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永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


12話 望まれない再会














 容赦をどこかに置き忘れたような炎天下の下、俺たちはヘリヤの道を往く。
 構成はラキオススピリット隊の全軍で、七人ずつ前後に分かれて進み、さらに後ろには食料や資材を積み込んだ補給部隊が続いていた。
 前衛は偵察や露払いを兼ね、後衛は補給部隊の護衛も兼ねている。
 ユートたちの戦列復帰に加えマロリガンへの攻勢準備が整ったこともあり、スレギト攻略の命が下されていた。
 スピリット隊は赤スピリットを除いて、防暑用の茶外套を羽織っている。小競り合いをしていた頃に比べると、心なし暑さは和らいでいるように感じた。

「これってランセルが用意させたんだって?」

 隣を歩いていたユートに話しかけられる。ユートは外套の襟元を仰いでいた。
 ユートと俺は前衛を務め、他にはアセリア、エスペリア、ネリー、シアー、ヘリオンが組み込まれている。
 どちらかといえば機動力に重点を置いた布陣といえるだろう。

「ああ、準備もなしにここを進むのは辛いからな。とはいえ、この外套も想像してたのとだいぶ違うけど」
「技術部が頑張った証拠じゃないか」
「そうだな」

 外套は小競り合いを続けていた当時に要望を出していたが、いざ実物が届くと想像していたよりも機能面で優れていた。
 エーテル技術で作られたそれは熱や日光を遮り、風通しがいい――だけでなく赤マナ自体を遮る効果まで発揮している。
 ここまで求めていない……というより、まったく考えていなかったのだが、技術部はどうにも力を注いだらしい。
 もしかしたらヨーティア女史の影響もあるのかもしれないが、真実は分からなかった。
 結果として、防暑対策のための外套は思わぬ効果を伴って送られてきたわけだ。
 しかし、逆に赤スピリットたちからすれば力を阻害するため、全員一致で不評だった。
 そのため彼女たちは着ていない。というより着せられないといったほうが正しい。

「ヨーティアやイオが刺激になってるのかもな」

 ユートはしみじみ言う。確かにそれは納得できる話だった。

「そういえばあれからどうなったんだ? イオにマナの使い方とか教わったんだろ?」
「芳しくない。俺にマナを扱う適性がないのか……イオも不思議がってた」

 同時に悔しがってもいたように見える。他のスピリットには上手く教えられていただけに、そういった気持ちは強いのかも。
 こっちとしてはすぐに劇的な変化が起こるとも考えていなかったが、微細な変化さえ起こっていない。
 現状では何かが変わるとは、あまり思えなかった。

「ユート様ー! いつになったら休めるのー?」
「ネリー、わがままを言うんじゃありません!」

 大声で駄々をこねるネリーをエスペリアが叱りつける。が、エスペリアの顔は青白く本調子にはとても見えない。
 大地の恩恵を受ける緑スピリットにとっては、特に苛酷な環境だろう。
 ユートは足を止めて周囲を窺う。

「何もないか……休憩させて平気かな?」
「……難しいな。こんな場所で下手に休むと逆に消耗しかねないぞ」

 皆無といえるマナに、延々と照り続ける陽光。空気そのものが白熱しているような錯覚。
 かといって、このままの行軍も辛いのは分かる。それこそ、無理をした状態で敵に遭遇するのも……。

「……よし、一時休憩にしよう。アセリアとヘリオンは後列の部隊にそれを伝えて、補給部隊からも水を分けてもらってきてくれ」
「ん……分かった」
「いってきます!」

 二人が飛び立つ。どんどん小さくなっていく背を見ている間に、他の三人も側に寄ってくる。

「ユート様……申し訳ありません」
「いいっていいって。俺もそろそろ休みたいって思ってた頃だし」

 ユートは明るく答える。エスペリアはどこか安堵したような表情を向けて屈みこむ。
 ネリーはくたびれたように座り、シアーは俺を下から覗き込んでから話かけてきた。

「ランセル様は暑くないの〜?」
「いや、どうして?」
「だって汗とかあまりかいてないみたいだし……」

 そう言われるとそうかもしれない。が、暑いのは暑い。
 単に暑いと言っていると余計に暑くなりそうだから、意識して口に出してなかっただけで。

「シアー、ランセルは鈍いから暑さとか気にしてないんだよ」
「ネリー! そんな失礼なことを!」

 ネリーはエスペリアにまた叱られる。イオのようになりたいなら、もう少し考えて何か言えばいいものを。

「ネリーはあまりエスペリアに無理させるんじゃない」
「……はーい」

 ネリーは案外素直に頷いた。ちょうど、その時アセリアとヘリオンが戻ってきた。二人とも木箱を一つずつ抱えている。

「結構早かったな」
「……あっちも大変だったらしい」

 ユートに答えながら、アセリアは木箱を開ける。中には水の入った樽がさらに用意されていた。

「ハリオンさんとニムが大分参ってて、あちらでも休憩するかどうかで迷ってたみたいですよ」

 端的なアセリアに対し、ヘリオンは細かい理由を教えてくれる。ひょっとすれば対策が必要かもしれない。
 ヘリオンが運んできた木箱はアセリアの物よりは小振りで、中には乾燥させた食料が入っていた。

