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永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


28話 その心に決意を














 法皇の壁を巡った長い一日は終わりを迎えていたが、明けた翌日もラキオス軍は法皇の壁からほとんど進めずにいた。
 日中の攻略戦と夜襲からの防衛戦を経て、多くの者に肉体的な疲労が蓄積し、中には心的な負担を抱えている者も現れている。
 結果、部隊としての機能を維持するのが困難になりつつあったためだ。
 休息が必要だという判断が下され、敵地ではあったがこの日は多くの者が休息を取っていた。

(休め、か……)

 言われたことを思い出して、かといって休もうという気にもなれない自分がいた。
 今の状態がよくないのは十分に理解しているつもりだ。
 体力は間違いなく低下しているし、心的な部分でもあまり思わしくない。
 しかし、気がかりが引っかかって休んでいたくないという気持ちも強かった。
 だが今度は休まないでいて何ができるのか、という話である。
 結局のところ感情の板挟みになっていて、どちらにもなりきれないというのが正しい。
 それでも理性は休むことを促していたので、今までは休んでいた。
 割り当てられた部屋、そこにあるベッドに体を投げ出すように天井を見る。
 石造りの天井は、木と違い冷たい印象を与えてきた。
 むき出しの天井は、しかし今の自分には適切なのかもしれない。

(涙……アリカは泣いてたのか……)

 昨日の光景は未だに焼きついていた。ひょっとしたら一生涯忘れられないかもしれない。それぐらい鮮明だった。
 一つ、認めなければならない。
 俺はどうしてか、アリカを特別視している。
 その理由はいくつもあるが、有体に言えばことごとくが因縁めいているからか。
 それを認めた上で、俺はあいつをどうしたいのだろう……。
 即座に昨夜のウルカを思い出した。そこにあるのも涙だった。
 大きくため息をつくと、ベッドから起き上がって外に向かう。少し外の空気でも吸って、頭を冷やしておきたかった。
 通路を歩き、いくつもの部屋を越えて外に出る。東側、つまりサーギオス領方面だ。
 壁の外は肌寒かったが、かえって心地よいとも思えた。
 すぐに息を胸いっぱいに吸い込んでみる。サーギオスの空気といっても、他の場所との違いは分からない。

(あれは……)

 壁の入り口へ歩いてくる集団を見つけた。周辺の偵察に出ていたスピリットたちだ。
 距離が縮まってきたところで、顔触れがはっきりとした。
 マロリガン出身のスピリットたちだ。あの交信を担当していた黒スピリットもいる。
 そういえば彼女の名は未だに知らない。名前を訊くのに躊躇を感じるようになっていたので、今後も訊くことはないような気がした。
 通行の邪魔にならないように入り口から離れると、彼女たちも俺のほうに進路を変えてくる。
 ……入り口は開けているので、とりあえず待つ。果たして、彼女たちはこちらに近づいてきた。
 近づいてきた彼女たちは、俺に挨拶をしていく。どうやら目的はそれだったらしい。
 律儀な話だと思う。だが、別に悪い気はしない。

「あの……元気出してください」

 そう言ってきたのは、神剣交信を担当していた黒スピリットだった。
 どうしてそう言われるのか。不思議に思っていると、すぐに慌てたように付け加えられた。

「ランセル様が小難しい顔をされているので、何かお悩みなのかと……」

 他のスピリットたちも、頷いていく。そういう風に見られているとは思っていなかった。
 しかも一人ではなく全員の一致した意見らしいから、性質が悪い。
 平静もろくに(よそお)えないのか、俺は。
 それにしても俺の名は知られているのに、俺が相手の名を知らないのもおかしな話かもしれない。
 そして名前も知らないのに気遣われているなんて。

「悩んでると言うか……迷ってるんだろうな」

 そんなことを口にしていた。
 黒スピリットは頷きつつも、今ひとつ分かっていなさそうな顔だった。それは他のスピリットたちも同じだ。
 こっちも話の要点も何も伝えていないから、仕方のない部分ではある。
 だからこそ、彼女たちに疑問をぶつけていた。

