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永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


17話 その手に剣を(前編)


















 山道を道なき道と呼ぶことは多いが、砂漠も事情はほとんど変わらない。
 今はヘリヤの道でなく、ランサからほぼ南下している。
 ユートとアセリアが戻らないまま、ラキオスはマロリガンへの攻勢に出ることになった。
 そのためにはマナ障壁を解除するなり突破しなくてはならない。
 その手段はヨーティア女史が用意していた。
 あくる日、ランサにラキオス王都から幌台に載せられて、いくつもの木箱が送られてくる。
 驚いたことにヨーティア女史も一緒に来ており、しかも幌台を曳いてきたのは王国の財産として管理されているエクゥと呼ばれる希少動物だった。
 エクゥは二匹もおり、それだけ今回の行動は重要だという証拠だろう。
 ちなみにスピリットの多くは初めて見るエクゥに興味津々だった。かくいう自分も本物のエクゥを見たのは初めてだが。
 ともあれ、スピリット隊はヨーティア女史にイオ、技術部の人員三名、エクゥに木箱を総出で護衛しながら南下していた。
 ランサを無防備にするのを危惧する意見も出ていたが、マロリガンからの攻勢の兆候が見られないのと護衛対象の重要度から、結局は総出になっている。
 目的地はマナ障壁を発生させている施設。以前の調査では下手に手を出せば暴走しかねないという話だったが、対策があるのだろう。
 ランサを出立して敵の襲撃がなかったこともあり、すでに行程の九割を進んでいる。昼までには目的地に着く予定だ。
 襲撃の危険が低いこともあって、隊内にはあまり緊張感がなく軽口も頻繁に交わされている。
 規律という観点で見れば褒められた話ではないだろう。
 しかし、ユートらがいないことを考えると、今の空気を一概に悪いとは決めつけられないのかもしれない。

「イオ様、イオ様。あれってなんなの?」
「なんなのー?」

 ネリーとシアーの姉妹が護衛対象の箱を指差す。
 ちなみにイオは自分から進んでスピリット隊と歩いている。本来、待遇から考えてもその必要はないのだが。
 イオは口元を緩めて一言で答える。

「秘密です」
「えー! もったいぶらないで教えてよー!」
「教えてー!」

 子どものように駄々をこねだす姉妹。とはいえ、確かに中身は気になるところだ。
 ヨーティア女史もマナ障壁を突破するための切り札と言っているが、詳細はまだ説明されていなかった。

「駄目なものは駄目です」
「イオのけちんぼー」
「けちんぼー」

 そこでやめておけばいいのに、姉妹は何度も同じことを言う。何度も何度も。
 そうして、その瞬間は来た。イオが姉妹と視線を合わせると気温が一気に下がった。
 炎天下の砂漠なのに、まるで水の張られた浴場にでも突き落とされたかのような。
 もちろん錯覚なのだが、それは姉妹も感じたらしい。俺よりも強くはっきりと。

「ごめんなさい……」

 声を揃えて謝る二人。まあ、非は姉妹にあるわけだが。
 それでも姉妹の興味は抑えられなかったようで、その後もちらちらと幌台を振り返っては見ていた。
 特に波乱もなく、俺たちは目的地に着いた。ちょうどユートたちが行方不明になってから、十日を過ぎた頃になるのだろうか。
 円柱状の塔が立っている。高さは優に民家の三倍はあるだろうか。
 マナ障壁を発生させるための施設……といっても原理はマナをもう一方の地点まで送り送られるだけらしい。
 ヨーティア女史はすぐに木箱を下ろして、蓋を取り外すよう指示する。
 箱の中に入っていたのは機械の部品らしく、それらはさらに植物の繊維で作られた袋に梱包されていた。
 女史は折り畳みの簡易机を持ってくると、その上に図面を広げる。
 図面を参照しながら、それぞれの手順をイオや技術者たちに説明していく。
 さっそく女史たちは梱包を解いて、機械の組み立てに入る。
 ……組み立てるのはいいんだが、機械の部品は砂に弱くないのだろうか。それとも案外と無茶が効くのか。
 素人でしかない自分には疑問だったが、女史のやることだし上手く行くのだろうとは思う。

「念のため、私たちは周辺を警戒しましょう」

 エスペリアの一声で周辺の警戒に移る。事前に隊の編成は終わっていた。
 敵地ということもあり、単独行動は厳禁だ。エスペリアを含めて四人が残り、残りの者で周囲の警戒に向かった。
 所定の時間まで周辺を見て回ったが、特に異変は見受けられない。
 つつがなく警戒は終わる……それで以前は稲妻に襲撃されたのだから、安心はできないが。
 施設のある場所に戻ると、機械の組み立ては終わっていたようだ。
 ヨーティア女史は戻ってきた俺たちを呼び寄せる。

「これでお披露目の準備はできたようだね」

 自信を窺わせる笑みを浮かべていた。女史は咳払い一つ。

「あー、かいつまんで説明しよう。これはエーテル化されたマナを抗マナへと変換するための装置だ。抗マナというのは、マナではあるが従来の技術ではエーテル化できないマナを言う。どうしてそんな代物を作ってるかというのは別の機会に話すとして、これを応用すればマナ障壁を解除できるわけだ。どうしてか解るかな、ヘリオン?」
「私ですかっ!?」
「エスペリアとかに振ったって面白くないからね」
「なんだか納得が……えっと、抗マナにしてしまえば、この施設がエーテルを利用できなくなるからですか?」
「ご明察。なんだ、ちゃんと解ってるじゃないか」
「そ、それほどでも」