「食料はどうして?」
「補給部隊の人に事情を言ったら、これも持っていけって」
「そうか、じゃあ食べれるうちに食べよう」

 そのまま小休止になる。自分も食料と水を渡されたので、口にする。
 食料は乾燥させたネネの実だった。こういう時は甘味もいいと思える。
 しばし、後ろのほうでは雑談に花を咲かせていた。
 俺は周囲を警戒したままでいる。ここまでが抵抗もなく順調だったので、逆に不安になってきたからだ。

「スレギトまで、どれくらいの距離になるんでしょうか?」
「……ランセル、どれぐらいだ?」
「何事もなければ明後日の昼には着くはずだ」
「えー! まだそんなに歩くの?」
「安心しろ、ネリー。もっとかかるから」
「もっと嫌!」
「……ほとんど抵抗を受けていませんからね。今までもそうだったんですか?」

 持ち直してきたのか、エスペリアが思案するように訊いてくる。

「いや、エスペリアたちがいない間はもっと前の地点で迎撃されてきた。だけど、今回はそれもない……」
「……それってサーギオスの宣戦布告が影響してるんじゃないのか?」

 ユートが口を挟む。その着眼点は正しい。
 こちらの準備が整ったのと同時期にサーギオスもマロリガンに対して宣戦布告している。

「サーギオスの進攻ルートがどこにあるのかまでは知らないけど、そっちにも戦力を割かないといけないはずだろ」
「そうですね……それにラキオスとサーギオスでは、サーギオスをより警戒するかもしれません」

 ユートの意見にエスペリアも賛意を示す。
 表向き、サーギオスはマロリガンのみを攻撃目標としているようだが、油断はできない。
 あわよくば、共倒れを狙っているかもしれないし、いつこちらにも矛先を向けてくるか分からない。
 現に。

「ユートは漆黒の翼と戦ったんだって?」
「……ああ。なんとか追い払えたけど……」

 詳しいことは知らないが、今回のウルカの動きはユートの妹のカオリが絡んでいるらしい。
 ウルカを追い払ったとユートは言うが実際は止めを刺さなかったのと、そのあとに何かを渡されたことは聞いている。
 その場にいなかったのが悔やまれた。事態は思っていたよりも混迷としているようだ。

「ユート、ウルカはどういう相手なんだ?」
「どうって……」
「ユートがどう思ったかでいい」
「……強敵だよ。スピードとか剣のキレとか俺が知ってる相手の中では間違いなく最高だし、俺が勝てたのも運がよかったのもあるし」
「他には?」
「うーん……あいつ個人は卑怯な感じはしなかったよ。むしろ正々堂々とした感じで。それに……やっぱり、なんでもない」
「……そうか」
「どうして、そんなことを訊くんだ?」
「……貴重な証人だから」

 ユートとエスペリアはすぐに察したようだが、お構いなしに自分は話を終わらせた。
 逃がしたなら、また出会う機会はあるはずだ。今はスレギト攻略に集中しなければ。
 それからしばらくして、スピリット隊は進撃を再開した。
 マロリガン側からの抵抗はその後もなく、順調にヘリヤの道を踏破していく。
 敵の姿が見えなければ永遠神剣の反応さえ感じない。あまりに順調でおかしすぎる。
 そう思った矢先のことだ。

【主、お前たちの感覚で言う悪寒がすると伝えておこう】

 周囲に目を凝らす。砂と空と、まばらな岩山。熱で揺らめく陽炎以外何も見えない。
 変わったものなど何も――。
 その瞬間だ。大気が震えてマナの光が円陣を、魔法陣を描く。
 収束するそれは、スピリットが扱う魔法とは比べ物にならないほどのマナを秘めている。

(岩山……マロリガンのエトランジェか!)

 出所が分かったところで、今からでは到底間に合わない。

「みんな、距離を取れっ! 狙い撃ちにされるぞっ!」

 ユートの叫びに反応して一斉に離れる。同時にユートがオーラフォトンを展開する。
 岩場に収束したマナは電撃に変わり――違わずユートに向かって放たれた。
 オーラフォトンの障壁に電撃がぶつかり、進路を妨害された電撃が荒れ狂う。周囲の砂塵を巻き上げながら、眩い閃光が立て続けに輝く。
 近づくだけでただでは済みそうにない電撃も次第に終息していく。
 ユートは……無事だ。防ぎきれてはいないようだが、とりあえずは支障ない。
 岩場に目を向けると、一組の男女がいた。神剣の気配も強い。間違いなくマロリガンのエトランジェだ。

「やっぱり、この程度じゃだめだよなぁ」

 男は肩をプレートで補強している茶の外套を羽織っていた。襟元が大きく開かれているせいか、少しだらしなくも見える。
 よく見ると襟元から覗く服はユートが着ているものと同一に見えた。
 右手には永遠神剣……形状は赤スピリットの双剣に似ている。刃渡りを含め、その大きさは比較にならないが。
 精悍な顔つきで顎には無精髭を生やしていた。その顎を撫でるようにして男は眼下を睥睨している。
 余裕を漂わせる表情の裏にあるのは確たる自信か。厄介な相手だと直感した。
 女は軽鎧で身を包み、細身の永遠神剣を携えている。
 癖のある頭髪に細い体躯。目の輝きは黒。取り込まれたスピリットと同じ、何を映してるのか分からない茫洋とした瞳。