「俺は誰かを助けられると思うか?」

 口にしてから、随分とおかしなことを口走ったものだと思う。
 しかし、返答はしっかりとやってきた。

「私はこの前の戦闘でランセル様に助けられました……それって違うんですか?」

 黒スピリットの問うような口調は、不安げな表情に彩られていた。
 返答に窮する。肯定と否定の気持ちが心中で相反していた。

「……じゃあ、魂を飲まれたスピリットを助けられると思うか?」
「え……難しそうですね……」

 しょげたように言われた。しかし、すぐに別のスピリットが言う。

「でもキョウコ様はユート様に助けられています」
「そう言われると、そうですよ!」

 俄然、黒スピリットは元気を取り戻したように相づちを打った。
 他のスピリットたちも口々に同意していく。そして、内心で俺も。

(可能性はあったんだ……)

 『空虚』と半ば同一化していたキョウコを、ユートは救い出している。
 どうやったかは見ていない。しかし『求め』で斬ったとは聞いていた。
 俺にも同じことができるかは分からない。しかし、まだ可能性が残されていた。
 なら俺は……。

「ありがとう。気が楽になったよ」

 こちらの反応を聞いて、スピリットたちもにっこりと笑った。何か不思議な感じではある。
 答えはもう出ている。決心はついていた。
 そうと決まれば、ユートと話をしなければ。唯一の手がかりは彼しかいない。
 すぐにその場を去ろうとすると、呼び止められた。やはり、あの黒だ。

「私はあなたに助けられたのを忘れません。ですから……ランセル様も忘れないでください。ランセル様は誰かを助けられる人なんです」
「……ああ、覚えておく」

 重たい言葉だった。
 俺は確かに彼女を助けたのかもしれない。しかし、そのために何人ものスピリットを斬っている。
 もしも命を等価値とすれば、それは割に合わないと言わざるを得ない。それでも俺は彼女を助けた。
 脳裏に二人分の涙が蘇る。笑いあえなかった彼女たちが、そこにはいた。
 だから、もう一つ認める。全ては偽善だ。何かを生かそうとすれば、代わりに何かが潰える。つまりは取捨選択。
 だが――偽善でいい。それに偽善ではない善、それがあるかも分からない。要は考え方次第だ。

(誰かを助けられるかもしれない)

 覚えておく。彼女は一つの証明なのだろう。
 壁の内側に戻り、すぐにユートを探す。しばらく探し回ったところで、壁の見張り場にいるのを見つける。アセリアと一緒だった。
 見張り場からなら空が見える。青く、高い。
 近づいてみると、ユートがいくらか気落ちしているらしいのが分かった。アセリアは、相変わらずよく分からない。
 ユートが昨夜、ソーマと対峙したのは聞いているが、実際に起きたことは知らない。
 しかし、今のユートにはすぐ近くで支える者がいる。あまり俺が心配する必要もないだろう。
 ユートは顔を上げてこちらを見ると、片手を上げてきた。挨拶の習慣なのは覚えている。
 同じように返しつつ、訊く。

「ユート、教えてほしいことがあるんだ」

 改まった言い方だったせいか、ユートが背筋を伸ばし直し、こちらの話を聞く態勢に入る。

「キョウコと『空虚』の繋がりだけを斬ったと言ったな。どうやったか覚えてるか?」

 予想してなかったであろう質問にユートは眉間に皺を寄せた。やはり困惑している。

「無我夢中だったのは間違いないんだけど……あの時はそれができるような気がしたんだ」
「意識してやったんじゃないのか?」
「最初からは狙ってなかったな。行き当たりばったりっていうか、とにかく今日子を助けたいってずっと考えてたけど」

 ……偶然の産物とでもいうのか。
 参考になるような、ならないような。いや、あまりなっていないか。
 しかし期待通りとはいかなかったが、まったくの無駄とも言い切れない。
 ユートはその瞬間、集中していたと言うことだ。雑念を振り払い、ただ助けるためだけに。