 驚きから不満、そして照れと表情をころころ変えるヘリオン。女史はやや面白くなさそうに続ける。

「ここで抗マナにしてしまえば、やっこさんはエーテルを利用できなくなって、施設そのものの意味がなくなるって訳さ。そうなればマナ障壁は勝手に消えるし、この施設が暴走を引き起こすこともない」

 そして女史は口を噤む。視線は施設でも機械でもない場所を向く。もっと遠い別の場所を見ているように思えた。
 それは随分と天才らしくない視線のように、なぜか感じてしまう。
 次に口を開いた時には、そんな視線などしなかったかのように宣言する。おそらくは普段の女史らしく。

「さあって、この試作型抗マナ化装置の力を見るがいい!」
「……ヨーティア様、さっきから機密をそう大っぴらに口に出すのはいかがかと」
「イオは分かってないなあ。発明品の披露には勢いが不可欠なんだよ、勢いが!」
「勢いだけで発言をしないでください」

 女史とイオは同時にため息をつく。
 興を殺がれたのか、拗ねた子どものように女史は装置を起動させる。
 機械が身震いする。腹に響くような音を立てて機械が動き出す。音は徐々に大きくなり、それに伴い機械の動作は安定したらしい。

「……これで何か起こるの?」
「さあ?」

 機械は動いている。しかし変化は別に起きてないように思う。順調なのか不調なのか、俺たちには判断できなかった。
 女史たちの様子を見る限りでは、正常に動作しているようだが。

「まだしばらく時間がかかりそうだね」

 と、女史が頭をかいた時だ。まだ遠いが、神剣の気配を確かに感じた。そのうちの一つは頭一つ飛びぬけて強く感じ、誰かもすぐに察しがつく。
 みんなも同じらしく、一斉に構えた。何がくるかは予想できていた。
 不審げな女史たち人間にイオは淡々と教える。しかし、その表情は強張っていた。

「神剣の気配です。おそらくはマロリガンの稲妻かと」












 碧光陰は思わず唸った。彼と稲妻の見る先にはラキオスのスピリット隊がいる。

「大当たりか。まさか本当にいるとはな」
「予期していたのではないですか?」

 意外そうに尋ねたのはクォーリン。光陰の副官であり、稲妻の副隊長にも当たる。
 光陰は困った風でもなく、笑いながら答えた。

「可能性はあっただけだからな。ラキオスがマナ障壁を解除するには、ここかヘリヤの道で何かをやるしかないだろ。だったら念のため寄り道しておこうぐらいの気持ちだったんだが」

 光陰は稲妻の様子を見る。実のところ、稲妻の戦力は落ちている。今もスレギトへの帰途についてる最中だった。

「変だな……他が揃っているのに悠人がいないのか。別働とも考えにくいが……ランサの防衛にでも回ってるのか?」

 マロリガンには悠人とアセリアが行方不明になっているという情報は伝わっていない。光陰もまさかそう考えはしない。
 エトランジェの戦力は強力であるからこそ、単独でランサの防衛に就いているのだろうと光陰は判断を下す。
 そもそもラキオスがここでの遭遇戦――殊に精鋭である稲妻との遭遇戦を考慮していたとも考えにくかった。

「これだけの規模なのは、それでも重要な作戦ってところか。クォーリン、消耗の激しいスピリットは下がらせろ。俺と今日子、クォーリンがいけると判断したスピリットで奴らを叩く」
「承知しました」

 クォーリンはすぐに部隊の選出に取り掛かる。
 稲妻はマナ障壁発生以後に膠着したランサ方面から、サーギオスの攻勢が激しくなったデオドガン方面に転戦していた。
 サーギオスは長駆、デオドガンを狙って、そこを橋頭堡としてマロリガンに進出しようとしていたからだ。
 稲妻の参戦以後、サーギオスが優勢に進めていた戦闘も一転して、マロリガン優勢に推移するようになっていた。
 それを重く見たサーギオスはデオドガンへの経路を開くために決戦を挑んだ。
 陣容にはソーマズ・フェアリーも含まれるなど、サーギオスとしては可能な限りの戦力を投入した。
 結果を見れば、その戦いもマロリガンの勝利という形を迎えている。
 しかしマロリガン側の被害も少なくはなかった。稲妻の中で失われたスピリットはいないが、それでも半数が重傷を負うなどして著しく消耗していた。
 完全に傷の癒えきらぬうちに、稲妻には所定の拠点に――スレギトに戻るよう命令を受けている。

(人使いの荒さがこんな状況になるなんて分かったもんじゃないな)

 光陰は議会連中の顔を思い浮かべて、自然と苦笑いが浮かぶ。
 偶然とはいえ、今回の巡り合わせの原因を作ってくれた点には少しばかりの感謝をしていた。

「コウイン様、編成終わりました」
「おう、どんな具合になった?」
「投入できるのは私を含めて十二人で、他にも何人かは戦えますが、護衛として残してあります」
「そうなるとスピリット同士の戦力はほぼ互角か……俺たちは正面と左翼から攻めかける。今日子は右翼からでいいな?」