「せっかく『因果』で気配を殺してたのにな。さすがはラキオスのエトランジェ……ってとこか?」
「この声……まさか?」

 ユートはしばし呆然として……それから脱力したように笑みを浮かべて、目を輝かせた。
 だけど俺の印象は正反対だ。
 肌を通して相手の力を感じる。誰に言われるでもなく警戒すべきだと理解した。

「よっ。久しぶりだな、悠人」
「光陰! 今日子!」

 知り合いなのか? だけど、ユート。こいつらは危険だ。なんで攻撃されたのか考えろ。気を抜いてはいけないんだ。
 女はユートの様子などどうでもよさそうに宣言する。

「……殺す」

 女が剣を掲げる。細身の剣……男が『因果』なら、記憶違いでなければ『空虚』か。
 よく見ると剣が帯電していた。先ほどの電撃はあっちの仕業か。

「やめろ今日子。今日のところは挨拶だって言われたじゃないか」

 コウインとキョウコだったか。コウインが制止するとキョウコは『空虚』を下げる。
 ユートは力なく……何かを信じまいと彼らを見ていた。すがるような、ともすれば泣き出すんじゃないかと思える目で。

「なんだよ? どういうことだよ? どうして光陰たちがマロリガンにいるんだ?」
「悪いな……悠人。こっちにも色々都合があってな。だからさ」

 コウインは本気とも冗談ともつかない軽い口振りだった。まるで、それが当たり前のように。

「俺たちに殺されてくれ」

 刹那、コウインの『因果』が強力な力を発し始める。その力は『求め』にも決して劣らないほどだ。
 風が轟々と渦巻いている。その中心にいるのがあの男。

「永遠神剣、第五位『因果』の主、光陰の名において命ずる」

 裂帛の気合と共にさらに力が膨れ上がっていくのが分かる。
 遅れてユートも『求め』の力を展開しだす。
 それを見たコウインはいきなり力を抜く。今まで発していた力も霧散する。

「今日のところは挨拶だ。俺たちの力を悠人が知らないってのはハンデになっちまうからな。そんなわけで……宣戦布告ってやつだ。まずはこれぐらいの包囲網は突破してもらいたいもんだな」

 コウインが大仰に手を掲げる。それに呼応するように周辺から複数の永遠神剣の反応が現れる。
 遠巻きに感じる反応は元来た道以外の方角から感じられた。
 これも『因果』の力なのか、ひたすら力を抑えていたのか。どっちにしても、ほぼ包囲されているのには変わりない。
 コウインの『因果』が再び力を発し始める。

「待て、光陰! 今日子はどうしちまったんだ!?」
「『求め』を握って戦ってきたなら……悠人には分かるだろう?」
「まさか、それって……」

 ユートが愕然とキョウコを見上げる。……思い出せば辛くなるようなことを思い出しているのだろうか。

「お前が佳織ちゃんのために戦うように、俺たちは自分たちのために戦うしかないんだ。悪く思わないでくれ」

 コウインは背を向ける。『因果』の刃から光が漏れ出し、二人の周囲を覆っていく。

「じゃあな悠人。これからは敵同士だ」

 顔を合わせず、コウインは言った。キョウコも何事か呟いている。何を呟いているかは考えるまでもないように思えた。

「光陰! 今日子!」

 光に包まれた二人の姿は完全に消える。気配もまた同じだ。
 ユートは宙を掻くように右手を伸ばす。先程まで二人がいた岩山に向けて。震える指は何も捉えない。

「……嘘だろ? なんで……なんでこんなことになるんだよ?」

 打ちひしがれる――といった形容があまりに適切だと思えた。
 だが、今は感傷に浸っている時と場合じゃない。

「ユート、しっかりしろ」
「……ああ」

 返ってくるのは生返事。この場に限ってはユートは戦力としてあまり頼りにできない。
 戦えないわけではないだろうが、いつも通りの働きができるとも考えにくかった。

(……むしろ護衛対象か?)

 今後のことも考えると最優先でユートを守らないといけないのは確かだ。
 二人のエトランジェに対抗するにはユートの力が不可欠だから。
 ユートを頼れないとなると、今度はこちらの戦力が心もとない。
 今から後列に合流するとしても、あちらも襲撃されているかもしれないので援軍は下手に期待しないほうがいいだろう。
 対して、敵の戦力は明らかにこちらより優勢。数で攻め立てられると、どこまで押さえきれるか。
 前に進んで包囲を突破すれば、今度はコウインとキョウコの二人と嫌でも戦う必要がある。
 頼みのユートがこれでは死地に飛び込むだけだ。

(……ほぼ囲まれてるか)

 唯一、ランサへの方角だけが空いている。退路はきっちりと残しているわけだ。兵法の基本だったか、まあいい。
 こうなるとユートを中心に下がりながら、どこかで敵の足並みも乱しておきたいが。