「でも、どうしてそんなことを?」
「……助けたい相手がいる。ウルカの仲間たちを助けてやりたい」

 それが叶わないなら、自分の手で終わらせる。俺は誰かの涙など、見たくない。
 自分の行動に、大きな矛盾が含まれているのは解っていた。












 青と緑のスピリットが歩いていた。法皇の壁の内側、その一室を目指して。
 石造りの通路に響く二つの足音は音程こそ違えど、響くのはほとんど同じ時だった。

「わざわざ付き合ってもらって、ありがとうございます」

 そう言ったのは緑のスピリット、クォーリンだった。
 対して、隣を歩く青スピリットは頭を振る。セリアだ。

「こっちこそ。私も気になってたから、ちょうどよかったわ」

 二人は歩く。目的地はエスペリアの部屋だ。
 朝になってもエスペリアは姿を見せなかった。珍しいことではあるが、もちろん好意的な意味ではない。
 昨夜のことは二人の耳にも、ある程度は入っている。
 ラキオスに身を寄せてから日の浅いクォーリンは別として、セリアはソーマという人間がエスペリアにとっての鬼門なのを知っていた。
 それがあるから、セリアはエスペリアを心配していた。しかし、どうやって接するかは分からないままでいる。
 二人はエスペリアの部屋の前まで来た。一度だけ顔を見合わせてからクォーリンがドアを叩く。ドアは木製だったので、軽い音が鳴る。部屋にいるのなら、聞き逃すはずはなかった。

「エスペリア? クォーリンとセリアだけど」

 しかし応答はない。クォーリンがもう一度ドアを叩くが、やはり反応は変わらなかった。
 クォーリンはセリアに目配せする。戸惑いがクォーリンの表情に見て取れた。
 セリアがドアノブに手をかける。回った。鍵はかかっていない。

「入るわよ」

 やはり返事はない。了承も拒絶も。
 ドアを開けてセリアが先に部屋に入る。かすかに漂ってきた匂いに、セリアは思わず顔を顰めた。
 明かりは点けられていない。暗い部屋の奥に、確かな気配があった。

「……エスペリア」

 エーテル灯が点けられた。淡い光が部屋を照らしだし、影さえも浮かび上がらせる。
 エスペリアはいた。ベッドの上で毛布に包まっていて、二人を見ても起き上がろうとはしない。
 見上げる視線は弱々しかった。クォーリンはすぐにドアを閉める。
 今のエスペリアの姿を誰かの目に見せるのは、耐え難かったからだ。

「どうか……しましたか?」
「それはこっちが言いたいわ……何があったって言うのよ?」

 焦りと苛立ち、セリアの声にはその両方が滲んでいた。
 エスペリアはゆっくりと上半身を起こす。毛布は掻き抱いていた。
 頬はやつれ、顔に血色はなく不健康にしか見えない。髪は整えられておらず、おかしな癖もついていた。
 寝巻きは乱雑に乱れている。襲われたかのようでもあり、同時にだらしなくも見えた。
 そして腫れぼったい瞳が、少し前まで泣いていたのを物語っている。

「……どうしてしまったんでしょうね、私……」

 エスペリアは目を逸らすように俯いた。
 セリアもクォーリンも言葉がない。

「私……やっぱりおかしいの、汚れてるのよ。昨日もあんなことがあったばかりなのに、こんなことしてて……なんてふしだらなの……」

 言葉の半ばからは声が掠れて消え入りそうだった。

「エスペリア……」
「……それで、あなたはそうやって塞ぎこんでるの? 慰めて欲しいの?」

 身を案じているであろうクォーリンを余所に、セリアの声はいくらか冷ややかであった。
 エスペリアがゆっくりと顔を上げた。血走った目に浮かんでいるのは、怒りか。

「セリアに何が分かるの? 私とあの男の間にあったことなんて、何一つ知らないくせに!」
「ええ、私はセリアだからエスペリアじゃない。あなたのことが全て解るわけじゃない」

