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永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


26話 壁一枚の決戦














 コウインの声が戦場に木霊する。

「撤退だ! 敵に執着せずに下がれ!」

 ラキオスのスピリット隊が一斉に下がろうとする。短い間とはいえ、浮き足立つ非常に危険な時間帯だ。
 それを熟知しているコウインはすぐに次の指示を下す。

「悠人と今日子は俺と敵の流れを食い止めるぞ」
「分かった!」

 コウインが加入してから、ユートは部隊の指揮をコウインに任せている。
 実際、コウインは将としての才覚があるようで、戦況に応じて適切な指示を毎回下していた。
 その手腕は間違いなくユートよりも優れているだろう。
 ユートらエトランジェ三人が殿となってサーギオスのスピリットたちを食い止めている間に、スピリット隊は法皇の壁から離れていく。
 何人かの敵スピリットはユートたちを無視して、こちらを追ってくる。だが、それはいずれも散発でしかも単独による攻撃でしかない。
 逆に反撃に遭って、すぐにマナの霧へと還っていく。

「ユート様たちの支援を行います。赤スピリットは前へ!」

 エスペリアの指示が飛ぶ。
 後退していたスピリットの中から赤スピリットたちが進み出て、一列に並んだ。

「目標はユート様たちの前方です。着弾位置に注意してください!」

 一斉に神剣魔法が放たれる。そのほとんどはフレイムシャワーだ。一撃が弱くとも、数が集まれば大きな効果を得られる。
 無数の火弾が飛翔し、コウインたちの前方に降り注いでいく。
 殿に殺到しようと密集していた敵群にはかわせない。
 雨霰となった火弾が着弾地点を中心に、周囲を朱に染め上げ熱気を撒き散らしていく。
 しかし、それでもなお。半数以上の敵は未だに健在だった。
 炎と仲間――という観念が残っているならば――の亡骸を押しのけて、殿に突きかかる。
 それを捌きながら、殿も下がっていく。そこに再度、神剣魔法が飛来してくる。
 それが引き金となったのか、敵スピリットたちが一斉に後退を始めた。
 逆襲はできない。法皇の壁には、今まで以上の敵がひしめいているはずなのだから。
 ユートたちも下がり、駐屯地に着いたところで撤退は終了した。これといった被害もなく撤退だけを見れば成功と言える。
 しかし戦闘全体で言えば、敗戦だった。
 法皇の壁は突破できなかったし、そのための足がかりを掴めたとも言いがたい。

「エスペリア、疲れてるところ悪いけど主だった者を集めてくれ。今から軍議を開く」

 コウインの指示を聞き、エスペリアが声をかけに回る。
 俺も呼ばれたので、移動した。
 軍議の場には大人二人が手を広げたぐらいはあるだろう白板が置かれている。その前には多くの椅子。
 コウインがヨーティア女史に提案して作らせた物で、専用の筆で書いた線は何度でも消せて、簡単に使い回せるという便利な代物だ。
 ハイペリアではホワイトボードと呼ばれているようだ。意味はおそらく白板と等しいのだろう。
 その白板には地図が貼り付けられている。法皇の壁を中心とした地形図だ。
 すぐに人が集まってきた。
 集まっているのはユートらエトランジェ三人に、年長組のスピリットたち全員。
 旧稲妻からはクォーリンを初め、前線指揮官を経験している四人のスピリットが参加している。
 年少のスピリットたちは敵の攻撃を警戒しつつ休息に入っていた。
 ほとんどの者が椅子に座る中で、コウインとエスペリアだけは立ったままだ。
 コウインは白板の前に立ち、エスペリアは筆を持って書き込む用意をしていた。
 なお当初はその役目をクォーリンが務めるという話もあったが、エスペリアにそれを譲って辞退している。
 それは実質的に副官の役目だからで、元からの副官であるエスペリアを立てたのだろう。
 これだけだからではないだろうが、エスペリアとクォーリンの仲は良いようだ。

「これからの戦い方だけど……」

 コウインが重々しく口を開く。わざとそうしているのではなく、自然とそうなってしまったのだろう。
 まだ法皇の壁に挑んだ時のことが頭に残っている。突破口は本当にあるのか。

「まずは一度状況を整理しよう」

 コウインの言葉を受けて、エスペリアが分かる範囲での敵の布陣や特筆すべきことを記していく。その過程で、他の者も気づいたことを伝えていくのである。

(法皇の壁――過去の遺物だというのに)