「エスペリア、撤退を進言する!」

 エスペリアが目を見開いてこちらを見る。いつもと少し違った強い物言いに驚いているのかもしれない。

「今のユートがまともに戦えるとは思えない。ここは退くのが妥当だと考える」
「……賛成です。ユート様を守りながら下がる形でよろしいですね?」

 無言で頷く。とりあえず意見は一致していたらしい。

「ま、待て! 俺だって戦える……」
「ユート様、お言葉ですが私にはとてもそうは見えません。今は無理をなさらず下がりましょう」
「だけど……」
「私たちの心配なら無用です。ユート様こそ無理はおやめください」

 沈黙が流れる。理解のための時間はさほどかからない。

「……分かった。ここは下がろう」
「決まったな。急ごう、敵は待ってくれない」

 周囲を警戒したまま逃走に入る。速度はあくまでウイング・ハイロゥのない自分たちに合わせてだ。
 砂漠だと砂に足を取られることもあり、平地のようには走れない。自然と速度は落ちる。
 一方、マロリガンのスピリットたちも追撃に移っているが、あちらの移動はこちらよりもずっと速い。
 この機動力の差は大きく響き、距離がじわじわと詰まっていく。

(三方からの追撃か)

 それぞれ三人一個隊が追ってきており、それとは別にまだ若干の神剣の気配が遠巻きにある。
 遠くの気配はあくまで抑えに近いようなので、当面は追撃してくる相手に専念すればいい。
 とはいえ、どうやって対処するべきか。接近の速度はばらばらで左側面からの部隊が一番近い。

「……逃げ切れそうにないですね」

 並走するエスペリアが話しかけてくる。

「アセリアたちに一撃仕掛けさせて足を止めさせるか? もちろん深追いはさせないで」
「アセリアに……そうですね。それで行きましょう!」

 エスペリアが手早くアセリアたち翼を持つスピリット四人に指示を与える。
 アセリアが無言で頷き、最も近い左後方の部隊に向かって飛ぶ。他の三人もそれに続く。
 一撃。アセリアを先頭にした一本棒の攻撃は部隊の動きを混乱させる。
 普段ならそのまま攻撃を続けるが、アセリアたちはすぐに引き返す。
 足止めは十分に果たしており、長く留まるとそれだけ危険も増えるからだ。

「よかった……」

 エスペリアが安堵の声を漏らすのを聞き逃さなかった。
 追撃してくる後方と右後方の部隊は互いの距離を詰めだす。相互支援しやすくするためか。
 アセリアたちが戻ってくる。誰も負傷はしてない。
 エスペリアの隣にきたアセリアは疑念を口にした。

「あの敵……何か違う」
「違うって何がです?」
「それは分からない……だけど、いつもの敵と違う」

 そう言われても、何が違うのかはやはり分からないままだった。
 逃避行は続く。後列の部隊までの距離が嫌に長く感じる。焦っているのか?

「やはり逃げ切れなさそうですね……」

 振り返ると、追っ手の姿が徐々に大きくはっきりと見えてくる。
 アセリアたちの攻撃を受けた部隊は大きく遅れているが追跡をやめていない。
 伏兵がまだ潜んでいるかは分からないが、今回は感知できずに現れたのでいないとする証拠もなかった。
 まとまって迎撃して、それで今度こそ伏兵に退路を断たれる可能性もある。いや、そう考えることこそが余計なのか。

「……エスペリア、ユートを頼む」
「ランセル様!?」
「少しぐらいは時間も稼げるだろう」

 エスペリアが何か言うのを無視して、敵のほうへと向き直る。流れる風景のようにユートやエスペリアたちが後ろに過ぎていく。
 まったく無味乾燥だ。ここと同じで。

【何をしている、主?】
「俺にもよく分からないんだ。あんまり賢くはないと思ってるが」
【是非など知らんよ。だが、どうせやるなら集団で行動すればいいものを】
「……上手く言えないが、付き合わせたくなかったらと言ったら笑うか?」
【笑いはしないが、共感もできない】
「ありがとう」

 笑わないなら、それで十分だ。
 一瞬、包帯に巻かれた左手が目に映る。欠けた指の付け根が急に疼いたような気がした。

「自分で正しいと思えるようにやるしかないだろう」
【……覚えているのか?】
「何を?」
【別に……今にしてみれば愚につかん話だ】

 『鎮定』から力が伝わってくるのを感じる。普段よりも多少強いような。

【本当に愚かなのは私だったのか主だったのか】

 その意味を問う前に動きが起きる。
 マロリガンの部隊でなく、先を行くユートたちの方向から。

「何をしているんですか!」

 エスペリアを抱きかかえたアセリアが舞い降りてくる。ハイロゥの動きに合わせて足元の砂が放射状に飛んでいく。
 その光景をひどく場違いなものとして、自分は見ていた。
 抱えられていたエスペリアは明らかに怒っており、その矛先は自分に向けられる。

