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永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


38話 永遠なる覚醒













 瞬と『誓い』を目指して、悠人たちは階段を駆け上がっていく。
 四神剣は互いに引きつけ合うため、離れていても大まかな位置は感じ取れる。
 瞬がいるらしいのは、城のもっと奥深くだった。
 三階への階段を登り終えると、再びサーギオスのスピリットたちが階段の左右から大挙して現れる。
 中には強い神剣反応、皇帝妖精騎士団のスピリットも含まれていた。
 今度はアセリアたちがそれを抑えにかかる。悠人ら三人のエトランジェ以外のスピリットたちがだ。

「アセリア! みんな!」
「急げ、ユート」
「カオリを絶対に助けてきてね!」

 アセリアが前に、オルファはその後ろに。両者ともすでにハイロゥを適した形に変えている。

「御武運を、ユート様!」
「エトランジェにはエトランジェですから……負けたら承知しません」

 ヒミカとセリアは、アセリアたちの反対側で踏み止まる。その目はすでに敵を見据えている。

「ここは私たちに任せてください!」
「こんな戦い……終わりにしましょう!」

 エスペリアとヘリオンは階段付近に陣取る。それぞれ遊軍としての位置だ。

「……頼んだぞ!」

 悠人たちは後ろを任せて、瞬の方へと向かっていく。
 サーギオスのスピリットたちも追おうとするが、すぐにアセリアらが立ち塞がる。

「今更のこのこ出てきて……行かせるもんか!」
「それにしたって、この数は反則だと思うけどね……」
「……関係ない。誰にもユートたちの邪魔はさせない」

 そうして二つ目の戦場が生まれた。
 一方の悠人たちは瞬との距離を詰めていく。通路を猛烈な勢いで駆け抜けていくと、前方に人影が現れる。
 すぐにそれがスピリットだと悠人は看破する。数は六。皇帝妖精騎士団のスピリットたちだ。
 不意に今日子が悠人を追い抜いた。
 稲妻を纏った今日子が敵群を駆け抜け、強引に道をこじ開ける。

「先に行ってろ、悠人。すぐに追いついてやるからよ」
「おう!」

 悠人がその道を駆け抜けようとする。
 先頭にいたスピリットがそれを止めようと神剣を突き込もうとしたが、横から神剣を『因果』で強打された上、腹に蹴りを叩き込まれた。
 その間に悠人は駆け抜ける。駆け抜けるなり、今日子がその背を守るように騎士団と向かい合う。

「秋月に貸しがあるのは悠だけじゃないんだから、私たちの分も残しときなさいよ!」
「……死ぬなよ、今日子!」
「当たり前でしょう!」

 悠人の背はすぐに離れていく。

「さて、これで挟み撃ちだ。降参するなら聞いてやるけど……そうは言ってくれないんだよな」
「……悪く思わないでよね」

 それほど広くない通路を舞台に、そこでも戦いの幕が上がる。
 そして一人になった悠人はなおも進んでいく。行く手にはひときわ大きく豪奢な扉がある。
 皇帝の間だと、ほとんど直感的に悠人は悟った。
 悠人はその扉を押し開ける。扉から軋むような音はしなかった。よく手入れされている証拠だが、そこまで悠人は気が回らない。
 広い空間だった。天井は高く、室内にも奥行きがある。床には毛足の長い緋絨毯が敷いてあった。
 絨毯は入り口からまっすぐ伸び、数段の短い階段に沿って伸び、誰もいない玉座の前で終わる。
 そして、玉座の横にはいつかと同じように――秋月瞬と高嶺佳織がいた。

