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永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


33話 往く者、二人














 ヒミカ・レッドスピリットは焦っていた。
 悠人が重傷を負ってラキオスに護送されたという報がイオによってもたらされたのが、昨日のことだ。
 すでにサレ・スニルの攻略戦が始まっていたので、その報せはセリアら一部にしか知らされずに差し止められている。
 この局面で隊に動揺を走らせたくないというセリアの思惑があった。特に年少のスピリットたちは悠人を慕っているので、その影響は無視できないだろう。
 ヒミカは偶然にも、イオがその報せを受け取った場面に居合わせていた。
 もしもヒミカがその場にいなければ、ヒミカがその報せをすぐに知ることはなかっただろう。
 何故ならセリアはヒミカに報せを伝えるつもりはなかった。ヒミカもまた悪影響を受けるはずだと感じていたから。
 ヒミカはそれほど冷静なスピリットではない。血気盛んとまでは言わないが、熱くなりやすいスピリットである。
 彼女は責任感の強いスピリットでもあった。同時に悠人に好意を抱いている。
 だからセリアは危惧していた。それらの要素が裏目に出るのではないかと。
 そして――それは現実となっていた。

「ひぃ、ふぅ、みぃ……」

 ヒミカは残りの敵の数を数える。残りは黒二人に、緑が一人。
 もう三人と取るか、まだ三人と取るべきか。ヒミカにとっては判断に困るところであった。
 ヒミカ自身は体中に手傷を負い、満身創痍という言葉が相応しかった。
 特に左の太腿の傷は深く、出血こそ止まっているが普段通りの動きはできそうにない。
 ヒミカは自らの手で戦況を変えようと無茶をしていた。一人で敵陣に向けて突出していたのである。
 戦況を優位にすることで、間接的に悠人や隊にかかるであろう負担を減らすしかない。そう考えて。

「あなたたちには悪いけど、こんなところじゃ死ねないのよ……!」

 元々、ヒミカは単身で突出しがちな傾向にあった。
 よく言えば勇猛果敢だが、猪突猛進になりがちなのが実際のところだ。
 もちろん、それを諌められたことも何度かある。
 しかし、アセリアが悠人の影響で猛進を控えるようになってきたのに対し、ヒミカのそういった傾向はなかなか改善されなかった。
 功を焦っているわけではない。その類の功名心はヒミカには無縁だった。
 ヒミカは自分が傷つくのをそれほど恐れていない。しかし、仲間が傷つくのは恐れている。
 それ故、ヒミカは無謀とも思える突撃をしがちだった。受ける傷を全て引き受けようとしている部分さえある。

(前へ、前に!)

 ヒミカは負傷した体を押して前に出る。
 逃げ切れるものではない。ならば、前に出て活路を開くという考えだ。
 皆と合流を果たそうという考えはまったくない。敵を連れ込む可能性があるからだ。
 『赤光』の加護が痛みを和らげ痛覚を鈍くしている。しかし痛みは消せないし、左足は引きずらざるを得ない。
 敵は二手に分かれた。黒と緑がそのまま正面から向かってきて、もう一人の黒は弱点となる左側に回りこんでくる。
 ヒミカは左の黒に向けてファイアーボールを放つ。牽制で放ったそれは、相手が直進してこない限り命中は期待できない。
 裏を返すと、直進すれば必中する。それ故、黒スピリットは外回りに軌道から逃れた。
 その挙動のために、わずかでも時間が生まれる。
 ヒミカが正面から来た黒に向けて『赤光』を突き込む。
 そのヒミカの動きを見越して、黒は真後ろに跳び緑と入れ替わった。
 緑はシールドを胸の前に構え、その上からマナを展開させて防壁を張る。
 『赤光』の切っ先とシールドの間から火花が飛び散るが、ヒミカの突きは届かない。
 普段のヒミカならここで相手を押し返すこともできただろう。しかし、足の負傷が元で、踏み込みが甘くなっていた。
 逆に緑に押し返される。ヒミカはたたらを踏んだ。
 そこに黒二人が正面と左右から来る。正面の黒は跳びあがった後、着地はせずにウイング・ハイロゥを広げて滞空していた。
 そのまま翼を弓のように(たわ)め、機を窺っていたのである。そして機はすぐにやってきた。
 正面と左からの同時攻撃。片方を防ぐだけでは足りない。