「……何をしているんだ?」
「それはこっちの台詞です! どうして一人で無茶をしようとするんですか!」

 答えられない。自分はそこに解を持っていないのだから。

「三人で戦ったほうが……いい」

 アセリアは『存在』を抜いて、すでに臨戦態勢に入っている。
 エスペリアもまだ不満そうな顔だが、ハイロゥを展開していた。

「私たちは誰も欠けることを望んでいません。それを忘れないでください。いいですね?」
「……分かった」

 確かに頷いた。俺は俺が思っていた以上に深い場所にいるらしい。
 では俺にとって、そこは深くて代わりの利かない場所なのだろうか。
 二人の顔を覗き見る……そうなのかもしれない。
 アズマリアばかりに向いていた気持ちが、もっと対象を広くしているのか。
 ……なんでも構わない。大事なのはそこじゃないはずだから。

「エスペリア、アセリア。力を貸してくれ」
「はい!」
「……分かった」

 二人の表情からは先に進ませないという決意を読み取れた。
 ……まったく頼もしい話だ。ユートはいいスピリットに恵まれてる。
 こんな場所で失わせてはいけない。当たり前かもしれない気持ちを強く意識した。












 碧光陰は戦場から離れていなかった。否、離れる気は初めからなかった。
 光陰は先だって、その周辺で最も高い位置にある岩山を見つけており、今はそこから状況を観ている。
 今日子は彼の隣で眠っている。寝苦しさを表す表情は今に始まったことではない。
 『空虚』を持ってからというものの、常にこの調子である。
 そばにいる光陰は内心では歯噛みする思いだったが、それを周囲に見せることは決してない。少なくとも本人はそう思っている。
 彼にできるのは『因果』のマナを『空虚』に分け与え、その強制力を鎮めるだけだった。

「今日子……」

 光陰は今日子の額に手を伸ばそうとして、やめた。
 うわ言のように呼ばれたその名を聞いてしまったから。そこに出てくる名は彼の名前ではない。

「悠人……か。いっつもそうだったなぁ」

 知らず知らずのうちに彼は自嘲を浮かべていた。
 今日子にとって悠人も光陰も切っても切れない関係で、かけがえのない相手である。
 それは光陰にとっても悠人にとっても同じだ。
 しかし、三人の間には埋められない差も確かに存在していた。
 碧光陰という男は、総じて周囲から軽い男だという評価を受けているし、それは正しい。だが、全てでもなかった。
 その実、利発であり目敏くもある。だが、それほど器用でもなく。
 だから彼は差に気づきながら、それでも知らない振りを続けた。
 もっとも、それは元の世界にいた頃の話であり、召喚されてからは事情が違う。

「大丈夫か?」

 光陰の呼びかけにも今日子は応じない。ただ時々、違う名をうわ言のように呟くばかりで。

(敵わないな……さっきもあんな顔をして……)

 光陰は先ほどの悠人との再会を思い出す。脳裏を過ぎるのは悠人の表情と素直な反応。
 悠人の表情を見た時、光陰は自分がどれだけ重たいものを捨てようとしているのか、ようやく理解できた。
 結局のところ、光陰は高嶺悠人という親友を切り捨てる選択を選んでいる。そうしなければ今日子を救えないから。
 順位をつけがたいものに順位をつけ、割り切りたくない思いを割り切った。光陰自身はそのつもりで再会を迎えている。
 しかし迷いは消えていなかった。消したはずの迷いは、今なお存在している。
 それでも光陰は割り切ろうとしていた。
 呼吸を落ち着かせて小康状態に入った今日子を見て、光陰はその思いを強くする。

(『求め』も『誓い』も……『因果』も砕かないと、今日子は『空虚』の呪縛から逃れられないんだ……)

 ならば自分の手でそれをやるしかない。光陰はそう決意していた。
 光陰は戦況の推移を確認する。マロリガンのエトランジェとして、スピリット隊の長として、高峰悠人の敵として。
 碧光陰の長所の一つに、気持ちの切り替えの早さが挙げられる。
 すでに彼は指揮官として戦況を見守っていた。

(なるほどなるほど。悠人を逃がして、一番実力のある三人で殿(しんがり)を務めるか。悠人もいい部下を持ってるじゃないか)

 そう至った経緯は別だが、光陰はラキオススピリット隊の動きを素直に賞賛する。
 悠人の周辺には今だ三人のスピリットがついていた。おそらくこれは伏兵を警戒してのものだろうと光陰は予想する。

「伏兵なんかいないんだけどな。まあ、ああやっていきなり現れれば疑心暗鬼に陥るか」

 むしろ、光陰はそれを解かった上で、配下の稲妻を布陣させている。
 実際にラキオス側も伏兵がいないと予測しながらも、警戒しないわけにはいかなかった。

(ラキオスもやるようだが、稲妻はお前たちが思ってるほど楽な相手じゃないぜ?)