「佳織……」
「お兄ちゃん……」

 佳織の表情には怯えが見て取れた。その原因が悠人と瞬のどちらにあるのか、悠人には分からなくなっていた。

「お前は……ゴキブリか、悠人。しぶとくて邪魔しか能のない奴め」
「……なんとでも言えよ」

 悠人は他に誰かいないか探る。瞬と佳織以外、誰の姿も見あたらない。

「……皇帝はいないのか?」
「ここにいるじゃないか」

 瞬は『誓い』を掲げる。紅い剣身はうっすらと光を放っていた。

「このサーギオスは『誓い』によって動かされてる国だったんだよ」
「な……そんなバカなことが!」
「あるんだよ、悠人。『誓い』がこの国の人間もスピリットも動かしてたんだよ。揃いも揃って愚かな奴らだよ。実態のないものを崇めててさあ」
「……そういうお前はどうなんだよ。『誓い』に操られてるんじゃないのか?」
「僕が? それは違う……僕は『誓い』に選ばれた。いや、『誓い』を選んだのが僕なんだ。お前たちなんかと一緒にするな!」

 瞬は吼える。呼応するように高まる『求め』の破壊衝動を悠人は抑えつける。

「……サーギオスを動かしてたのが『誓い』なら、『誓い』を砕けばこの戦いは終わるんだな」
「そうかもしれないが無理だな。『誓い』を持つのが、この僕だからだ!」
「それでもだ。『誓い』を砕いてこの戦争を終わらせる! 佳織も返してもらうぞ!」
「嫌だ、と言えば? 力ずくか?」

 悠人は答えない。答えずに『求め』を中段に構える。
 それを見て、瞬は嗤う。

「見るんだ、佳織……あれが高嶺悠人という男だ。思い通りにならなければ、なんでも力任せに従わせようとする……それがあいつの本性だ!」
「……違い……違います! 秋月先輩はお兄ちゃんをちっとも解ってない! 今もあんなに辛そうな顔をしてるのに、どうして解らないんですか!」
「どうして? どうして……佳織こそ、そんなことを言うんだい?」

 瞬は表情を歪めた。笑っているのか、泣いているのか、自分でさえ分からない顔をする。

「それじゃあ、まるで、ぼくが、なにも、くるしんでない、みたい、じゃないか」

 瞬はぎこちなく悠人に視線を向ける。
 悠人が瞬に恐怖を覚えたとすれば、その瞬間が初めてだったかもしれない。

「悠人……ゆうと、ゆうとゆーとゆーと、ゆうとぉっ!」

 『誓い』を悠人に向ける。演劇で、姫を守る守護騎士のような所作。浮かぶ表情は、あまりにそぐわないが。
 宣告は幼子のような声で、しかし秋月瞬の本心で放たれる。

「ぼくは……誓ったんだ。佳織をしあわせにするって。ぼくのちからでぜったいに佳織をしあわせにするってっ! だから佳織をしあわせにしなかったおまえなんかゆるせない!」
「……そうだな。許されちゃいけないんだよ、俺は」
「お兄ちゃん!」
「けど、さ。それは父さんと母さんが死んだ後、佳織を苦しませたことになんだ」

 悠人と佳織の視線がぶつかり合う。そして告白する。

「……ずっと怖かったんだ。いつか佳織に……父さんと母さんを殺したのが俺だって言われるんじゃないかって。俺のせいで佳織の人生を滅茶苦茶にしたんじゃないかって」
「そんな……お兄ちゃんがいてくれたから、私……」
「そう……本当は俺がずっと怖がってただけなんだ」

 悠人の『求め』から静かに力が解放されていく。
 そこに荒々しさはない。静かに満たされていくのは、力か想いか。

「この世界でいろんな奴に会って……救われたり傷つけたりして……それでやっと分かったんだ」

 悠人は笑いかける。それは今まで佳織が見てきた悠人の笑顔で、一番胸に残った。
 佳織は何故だか、涙を流していた。

「父さんと母さんが死んだのも……俺のせいじゃなかったんだ。二人が死んだのを運命とかそんな風には思いたくない……だけど俺は、不幸でも、疫病神なんかでもないんだ!」

 悠人は息を吐く。想いを込めた言葉は短く。

「一緒に帰ろう、佳織」
「……うん」

 佳織が一歩を踏み出す。
 その行く手を遮ったのが、瞬だった。左腕を伸ばして、顔は悠人を向いたままだ。

「ああ、そうか。そうだったんだな?」
「瞬……」
「悠人だけじゃなくて、この世界を丸ごと塗り替えないといけなかったんだよなぁ! こんな世界があるから、いつまで経っても佳織は騙され続けてたんだ!」
「……そんなこと、させると思ってるのか?」
「するんだよ、この僕がっ! お前を殺して! お前の仲間を殺して! 殺して! あのレスティーナって小娘を捻り潰して! ついでにどいつもこいつも殺して、殺しまくってさあ!」