 光陰は十歩ほど離れた場所にいる今日子に話しかける。
 彼女の目は今もなお深く暗い。今日子の肉体を動かしているのはすでに『空虚』であったが、光陰は変わらず今日子の名で呼ぶ。
 それを『空虚』がどう思っているかは定かではない。ただ、ゆっくりと歩き出す。右翼に当たる方面へと。
 サーギオスとの戦いで多くのスピリットを斬ったこともあるのか、『空虚』は多少なりとも大人しくなっていた。
 それが一時の間だとしても、光陰や稲妻のスピリットたちへの負担を減らすには十分だ。

「俺たちも攻撃開始だ。『空虚』は俺たちを巻き込まれないように気をつけろよ」

 答えはない。代わりに口元がわずかに釣り上がっていた。冷笑というべき形に。視線の先にはラキオスのスピリット隊がいる。
 遅れて光陰たち稲妻も前進を始めた。それは決して素早い進軍ではないが、逆に威圧感を与えている。
 一方、ラキオス側では迎撃の選択を選んでいた。
 できるならば退却したい状況だったが、そうもいかない事情がラキオス側にはある。
 他の者が布陣を敷く中、エスペリアとセリアはヨーティアの元にいた。すぐ近くにはオルファもいる。
 エスペリアはやきもきして、ヨーティアに話しかける。

「ヨーティア様、まだ効果は現れないのですか?」
「悪いけどもう少しだけ時間が欲しいね。それにこの装置の中枢だけでも無事に持ち帰りたいんだ」

 ヨーティアも険しい目つきで答える。余裕がないのは彼女にも伝わっていた。

「エスペリア、迷ってる時間はないわ。解除のための時間がかかるというなら守るしかないでしょう」
「……そうですね。こうなった以上、ここで成果を上げられなければマロリガンには進めないのですから」
「……苦労をかけるね」
「ヨーティア様のせいではございません」

 エスペリアはそう断ってから、オルファを呼ぶ。屈んでオルファと正面から目を合わせる。

「もしも何かあってもヨーティア様や皆様を守るのよ?」
「うん。エスペリアお姉ちゃんもセリアお姉ちゃんも戻ってきてね……」

 エスペリアは深く頷き返し、セリアは微笑で応える。
 二人は一礼すると歩き出す。少し先にはナナルゥとシアーが先行している。
 敵の布陣を改めて確認すると向かって正面からは光陰と少数のスピリットが、左からは残りのスピリットが、右からは今日子が迫ってきていた。
 その後方には迫ってくる敵と同数以上のスピリットが控えているが、そちらは動く様子を見せていない。

「『空虚』……あの四人で止められると思いますか?」
「……止めてくれないと困るわ」

 ラキオス側の布陣は中央にエスペリア、セリア、シアー、ナナルゥ。左翼にウルカ、ファーレーン、ニム、ネリー。右翼にヒミカ、ハリオン、へリオン、そしてランセルがいる。
 オルファはヨーティアたちの護衛も兼ねて、抗マナ化装置の付近にいた。オルファの魔法なら多少の距離も無視できるし、撤退の合図も出せる。
 エスペリアがふと呟いた。

「今、変なことを思ったんですが」
「何よ?」
「この状況って少しだけ家計簿のやりくりみたいだな、って」

 セリアは思わず失笑した。普段なら呆れもするかもしれないが、戦場の空気がどこかで感覚を麻痺させているのかもしれない。

「……だとしたら私たちはいつも倹約で乗り切ってるのね」
「ええ。追いつめられた時ほど生きてくるのも同じです。これ以上切り詰めるものは私たちにありますか?」
「……ないわね。あってもいけないわ」

 そうしてセリアは正面を見つめた。彼女の表情は硬いが、それは至極自然の顔つきだった。
 一方、その少し先にいるナナルゥとシアー。二人は敵の動きをじっと待ち続ける。
 二人の態度は対照的だった。

「来ましたね」

 ナナルゥは呟く。その声音には動揺も高揚もない。ただ事実だけを発する。
 そして隣のシアーがわずかに震えているのに気がついた。抑揚なく、彼女は問う。

「怖い、ですか?」
「そ、そんなことないよ……」

 強がりというには、弱々しい態度だった。
 ナナルゥは小首を傾げて思案する。視野はシアーを中心に捉えているが、稲妻の動きも片隅では追っている。
 しばしの間のあと、やはり抑揚に欠けた声で言う。今度は疑問の提示ではなかった。

「私、怖いというのが何か実はよく分かりません。漠然とならば分かるのですが」
「そうなの?」
「ええ。ですが、さして重要でもないでしょう」

 ナナルゥは右手に持った『消沈』を地面に立てるように下ろす。
 体は正面の稲妻、光陰のほうを向いている。光陰は稲妻たちの中心にいた。
 ナナルゥの横顔を見つめていたシアーは、やがて俯き加減に言う。

「シアーね、やっぱり怖いの。また誰か……ユート様とアセリアみたいにいなくなっちゃいそうな気がするの」

 ナナルゥはすぐに答えない。シアーの言葉を否定できないからだ。
 彼女の見る限り、ここはすでに半ば死地に等しい。

「それでも戦うのが私たちスピリットです」
「そう……そうだよね」

 おおよそ言葉に感情を込めないナナルゥに、気落ちしたように答えるシアー。
 ナナルゥはシアーと顔を合わせないで答える。それは独り言のような体で、しかし独り言ではなかった。少なくともナナルゥはそのつもりでいる。