 マロリガン大統領のクェド・ギンは、光陰にスピリット隊の指揮官としての地位を用意し、同時に精鋭部隊となるスピリット隊の育成を求めてきた。
 それに答える形で、光陰は魂の飲まれていない、自分の意思で戦えるスピリット隊の必要性を提唱した。
 感情は人を弱くもするが、時に信じられないほど強くするのを光陰は知っている。
 ならばスピリットも同じだと――そう訴えて。
 元々エトランジェという存在を快く思っていなかった議会は、こぞって異議を申し立ててきたが、最終的にクェド・ギン大統領のごり押しで正式に採用される。
 それが光陰を隊長に据えた大統領直属の親衛隊「稲妻」の始まりだ。

(思えば似合わないようなことばかり、か)

 結成されてからも、稲妻の歩みは決して平坦ではなかった。
 その最たる理由としてスピリットの選定に難航したのが挙げられる。
 マロリガンに限らず黒いハイロゥ、つまり魂を神剣に取り込まれたスピリットほど戦闘能力が高いと考えられている。
 一線級の部隊はすでに軒並みそういったスピリットばかりで、光陰が望んだ自我を保ったスピリットは非常に少なかった。
 そのため、稲妻に所属するスピリットはそれまで二線級と目されていたスピリットや弱年の者で固められることになる。
 中には光陰の副官を務めることになるクォーリンといった、自我を保ちながらも高い能力とある程度の経験を兼ね備えたスピリットもいるにはいたが、ごく少数としか言えない。
 稲妻がいざ結成されると、今度は実戦経験の少なさや練度の低さが露呈してきた。
 練度は光陰を先頭に徹底的に訓練を施すことである程度は解消されたが、いかんせん実戦経験だけはどうにもできなかった。

(初陣がデオドガンのやつも多かったんだよな)

 ラキオスとの開戦に先立って、マロリガンは東部のデオドガン商業組合圏を武力行使で手中に収めている。
 その中心となったのが稲妻だった。
 攻略には光陰たちエトランジェの力が大きかったとはいえ、稲妻も光陰が予想していた以上の戦い振りを示している。
 以前から互角か不利と言われていたデオドガンのスピリット相手に、始終優位に戦いを進めていた。
 光陰が作り上げた稲妻は、マロリガンの中でも有数の戦闘能力を有した部隊にまで成長している。
 結果を見ると、稲妻の中で失われたスピリットは一人もいなかった。
 光陰は徹底して、味方の被害を減らすようにも努めさせていたのも大きい。
 奇しくも、これは悠人がラキオスのスピリット隊に求めた方針と同じだった。
 光陰が稲妻の被害を嫌った理由はいくらかある。
 まず経験を積んだ戦力がいかに重要かを理解しているため。
 さらに稲妻の戦う相手はラキオススピリット隊だけではなく、サーギオスのスピリット隊も含まれている。
 被害を出せば出すほど、後の戦いが辛くなるのを光陰は理解していた。
 そして、もう一点。スピリットの命が失われるのを、光陰個人の感情はよしとしていないため。

(深追いはしないでくれよ……どの道、この一戦でラキオスとの決着が着くわけじゃないんだ)

 あらかじめ悠人たちに向かわせてるのは稲妻の中でも特に実力の高い者を揃えた三部隊。
 今の段階で一部隊はアセリアらの攻撃で出遅れてはいるが、すでに残りの二部隊は殿に取りついていた。
 ラキオスの殿は二部隊を一時に相手取りながら、じわじわと後退している。三人がそれぞれ担う役割を代えながら、確実に。

「大したもんだ……昔からこういった撤退戦は難しいってのに」

 そこには訓練だけでは身につかない経験の差が顕著に出ていた。
 行動の切り替えの速さや立ち回り方。互いの動きの確認など、そういった細々としながらも重要な部分をしっかりと抑えている。
 何よりも圧力を受けても崩れない。
 稲妻の攻撃は有効打にならないがラキオス側の攻撃も同様だった。あくまで撤退を優先し、無理に攻めてはこないからだ。
 光陰の目はラキオスのスピリット隊を追う。青と緑のスピリットに、男。
 それなりの不確定要素だ。他の部隊からの報告にも上がっていたが詳細は不明。

(エトランジェ……にしては神剣の力が弱いな。気にはなるけど、そこまで脅威ってわけでもなさそうだな)

 あれならスピリット一人分と考えれば十分だと、光陰は判断を下す。

「そろそろか」

 稲妻がラキオススピリット隊に対して優位に立っている点に、構成人数の差がある。
 ラキオスのスピリット隊は総動員でも十四名しかいないが、稲妻は光陰と今日子を差し引いても三十人。ほぼ倍の人数を有している。
 光陰は自然と笑みが浮かべる。彼の目は後方から立ち昇る煙を捉えていた。
 悠人たち前衛への攻撃から少し遅らせて、クォーリン率いる稲妻の別働隊が後衛に襲撃をかけている。
 狙いはラキオスの補給物資で、煙はそれを焼き払った証だ。

「任務完了ってな。こっちはお前たちの進攻を遅らせるだけでいいんだ」

 光陰は初めから、いかにラキオスの行軍を遅らせるかを念頭に入れて行動していた。
 あらかじめクェド・ギンに一時の時間を稼ぐだけで、ラキオスを封じ込める方法があると伝えられていたからだ。

(大将があんだけ自信を持って言うからには、そう簡単にどうこうできるようなもんじゃないんだろうな)

 光陰はクェド・ギンの表情を思い出す。底知れない部分はあるが、信用できる男だと光陰は思っている。
 手腕もさることながら、その気質において光陰は信を寄せていた。
 マロリガンの部隊も後退しだす。それでいい、と光陰は独りごちる。
 目的を達成した以上は、ラキオスに付き合う必要はない。