 セリアも淡々と言い返した。

「でもね、私が怒っているのは、あなたがそうやって何もしなかったことでユート様を危険に晒したこと。もしも、それでユート様の身に何かあったらどうしたつもりなの? ユート様よりも力の弱い……スピリットだったらどうなってたの?」

 セリアは自らの問いに、ネリーとシアーの姉妹を頭に思い浮かべた。
 エスペリアはオルファリルを。クォーリンは自分自身を。

「辛かったら、それで何もしないつもり? そうやって、大切なものが失われるかもしれないのに?」

 セリアは一度深呼吸をしてから続ける。自身の昂りを押さえつけるように。

「私たちは誰でも心に重荷を抱えてるのよ……自分だけが震えてるだなんて思わないで」
「……言われなくても分かってます! それでも……それでも辛いのに変わりないじゃないですか……」

 エスペリアの指が毛布の上から体に食い込む。体を抱える彼女は小さい。
 そんなエスペリアの指に別の手が重ねられた。クォーリンの指だ。
 エスペリアの視線が指から、同じぐらいの高さにあるクォーリンの目に移る。
 クォーリンは屈みこみ、エスペリアを見ていた。

「私はあなたが悩むのは止められません。力にもなれないかもしれません。でもね、エスペリア。怖いなら、それでもいいじゃない」

 エスペリアは驚いたようにクォーリンの顔を見つめた。
 それはセリアも同じだった。

「私たちは私たちであるのを辞められない。辛くても悲しくても、どこかで折り合いをつけてやっていくしかないでしょ。諦めの考え方なのかな」

 クォーリンは小さく笑う。気安い、立場や外聞を意識していない話し方だった。

「セリアはきっと辛い時でも立ち向かった。私は諦めた。私はセリアよりも弱いよ、心が」

 小さな笑いは微笑みに変わる。微笑むクォーリンはセリアも見た。セリアはいくらか戸惑ったように見返す。

「セリアも素直に言えばいいじゃない。エスペリアが心配だって」
「べ、別に私はっ! ただ隊の副隊長がそんなことで務まるかって……」
「その話はやっぱり後で聞きましょうね」

 半ば強引に、セリアにとってはあまり都合のよろしくない形で話を終わらせた。
 セリアはいくらか不機嫌な表情になる。それも決して本心ではないのだが。
 クォーリンは咳払いを一つ。エスペリアに顔を向け直す。

「怖いものを無理して怖くないなんて言わないでいいし、思わないでもいいよ。でも……」

 クォーリンから微笑みが静かに消えた。正面からエスペリアの瞳を見る。

「怖くても、泣いてるだけじゃいけないよ。ずっと……ずっと泣いてないといけなくなるから」

 クォーリンの指がエスペリアの手から離れる。

「今日はゆっくり休んでて。セリアもそれでいいよね?」
「構わないわ」

 短くセリアは答える。エスペリアを見るセリアが、今は何を考えているのか。それは他の二人には分からない。
 二人はエスペリアの部屋を出て行く。先に出たのはクォーリンだ。
 後から出るセリアは去り際に、エスペリアに話しかけた。

「きついこと言ってごめん……でも、やっぱり私たちに立ち止まっていられる時間はもうないわ」

 エスペリアはセリアを見た。セリアも同じように。
 やつれた表情に怒りの色はもうなかった。

「……死なないでよ」

 その一言をセリアは言い残して、部屋を後にした。












 法皇の壁の外側、西。つまりラキオス領側では訓練が行われていた。
 訓練といっても、場所が場所だけに組み手が主体になっている。
 その顔触れの中にウルカもいた。
 元々、鋭い剣の冴えを持つ彼女であったが、普段以上に鬼気迫るものがあった。
 ウルカは汗を拭う。拭っても拭っても汗は滝のように止めどなく流れていた。
 訓練が始まってからというもの、まだ一度も休んでいない。午前に始まった訓練は、すでに午後を越えている。
 誰かと組み手をし、そうでなければ『冥加』を振り続けていた。
 とにかく体を動かしている。休むのを勧めても、全て断っていた。一心不乱に、何も考えないように。
 素振りをしていた手を止め、ウルカは額の汗をもう一度拭った。拭った手をそのまま下げて、両目を隠すように覆う。
 それからウルカは雑念を振り払うように頭を軽く振る。
 『冥加』を構え直したところで、声がかかった。オルファの声だ。

