は?)

 見殺しにすれば、助けられた?
 ランセル、それは認めてはいけない考えだ。お前のそれはアリカの命を冒涜するのと同じだ。アズマリアを助けられなかった理由をアリカに押しつけるだけの、卑怯な逃避。
 そもそも誰も助けられなかったのは、どこの、誰だ。

「……まずは第二詰め所の連中と合流して、そのあとに全員で王城の守備に向かう。各個撃破される愚を進んで冒す必要はない」

 果たして正論なのか欺瞞なのか。結果として、あの日と同じ選択を選ぶ。
 だが、あの日に似ていて、やはり違う。だから結果を見届けよう。不出来な焼き直しの封は切られている。












 第二詰め所に着いた時、すでに戦端は開かれていた。剣戟の音は止まなければ、周辺のマナが攪拌(かくはん)されたように乱れているのも感じる。
 詰め所に残っていた面々は一丸となって敵スピリットの集団に当たっていた。詰め所である館を巻き込まないようにか、館から少し離れた位置だ。
 敵の数はざっと見て十は下らなく、ほぼ倍数に近い。おそらくはサーギオス帝国のスピリットだろう。気配を消して敵地の奥深くに潜入し、それでいてこれほど大胆に行動できる。他にこんな真似ができそうな部隊を抱えている国を知らない。
 この奇襲……見事なまでに図に当たっていた。誰もが油断、というより安全と信じきっている場所に乗り込んでくるとは。
 しかし、この手並みは。

(アズマリア女王を(しい)したのも、あいつらなのか……?)

 イースペリア城にもサーギオスのスピリットの姿はあった。ラキオスが違うとなれば、その可能性は非常に高いはず。高いはずなのだが、安易に決めつけられない。
 女王がいた塔が吹き飛ばされた瞬間、直接は見ていないが直前の扉に手をかけた時だったか。あのあと、現場から離れるスピリットを俺は見ていない。
 いや、スピリットに限らずだ。そもそもスピリットにあんな真似ができたのだろうか? 人を殺せるかどうかとは、まったく別の観点からの話で。

「まずいわね……」

 歯噛みするヒミカを尻目に敵情をつぶさに観察していく。まだ距離があるのと神剣の気配は極力抑えているのが功を奏したか、まだこちらに気づいた様子はない。
 直接切り結んでいるのは青と黒の混成部隊で、何人か緑スピリットの姿も見られる。
 そこから離れた位置にいるのは緑一人にそれを護衛するように青と黒が二人ずつ。どうやら、あの緑が指揮を取っているらしい。
 緑が指揮と支援を行い、青と黒は護衛であり予備兵力、といったところだろうか。彼女らのハイロゥは白と呼ぶには抵抗のある色合いだったが、さりとて黒でもない。
 戦況はやや押されぎみか。

「あの後方の部隊を突破して囲みを解きます」

 ヒミカが『赤光』を握り直す。俺とハリオンが得物を構えるのを見て、間を置かずに敵陣へと駆け出した。
 すでに神剣の気配は隠していない。だからすぐに自分たちの存在は敵に気づかれる。
 だが、この状況下では初めから奇襲など期待できない。ならばいっそ、こちらに意識を向けさせてしまったほうが得策。
 問題があるとすれば彼我の戦力差だ……もみ潰されては話にならない。

「マナよ、刃に燃え盛る炎の力を与えよ!」

 先頭を疾駆するヒミカの『赤光』の刃が赤く輝いたかと思うと、一瞬の内に炎に包まれる。
 ファイアエンチャント、だったか。得物に炎の加護を付与するレッドスピリット特有の技能だ。
 ことヒミカの近接戦闘能力はラキオススピリット隊の中でもかなり高い。彼女の長所を生かすには打ってつけといえる。
 後方部隊の青と黒がこちらの迎撃に出ると、指揮を取る緑が口笛を吹いた。すると包囲網がじわじわと狭まっていく。
 こっちに向かってくるのは青一人と黒が二人。同数だが先頭を行くヒミカに二人、側面から一人がくる。