「これでクォーリンの別働隊に被害がなければ文句なしだよな」

 最後まで予断を許さないとはいえ、光陰は確かに手応えを感じていた。












 行きはよいよい、帰りは怖い……そう聞いたのはどこだったか。
 童謡だったような気がするが、どうにもうろ覚えだ。そもそも、本当にそんな言葉を聞いたのかさえ定かでない。
 しかし、今の状況を例えるには存外に適切だとも思えた。
 ラキオスのスピリット隊は重たい足を引きずるように、ランサへの帰路についている。
 マロリガンの襲撃は補給隊の物資を焼き払った段階で終了し、目的を達成するなり、あっさりと退いていった。
 前衛と後衛が合流してから、そろそろ一時間になるが、敵の気配は完全に消えている。
 それでもまだ安全だとは言い切れない……というより、気を抜くのに抵抗があった。
 それもあって現在は体力の残っている者を中心に周辺の警戒を続けているが、今のところ追撃されていない。
 ユートも今は周辺の警戒に出ている。何もしていないと逆に暗くなってしまうとかどうとか。

「それで被害の集計はどうなのです?」

 エスペリアはセリアに問う。こちらは被害の集計など状況の確認に移っていた。
 自分もエスペリアに請われて参加している。他には後衛にいたセリアとナナルゥが来ていた。
 問われたセリアは頭を振ってから答える。

「食料や水、野営用の道具とか諸々含めて、物資の全体半分を完全に消失。他にも使用に耐えないぐらい損傷してる物もあるから、最終的に七割近く失うと考えていいわ」

 伝えるセリアの眉根を下げて不愉快を表している。
 セリアと一緒に来たナナルゥは普段通りの取り澄ました顔を崩さずに付け加えた。

「その代わり、人的な被害は皆無です。私たちも補給隊に従事していた人間たちも」
「不幸中の幸いですね……」
「まぁ、そうと言えるわね。マロリガンに好き勝手やられたのは変わらない事実だけど」

 セリアは苛立ちを隠さない。原因は薄々と分かったような気がした。

「それにしても難問続出ね……物資の補充や再編はランサに戻ってからにしても、マロリガンのエトランジェとスピリット隊にどう対処するのか」
「何か良い対策はないでしょうか?」

 エスペリアの呟きめいた問いかけに、誰も答えられなかった。
 抜本的な対策などいきなり思い浮かぶようなものでもない。

「……今まで通りの力押しは厳しいだろうな」

 ラキオスは戦略の転換を迫られている。今までは力押しで無理をできた部分が、今後は通用しないだろう。
 そう考えると今回の被害は授業料としては、そこまで高くつかなかったのかもしれない。

「マロリガンのスピリット……彼女たちのハイロゥが黒くなかったのには気づきましたか?」
「俺たちが相手にしてたのはそうだったな。セリアたちを襲ったほうは?」
「こちらもね。あそこまで染まってない集団は初めてよ」

 ナナルゥがぽつりと囁く。

「鏡……でしょうか」
「鏡?」
「はい、マロリガンのスピリット隊は私たちによく似ていると感じました……戦いにくい相手かもしれません」
「……もしかして、そっちを襲った敵も仲間をやられないようにしていなかったか?」
「それはなんとなくだけど感じたわね。危なくなったらすぐに周囲がサポートしにきたわね」
「なるほど、やっぱりナナルゥの言う通り似てるのかもしれないな」

 ラキオスに似ている。それはスピリット隊としての在り方が同じなのかもしれない。
 それもこれもあのエトランジェ……コウインが理由なのだろうか?

「マロリガンのスピリット隊――エトランジェと行動してる隊だけの可能性も高いが、長期戦を前提に戦うしかないだろうな」
「そうですね。それにあのエトランジェたちも……」
「そのエトランジェだけど……ユート様の知り合いなんでしょう?」

 セリアは真顔で向き合い、声を抑えて訊いてきた。

「こんなこと言いたくないけど……ユート様はそれで戦えそうなの?」

 俺もエスペリアも答えられなかった。
 今日の様子を見る限りだと難しいと考えざるをえない。かといって、あれを自分たちだけの手で倒そうとすれば手に余る。
 セリアは俺たちの沈黙を答えとして受け止めたようだ。

「敵であるからには情けなんかかけちゃいけないのに……相変わらず甘いこと」
「セリア、そのような言い方は……」
「じゃあエスペリアは何もしないで黙ってやられてもいいって言うの?」
「そうは言いません……でも、ユート様の気持ちも……」

 沈痛な表情のエスペリアに、セリアは焦れたような態度を見せる。
 見かねたのか、ナナルゥがセリアに話しかけた。

「セリア。もし私が……私に限らずネリーやシアーが敵になったら、あなたは躊躇いなく斬れますか?」
「そんなのありえな――」
「ありえないことが起きたのが今のユート様ではないですか?」
「それは……」
「セリアの言い分を全て否定するわけではありませんが、少し焦りすぎです」
「……分かってるわよ、それぐらいは」