「ですが、私も側から誰かいなくなるのは望みません」
「ナナルゥ……」

 ナナルゥは彫像のように稲妻を見つめるばかりで、それ以上の言葉を告げない。
 シアーもそちらに注意を戻したところで、エスペリアとセリアの二人もやってきた。

「様子はどう?」
「不利な状況に変わりはありません」

 素っ気なくナナルゥが答える。
 エスペリアもセリアも返事はしなかった。それはやはり予想通りだったからだ。
 さらに稲妻たちが接近してきたところで、ナナルゥは言った。

「敵が圏内に入りました。先制攻撃をかけます」

 ナナルゥは『消沈』の力を己に通す。
ハイロゥが分裂し二つの球体へと姿を変えた。球体は深紅に染まる。その奥では炎が揺らめくような光が放たれていた。
 スフィア・ハイロゥは神剣魔法の増幅器として機能する。球体はナナルゥの周囲を規則的に回転していた。
 紅の光が体を包み、赤の長髪は重力に逆らい波打って浮かび上がる。深紅の瞳、その奥には黒い光が灯っていた。
 神剣魔法は本来なら周辺のマナに作用するが、マナの希薄なダスカトロン大砂漠ではほとんど期待できない。
 ナナルゥは『消沈』の持つマナをそのまま媒介として使用する。
 半身になって手を掲げる。呟きは詠唱、詠唱はナナルゥの前に背丈以上の魔方陣を生み出す。

「イグニッション!」

 過熱されたマナが伝播していく。狙うは正面の稲妻。
 一方、光陰はナナルゥの行動に気づくと同時に先頭へと駆け出していた。
 先頭に到達するなりマナを防壁として展開させ、薄緑の防壁が魔法の進行を阻む。
 それを見たナナルゥはいつも通りの調子で伝える。

「エトランジェを狙います。どこまで足止めできるかは判りませんが――」

 即座にアークフレアの詠唱を始めていた。詠唱が終了すると、火柱が光陰めがけて降り注ぐ。
 しかし、それも到達前に光陰の防壁に止められる。
 ナナルゥは構わず何度もアークフレアを使う。消耗も負担も一切考えずに。
 光陰はというと、予想していた以上に強い抵抗に考えを改めていた。
 確かにナナルゥの神剣魔法を防いではいたが、行き足は止まっている。

「クォーリン、指揮権を預ける。どうやらこいつは俺狙いらしい」
「相手に合わせる必要はないと思いますが?」
「いやいや、やっぱりラキオスのスピリットは侮れないな。それに俺がこのままでいれば囮にもなるし、手が緩めば接近もできる」
「……了解しました」

 クォーリンは手短に指示を下す。光陰の側に布陣していた稲妻は、彼を避けるように移動を始める。
 これで光陰とナナルゥの間を隔てる者はいない。
 光陰はナナルゥの魔法を受ける一方で、布陣する稲妻に向けても『因果』の加護の力を広げた。
 クォーリンもまた己が神剣の力を解放する。一度だけ光陰を盗み見た。
 相変わらず光陰は降り注ぐ火柱を防いでいる。
 もしも光陰がいなくて、あの火柱が直接稲妻に向けられたら――そう考えてクォーリンは薄ら寒いものを感じた。

「みんな聞いて。あの魔法を見ても判る通り、ラキオスのスピリットたちは間違いなく私たちより力は上よ」

 クォーリンは部下一人一人の顔を見ていく。一様に浮かんでいるのは緊張だった。
 だから彼女は肩の力を抜いて穏やかに笑う。

「でも私たちだって決して弱くない。サーギオス、特にあの悪名高いソーマズ・フェアリーを打ち倒したのも私たちでしょう?」

 スピリットたちが力強く頷き返す。エトランジェ二人の存在も大きいとはいえ、彼女たちが矢面で戦った事実には変わりない。

「必要以上に恐れる必要はないわ。それから解ってると思うけど、絶対に単独で敵と戦わないこと」

 反応を確認してから、さらに簡潔に指示をしていく。方針を定めるための指示だ。
 一通りの指示が終われば、後は戦うだけ。

「さあ、戦闘開始よ」

 クォーリンは神剣の刃先を正面に向ける。その先には迎撃のため前に出てきたエスペリアたちがいた。












「四人がかりなら、エトランジェでも止められますよね……?」
「ヘリオン。できるかどうかじゃなくて、しないといけないのよ。例え相手が誰でもね」

 ヘリオンとヒミカのそんなやり取りが聞こえてきた。
 確かにヒミカの言う通り、俺たちはやるしかないんだ。
 戦端はすでに開かれている。ナナルゥが神剣魔法を使うのが見えたが、どうやらコウインに防がれてしまったらしい。
 そのまま二人は互いに削り合いをしているようだ。削りあいといっても、先に底が見えるのはナナルゥだろう。
 それでも彼女は大したものだ。あれだけ力の差があるのに一人で抑えている。無駄にしてはいけないのだろう。

「俺とヒミカが前に出る。二人は援護してくれ」
「分かりました〜」

 ヒミカは右に、俺は左に立ち駆け出す。
 すでに神剣の力は解放している。『鎮定』の力は普段と変わらず。光の線さえ走っていない。
 理由は分からない。あの時、無理にでも先に進もうとするべきだったのか。
 だが、ないものねだりはできない。
 キョウコ……いや、今は『空虚』と呼ぶべきか。魂を呑まれているのなら、間違いでもないだろう。
 『空虚』は立ち尽くしていた。その表情からは意図も感情も分からない。