 瞬はさもおかしそうに笑う。悠人はそれを見つめている。そこにあるのは、純粋な怒り。
 佳織もまた瞬を見つめていた。それはもう、彼女の知る秋月瞬ではない。そうであってはいけなかった。
 悠人は踏み出す。瞬もまた段差を下り、悠人に向かって歩き始める。

「それがどんなに佳織を苦しめるって――」

 悠人は知っていて、瞬は知らない。
 佳織が、ファンタズマゴリアと呼んだ世界をどれだけ好いているのかを。
 どれだけの者と心を交わそうとしたのかを。

「死ねよ、悠人ぉっ!」

 瞬の両目に紅い光が宿る。突き出された『誓い』を『求め』は正面から受け止めた。

「もう、分からないんだな?」

 『求め』と『誓い』の力が解放される。拮抗は一瞬で崩れ、互いを弾き飛ばし合う。
 距離が離れるだけで、二人に怪我はない。

「佳織、離れてろ!」

 言われた通りに佳織が離れるのを視界に収めつつも、悠人はほとんど瞬しか見ていない。

「今すぐに砕いてやるぞ、なあ『誓い』!」
「これで終わらせる……力を貸せ、バカ剣!」

 二人は同時に踏み切った。その衝撃だけで床が粉々に砕け散る。打ち込みの一撃が城そのものを揺らす。
 ぶつかっては離れる。離れてはぶつかる。互いに剣が届かないまま、熾烈な戦いが続く。
 瞬が『誓い』を突き出した姿勢で突撃してくる。避けられないと悟った悠人は『求め』を盾にして受け止める。

「おおおおおおっ!」

 その状態から瞬は『誓い』を押し込みながら、駆け抜けようとする。
 悠人はオーラフォトンを展開するが、瞬の進攻は止められない。
 瞬時に悠人は刃先を切り返して、『誓い』の軌道を上に跳ね上げるよう逸らす。
 逸れた『誓い』が左の二の腕を浅く斬りつけるが、それだけで悠人は体から力を奪われる。
 だが瞬は体の横を晒す。悠人は『求め』を薙ぐ。
 しかし、それよりも先に瞬は体を前方に投げ出していた。体勢を崩された時から、踏み止まろうとしていなかったから動きは流れるように速い。
 二人は一度距離を取る。悠人は『求め』を持つ右手で斬られた箇所を抑える。息が上がっていた。

「お前の力はこんなものかあ、悠人! 前に戦った時のほうがまだ強かったぞ!」

 悠人は荒くなる息を沈めようとする。
 瞬は以前よりもさらに強くなっていた。それでも――退くわけにはいかない。
 二人の激突は続く。剣戟の応酬が果てしなく続く。
 長く長く、速く速く。ひたすらに剣と剣だけが交差する。
 その流れを破ったのは瞬だった。『誓い』を油断なく構えて悠人から距離を取る。
 打ち合いに満足したかのような表情で言う。

「そろそろ終わりにしようか……マナよ、僕に従え」

 『誓い』の放つマナが膨れあがる。『求め』に警告されずとも、それがどれだけ危険か悠人は察知する。
 反射的に悠人は佳織と対角線上に離れる。これから及ぶであろう、衝撃の余波を減らすために。
 それは自然と部屋の一角に追いやられる動きだ。

「あははは! 逃げるのは諦めたんだな? だったら消えてしまえよ!」
「マナよ、我が求めに応じよ!」

 悠人も『求め』とより強く同調しだす。編まれる陣は攻撃のためであり、防御のためでもある。
 魔法陣は複雑な幾何学を描き出し、悠人の前面の中空に刻み込まれる。
 それよりも早く、瞬は神剣魔法を完成された。