 建設時期は聖ヨト暦以前と言われているが、正確な時期は不明。
 まだスピリットが戦争に駆り立てられるどころか、存在がそもそも曖昧な時期に建てられたのだろう。
 高さは一般的な家屋の二倍近く、厚さに至っては不明。
 内部を敵スピリットが移動しているとの情報もあるので、単純な一枚壁ではないと推定されている。
 元は対人間用の防壁であって、人間の力であそこを抜くのは非常に困難だろう。
 あの規模はもはや防壁ではなく、要塞と呼んだほうが適切だ。
 しかし巨大であっても、ただの壁でしかなかった。スピリット同士の戦いでは、せいぜい障害物程度の役割しか果たさない。
 それがいつの間にか壁面にマナを張り巡らせることで、スピリットにも通用する堅牢な防壁へと代わっていた。
 その効果範囲は不明だが、ラキオス軍が抑えられる範囲は確実に及んでいる。
 加えて各種マナの増幅装置もどうやら設置されているらしい。
 らしいというのは未確認だからだ。先の戦いではほとんど壁に取りつけなかった。
 だが、増幅装置の影響は敵味方を問うものではない。感じたからにはあるのだろう。
 白板には分かった限りの情報が要約されて記されていた。
 そこには推定の彼我戦力差も書かれている。

「敵の数が問題だな……」

 コウインの呟きは全員の共通認識でもあった。
 法皇の壁で最も脅威となっているのは壁ではない。
 膨大な数の敵スピリットだった。
 その総数はラキオススピリット隊の五倍とも十倍とも言われているが、正確な数は今も判っていない。
 ただ、とにかく多い。気がつけば周囲に敵しかいないことも、先の戦いではしばしば起きた。

「今回の目的は法皇の壁の突破にありますが、そのためには敵の排除が必要不可欠となります」
「この調子じゃ壁の破壊と敵の殲滅を同時に実行する羽目になりそうだな」
「それだと長期戦になるかもしれませんね……」
「それはダメだ。時間をかけると、敵の増援がやってくる可能性が高い。まだ皇帝妖精騎士団も控えてる」

 皇帝妖精騎士団。サーギオス帝国の誇る精鋭スピリット隊。
 その規模は不明ながらいずれもエトランジェに匹敵する力の持ち主であると言われている。
 現に以前ウルカに向けて放たれた刺客は妖精騎士団に所属していたスピリットで、当時のユートを窮地に追い込むだけの力を持っていた。
 ここで足止めを喰らっている時に、そんな相手に出張られてきては苦しい。
 時間が経っても、妙案はなかなか出てこない。元々、そんな都合よく出てくるとも思わないが。
 コウインはこちらに背を向け地図に集中していたが、おもむろに振り返った。

「要塞ってのは内部や後方からの攻撃には脆いのが常だが……どっちも狙いにくいな」

 横を通り抜けようにも、虫一匹這い出る隙間もなく壁は広がっていた。
 上空を飛び越えるのもまず不可能。その前に集中的に狙われるし、敵もまた飛べるのだ。格好の的になりに行くだけでしかない。
 そうなると。

「一点突破だな」

 ユートの言葉にコウインも頷く。

「それしかないな。どこか一箇所に穴を開けて、そこから乱戦に引き込めれば一気に形勢も傾くだろ」
「つまりは力押しよね……私は嫌いじゃないな、そういうの」
「私もキョウコ様に賛成です。叩くしかないなら叩くまでです」

 突破に勇ましく乗り気を見せたのはキョウコとヒミカの二人だ。他にもアセリアが無言で頷くのが見えた。
 だが、それに懸念を示す者もいる。セリアだ。

「確かに正面からの攻撃でなければ突破は難しいでしょう。ですが単調な力押しでは、こちらも大きな被害をこちらも覚悟しなくてはなりません」

 セリアの言い分はもっともだった。
 ただ闇雲に突撃をするだけでは、こちらも相応の犠牲を払わねばなるまい。そして、戦いはこの一戦では終わってくれない。
 しかし、同時に奇襲は通じなく、否応なしに強襲しか選択肢もないように思えてならない。

「悠人はどう考える?」
「俺も正面から仕掛けるしかないと思う。先陣を俺や光陰が務めれば、ある程度はみんなへの危険も減らせるはずだし」
「そうだな。それは俺たちが務めるべきだ」