「気に入らないな。お前たちは『求め』抜きで勝てるとでも思っているのか?」

 俺もヒミカも返答はしなかった。この期に及んで、勝算はもはや意味がない。
 『空虚』は鼻で嗤うなり、腰を落とした――そう見えた矢先には疾走していた。距離が見る見る縮まっていく。

「まずはお前だ」

 『空虚』に切り込まれる。初撃は弾き返したが、即座に二激目が左の二の腕を裂いていた。さらに三激目が水月を貫ぬく。
 崩れ落ちるよりも早く、体が治癒の光に包まれる。後ろに控えているハリオンの魔法だ。『空虚』が眉を潜めたのが見えた。

「こんのぉぉぉぉっ!」

 ヒミカが横から『空虚』めがけて突進する。『空虚』は素早く飛び退いていた。
 振り下ろされた『赤光』の刃は空を切り、砂を巻き上げるばかりだ。
 だがヒミカの動きは止まらない。砂という不安定な足場でも彼女の踏み込みは揺るがない。
 踏み込んだ足を軸足とし、体を振り回す。遠心の力をもって『赤光』を叩きつける。
 しかし、それもさらに『空虚』は横へと逃れてかわす――だから俺も追撃していた。
 未来位置を予想して、そこに向けて『鎮定』を振るう。

「ちっ!」

 『空虚』は舌打ち一つ。大きく後ろへ飛び退いて危なげなく避けている。
 そして着地した時には『空虚』の刃先が帯電していた。

「消え――」
「ダークインパクト!」

 黒ずんだ光弾が横合いから『空虚』に向かって飛翔する。ヒミカの右側、離れた位置にいるヘリオンによるものだ。
 電撃の準備に入っていたため、光弾は『空虚』を直撃する。
 大してダメージにはなっていないようだが、姿勢が崩れた。雷もいくらかが霧散したようだ。
 しかし、それでも全てが消えているわけではない。『空虚』から雷が放たれる。
 自然、体がヒミカの前へと出ていた。庇うわけじゃ、ない。防ぐためだ。

(どうやって?)

 だいぶ前にアイアンメイデンを叩き落したことを思い出した。
 本当に同じことができるというのか? 同じことをやろうとしているのか?
 あの時と威力がまるで違う。『鎮定』の協力も期待できない。不利な要素しかないというのに。
 それでも、体がそのために動いている。俺の意思はそれをやりたがっている。
 突然、『鎮定』の剣身、その中心に一筋の光線が走った。
 ……お前は俺に応えてくれるのか?

「弾け!」

 言葉が口を出ていた。逡巡も躊躇いもなく、雷に向かって『鎮定』を叩きつける。
 閃光が明滅し稲妻が拡散した。焼き抜こうとする電撃に加えて押し飛ばそうとする抵抗に耐えて、さらに剣を押し込む。
 抵抗が緩んだ、と思った瞬間には電撃を断ち割っていた。
 体から力が抜けて、膝を突く。両腕の肘から先では白煙が上がり、それに混じって肉が焼けたらしい臭いが鼻を突く。
 拡散した稲妻までは防げなかったが、それでも大部分は凌いだようだ。でなければ、自分がここに今も立っているとは思えなかった。

「っ……酷い……ハリオン、早く来て!」
「はい〜!」
「それより『空虚』だ!」

 注意を喚起する。自分の怪我よりも、あいつから気を逸らしてはいけない。
 『鎮定』は怒りそうだが、こういう時に痛みを無視できるのは便利だとつくづく思う。
 キョウコの体は『空虚』をぶら下げて、こちらを窺っていた。
 一息に攻めないのは行動の悉(ルビことごと)くが狙うようにいかなかったから、なのだろうか?
 その間にハリオンがこちらに駆け寄って、腕の治療を始めていた。
 不意に左掌が目に入る。電撃で巻かれていた包帯は黒焦げになり、すっかり焼き落ちていた。
 露出するのは薬指と小指の欠けたままの掌そのもの。
 いつの間にか、包帯なしでも指が生える気配はなくなっていた。
 多分、自分自身が治そうとしないからだ。だからいつまで経ってもマナが定着しない。
 そこまで考えて、思考が切り替わる。『空虚』が動き始めたから。
 俺たちの右へ。右? その先にはヘリオンがいる。遠すぎる。

(なんで、ヘリオンがあんなに離れてる?)