「邪魔しないでどけぇぇぇっ!」

 気合一閃。焔を纏った『赤光』が敵スピリットを薙ぎ払わんと振るわれる。
 打ち込みを受けた青が神剣で防御するが、ものともせずに青スピリットを弾き飛ばす。いや、衝撃を逃すために自ら退いたのか。
 その青と入れ替わるように黒がヒミカとの間合いを詰める。低い姿勢ですでに居合いと呼ばれる構えに移っていた。
 黒の抜剣に合わせて、ヒミカが下段の刃を上方へと振り上げる。そして互いの剣が弾かれあう。
 ヒミカは泳がされそうになる剣を強引に押し留める。ちょうどそれは『赤光』を振りかぶる形になっていた。

「もらったっ!」

 黒めがけて振り下ろされる『赤光』。それを防御が間に合わないと見たか、黒は避けようともせずに肩口から袈裟に斬られた。
 しかし、ただ甘んじて斬られるだけでなく、黒は斬られざまにヒミカへ斬り返していた。
 斬られるのを前提にした捨て身のカウンターアタック。
 それは確かにヒミカを斬るが、彼女にはハリオンがついていた。

「癒しの力となれ、アースプライヤー」

 『大樹』の石突きが地を打ち、淡い緑の光がヒミカを包む。光が薄れる頃にはヒミカの刃傷も消えていた。

「助かるわ、ハリオン」
「いえいえ〜。でも次がきますから注意してくださいね〜」

 ハリオンの言う通りだ。横合いから別のスピリットたちが迫ってくる。それに青もまだ健在だ。
 正面と側面の二方向、正面はそのままヒミカに任せて、俺は側面から来る敵を迎え撃つ。
 前に出て敵スピリットと刃を交えていく。できるだけ突出しないように、相手の攻撃を捌くのに専念する。ヒミカと違い、俺には一撃で相手を倒すだけの攻撃力はない。
 それにこの部隊の練度が高いこともあるが、ヒミカは前へ前へと急ぎすぎている嫌いがあった。仲間が大事だというのは分かるが、自分の足元を疎かにするのは感心できない。
 かといって、それだと先頭と後方で自然と分断されてしまう。一方でヒミカの突進力には目を見張らせる。
 ならば、その勢いを削がないように護衛して早めに囲みを解くのがいいか。
 迫る銀弧の連続を『鎮定』で弾き落とす。敵を近づけさせないまま、囲みへの距離を縮めていく。
 こうなればヒミカとハリオンで手早く包囲を崩させるべきか。

「ハリオン、このままヒミカの援護に徹しろ。悪い虫はつかないようにしておく」
「あらあら〜。もしかして、もてもてですかぁ〜?」
「冗談言ってる場合じゃないでしょ!」

 ヒミカが最前戦っていた青を『赤光』で突き倒す。青の体はマナに戻り始めていて、完全に無力化されていた。
 これで進路上のスピリットは指揮官の緑のみ。だが自分の後方にはまだスピリットが二人。考えようによっては挟み撃ちだ。
 蛮勇でも、ここで足止めをするべきかもしれない。
 迷いは何度目になるか分からない敵の打ち込みと、聞き慣れない声によって遮られた。

「神剣の主が命ずる。マナよ、在るべき場所へと戻れ。リヴァイブ!」

 声は敵の指揮官である緑のものだ。マナがかなりの濃度で収束するのが判る。
 リヴァイブ、消えるマナを繋ぎ止めて再構築する神剣魔法。マナ消失から自分を繋ぎ止め今に至らせた魔法でもある。
 先ほどヒミカに突き倒されたはずの青スピリットが濃緑の輝きに覆われ、マナの霧へとなりかけていた肉体が再び固定化されていく。
 よろめきながらも、復活した彼女は己の神剣を手に掴む。その位置はちょうどハリオンの側面で、走る彼女はあまりに無防備だった。気づいても体が反応できるものではない。