 コウインは地図に視線を戻す。そして、不意に何かを思いついたらしい。
 振り返った時、コウインは自信有り気に笑っていた。

「こっちの被害を極力減らしながら、正面から戦えるかもしれないぞ」

 コウインの一言に場の耳目が一斉に集まる。

「俺たちの利点は好きな時に好きな位置を攻撃できることだ。壁は動かないからな」

 コウインは思いついた腹案を話し始めた。












 聖ヨト暦332年ルカモの月、青みっつの日。早朝。
 ラキオス軍は前日に引き続いて、法皇の壁に再度の攻撃をかけようとしていた。
 余談ではあるが、新年は戦地で迎えている。場所が場所だけに、その日の食事がやや豪勢であった以外に、これと言った変化はなかった。
 光陰はスピリット隊を半数に分けて、その内の一つを自らが指揮している。
 当初は夜陰に紛れての夜襲も考慮していたが、昨夜は双方とも動かなかった。
 光陰は実行しても効果が薄いと判断したためだ。
 魂を呑まれているスピリットに精神的な揺さぶりは通用しない。
 真夜中に神剣の気配を立てて睡眠を妨害するなどの手段もあったが、相手が精神的な疲れを感じない以上、小細工は不要だ。
 光陰もスピリットと人間を差別する気はないが、その違いは正確に認めていた。
 一方で、サーギオスが手を出さない理由は分からない。
 あるいは持久戦狙いかもしれないが、それだけではないような気もしていた。

「……亀みたいに引き篭もってくれてまあ」

 法皇の壁を見ながら、そんなことを呟く。
 サーギオスはどこか法皇の壁より先に出たがっていないように光陰には見える。それは今この時に限らず、ずっと以前より。

「ねえ、光陰。上手く行くの?」

 光陰にそう話しかけてきたのは今日子だ。
 その表情に特に不安は見られない。純粋な確認に近かった。

「上手く行くかはやってみなきゃ分からないけど、悪いことにはならないだろ」
「そっか……早くこんな壁も通り過ぎたいね」

 光陰は頷きつつ、今日子を見た。
 以前に比べて少し変わったな、と光陰は思っている。
 正直な話、自発的に戦闘に加わる決心をすると光陰は思っていなかった。
 戦闘に加わると言うのは、永遠神剣を使うことだ。一度、『空虚』に支配されている今日子としては、簡単に選択できるものではない。
 それでも今日子は自ら『空虚』を取っていた。
 その気持ちがどこから生まれたのか光陰は知らない。それでも自ら剣を握ると決めた以上、光陰は何も言わないことに決めた。
 甘えるのではなく、頼れる存在として見るために。

「光陰、念のために言っておくけど私を守ろうなんて思わないでよ」
「なんだよ、藪から棒に?」
「別にー。でも、本当に私は大丈夫。やってみせるから」
「……心配はしてないさ。それにお前は守るって言うより、手綱を引き締めないといけないタイプだと思うんだよな」
「それって……手が焼けるってこと?」

 今日子の目つきが剣呑になるが、手は珍しく出さない。
 そこに報告が入った。

「用意が整いました」

 光陰に告げたのはエスペリアだ。そのすぐ近くにはクォーリンがいる。
 今回はラキオス、マロリガンの混成部隊となっていて、ラキオス側からはエスペリアとナナルゥ、オルファが割り当てられている。

「エスペリアにクォーリン。段取りは分かってるな?」

 確認の言葉に二人が頷くのを見て、光陰も頷き返す。

「仕掛けるぞ。全員、気を引き締めろ!」

 光陰の檄に他の者も応える。同時に各々の神剣の力も解放される。
 当然、それは法皇の壁に詰めるスピリットたちにも察知された。
 法皇の壁に向かって前進すると、それを阻止せんと法皇の壁からも次々と敵が現れてきた。
 その数は見る見るうちに溢れかえり、一時壁が見えなくなったほどだ。
 光陰は部隊を停止させ、敵を待ち構える。
 布陣は光陰と今日子を先頭に立て、その後方にクォーリンを中心に青、黒スピリットが展開。
 更に後方にエスペリアが赤スピリットたちを預かっている。
 彼女たちは後方支援。エスペリアと数名のスピリットは彼女たちの直衛を務めていた。