 『空虚』の意図に気づいて、俺たちは同時に駆け出す。
 そこに『空虚』は俺たちに向けて電撃を放つ。先ほどと同じように俺が電撃を防ぐが、全ては防ぎきれずに負傷するのまで同じだった。

「ハリオンはランセル様を! あいつは私が止める!」

 ヒミカが駆ける。すぐに後を追おうとしたが、体がうまく動かずに砂の上に倒れこんでしまう。
 立ち上がろうとしても力が思うように入らない……そんなに消耗しているのか、俺は?
 そこにハリオンがやってきて、体を仰向けにされる。普段より険しい彼女の顔が見えた。

「じっとしていてください〜」
「しかし……」

 ハリオンは有無を言わさずに、体を押さえつけるようにして治療を始める。
 普段の彼女らしくない強引さだと思う。俺を押さえる腕の力も強かった。
 ……焦っているのかもしれない。俺だけじゃなくてハリオンも。

「そんなに力を入れなくても逃げない」
「あ……すいません〜」
「いや。それと、これも頼む」
「……でも、それは〜」
「もう構わない。こんなことに意味はないんだ」

 左手をハリオンの右手に預けた。いつぞやは治そうとしたハリオンを拒んだというのに、今度はその彼女に治療を求めるなんて。
 欠けた指は無力の証明だった。今も俺は強くなどない。
 それでも、最早これに意味を見出せないのも確かだ――縛られたままではいけない。

「分かりました……今度は怒らないでくださいね〜?」
「ああ」

 ハリオンの両手が俺の左手を覆うように握る。その手からは熱を持った緑の光が輝く。
 この期に及んで、指二本で何が変わるとも思わない。だが、それでも治しておきたかった。
 少しでも、ほんのわずかでも力が欲しいと思えたから。
 ハリオンが手を離した時には、もう指は元通りに戻っていた。
 意識して薬指と小指を動かしてみる。

「どんな感じですか〜?」
「……変な感じだ。今までずっとなかったからかな」

 それでも直に慣れるだろう。これが本来の形なのだから。

「行こう。二人を助ける」
「もちろんです〜、でも傷が塞がったばかりなんですから、無茶はしないでくださいね」
「あいつの相手がすでに無茶だ」

 治療もそこそこに俺とハリオンもヒミカたちへと走り出す。
 砂漠という環境は緑スピリットには大敵といえる環境である。それでなくとも俺とハリオンの走る速さは違う。
 自然と差が開いてしまうので、俺は一足先にヒミカたちに向かって走り出した。












 ヒミカは駆けながら魔方陣を展開していた。
 ヘリオンと『空虚』の間に向けて、いくつもの火球を降らしていく。
 『空虚』はほとんど速度を落とさずに、火球を避け、時に『空虚』自身で弾きながらヘリオンへと迫り、そして追いついた。
 硬音が一度だけ響いた。ヘリオンと『空虚』は互いにわずかばかりの距離を取り、そして向かい合う。
 ヘリオンは『失望』を抜いていた。
 『空虚』の剣を受けるには受けたらしいが、左の肩が裂けている。それでもまだ致命傷ではない。
 同時にヘリオンは逃げられないと悟った。
 だから逃げない。
 低く腰を落として翼はいつでも後背の空を叩けるように、『失望』は腰の鞘に戻されて柄だけは握っている。
 黒スピリットが得意とする構え、居合いと呼ばれる型だ。
 それは間違いなく、攻撃のための姿勢。逃げずに立ち向かうための。

「いい度胸だ、妖精。望み通り消滅させてやろう」
「だ、誰が!」

 『空虚』は右手を逆手にし、額の高さまですらりと持ち上げる。
 ヒミカが必死に叫ぶ。必死に走る。それでも、まだ距離は残されていた。

「ヘリオン、逃げてぇぇぇっ!」
「無駄だ」
「……勝負!」

 『空虚』が動く。ヘリオンも動いた。それはまさしく刹那の出来事。交錯した両者の位置が入れ替わり、互いに剣を振り抜いている。
 その動きを俺はほとんど捉えていない。しかし、結果は見えていた。
 血溜まりに沈んだのはヘリオンだ。腹部の半分近くを断ち切られている。
 だが『空虚』も無傷ではなかった。今日子の肉体、その首筋から鮮血が流れ出る。
 『空虚』が左手で傷口を押さえても流血は止まらない。血は手を伝い砂に落ちては、少しずつマナの霧へと還っていく。

「おのれ……脆弱なスピリットの分際で……!」

 『空虚』は怒りも露わにヘリオンを睨みつける。重傷ではあるが、ヘリオンの息はまだある。それが余計に『空虚』を苛立たせたらしい。
 止めを刺そうとするよりも先にヒミカが『空虚』に飛びかかる。『空虚』は即座にその場を離れ、攻撃を避けた。
 牽制しつつヒミカはすぐにヘリオンの元へと駆け寄り、できるだけ慎重に、それでいて迅速に左肩に担ぐ。
 そして一目散にハリオンたちに向かって走り出す。『空虚』も傷口を押さえたまま、ヒミカを追った。
 傷のせいか、それとも余裕の表れか、『空虚』はすぐにヒミカに追いつかない。
 しかし、それでも距離はどんどん縮められ、やはり辿り着く前に捕捉されてしまうだろう。

「そんな鈍足で逃げれると思ってるのか、スピリット」
「さっきから……!」

 ヒミカはいきなり後ろへと向き直る。彼女のスフィア・ハイロゥが突然輝きを増した。

「スピリットを、甘く見るなぁぁぁっ!」

 魔方陣が急速に生成される。そして陣の中心から幾条もの熱線が『空虚』に向かって放たれた。フレイムレーザーだ。
 咄嗟に『空虚』はマナを集中させて防御に転じる。今日子の体がマナの光に包まれ、同時に帯電しだす。
 そこに熱線が連続して激突する。防壁のためか、熱線が今日子の体を貫いたりも撃ち抜きもしない。熱線は屈折して逸れていく。
 しかし激突の度に衝撃は与えている。確実に『空虚』、あるいは今日子の体力を削いでいた。