「この――」

 飛び込んできた黒を全力で打ち返す。相手の初撃を防ぐと同時に、ハリオンと復活した青の間へと駆ける。
 すぐ後ろで空を切る音がしたが、届いてないなら無視する。
 『鎮定』の力を引き出せるだけ引き出し、両者の間に割って入る。青の攻撃を正面から受け止める。

「!」
「止まるな!」
「は〜い!」

 ハリオンがいつもと同じように答える。大物だと、頭の片隅で思う。
 そして青スピリットは復活したばかりで本調子ではないらしい。普段なら怪しいが、今なら力比べでも押し切れる。ならば、この機は逃がさない。
 競り合う青の神剣を上へと弾き上げる。『鎮定』を引き、守るものなくなった胴へと突き込む。
 青は後方へと吹き飛ばすがそれは本来の攻撃ではありえない。そして本来ないはずの耳障りな硬音を周囲に、痺れるような衝撃が腕に響く。

「シールド……」

 青の胴にハイロゥによるシールドが展開されている。それが直撃を遮っていた。
 動きが止まってしまった一瞬の内に黒い影が頭上に迫るのを感じる。
 地を蹴り後ろへと跳躍する。少し前までいた場所に槍が突き立ったのは直後だ。
 少し遅れて指揮官の緑スピリットがその脇に降り立つ。この時、初めて相手の顔を見た。
 肩口で短く切り揃えられた緑の髪に、目は上質の蒸留酒のような茶色。細く長めの眉が自然に垂れているその表情は落ち着き。第一印象での年齢はセリアたちよりもおそらく上。
 それだけ場数を踏んでいるということか。厄介という他ない。
 突き刺さった槍を右手で引き抜き、左手甲にシールド・ハイロゥを戻す。
 槍の長さはハリオンやニムントールのと比較すれば一回りは短い。それでも直剣のこちらより間合いが広いだろう。
 そいつは軽いステップを踏むような走り出しをしたと思ったら、いきなり加速した。
 咄嗟に『鎮定』を体の正面、直線上で構える。緑は腰を低く落とし、右脚を前に出し半身の形で踏み込んできた。

「はっ!」

 短い気合。踏み込みと同時に繰り出された高速の突きが『鎮定』を強打する。

(武器を直接狙ってる……!?)

 どうかすると弾き飛ばされそうになる『鎮定』を押さえ込みながらも、相手の攻撃を受けていく。
 剣だけでなく、自分の身も警戒しなければならない。武器を狙うという攻撃自体が囮の可能性もある。加えて他の敵の動きにも注意しなければならない。
 彼女の一撃は重く速い。槍を(しご)く動作も速ければ、挙動そのものに隙が見当たらない。間合いを詰めようにも、突きと払いの複合攻撃で行き足を完全に止められている。
 互いの得物がぶつかり合い、その度に周囲のマナが乱され散っていく。

「……っ」

 相手に有利な間合いで戦う必要はないが、かといって接近を容易に許してくれるような相手でもなかった。
 懐に飛び込もうものなら、その瞬間に勝負が決まりかねない。そう予想させるには十分な槍さばき。
 ほとんど点にしか見えない攻撃が怒濤のように叩きつけられる。ほとんど自然に反応する体が辛うじてそれらを弾いていく。
 緑の後ろの空間では、すでにヒミカらは包囲の一角に取りついていた。ここで後ろから突かせるのは危険だ。
 それとなく戻ろうにも、緑もそれを塞ぐように移動する。

「……後詰めに回っていただきたくはないので」

 その緑は攻撃の手を緩めて言ってきた。周囲に気を配っているのは彼女も同じだ。
 力の差を痛切に感じる。彼女は同じ状況下で、ことごとく自分の上をいっている。かといって甘んじて受け容れられない。
 無理でもここを今すぐに突破しないと、ヒミカたちを窮地に追い込んでしまうかもしれない。
 どうせ、このまま抜けないならば。
 相手との距離を先程よりも離す。彼女が一歩では踏め込めないだけのはずの距離を。
 姿勢を落として『鎮定』の切っ先を相手に向けた。剣は大地と平行になっている。