「オーラとなりて、悠人(あいつ)をぶち殺せ。オォォラフォトンッ、レイッ!」

 マナが質量を帯びた光へと変質する。膨大なオーラは無数の光槍へと変じ、悠人めがけて一斉に放たれる。
 大気を切り裂く飛翔音は遅れて届く。槍の一本一本が必殺。触れれば立ち所にその身を削り蒸発させるだろう。
 槍が悠人に届く直前、彼の神剣魔法も解放される。
 光の柱は光槍を正面から打ち据えた。オーラが千切れ飛び、室内が閃光に包まれる。

「死ねよ! 塵も残さずに消えてしまえっ!」

 瞬の声が響くと同時に光の拮抗が崩れた。
 光槍が悠人を押し包んだ。オーラが爆ぜる。空間を震わせる轟音と閃光が部屋を完全に包み込む。
 体中を叩く衝撃が過ぎ去り、光が消え去っていく。
 距離があったとはいえ、神剣を持たない佳織が吹き飛ばされるのは当然のことだった。
 壁に強か背を打ちつけられた佳織が苦痛を堪えながら目を開ける。
 最初に見えたのは瞬の背中だった。次に悠人がいたはずの場所を見て――言葉を失う。
 青空が覗いていた。それはあまりにそぐわない風景。
 悠人のいた場所、それよりも前方から床と言わず天井と言わず、壁と呼ばれる物が完全に消滅していた。
 悠人の姿はどこにもない。そこにいたという痕跡がどこにも、ない。
 佳織が脱力したように膝をついた。

「嘘……嘘だよね……?」
「これだよ! 僕が望んでいたのはこれだよ!」

 瞬は高笑いをする。目障りだった存在を抹消して、心底満足したように。
 だから『誓い』の警告にも反応が大きく遅れた。それは生死を分かつ一線。
 瞬の頭上から埃が音を立てて落ちてくる。
 そして、頭上が砕けた。ぽっかり開いた穴から人が落ちてくる。
 それは瞬のすぐ後ろに墜落するように降り立った。
 着地の衝撃で周囲の埃が一斉に巻き上がる。

「ゆう――」

 瞬は振り向きざまに『誓い』で斬り捨てようとする。
 しかし、それよりも先に『求め』が瞬の胸を切り裂いた。

「がっ!?」

 血を撒き散らして、瞬がよろめいて後ずさる。
 悠人は『求め』を振り抜いた姿勢のまま。
 肩で息をする悠人は全身が傷だらけだ。額からは今も血が滴り続けている。折れた骨が体の中から滅茶苦茶になってもいる。
 瞬は、致命傷を受けていた。腹部の傷は背骨にまで達している。それでもなお、膝をつかず倒れない。

「もう終わりだ、瞬!」
「終わり……だと? 認めるか……僕はこんなの……」
「瞬!」

 悠人が動いた。『求め』が瞬の胸を完全に貫く。
 瞬は自らの体を貫いた『求め』を虚ろな瞳で見ていた。それでも、まだ瞳は紅い。

「は……はは……」

 瞬は鈍い動作で後ずさっていく。『求め』が瞬の体から抜ける。
 その剣身には瞬の血が着いている。赤黒いそれもマナとして『求め』に吸収されていった。
 瞬はやはり倒れなかった。それでも力は完全に失っている。
 悠人はふらつく体を押して、佳織のほうへと歩んでいく。歩んでいくうちに、そんな体でどうやって佳織と向き合えばいいのか分からなくなってしまう。
 しかし、それも杞憂に終わる。佳織から駆け寄ってきたからだ。

「お兄ちゃん!」
「佳織!」

 抱きしめる。血で汚れるとか、そんなことを悠人は言えなかったし、佳織も思わなかった。

「ごめんな……辛かっただろ?」
「ううん……いいの……もう、いいんだよ……」

 これで終わり。悠人の戦いは終わりだった。
 異世界に召還されたことで始まった戦いも、『求め』との代償も。自分自身の負い目とも。
 そこから始まるのは、新しい物語のはずだった。
 しかし、まだ終わっていなかった。