「倒れろぉぉぉっ!」

 熱線が立て続けに『空虚』の防壁を撃ち抜いた。
 三発が今日子の胸を撃ち、吹き飛ばす。仰向けに倒れた今日子は動かない。
 ヒミカの魔方陣も消滅する。
 ヒミカは警戒を解けないまま、のろのろとハリオンたちのほうへ移動し始める。その息は完全に上がっていた。
 思い出したようにヒミカはヘリオンに囁きかける。

「……少しだけ我慢してて。もうすぐ……治してもらえるから」
「はい……」

 ヘリオンからの返事があったのに、ヒミカはいくらか驚く。そして力づけられる。
 そうして歩き出した時だ。肌を刺すような寒気を感じたのは。
 張り詰めたように息を飲む。意を決してヒミカは振り返った。

「っ……よくも……」

 今日子が、『空虚』が地面から体を引き剥がすように起き上がろうとしていた。
 胸元の鎧には三つの穴が開き、そこを中心にひび割れが縦横に広がっている。

「よくも、こんな真似を……」

 上目使いに黒い瞳がヒミカたちを睨みつける。そこにあるのは純粋な怒り。
 『空虚』の放つマナも急速に膨れ上がっていく。今日子の体から放電が始まり、髪が天に向かって逆立つ。寒気は圧迫感に変わっていた。
 ヘリオンを抱える腕にも自然と力が入る。ヒミカがこの瞬間に背負っているのは自身の命だけではない。

「……っ」

 ヒミカは走り出した。逃げるための動きだ。そうしながらも、どう立ち向かうかの算段は止まらない。
 逃げ切れないのは理解していた。かといって正面から戦う相手でもない。

「……逃がすか」

 今日子が『空虚』を掲げる。ヒミカは咄嗟に横へと跳んだ。ヘリオンの身を守るように強く腕の中で抱きしめて。
 そして雷が落ちた。耳を聾する轟音、震える大気、世界を覆うような白一色の閃光。ヒミカとヘリオンは枯れ葉のように軽々と吹き飛ばされた。

「う……あ――」

 ヒミカは絶叫を上げて身を捩った。足中に、内といわず外といわず、熱い虫が這い回ってるかのような錯覚を覚えるほどの痛みだ。
 今や空気そのものが痛みを促している。悲鳴も乱れた呼気も抑えられるものではない。
 それでも――痛みに震えるままの腕で前へ、ヘリオンへと這って行く。足は動かない。
 ヘリオンは雷からは無事だった。無意識下で身を挺したヒミカに拠るところが大きいだろう。
 ヒミカの視界が這う動きに合わせて上下に揺れる。そして進みが遅い。
 足がどうなったか見ていないが、痛みと重たさしか感じていなかった。

「しぶとい。まるで虫だな」

 今日子の、『空虚』の声が告げる。その声は冷たくヒミカの耳に届く。
 ヒミカは振り返らない。ただ前へ。前へ。

「……死期がわずかに延びたようだな」

 ヒミカが『空虚』の言葉を理解する前に、剣戟の音が二度響いた。そして神剣の気配を感じる。
 ヒミカは悟った。ランセルが間に合ったのだと。それでも『空虚』との戦力差は大きい。

「ラキオスはしつこいな」
「お褒めに預かり――」

 ランセルは切り込み、『空虚』はそれを造作もなく受け止める。今日子の体を包む電流が牙を剥いたのはその瞬間だ。
 電撃が行き場を見つけたようにランセルの体を打つ。それを振り払うようにランセルは『鎮定』を振った。
 『空虚』はそれを受けながら身を引いた。
 ランセルは火傷を負っているが、『空虚』が想像していたほどではない。

「さっきといい耐性でもあるのか?」

 ランセルは答えない。というより答えられない。
 彼の与り知らぬことでもあるし、弱まっていても電撃は彼の体を痛めつけるには十分だったからだ。

「まあいい。余計にマナを消費してる。お前たちは直接、我が身で屠ろう」

 今日子は『空虚』を頭上に掲げ、ランセルは『鎮定』を体の正面に構える。
 最初に動いたのはどちらでもなかった。
 両者の中間地点が一瞬にして炎に包まれる。すぐに炎は左右に広がって、両者を隔てる壁となった。

「ヒミカ!」
「……これで少しだけ時間を稼げます」

 答えるヒミカの顔は普段よりも青白い。それでも彼女は再び魔法を行使し、火勢はさらに強くなる。

「分かったから、もう動くな。命に関わる」
「……どの道、このままでは全滅でしょう」
「分かるものか。ハリオン、急いでくれ!」

 そう言いながらもランセルはヒミカを担ごうとする。その時になって初めて彼女の足を見た。
 引きずってはいけないと気づき、すぐに左手をヒミカの背から腰に回して抱き上げる。そして右手でヘリオンの肩を担ぐ。
 半ば強引に二人を連れてハリオンの元へと急ぐ。
 『空虚』が炎の壁を突破するよりも早く、ハリオンとの合流を果たす。
 ハリオンは二人とも重傷なのを見て取って、どちらの治療からすべきかを逡巡した。
 しかし、それも一瞬のことで、すぐにヘリオンに神剣魔法をかけ始める。
 ヒミカが満足したように笑って気を失うのをランセルは見た。