「どいてもらう」
「断ります」

 蹴りだす。ごく短距離からの加速、疾走。相手の間合いに入るまで1秒と満たない。
 緑は間合いに入るのを見越して、槍を繰り出してくる。不気味な風切り音のそれは顔面を狙っていた。
 刹那、首を右に倒す。穂先は左頬を擦りながらも外れる。頬から血が零れるのが分かるが、相手の技量を考えれば幸運だ。
 剣先は相手の胸を向いている。そのまま突き刺しに行くより早く、緑は左手で胸元を庇いながら後ろへ跳んでいた。重心移動が速い。
 瞬間的に距離が開いた状態で『鎮定』の切っ先が、シールドと激突する。柄を押し込むが破れそうにない。
 だから次の行動は反射的。頭で考えたものではなかった。
 『鎮定』の先端に力を込める、下方への力を。剣先を支点にして体を前へ、上へと投げ出した。

「――」

 息を飲んだのはどちらか。体が宙へ投げ出され、緑の頭上を飛び越える。着地と同時に一歩目から全力疾走に移る。
 最高速に乗るまでの短い距離が長く感じられもどかしい。緑も追ってきたが、こちらのほうが速かった。単純な直線の速さでなら負けていないらしい。
 距離が少しずつ開いていく。ヒミカたちのすぐ側まで黒が接近していた。
 取りつかれる前に横合いから黒に斬りかかる。もちろん気づかれているので簡単に避けられるが相手の注意はこちらに向く。
 打ち合い。
速度の乗った斬撃を切り返していき、数度目の打ち合いから次第にこちらが押し返していく。
 その矢先、『鎮定』が強烈な警告を発した。その理由は解っている。マナを纏った高速の飛翔物が背後から――。

「……槍か!」

 振り向き、下段から打ち上げるように槍を叩く。
 瞬間、光が瞬いた。マナにより強化された槍は、人間の扱う矢とは比べ物にならない威力を秘めた飛翔武器。
 激突に押されて、足が地に沈む。拮抗が崩れたのは直後。振り抜いた『鎮定』が槍を明後日の場所へと弾き飛ばす。
 そして――冷たい何かが背中に触れて。冷たさは音もなく痛みに変わった。
 黒髪の少女が前に出る。その手に持つ刃は赤く濡れていた。
 斬られたのを悟ると同時に、痛みが腫れたように熱を帯びた。引きつるような痛み。ある程度は神剣の加護で傷みも和らいでいようが、誤魔化しきれるものではない。
 すぐに動こうとするが痛みで力が思うように入らず、ろくに抵抗もできないまま黒スピリットに組み伏せられていた。
 黒スピリットが体にまたがり、右手で神剣を逆手に持っていた。西日を浴びて神剣が煌いた。
 『鎮定』は右手にあるが、彼女の左手はこちらの右手を肩から押さえ込んでいる。
 間に合わない。全ては遅きに失している。
 こんなにも近――。

「覚悟!」

 覚、悟?
 疑問を抱いた瞬間、『鎮定』が自分の深い部分に触れた。
 それはあくまで意識の上での感覚なのに、撫でられたような実感を伴う現実味のある感覚。
 『鎮定』の力がさざ波のように体中に伝わっていく。
 何かが外れる無機質な音が身内に響いた。外されたのは痛覚。今まであった痛みが潮を引くように一斉に消えていく。
 意識が肉体から乖離(かいり)していく。
 神剣の刃が立てられる。恐怖は湧いてないらしいが、逆にそれが嫌だった。
 振り下ろされる。
 神剣が鳩尾を貫き、背中を破って反対側に出た。痛みはなく、体を裂く冷たくて気色の悪い刃の感覚だけがある。
 それでも体は大きく跳ねた。刺激を痛みという危険信号として認識できないだけで、重傷なのに変わらない。
 だが意識は混濁しなければ途切れたりもせず、逆に鮮明になっていく。対して腕に入る力はいつもより弱い。
 当然だ。痛みを感じないのと五体満足なのは、まったく別物だ。
 体からの警報を無視してるだけで、いつもと同じ動きをできるはずがない。死に体だとしてもおかしくないんだ。