「ウルカお姉ちゃん……そろそろ休まないと、本当に倒れちゃうよ……」
「いえ……手前にはこれでも足りないぐらいです」

 ウルカはそう言うが、明らかに無理をしていた。

「ウルカお姉ちゃんだって、いつもは休むのも大事だって自分で言ってるのに」
「む……」

 言われて、ウルカは渋々といった体で素振りを止める。
 オルファはここぞと休むように促す。しかし、素振りこそ止めても、頑なに休憩を取ろうとはしない。
 だから思いきって、オルファは訊いてみた。

「どうして、そんなに無理をしようとするの?」
「無理ではありませぬ」
「じゃあ無理じゃなくてもいいよ。どうして、そんなに動こうとするの?」

 オルファの目つきは真剣そのもの。ウルカにも迂闊な返答はできなかった。
 考え込んだ時間は短い。ウルカも正直に告げる。

「今は何も考えたくないからです。少し何かをしている程度では、すぐに嫌なことを考えてしまうので」
「でも、そんなことしてたら、ウルカお姉ちゃんが倒れちゃう!」
「いっそ……そうなってしまえば、いいのかもしれません」

 オルファは驚きで目を丸くした。呆然とウルカの顔を眺める。

「思えば、あの時に斬られたのが手前だったなら、部下の死に目にも……」

 懺悔するように、独白のようにウルカは言った。
 オルファを見ずに、だからオルファの宿した怒りにも気づかず。

「どうして生き残ったのが手前なのか……部下を斬ってまで私は……」
「そんなのダメ! 絶対にダメ!」

 オルファが叫んでいた。小さな拳を握り締め、顔をくしゃくしゃにして。

「オルファ殿……?」
「ダメだよぉ……オルファにも分かったの……命は一つだけなの……」

 オルファがウルカに抱きつく。
 背の小さいオルファだと、すがるようにも見える。実際にそうなのかもしれない。

「パパがどうして命を大切にしなさいって言ってたのか、最初はぜんぜん分かんなかった。でも、でもね……ハクゥテを飼ってみて……死んじゃって……敵といっぱい戦って……オルファにも分かっちゃったの」

 濡れた紅の瞳が、見上げる。

「命は一つだけなの……嫌だよ……ウルカお姉ちゃんが冷たくなるなんて……」

 服を握り締められる。強く、強く。
 ウルカは微かに震える手を、オルファの背に回した。震えは腕だけでなく、体中に広がっている。
 小さな背中を自ら抱く。
 泣かせたのは自分。泣いてもらったのは自分。そして斬った部下の言葉をウルカは思い出した。

「そうでした……手前は生きねばならなかったのです」

 自分のために。泣いてくれる者のために。泣いてくれた者のために。
 この心にあるのはなんだろう、とウルカは内心で問いかけた。
 業か、重荷か。それとも希望か、願いか。
 スピリットは戦うためだけの道具と蔑まされてきた。
 それなのに、その心の内には語り尽くせないものが溢れている。それが生なのかと、束の間ウルカは自らの思いを噛み締めた。
 いつの間にか、その場にいた一同は安堵したようにウルカたちを見ていた。
 彼女たちの顔を見渡し、やはり彼女たちにも語り尽くせないものがあるのだろう。
 ウルカは心からそう思えた。