「『誓い』……」

 瞬は未だに倒れない。その傷はすでに死に至るほど深い傷。なのに倒れない。消えない。
 何がそうさせるのか、瞬は未だ立ち続ける。
 呟く。『誓い』に向けて呟く。

「認められないよな……お前だってそうだろ、『誓い』ぃぃぃっ!」

 刹那、オーラが瞬の体から立ち上る。
 周囲のマナが瞬の元へかき集められていく。そして、瞬の肉体が再構築されていく。負った傷のこと如くが新たな体によって消されていく。

「っ……伏せろ、佳織!」
「『求め』ぇぇぇぇっ!」

 瞬の体にはいつの間にか黒衣が纏われている。
 悠人は『求め』の力を引き出そうとするが、弱い。それまでの瞬との戦いで力の多くを消耗していた。
 対する瞬の力は強い。悠人は鈍い体で、佳織を庇う。
 『誓い』が無造作に払われた。それは一瞬の出来事。

「も――」

 響いたのは。
 高音。

「と――」

 舞ったのは。
 蒼い金属。

「め――?」

 砕かれたのは。
 『求め』。

「誓いは、果たされた」

 途端に悠人は立っていられないほど、力が抜けた。そのまま尻餅をつく。
 『求め』からの加護は、完全に失われていた。
 瞬は笑っている。もはや悠人も佳織も見ていない。
 だが、その笑いが突如として苦悶へと転じる。
 『誓い』の剣身に砕かれた『求め』の破片が吸い寄せられていた。
 そうして、始まる。永遠への覚醒が。












 できることなら、そこには行きたくなかった。
 初めはユートを早く助けたいと思っていたが、つい先程から事情が変わっている。
 近づくだけで、見てはいけない何かに出会ってしまいそうな、そんな予感があった。
 それを確信づけたのは、突然膨れあがった『誓い』と思われる神剣の反応だ。一度消えたはずの反応は再び現れた。
 今まで出会ったどの神剣よりも強く、威圧感に満ちた反応。以前ラキオスの森で遭遇した、あの化け物と同じかそれ以上の。
 だというのに、足は止まらない。目的の場所を目指している。
 見れば誰もの顔が不安に彩られていた。解っているのに、誰も止まらない。
 最後にコウインとキョウコの二人と合流する。欠員は誰もいない。
 サーギオスのスピリットたちは『誓い』の反応が一度消えた時に動くのをやめた。
 死んだわけではない。だが『誓い』の反応が復活した今も、動き出したりしなかった。


 ぞくりと、背筋が震える。


 『誓い』の反応が変わっている。より強く猛々しく――別次元の力に。
 嫌いと怖いは何が違うのか。俺たちは触れてはいけない存在に触れようとしている。
 コウインが皇帝の間とおぼしき部屋への扉に手をかけた。
 行くしかない。どうなろうとも、行くしか。
 扉が開かれる。
 室内は完全に壊れていた。床は至る所が隆起したように乱れ、隅の一角は完全に吹き飛んで外の景色が丸見えだ。
 人影は三つ。ユートとカオリが見える。ユートはカオリを後ろにして、どうやら庇っているようだ。
 そして、最後の一人。本当は部屋の中を見て真っ先に見るべき相手だった。
 そうしなかったのは……恐れているからに違いない。
 見たくなかった。しかし、見る。エトランジェとは思えない、その存在を。
 『誓い』のシュン……初めて見る男だった。
 銀の髪をした男で、目は血を連想させるような紅なのに、冷え冷えとした印象を受ける。
 背の高い偉丈夫。纏っているのは黒い体に密着するような、ウルカのそれに似ているといえば似ているスーツ。
 そして宙に浮かぶ六本の剣。剣というよりは、鋭利な刃物か。取っ手などないのだから。
 神剣は右腕と一体化している。紅い刃の禍々しい、底の知れない永遠神剣。

「我は……『世界』。我は統べし聖剣シュン」

 『世界』? 『誓い』ではないのか?
 分からない。だが一つ確実なのは、あれが敵だということ。
 シュンは俺たちを見て、ユートたちを見る。よく見ると、ユートの手元には『求め』がなかった。のみならず気配さえ感じられない。
 解ったような、気がした。