「……はっ……」

 声が漏れる。血が零れる。マナが消える。自分の体に突き刺さっている神剣を見ていると吐き気を(もよお)してくる。
 黒スピリットが手首を捻り、神剣が体内をかき回す。左手で刺さった神剣を握り締める。引き抜こうとするが、相手の動きを抑えるのが限界で、逆に握った指から血が水のように滴っていく。
 それでもまだ、痛みは感じない。
 暴れるように体を捩ると右手が自由になった。力はいつもより弱い。だけど、やることは同じだ。
 『鎮定』の柄を握り直し、刃先を黒の背中へ向ける。

「離れて!」

 あの緑が叫ぶ声が聞こえる。懸命だが、もう遅い。
 黒の背中から『鎮定』を突き刺した。胸から生えたように突き出た刃を黒の少女は呆然と見つめる。
 自分も刺された瞬間に同じような表情をしていたのだろうか。
 少女の顔が苦痛に歪む。かかる力が弱くなる。だが逃がさない。
 そういえば、さっき少女は覚悟と言ったが、何を覚悟すればいいのだろう?

(……死か? ……それとも痛み? ……(ろく)なものではなさそうだな)

 だが、それも――瑣末ではあるかもしれない。前者は体験したことがないし、後者なら今は感じないから。それ以外なら考えついてないので問題なし。
 少女と目が合う。今までは目を合わせなかった。それは自分がそうだったのか彼女がそうだったのか、もしかしたら二人ともなのか。
 黒髪の少女の瞳は濡れているように見えた。だが、それでも。俺はお前を斃す。でなければ俺が死ぬからだ。
 周囲がざわめいている。詳細は分からないが戦況が動いたらしい。
 そうして先に力尽きたのは少女だった。神剣をその細い指から離して、力なく倒れかかってくる。
 その体はまだ温かくて、眠ってしまっただけのようにも見える。だけど少女はもう目を覚まさなければ、その体が残ることもない。
 少女が金色のマナの霧に還っていく。この世界の、スピリットという種族の摂理に則って。
 所有者のいなくなった神剣を体から引き抜いて立ち上がる。緩慢とした動作でも動けるだけ、いいほうかもしれない。
 次に引き抜いた神剣から、慎重に指を剣先へ引き抜いていく。
 このまま指を離せば、間違いなく指まで一緒に落ちてしまう。
 痛覚は途切れてるし神剣魔法さえあれば指が落ちても生える。しかし、それとこれは別問題だ。
 落とさずに済むなら、それに越したことはない。指を引く度に指からの出血が刃を赤く染めていく。
 その赤も少しずつマナに還り始めているので、いつまでも血塗れのままではない。現に服に着いた血は消えかかっていた。
 そうして、ついに指を引き抜き終えた。引き抜いた神剣を投げ捨てる。

「……ぁ……」

 血を流しすぎたらしい。自分が本当に立っているのかさえ、はっきりと分からない。
 視野が狭窄し、暗転していく。倒れた、ような気がする。何も分からない。呼吸はしているのだろうか。
 自分がどうなったか分からないし、ヒミカたちも、館に残っていた連中も、あの緑も、ユートたちも、城も。
 全てが分からない。
 暗く狭い淵に――自分は近づきすぎたのかもしれない。
 だけど結果だけは違う、そんな予感だけはあった。











7話、了





2006年4月9日 第1期修正完了。

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