 セリアはそっぽを向いてしまう。
 一時のことかも知れないが、今回の敗戦は確実に暗い影を落としている。
 スレギト攻略の失敗に強敵の出現。これで危機感を抱かないほうがおかしいだろう。
 それでも自分たちは進むしかない。障害があればそれを乗り越えてなお。
 とにもかくにも今は時間が必要なのかもしれない。心の整理、というのだろう。
 ランサに戻るまで、まだ数日ある。
 それまでに少しでも整理がつけばいいが。特にユートは深刻だ。
 そして、一つの予感があった。
 最後はユートがどう決断を下すのか、それで全てが決まるという予感が。












 高嶺悠人は砂を蹴るように歩いていた。心がささくれ立っているのを感じながら。
 今も信じられなかったし、認められない。光陰と今日子がエトランジェで、それも彼を殺そうとしているなんて。

「どうして……俺たちは友達じゃなかったのか……」

 悠人の脳裏には記憶の断片が過ぎる。過去、日常と信じて止まなかった世界の断片が。
 その歯車がいつから狂ってしまったのか悠人には分からない。壊れた日常が直るか否かはなおのこと。
 『求め』から青い光が断続的に漏れ出し、悠人は顔を歪める。

「……うるさいぞ、バカ剣」

 『求め』の強制力が強まり、歩くことさえままならなくなる。
 さっきからずっとこの調子だった。
 『求め』は戦いを強要してくる。『因果』と『空虚』を砕く、それだけのために。
 今もって悠人には『求め』が『誓い』らを砕くのに異常ともいえる執着を見せるのかが分からない。

「一生かかっても分からないかもな……」

 どちらにしても、この場で『求め』の声には屈せない。
 それは安易に戦いを選ぶことで、解決の模索を放棄するのだと……悠人は考えている。

「……ちくしょう」

 膝を突いて、その場に座り込む。惨めだと感じた。悩む己こそを。

「迷っちゃいけないのに……どうして迷うんだよ……!」

 歯軋りする。砂を掻く。泣き出しそうになった。
 悠人は全てが大切で、大切だから全てを守りたい。しかし、現実はそれを許そうとしない。
 そして悠人は何かを選ぶのに迷っている。何かしか選べないかもしれないのが、辛くてたまらなかった。
 選べないものを選ばなければならない。
 天を仰ぐ。掌から砂が零れ落ちていく。変わらない空。

「光陰……今日子……俺は……」

 悠人は迷う理由も本当は解っている。それは光陰が本気だからだ。今日子が神剣に呑まれているからだ。
 光陰という男を悠人はよく知っている。だからこそ本気なのが解ってしまう。
 そして光陰が本気で今日子を助けようとしていて……それは彼の言葉通り、悠人が佳織のために戦うのと同じだった。
 まるで鏡のように、二人は大切な者のために何かを犠牲にしている。
 もし佳織を助けるなら『因果』や『空虚』を――()いては光陰と今日子を切り捨てないといけない。
 悠人は自分の隣に黒い人影がかかったのを見る。
 疲れたように遅い動作で振り返ると、アセリアが立っていた。

「大丈夫か、ユート?」
「……ああ、大丈夫だよ」

 悠人はちゃんと笑ったつもりだったが、アセリアにはそう見えなかった。
 アセリアは悠人の隣に座る。その目は悠人の目を見つめて。

「あの二人で悩んでるのか?」
「……大事な友達なんだ。あっちの……ハイペリアにいた頃からの、大切な友達なんだ」
「ん……」

 アセリアは地平線へと視線を転じる。悠人には何を考えているのか分からないが、話を聴いているのは分かった。

「俺……どうしたらいいんだ? 今まで佳織やみんなを守りたいって、助けたいって思ってた。だけど、それにはあの二人と戦わないといけないなんて……」

 悠人は顔を俯かせる。苦悩を顔に滲ませて。

「分かんないんだ……どうしたらいいのか、全然分かんないんだ」

 アセリアは悠人の言葉を受け止めて、静かに自分の言葉を伝える。

「上手く言えないけど、ユート。ユートは私が守る」
「アセリア……?」

 アセリアは横目で悠人を見る。悠人が知るアセリアのどの眼差しよりも強く見えた。

「私はコウインもキョウコも知らない。だけどユートには大切……だからユートはユートの好きにすればいい。私はユートの言う通りにする。だけど……あの二人がユートを奪うなら、私はユートを守る。そのために戦う」
「アセリア……」

 アセリアはもう一度同じことを言った。

「ユートの好きにすればいい。きっとみんなも同じ気持ち」

 悠人はまた泣きたくなった。だけど、それはさっきと違う理由から。

「ありがとう、アセリア」

 アセリアは頭を振る。

「つらいのはユート。私じゃない」

 アセリアの視線はいつの間にか正面の地平線へと向かっていた。悠人もまたそちらを見る。
 誰も失いたくない、殺したくないと悠人は言ったことがある。そのために何かを奪うしかないなら、敢えて悠人は『求め』を振ろうとも。
 それは矛盾でありエゴ。守りたいからこそ余所から奪う……それは歪な現実。
 そして悠人は選択を迫られている。大切な者さえ犠牲にするかもしれない、その選択を。
 彼の苦悩は今しばらく続く。答えを見出すその時まで。
 それでも見える世界は変わらない。人一人の苦悩など取るに値しないかのように、同じ姿を保ち続ける。










12話、了





二〇〇六年十月二十一日 掲載。

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