「『求め』が砕かれたんだな……そして『誓い』と一つになって『世界』へと進化した」

 心臓が脈打つ。きっとそうだ。融合して二本は新たな一本になった。

「生まれたからには祝福が必要だ……特別にお前たちの相手をしてやろう。光栄に思うがいい」

 シュンが、来る。『世界』が、来る。また化け物が、来る。

「喝!」

 コウインの一喝で意識が引き戻される。落ち着きがいくらか戻ってきた。
 ようやく思考が切り替わる。

「今からあいつを倒して、ユートたちを助ける!」
「……了解!」
「七位以下の神剣は絶対に瞬に近づくな! アセリアは悠人たちを守ってくれ!」

 コウインから加護のオーラが広がっていく。キョウコの体には電流が走る。
 アセリアがシュンを遠巻きにしつつ、ユートたちの元へ向かう。
 ウルカやセリアたちがシュンを取り囲む。ヘリオンやオルファは剣を構えつつ、入り口を抑える。
 俺は『鎮定』の力を解放した。この日、三度目。限界は考えないことにした。ただでさえ通用するか分からないんだ。
 もはや制限など関係なかった。

「来るがいい」

 一斉に動く。シュンへの包囲の輪を縮めようと。
 同時にシュンの周りに浮かんでいた六本の刃がそれぞれ飛翔した。
 宙に舞う一本がその実、スピリット一人を圧倒する動きを見せる。
 たちまち翻弄された。俺たちよりも遙かに小さく鋭い刃は、こちらを弄ぶように切り刻んでいく。
 それをいち早く抜け出したのがキョウコだった。背後からキョウコを狙った刃がコウインの『因果』に叩き落とされる。

「秋月!」
「その男ならもういない」

 帯電した『空虚』が突き込まれていく。その全てがシュンの手前でオーラフォトンによって止められる。
 キョウコの一撃はこの場の誰よりも速い。なのに綻びさえ作り出せない。
 シュンが左手を振るうとキョウコが薙ぎ倒された。

「今日子! この……いい加減に止まれよ!」

 コウインが飛び出す。
 先程叩き落とした物も含めて二本の刃がコウインを狙っていた。
 それを守りの力で強引に押さえ込む。その間に『因果』を激しく振り回す。
 コウインの一撃は激しい抵抗に遭いながらも、シュンのオーラフォトンを突破する。剣圧ぐらいはシュンに届いたのかもしれない。
 直後、コウインの体が大きく吹き飛ばされた。シュンの蹴りだ。

「四神剣といえど、この程度か……拍子抜けだな」
「だったら、これでも食らいなさい!」

 起き上がったキョウコの『空虚』から電撃が迸った。並のスピリットなら黒焦げにでもなりそうな電撃が。
 確かに直撃したその電撃を、シュンは振りほどく。
 体からは白煙が上がっているが、ほとんどダメージを与えられているようには見えない。

「だから拍子抜けだと言ったのだ」

 圧倒的なまでの戦力差。それは解っている。解っているのに、それでもなお――。
 つきまとっていた刃を振り切り、シュンに肉薄する。気づいているはずなのに、シュンの動きは遅い。ゆっくりとこちらを見る。
 その顔面めがけて『鎮定』を振り下ろした。
 だが、それよりも早くシュンの左手が翳される。『鎮定』が受け止められた。押し込もうにも、それが振り下ろされることはない。
 シュンと初めて目が合う。朱に灯る瞳は俺以上に『鎮定』を見ていた。

「お前は……そうか」

 一人で勝手に納得したようなことを言う。視線は『鎮定』から俺に戻されていた。

「しかし、脆弱だ」

 体が跳ね上がるように浮いた。シュンの右腕が突き刺さるように腹に抉り込まれていた。
 浮いたところを顔面を強打される。世界が距離感も形を失う。
 痛みはないはずなのに、強制的に意識が飛ばされて――。