「行くわよ!」

 今日子の体に紫電が走る。後方の赤スピリットたちが赤く輝く。
 電撃がまっすぐ走り、火炎がその周辺に巻き起こる。
 初撃で多くの敵が脱落していく。しかし、その勢いは衰えることなく、そして減った数さえ無駄であるかのように迫る。
 それはさながら怒濤。四色の、等しく暗い目を持った波。
 今日子よりも赤スピリットたちの魔法のほうが早い。事前に光陰は、スピリットを目標とせずに特定の地点に絞らせて魔法を行使するように伝えている。
 この数だ。下手に特定個人を狙うよりは、範囲を分けて攻撃したほうが確実に相手を削げる。
 光陰の取った作戦。その第一段階は敵の漸減にある。まずは迫る敵を減らせるだけ減らす。
 二度目の電撃を今日子が放った。電撃の放出が終わった直後、光陰は前に踏み出る。加護の力はすでに周辺に及んでいた。
 『因果』を片手に近づいてくる敵を片っ端から薙ぎ払っていく。
 一人一人の戦力で言えば、光陰と今日子はその場で頭一つは飛び抜けている。
 しかし、サーギオスはそれ以上の数があった。数とはそれだけで大きな力となり得る。
 最前列に立つ二人は敵に飲み込まれないようにしながら、己が得物を振るっていく。
 踏み込んでいた光陰は一歩下がり、新たに防壁を展開する。
 それは敵の動きを一瞬止めるが、すぐに異常なまでの圧力が光陰の体にかかってきた。

(支えきれないか!)

 そう思った矢先、今日子が敵の群れに突きかかっていた。
 靴底が帯電している。軽やかに飛び込み、鋭く『空虚』を突き込み、さらに雷を放つ。
 敵は怯まないが、確実に動きは鈍っていた。
 今日子は即座に後ろに下がって離脱し、その隙に光陰も態勢を整え直す。

「結構きついよ、これ!」
「分かってる。けど、もう少しだけ踏ん張ってくれよ」
「もちろん! 止まってなんか、いられないんだからっ!」

 今日子が電流をまとい再度駆ける。その姿には疾風迅雷という言葉が相応しかった。
 光陰も後を追う。今日子の背中を守るためだ。
 それは保護ではない。光陰の戦い方が、単純にそうであるからだ。
 彼の力は誰かを生かしてこそ、より強く輝く。
 一方、すでに敵は光陰たちとは別に後方のクォーリンたちにも攻撃を仕掛けていた。
 彼女たちは二人で一組となり、常に自分たちの死角をカバーしながら戦っていく。
 しかし劣勢は否めない。
 一人を倒した直後に、二人を相手取るということも少なくなかった。
 それでも戦線を維持できるのは、彼女たちの力が決してサーギオスのスピリットにも引けを取らなくなってきたことがある。
 何より実戦経験の多さが、彼女たちの力を存分に引き出し生かしていた。
 確かにサーギオスのスピリットの動きは精緻と言える。狂いを見つけるほうが難しいほどに。
 しかし動きに応用がなかった。機械的に刷り込まれた動きであって、咄嗟の機転に今ひとつ欠ける。
 逆にラキオスのスピリットたちは、自然と体が反応する。豊富な戦闘経験は戦場にあって視野の確保を促す。視野の広さは行動の広さにも繋がる。
 彼女たちは常に、無意識のうちに優位に立てるよう戦っていた。
 それでも状況は徐々に乱戦となっていく。
 敵味方が入り混じれ、相互支援も困難になってくる。
 事前に光陰が赤スピリットたちに場所を指定して攻撃させてきたのは、この段になって生きてきた。
 彼女たちが魔法を行使する地点には敵しかいない。同士討ちの心配がないから、存分に魔法も使えた。
 一撃で倒すことは叶わなくとも、手負いとなれば脅威も減る。
 一人を排除するよりも数人に負傷を負わせるほうが、結果として危険を減らす要因となっていた。
 こうして光陰らはしばし、その場で踏み留まり剣を交えていく。
 乱戦の最中、エスペリアはとある赤スピリットの少女に声をかけた。
 肩口まで伸ばした髪が美しい、オルファよりも一つか二つだけしか上ではない少女だ。

「頃合ですので、お願いします」

 少女は頷き、魔法を止める。
 休んでいるのではない。目を閉じ、神剣に意思を通わせる。何かを念じるように、強く、強く。
 それに応じて神剣が赤く輝き、かすかに共鳴音が響いた。
 音が止んだところで、少女はエスペリアに言う。

「伝達、終了しました」
「分かりました」

 エスペリアはすぐに別の黒スピリットに光陰への報告を頼んだ。
 黒スピリットは光陰の元へ跳び、エスペリアもまた敵を抑えるために戦場に向かっていく。
 少女も今度は攻撃のために神剣魔法の詠唱を始めた。
 戦闘はまだまだ続いている。赤スピリットたちの放つ魔法は、号砲のようでもあった。
 一方、悠人たちは光陰たちの戦っている地点から北に四十分ほど歩いた地点にいる。
 神剣の加護を得ているスピリットと言えど、この距離を駆けつけるのには時間がかかる。