 夜に浮かぶのは太陽ではなく月。大地を照らすのは月光。柔らかく、冷たく、等しく光を投げかけている。
 月は満ち欠けが多い。それ故に常に真円を描く太陽と違い、不完全なものとして形容される。
 そして不完全であるからこそか、月は心を惹きつける魅力を放っていた。
 今しがた月を見上げていた男も、月は好きだった。その不完全さ故に。
 その男はソーマ・ル・ソーマ。月を見上げるその表情は、他の誰にも見せたことがない。
 皮肉ではあった。完璧を至上とするその男が、不完全な月を好むのは。
 場にいるのは、他に人形と彼が称する物。故に意志はなく。
 月から、彼は自分の手勢へと視線を移す。その数は最盛期に比べれば大きく減じていた。

「やはり……エトランジェなどと関わるべきではありませんでしたねぇ」

 声に答える者はない。その現実に、彼は我知らずほくそ笑む。
 ソーマズ・フェアリーの経歴に傷がついたのは、マロリガンで光陰率いる稲妻と交戦したのを端に発している。
 稲妻との交戦で、フェアリーは半数近くのスピリットを喪失し、相手に与えた打撃は皆無といった結果だった。
 そしてソーマが最も嫌悪していた個の強さが優れていたスピリットが稲妻との戦いを生き抜いている。
 それは彼にとって敗戦以上の屈辱だった。
 フェアリーに徹底した連携戦術を叩き込んできたのは、戦場では数が優位であり個の強さは二の次に来るという半ば信念とも妄執とも呼べる感情があるからだ。
 彼にとって個の強さは憧憬であり憎悪の対象だった。
 だから、彼は連携に力を注いだ。力を尽くした。そのためには一切の手段を問わず、切り捨てられるものは全て唾棄(だき)してきた。
 否定したいものを否定し、拒絶したいものを拒絶するために。
 その後、旧ウルカ隊の生き残りを丸々取り込むことに成功し、ある程度の力は取り戻したと言える。
 ソーマにとっては苦肉の策でもあった。
 何故なら、彼はウルカ隊が特に嫌いであったから。
 ウルカ隊はサーギオスにおいて、個々人の力量が突出した部隊であったからだ。故に彼は妬み憎んだ。
 そのウルカ隊がマロリガン転出時に傘下として編入された時の、暗い喜びを今も彼は忘れていない。
 旧ウルカ隊のスピリットがそのウルカと交戦したという報告は、鬱屈した喜びを助長させもした。
 歪んだともいえる思いを中断し、彼は状況に思いを馳せた。
 ソーマという男は屈折しているが、指揮官として間違いなく有能といえる人間である。
 だからこそ理解していた。リレルラレル攻防戦が自分とフェアリーの進退を賭けた戦いだと。
 そしてリレルラレルを攻略されたならば、ラキオスの進軍はほぼ食い止められないだろうということを。
 皇帝妖精騎士団は未だに前線に現れる気配もなければ、送られたとの報告も受けていない。
 いかに一騎当千の選りすぐりと言えども、リレルラエルの守備に現れなければ、もはや手遅れだ。
 戦いにも趨勢を決める流れは確かに存在する。ソーマの見る限り、それがリレルラレルを巡る戦いだった。
 期を逃せば、全てが水泡へと帰しかねない。

「勝つ気があるのですかねぇ……我らがエトランジェは」

 『誓い』の主である男を彼は思い出す。
 野心でぎらついた瞳に、酷薄な笑み。そうでなければ、全てを見下した瞳に、不快を隠そうともしない顔。
 瞬という男はソーマとよく似ていたし、まったく似てもいなかった。
 共通項は多いが、全てが共通するとも言えない。
 いずれにしても、はっきりしていることが一つある。
 ソーマも瞬も、他人を信じてない点。それは疑いようもなく共通していた。

「まあ……それもいいでしょう」

 ソーマにもすでに戦う以外の道は残されていない。
 時は迫っていた。誰も逃れられない、時が。










28話、了





2007年4月7日 掲載。

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