【起きろ、主!】

 『鎮定』の声で意識が戻る。視界には何故か青空が見えていた。
 同時に、右手が引っ張られる。足が宙を掻いた。左には城壁が見えた。右は遠くに岩山が乱立しているのが見える。
 普段よりも強い風が吹いていた。
 足下には、サーギオス城の中庭らしき空間が見える。

「な……」

 屋外に放り出されている。無意識だったのかなんなのか、『鎮定』が城壁に突き込まれて俺の体を支えていた。
 見上げると上に俺の体より少し大きな穴が開いている。
 シュンに殴られただけで、ここまで吹き飛ばされてきたというのか。

「……夢ならいいのに」

 体を振り子のように揺らす。そのまま勢いをつけて体を上まで振り上げる。
 そして『鎮定』の刃の上に降り立つ。『鎮定』は俺が乗ってもなお、壁面に突き立って微動だにしない。
 左手を見る。白線がちょうど巡って、体の中心へ戻るところだった。『鎮定』の加護はまだ消えていない。

「最高の悪夢のほうが、まだいい」

 それとも、これがすでに悪夢なのか。
 左手で城壁を殴りつけて二カ所に上下の穴を空けた。それを急造の足場とする。
 上に左手をかけ、下に左足をかけた。その体勢で『鎮定』を城壁から引き抜く。
 そして上に向けて跳ぶ。踏切が足りず落とされた穴には届かないので、『鎮定』を再度壁面に突きつける。
 今度は直接穴まで上り、『鎮定』を引き抜き直す。
 穴はそのまま皇帝の間へと続いていた。
 戦いはまだ続いている。意識を失っている時間はかなり短かったようだ。
 コウイン、キョウコ、ウルカがシュンに斬りかかっている。だが、満足に届く攻撃は一つもない。
 エスペリア、セリア、ヒミカはそれぞれ飛来する刃の対処に追われている。それさえ、辛うじてだ。
 ユートたちを守るアセリアもまた一本の刃と切り結んでいる。
 その時、シュンが炎に包まれた。
 入り口を守っているオルファの神剣魔法だ。
 炎が収まるや否や、今度はアイスバニッシャーが放たれる。
 双子の、おそらく同時に使用してだろう。だが、それさえななんら意味もない。
 そして彼女たちの周りでは二本の刃が飛び交っている。
 それを抑えるのはヘリオンと、いつ下がってきたのかアリカの二人。

「遊ばれてるのか……」

 こうしてみると、よく解ってしまう。
 シュン――統べし聖剣シュンと新たに名乗ったエトランジェは、俺たちなど歯牙にもかけていない。
 消滅させようと思えば、いつでもそうできる。
 そうしないのは遊んでいるのか、それとも自分の力を計ろうとしているのか。
 油断であるはずのそれは、開きすぎた実力のために油断にさえならない。

「勝ち目なんか……あるのか?」
【……時間を】
「『鎮定』?」
【時間を稼ぐのだ……門が開こうとしている……門が開かれるまで】

 何を言っている……どうして、いつも分からない話ばかりするんだ。

「だけど、どうにかできるんだな?」

 お前は、それでも騙しはしなかった。だから、信じる。お前がどうにかなるというなら、信じてやる。
 視界は入り口の戦いに動く。苦境に立たされようとしている。足がそちらに向く。
 二本の刃は揃ってヘリオンを標的と捉えている。
 それぞれが別個の意思を持っているかのような動きで、一本がヘリオンの動きを誘い、もう一本が死角に回り込む。
 ヘリオンが向かってきた一本を防いだ瞬間に、死角の一本が大腿を貫いていく。
 たまらずヘリオンが倒れたところに、二本が同時に切っ先を向ける。
 飛来を始めるよりも早く、アリカの『恩恵』が投擲された。
 それは掠めもせずに避けられるが、一本は回避機動のために攻撃の期を逸する。
 その間にアリカはヘリオンともう一方の刃に割って入った。目がけてきた刃をシールドで防ぐ。
 だが刃は防がれてなお、進もうとする。そして、アリカのハイロゥが断ち割れた。
 ハイロゥと引き替えに、アリカは刃を弾き飛ばしヘリオンを守るのに成功する。
 だが、投擲を受けた刃がアリカを向く。彼女たちに防ぐ術はない。