「来ました。突入可能の連絡です」

 黒のスピリットが悠人に告げる。成年よりもやや幼さを残した顔立ちで、黒髪を短く刈っていた。
 悠人は固く口を結んで待機していたが、その一報を受け取るや否やすぐに進撃を命じる。
 光陰の部隊にいた赤の少女と、先ほどの黒の少女が行ったのは神剣による交信だ。
 原理はイオが悠人に送る共鳴と同じだが、精度は落ちている。
 声は伝えられず、音に似た反応しか送れない。しかし、相互で交信ができるのも確かだ。
 そこで光陰は共鳴のさせ方を変えることで、伝達内容の区別をつけさせた。
 先ほど届いたのは、突入可能の合図だ。
 エスペリアたちの代わりに、こちらには黒スピリットが多く編入されている。
 機動力と白兵戦を重点に置いた陣容と言えた。
 自ら先頭を行く悠人は、法皇の壁と共にまだ多くのスピリットが残っているのを見る。

「そうそう上手くは行かないよな……」

 独りごちながらも、確実に距離を詰めていく。警戒態勢に入っていたためか、サーギオス側の展開も早い。
 数は多いが、前日の戦闘に比べれば少ないのも確かだった。
 光陰が立てた作戦では、光陰たちが敵を引きつけている間に悠人たちが法皇の壁に穴を空ける、というものだった。
 だが、それはあくまで可能だったらの話だ。光陰も悠人も、そう上手く行くとは端から考えていない。
 それだけ法皇の壁に展開している戦力は多いからだ。
 突破が無理なら、悠人たちも敵スピリットとの戦闘に集中するまでだった。

「全員、法皇の壁には近づきすぎるな! それから君は光陰に連絡を。次の段取りに移るって伝えてくれ」

 悠人は指示を出しながら敵を睨む。その数は多い。だが、負けるわけにはいかなかった。
 まだ、そこはサーギオス領の外縁でしかないのだ。
 敵が攻め寄せてくる前に悠人は力を行使する。

「バカ剣、力を貸せ! ホーリー!」

 『求め』の剣身が蒼く輝く。周辺のマナが集まり、精霊光となって悠人たちの頭上に降り注いでいく。
 精霊光はそれぞれの神剣に纏われていく。悠人の力強い加護が顕現していた。

「みんな、行くぞっ!」

 悠人たちは一丸となって敵と激突した。
 数で劣るラキオス軍だったが、サーギオスのスピリットたちは勢いに押されてたちまち方々に乱れる。
 その余勢を駆って、横に広がるように悠人たちは切り込んでいく。
 前もって、法皇の壁には近づきすぎないように徹底していた。
 法皇の壁には赤スピリットたちがほぼ無傷で残っている。距離があるうちはいいが、近づきすぎれば重点的に魔法を浴びてしまう。
 悠人は叱咤激励しながら、敵を次々と切り伏せていく。
 それに応えるように、アセリアやヒミカが敵をかき乱し、数を確実に減らす
 ともすれば単身で突撃しがちな二人も、今回の作戦と敵の数からそれは自重していた。
 ハリオンやニムントールは治療のために、慌しく駆け回っている。
 それを守るように、それぞれへリオンとファーレーンが行く手の敵と当たっていく。
 しかし、サーギオスもやられてばかりではいない。混乱から立ち直ると、すぐに攻撃に転じてくる。
 初めは優勢だった悠人たちだが、少しずつ数に押し込まれていく。
 悠人もすでに無傷ではない。仲間を庇うようしゃにむに前へ出るので、真っ先に傷ついていく。
 深い傷こそないが、斬られた箇所はすでに十を越えている。
 それは他の者も同じような状態だ。手傷を負ってない者など一人もいない。
 悠人は目前に迫ったスピリットを斬り捨ててから叫んだ。

「後退する! 背中を見せないように下がれ!」

 部隊はいきなり動かずに、じりじりと下がっていく。
 敵と向き合いながら離れていき、戦場から次々と離脱していった。
 サーギオスのスピリットたちは追ってこずに、法皇の壁まで引き上げていく。
 悠人は一応の安全を確認してから、小休止と治療を命じた。
 光陰たちも後退したとの連絡が入ったのは直後のことだ。
 セリアら数名のスピリットと悠人は目配せを交わす。
 そして作戦の第二段階に移れるのを、光陰に連絡させた。