「ままよっ!」

 ヒミカの反応は迅速だった。
 咄嗟に二基のスフィア・ハイロゥを左の黒に向けて飛ばし、正面には火炎の防壁を張り巡らせる。
 左の黒スピリットは突然のことに反応しきれなかった。
 一つ目のスフィア・ハイロゥが左肩に命中し、バランスを崩す。崩しながらも二つ目のハイロゥは神剣で叩き落した。
 苦し紛れの一撃でしかなく、二度目は通用しない。それでも同時に攻撃を受けるのは防いだ。
 ヒミカはそちらには目をくれずに、正面からの黒に集中していた。
 黒は引き絞られた矢のように飛び込んでくる。炎による防壁に突っ込み、一瞬の内に掻い潜る。
 一瞬でも炎に飛び込んで無傷で済むはずがない。服のみならず、髪や肌も焼け焦げている。
 だが、その無機質な目はヒミカを捉えて離さない。
 ヒミカも接近戦は得意であるが、黒スピリットが仕掛けてくるのは肉薄しての斬撃だ。
 密着するほどの間合いでは、逆に『赤光』は取り扱いにくい。振り回すにしても、若干の距離が欲しい。
 切り上げられた神剣がヒミカの胸を裂く。斬られた瞬間に離れようにも、黒のほうが快速である。距離を取れなかった。
 なす術がない。ヒミカは諦めないが、状況は把握している。
 黒の神剣が切り口を変えた。振り上げた状態から突き込もうという動き。
 刃は陽光を浴びながらも、なお冷たく光る。ヒミカも、覚悟せざるを得ない。
 次の瞬間、黒が真横に吹き飛ばされた。錐揉みするような激しい吹き飛び方。黒い光弾が直撃したためだ。
 ヒミカがやったわけではない。

「ハリオンさんが来ますから、ヒミカさんは後退してください!」

 後ろから声をかけられるや否や、両者の間にヘリオンが割って入ってきた。
 それだけではない。左の黒にはファーレーンがすでに斬りかかっている。
 ヒミカの意識は仲間が来たことに向く。助けられてしまったことに。
 すぐにヘリオンは飛び出し、黒と切り結び始める。
 ヒミカも加勢に向かおうとするが、左足を崩して地に着く。
 結局、ヒミカには治療を受けるしか選択肢がなかった。
 左足を引きずりながら、ヒミカは後退していく。敵がそれを追うことはできない。
 ヘリオンらが立ち塞がっているからだ。今や、状況はサーギオスに優勢でもなんでもなくなっている。

「ヒミカ!」

 ハリオンが息を切らして駆け寄ってきて、すぐに治療を始めた。

「また無理をして〜。あまり心配させないでください〜」
「……」
「ヒミカ〜?」
「……なんでもないよ」

 ハリオンはきょとんとしていたが、ヒミカは何も言おうとしない。
 ヒミカの治療を終えた頃には、全体の戦闘も小康状態に移った。
 ハリオンはいくらか疲れたように息を吐く。彼女もまた少なからず無理をしている。
 ヒミカの救援に来た他の二人も戻ってきたところで、一向は本隊と合流しようと歩きだす。
 道すがらヒミカは尋ねた。

「どうして助けに来たの」
「ヒミカさんが危ないからに決まってるじゃないですか」

 答えたのはヘリオン。驚いているため、目を心なし大きく開いている。
 ヘリオンからすれば、訊かれるような質問ではなかった。

「……そうなんだ」
「なんだか浮かない顔ですね?」

 問うたのはファーレーン。横目にヒミカを見ていた。

「矛盾してると思ってね。私は仲間を守りたいから戦って、それなのに守られてしまって。情けない話よ」
「それは……変じゃありませんか?」
「変?」
「上手く言えないんですけど、違うような……」

 そこに助け舟のような形で発せられたのがハリオンの声だった。

「ヒミカはなんでも一人で抱え込もうとしすぎるんですよ〜」
「そういう部分、ヒミカさんにはありますよね」

 ヘリオンもハリオンの言を肯定する。
 言われたほうのヒミカとしては納得がいかない。

「私がいつ抱え込んでるって言うのよ?」
「今さっきの戦いなんかそうじゃないですか〜」

 ハリオンに言われ、ヒミカは口ごもる。言われてみると自覚できたらしい。

「私はヒミカの気持ちも分かりますけどね」

 とはファーレーンの言。

「自分で戦えるなら、他のみんなが戦わないで済む。戦わないで済むなら危険も減りますから。だったら無理を押してでもどうにかしたくもなります」

 ファーレーンの言葉はヒミカの気持ちを代弁していた。
 でも、と彼女は続ける。

「もしも私に何かあったら、ニムが悲しんでしまいます。ですから、それはそれで本末転倒だと思いません?」
「それはそうだけど……」
「わ、私へリオンはヒミカさんに何かあったら悲しいです!」
「あらあら〜、大胆告白ですね〜。でも、これでヒミカにも分かったでしょう〜?」
「何がよ?」
「私たちもヒミカに何かあったら悲しいということがです〜」
「あ……」
「ね〜?」