「……なんで、そうやって」
「どうしました〜?」

 治療の手を止めずにハリオンが問う。
 ランセルは戸惑ったように頭を振った。そしてすぐに後ろを振り返る。
 撤退の合図はまだない。

「これ以上は支えられないか。そろそろ合流するぞ」
「それには賛成ですけど、どうやって行こうというんです〜?」
「……『空虚』はどうにかする。ハリオンは二人をみんなと合流させることを考えてくれ」

 ランセルは左手を見た。電流による火傷の痕はあるが、五本の指は確かにそこにある。
 次いで『鎮定』に目を向けた。しばし無言で見たあと、剣に話かける。

「力を貸してくれ、『鎮定』。弱い俺に力を……」

 『鎮定』の剣身、その中心に一筋の光が灯って消えた。

「頼む。俺はもう……」

 再度、光は灯って消える。
 その時、炎の壁が二つに断ち割られた。その中心に立っているのは今日子と『空虚』。

「……相談は終わりだな? それとも辞世の言葉だったか?」

 悠々と『空虚』は歩き出す。それはすぐにでも追いつけるという自信の表れか。

「ハリオン、あいつはどうにか足止めする。ハリオンは二人を連れて行くんだ」
「……承知しかねますけど」
「自分の身ぐらい守ってみせる。だから行ってくれ。二人にはハリオンが必要だ」

 緊張を孕んだ沈黙が訪れる。折れたのはハリオンだった。

「……分かりました」
「それでいい。後ろは振り返るな」

 ランセルは一歩前へ出る。ハリオンは一歩後ろへと下がった。
 互いの距離は近くて遠い。
 ランセルは『鎮定』を体の前へ構え、ハリオンは回復魔法の使用を続ける。
 二人の行動は違えど、目的は変わらない。

「決死か」

 声には軽蔑の響きが込められているようにランセルには聞こえた。
 『空虚』は彼を手始めの標的と定める。

「安っぽい命を代価にしたところで、私は止められない」
「そうか……そうかもな」

 もっとも、彼は自分の命の貴賎には興味がない。
 彼にとって今この瞬間に大切なのは、『空虚』を止められるか否か。それだけだった。

「だが『空虚』、俺は死ぬ気なんてない。自分の身も守れないで誰かを守ろうなんて、思い上がりもいいところだ」
「では思い上がりだな、得体の知れないエトランジェ」

 ランセルはかすかに眉を潜めるが、すぐにそれも表情から消える。

「……人間でもエトランジェでも、どっちでもなくったっていい」

 ランセルは自然とアズマリアの顔を思い浮かべた。

「それでも、また失くしたいとは思えない。今度こそ俺は――」

 そうして彼らは切り結んだ。互いに傷は負わない。
 『空虚』はそれに苛立ちを覚え、ランセルは驚きを感じる。
 そしてランセルの持つ『鎮定』が強く輝く。

「守るとかそういう柄じゃない。だが、もしあいつらが死んだらと思うと嫌な気持ちなんだ。分かるか、神剣?」
「何を言っている!」

 『空虚』の一撃がランセルの腹を強く打ち、吹き飛ばす。しかし『空虚』の予想とはまったく違う手応えだ。
 神剣の加護だと『空虚』はすぐに理解する。『空虚』自身が今日子の肉体に作用させているのと同種のものだ。
 ランセルは踏み止まり、そして倒れない。
 彼は『鎮定』を無造作に下げ、剣先は足元の砂に触れている。『空虚』を見るランセルの視線は力強い。

「俺にとって、お前たちは決して小さくなどなかった」

 ランセルは剣を構えずに歩き出す。歩に合わせて下げられた剣先が砂をかいて線を残していく。
 『鎮定』の光が明滅する。そして変化が始まった。
 剣の中心の線から、細い白線が剣身を枝分かれして広がっていく。
 描かれる線は幾何学的な紋様のようでもあり、地に張る木々の根のようでもあった。
 光はさらに伸びる。柄を通してランセルの体にも線は走り、右手に何条もの白線が浮かびだす。
 白線は右手に始まり、彼の体中を巡っていき、最後には瞳に到達する。
 瞳にも白線が浮かび上がり、右手のそれと合わせて、紋様のようだった。
 そうして『鎮定』とランセルの体を白線は何度も循環する。
 その状態にあって『鎮定』の剣身、ランセルの両目と『鎮定』を掴む右手だけは絶えず白線が浮かんだままだった。
 変化は外面に留まらず、目に見えない内面にも及ぶ。
 ランセルは自身の内に力が溢れ、充実していくのが分かる。歯車が噛み合ったように、体が軽いと認識する。
 『鎮定』の力も高まっていく。六位の枠を超え、五位に匹敵するだけの力を放っている。

「……こんなに力があったのか?」

 今のランセルに剣の声は届かない。しかし、その無言こそが肯定のように彼には感じられた。
 相対する『空虚』は物も言わずに凝視していたが、やがて口を開く。

「手を抜いていたのか?」
「まさか……」

 緊張が高まる。双方とも距離を維持して対峙を続ける。
 『空虚』の刀身から放電が始まり、『鎮定』の刀身からは白光が漏れ出す。

「仕切り直しだ。今度はそうそうやられない」
「力が強くなっただけで勝てると思わぬことだ」

 そして、どちらとも言わず動いた。
 二つの影、電撃と白光が舞い散る中、彼らは互いの命を削りあう。










18話に続く。







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