 法皇の壁の陥落に向けて動く。
 コウインの立てた作戦は二段階目に移行していた。
 今度は先ほど二つに分けられた部隊の中から、さらに数名を選出して三つ目の部隊を作ることから始まる。
 顔触れはユート、コウイン、キョウコのエトランジェ組。
 スピリットではアセリアやウルカ、ファーレーンに、マロリガン組からは黒スピリットが三名。一人は神剣での交信ができるスピリットだった。
 加えて自分。
 スピリット隊の中でも、特に白兵戦に秀でた者が集められていた。
 二つの部隊からは指揮官だったエトランジェが抜けたことで、それぞれセリアとクォーリンが指揮を引き継いでいる。
 二段階目の作戦は、南北の部隊が同じように法皇の壁に向けて攻撃をしかけ、敵スピリットを陽動する。
 両翼が敵を抑えている間に中央から壁を破壊し、そこからウルカらが内部に突入し、後方支援のスピリットたちを叩いていく。
 最初からそうした手順を踏まなかったのは、中央への攻撃がないと思わせたいからとコウインは説明していた。

(……上手いこと考えたものだ)

 正直に、なるほどと思う。コウインの立てた作戦は、巧妙だ。
 前提として、いずれの部隊も敵の攻撃に耐えられることが必須だが、目下のところそれは成立しているようだった。
 上下に分断されていれば、防衛用の敵も多くないはずだし、敵の救援も遅れる。
 仮に上下の部隊が中央に向かおうとすれば、後ろからの攻撃に晒されることになる。そうなれば、抑えていた部隊が一気に後ろから攻め立てればいい。
 どんな相手でも背後からの攻撃には脆い。
 重大な問題は、敵の正確な戦力が判明していないこと。もしも予測より多ければ、根底より瓦解しかねない。
 それでも最終的にユートはこの案を採用していた。
 時間が経てば、どう転ぼうと敵の増援は来るはずだ。ならば、合流されるよりも先に突破したい。
 ユートはそう考えていたようだ。
 指揮官がそう決めたのなら、後は遂行に全力を尽くすまで。

「……両部隊とも戦闘を始めたそうです」
「分かった。俺たちも行こう」

 ユートの言葉に皆、静かに頷いた。交信を行っているのは、北側の部隊にいた黒スピリットだ。
 だが進軍を始める前に、光陰は交信を担当していた黒のスピリットに言い放つ。

「お前はここに残ってろ」
「ど……どうしてですか?」

 黒スピリットは明らかに困惑していた。まさか、そんなことを言われると考えていなかったのだろう。

「……生きて帰ってこれる自信があるのか?」
「それは……」

 コウインの言いたいことは分かった。スピリットにも分かっていた。
 このスピリットはそれほどの使い手ではない。この場にいる者と比べては言わずもがな。
 スピリット隊全体で見ても、下から数えたほうが遥かに早いといったところなのだろう。
 むざむざ死に行かせる気はない、というのがコウインの本音か。
 それでも彼女は諦めなかった。

「危険でも私は行きたいです! 私だけ見ているなんて、そんな真似……」

 声が震えていた。それでもコウインを見上げる視線は強い。
 ふと、そんな姿をどこかで見たような気がした。
 ややあって、それはイースペリアのアリカに似ているのだと気づく。
 だとしたら、俺はコウインなのか。似つかわしくない話ではあるが。

「……コウイン、連れて行ってもいいんじゃないのか?」

 そんなことを口にしていた。
 コウインが目を細めてこちらを見る。その視線は思っていた以上に鋭い。
 女に視線を向け直す。目が合った。言うべきことは一つ。

「助けを期待せずに自分の身は自分で守るんだ。たぶん、俺たちは自分のことだけで手一杯になる。それでもいいなら、くればいい。俺は助けない」

 黒の女は手を硬く握っていた。迷うならば、それを理由に連れて行かなければいい。
 そう思っていると、すぐに女は答えを出した。

「それでも行きます」
「……無理だけは絶対にするなよ」

 コウインの声は苦々しかった。その声を聞いて少し後悔もしたが、もう遅すぎた。
 それに時間に余裕があるわけでもない。問答をやっている暇はなかった。
 この一分一秒が誰かの命を左右するのかもしれないのだから。
 今までと違い、反撃をすぐに受けることはなかった。
 それでも中央はまだがら空きになっていない。防衛のためのスピリットの影がちらほらと見えた。
 加えて、法皇の壁から次から次へと敵が現れてくる。その数はざっと見て、こちらの倍は硬い。
 しかしそれ以上の敵は現れない。