 言われてヒミカは理解した。
 自分が仲間に向けていたのとまったく同じ感情を、仲間もまた自分に向けていたのだと。
 今まで気づけなかったことに、ついに気づけた。

「……そうだね。今回は私が全面的に悪かった」
「今回はじゃなくて、今回もですよ〜」
「それだと私がいつも間違いだらけみたいじゃない。っていうかハリオンには言われたくない」

 ヒミカは渋い顔をしていたが、ハリオンは無邪気に笑い返した。
 そういえばと、ハリオンはヘリオンとファーレーンに視線を向ける。

「一足先に報告をお願いしていいですか? セリアさんもやきもきしてるでしょうから〜」
「構いませんが……」

 ファーレーンはヒミカを窺う。

「大丈夫ですよ〜、今度は私がついてますから」

 ハリオンは豊満な胸を前に張る。本人がどれだけ意識しているかは定かではないが、そこは特に強調された。
 ヒミカとヘリオンは、大きな羨望と軽い嫉妬を込めて強調された場所をちらりと見る。
 ともあれ、二人の黒スピリットは一足先に報告に向かうこととなった。
 二人が飛び立った後に、ハリオンは深いため息をつく。

「ねえ、ヒミカ。あの話は覚えてますか〜」
「……お店の話?」
「ええ〜、そうですそうです〜」

 ハリオンには一つ夢がある。
 いつかお菓子の店を開くというものだ。スピリットも人も関係なく、誰もが美味しいお菓子を買える店。
 その話を明かされた時に、ヒミカは純粋にハリオンに似合うと思った。
 ハリオンの笑顔は周囲を和やかにし、幸せにできる笑顔だ。そんなハリオンの夢だ。
 実現すれば、それはどれだけの幸せを与えるのだろうか、とヒミカは思う。

「私は〜、ヒミカにも手伝って欲しいんですよ〜」
「ふーん……って、私が!?」
「そうです〜。言ってませんでしたっけ?」
「初耳よ。あんた、また勝手にこっちの事情も聞かずに決めつけて」
「手伝ってくれないんですか〜?」
「……手伝うわよ。ハリオン一人じゃ経営度外視で何を作るのか分かったもんじゃないし」

 ぼやいたようにヒミカは答える。その表情はまんざらでもなさそうだったが。
 そこでハリオンがヒミカの背中に負ぶさってきた。
 押しつけられた胸が、そこはかとなくヒミカの劣等感を煽るがそれは関係のない話だ。

「だから一人にされるのは嫌ですよ〜。私はヒミカじゃないと嫌なんです。だから、もう少し自分も大切にしてください〜」

 ヒミカは普段以上に重みを感じた。友の重みを。
 だけど、それを表には出さなかった。

「ああ、もう。分かった、分かったから」
「ほんとにほんとですか〜?」
「ほんとにほんとよ。私にもはっきりとした目標ができたみたいだからね」

 ヒミカはハリオンを体から引き離す。とても頼りになって、どこか抜けてる彼女の親友と目を合わせる。
 彼女は親友の想いを無碍にすることなど、できそうにない。
 その後、二人が仮設置された指揮所に戻って来た時、指揮所にはセリアとナナルゥの二人しか残っていなかった。
 セリアは二人を見るなり、近づいていく。ヒミカはその間、セリアから一度も目を逸らさなかった。

「ヒミカ。今回、先走って孤立したことに何か言い訳はある?」
「……ないわ」
「そう。じゃあ、反省の言葉は?」
「……私が悪かった。私は――きっと自惚れていたんだと思う。私がみんなを守らなくちゃいけないって。だけど、みんなも私を守ろうとしてくれている」

 ヒミカは一息つく。顔つきには力強さがあった。

「私はみんなを守る。だけど、私が傷ついてみんなも悲しむなら自分も守る。もう一人だけで戦おうなんてしない」
「本当にそう思うなら行動で示しなさい。左翼側が心持ち手薄だから、ハリオンと一緒にそっちの配置についてちょうだい」

 ヒミカはセリアに力強く頷き返すと指揮所を後にした。
 その背を追うようにハリオンもついてくる。

「……で、なんでハリオンはさっきからにやけてるの?」
「さて、なんででしょうね〜」
「……変なやつ」

 ヒミカは歩幅を広め、歩調を速める。ハリオンと少しずつ距離が広まっていく。

「先に行くからね」
「あ〜、も〜。待ってください〜」

 一人で前を歩くヒミカは、それでも独りではない。
 後を遅れてついてくるハリオンもまた、独りではない。
 彼女たちは二人で歩む。二人で行く。未来という夢を胸に抱いて。










33話、了





2007年5月3日 掲載。

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