「……打ち止めか?」
「らしいな。ここが正念場ってわけか」
「ならば一気に攻める!」

 ユートの檄が飛んだ。先陣を切ったのは、キョウコとウルカだった。
 二人が先頭の敵スピリットと交戦に入るのとほぼ同時に、ユートは周囲のマナをかき集めていく。
 それを破壊の力に変えて、ユートは法皇の壁に向けて放った。破壊の力は、光の奔流だ。
 いくらかの敵を巻き込みつつ光が壁面に激突する。壁の威容に負けないぐらいの、巨大な光。
 それが飛沫(しぶき)を上げるように弾けた。
 法皇の壁はユートの攻撃に耐えた。決して無傷ではないはずだが、壁面に巡らされたマナが大部分を相殺している。

「くそっ!」

 ユートが毒づくのが聞こえてくる。マナの充填には今少し時間がかかるはずだ。
 ……壁面を守るのがマナならば、『鎮定』で叩くのは案外効果があるのかもしれない。
 心臓が強く脈打つ。『鎮定』から白い光が漏れ出し、変化が始まる。

「ここが使い時……!」

 自らに言い聞かせた言葉を契機に、変化は終わっていた。
 視界が捉えた両手の甲には白光が紋様のように浮かんでいる。『鎮定』の剣身も同様。
 変わっている。そう自覚した。
 目の前に入ってきた敵を切り捨てつつ、意識は法皇の壁に向いている。
 狙うならば、ユートが攻撃した場所だ。
 周囲では敵味方問わずに切り結んでいた。即座に俺を止められる相手はいない。
 最前列のキョウコとウルカを抜きさる。
 行ける、そう確信した。
 法皇の壁に控えている赤スピリットたちが魔法を放ってくる。
 『鎮定』を振るいつつ、足が直線的な移動に何度かの切り返しを加えた。
 魔法のいくらかは後逸していき、こちらに迫るものは叩き落していく。
 それでも完全には防げずに当たる。服の焦げる臭いが鼻を突いたような気がした。
 だが多少の被弾は気にせずに、速度を殺さないことだけを重視する。
 立ち止まれば、ただの的だ。速度を下手に落とせば、ずるずると攻撃に晒される。こんな場所はすぐに突っ切ってしまうしかない。
 そして、その時がきた。右足で踏み切って跳ぶ。『鎮定』は肩に担ぐよう構える。
 法皇の壁まで届く。『鎮定』の力をそのままに、壁面に叩きつける。

「――っ!」

 息を呑んだ。
 普段とはまったく違う硬い手応えに、腕の筋が悲鳴を上げて痺れる。痺れるというより、感覚がなくなりそうだ。
 壁が深く窪み、細かい皹が縦横に走った。法皇の壁が大きく震える。壁の上にいた赤スピリットたちも震動で体勢を崩す。
 壁を覆っていたはずのマナも途切れる。しかし破壊にはまだ足りない。
 着地するや否や、横から青スピリットが切りかかってくる。
 後ろに下がって避けると、突如として上から影が差してきた。何かを確認するよりも早く、転がるようにその場から離れる。
 すると、地面を穿つように赤スピリットが落下してきた。
 法皇の壁から飛び降りてきたのか、すぐにこちらに狙いをつけてくる。
 得物は長大な鉤槍。空気を裂きながら振り下ろされる。
 獣の爪のような刃先が地を打つ。敵の攻撃は当たっていない。しかし腕の感覚が戻りきっていない状態で相手をするには厄介だ。
 そこに先ほどいなした青スピリットも飛びかかってくる。
 後ろに下がる、さらに下がって引き離そうとする。赤はついてこれないが、青は翼を利用して追ってきて、すぐに追いついてきた。
 『鎮定』から伝わる力が熱となり、指先に力が戻ってくる。
 青スピリットが神剣を振るう。肩口を狙ったそれを押されつつも受け止めた。
 抑えきった後に、逆に相手を押し出し体を流す。体が崩れたところを狙って逆に斬った。
 周囲をすぐに確認する。俺に直接向かってきているのは、鉤槍の赤だけだ。
 巡らせた視界の中で、さらに神剣での交信を行っていた黒の姿を見る。
 今は一人の黒スピリットと切り結んでいて、どうやら苦戦しているらしい。
 それとは別の黒スピリットが、加勢しようと正面から近づいている。こちらにはちょうど背を向けた形だ。
 そちらに気づいている様子はない。
 面倒は見切れない。そういった風に言ったのは他ならない自分だ。
 ……だというのに、体は動く。思考も切り替わる。

(目の前でみすみす――)

 やらせていいものか。
 鉤槍の赤は近い。だが行ける。行くしかない。
 光景が流れていくように後ろに過ぎていく。
 今にも加勢しようとする二人目の黒を捉えようとした矢先、背後からマナの気配を感じた。
 同時に焔が、こちらを押し包むように生まれる。
 それを切り裂くように『鎮定』を振るう。
 焔が体を焼くことはない。しかし黒がこちらに気づいて、俺に目標を切り替えていた。
 『鎮定』を引き戻すのが間に合うかは際どい。だから、勢いもそのままに駆けて、こちらから距離を詰める。
 右足を前にして敵の神剣を潜り込んで避けながら、左腕を叩きつけるように振る。相手の顔めがけて。
 交差するようになりながら、左手が敵の頭を掴んだ。そのまま腕を前に伸ばしてから、後ろいっぱいに引き直す。
 左足が大地を踏みなおし体を外に開く。そして後ろから追ってきた鉤槍の赤に向けて、黒スピリットを放り投げた。
 突然のことに赤スピリットは黒スピリットと激突する。避けるでもなく、受け止めるでもなく。
 その間に、味方の黒は敵をどうにか斬り伏せていた。
 どこから気づいていたかは知らないが、黒の女は荒い呼吸のままこちらを見ている。

「なんで……」
「……嘘つきもいいところだ」

 それが本当に質問の答えになるのかは分からない。
 だが今はそれだけを言っておけば十分だと思った。
 何より赤も黒もまだ健在だ。立ち直るなり同時に向かってきていた。
 この二人は自分がどうにかするしかない。味方の黒には、どちらも任せられない。

「俺の後ろを守れ!」

 それだけを指示した。返事を待たずに前に出る。
 黒のほうが速い。ならば、そちらから倒す。
 相手の剣よりも早く、間合いに入り黒を横から斬る。胸の半ばまで達した『鎮定』を引き抜きつつ赤スピリットに向かう。
 そこに鉤槍が突き出された。狙いはこちらの胸元。
 それを『鎮定』で外に弾く。受けた瞬間の衝撃は強かったが、押されずに踏み止まる。
 鉤槍を(しご)かれるよりも早く、相手の肩から『鎮定』で切り裂く。
 『鎮定』を食い込ませたまま赤スピリットと目が合う。黒い瞳は俺を見ているのかいないのか判別がつかなかった。
 赤スピリットが崩れ落ちる。その時の目は虚ろだった。神剣に魂を呑まれていても、そういうのは分かってしまう。
 余韻に浸る間もなく、周囲を窺った。敵の姿を探しつつ、味方の黒スピリットが無事なのを改めて確認する。
 その時、一条の光が法皇の壁に突き刺さり、爆ぜた。
 ユートの破壊の力だ。二度目のそれは法皇の壁に大穴を生じさせた。
 すぐにウルカら黒スピリットたちに、アセリアとキョウコが内部へ突入していく。
 混戦での襲撃は任せればいい。
 こっちはどう動く。コウインの姿を探し求めた時、黒スピリットの声が聞こえてきた。

「敵が撤退していく……」

 彼女が言うように、俺たちと戦っていたスピリットたちが突然下がり始めた。
 法皇の壁のほうに向かい、しかし法皇の壁には入らない。
 ユートの空けた大穴を飛び越え、あるいは法皇の壁の頂上に飛んで、赤スピリットたちを抱えて逃げていく。
 その後、戦闘はすぐに収束していった。
 後で分かったことだが、北側の戦場ではラキオスがサーギオスの部隊を壊滅させていた。
 途中で中央のこちらに気づいて戻ろうとしたために、背後からの猛攻を受けて散り散りになったようだ。
 一方の南側ではそれはなかったが、中央を破った辺りで敵も後退を初め最終的には法皇の壁を飛び越えて撤退していった。
 南側の部隊には追撃するだけの余力は残っていなかったようだ。
 こうして、ラキオスは法皇の壁の突破に成功した。
 敵は撤退していきラキオスは法皇の壁を突破したが、負傷者も多数出ている。
 それ以上の進攻は無理と判断して、法皇の壁にラキオス軍は陣を構えた。
 負傷者の治療や休息という、また別の戦いがすぐに始まる。
 緑スピリットや動ける者が駆け巡る中、時間はすぐに過ぎ去っていった。
 ともあれ、ラキオスはついにサーギオス領にその一歩目を踏み込んだ。

 ――しかし。まだ法皇の壁を巡る戦いは終わっていなかった。








26話、了





2007年3月20日 掲載。

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