「やめろ!」

 間に合う。横から『鎮定』を全力で叩き込んだ。刃は砕けてくれない。
 そのまま壁に突き刺さっていたアリカの『恩恵』を左手で拾い上げ、彼女たちの元に戻る。
 『恩恵』を屈んでいるアリカの前に突き立てた。彼女の左腕は血で染まっていた。

「ネリー、シアー、オルファ! シュンへの攻撃はもういい、その代わりにここを刃から死守しろ!」

 アリカが神剣魔法をヘリオンに行使しつつ訊いてくる。

「ランセル……あなた、大丈夫なの?」
「素手で殴られただけで、あんな目に遭うとは思わなかった」

 それだけを言い、シュンに目を向ける。
 どうすれば止められるか全く思い浮かばない。だが、このままでは遊ばれているだけでみんな死んでしまう。

「時間を稼ぐ……そうすれば勝機がやってくる」
「どうしてそんなことが……」
「『鎮定』がそう言っている。だったらそれを信じるまでだ」

 『鎮定』との同調を深める。感情を抑える。静かに、深く、力を引き出すために。

「……信じますからね、それ」

 アリカの言葉を受けた時、すでに駆けだしていた。シュンとの距離がみるみる縮まっていく。
 そのままの速度で正面から斬り込んだ。もうどこから斬り込もうと変わらない。防がれるのに変わりない。
 やはり『鎮定』はシュンの張り巡らせたオーラフォトンに阻まれる。

「これも受けなさい!」

 いきなりアリカが後ろから飛び込んでくる。『恩恵』が『鎮定』と触れるか触れないかのすぐ隣に突き込まれた。
 オーラフォトンの抵抗がいくらか緩んだように感じる。

「一点突破か……力が足りないくせに小賢しい」

 二人まとめて、たやすく払われた。
 それを、後ろからコウインの加護の力が支える。

「倒れるには、まだ早いぜ」

 言われるまでもない。
 キョウコとウルカが同時に横から仕掛けるが、それも弾き返される。
 刃を相手取っていたヒミカとセリアが、それぞれ後ろと上から仕掛けた。それも阻まれる。
 進行が止まらない。シュンはただ進んでいるだけなのに、止められない。

「『鎮定』……力を!」

 飛び込む。そして、それは起きた。

「む!」

 シュンのオーラフォトンを軽い抵抗で突破する。どうして、そんなことが起きたのかは解らない。
 シュンは右手の『世界』で『鎮定』を受け止める。初めてシュンが『世界』を扱った瞬間だ。
 同時にコウインが飛び込んでいた。『因果』の塊じみた刃がシュンの胸を打つ。
 足下に線を描くように、シュンは突き飛ばされる。そこにキョウコとウルカがそれぞれの神剣で斬り、突き込んでいく。
 状況がわずかに変わった。たたみかける瞬間だ。
 そして、俺にとっては変調の瞬間でもあった。
 前に出ようとした体はそのまま床に倒れる。体を起こそうとした瞬間に、血を吐いた。吐いたというよりも、ぶちまける。
 初めて『鎮定』の力を使った時の比ではなかった。耐えるどころの話ではない。
 喉が焼きつく。体の内で内臓がのたうつ。自分の体に流れる以上の血を吐き出し、血の海に沈む。
 思考が、己を否定しそうになる。血を吐いたのは幻で、目を閉じてしまえばこんなものは消えると。
 目を閉じた瞬間、さらに吐く。幻想は一瞬で否定された。

「ランセル!」

 たぶん、アリカの手が背に触れる。今はその感覚がひどく遠い。
 いつの間にか『鎮定』の加護は消え去っていた。体中が痛い。酷すぎる痛みに意識が途切れるのを許されない。
 シュンはすでに体勢を整えていた。その目は俺たちを見ている。六本の刃はいつの間にか、シュンの周辺に戻されていた。

「見くびっていたか……では、殺してやろう」

 その宣告もまた、変化の合図となった。

【門が開く】

 音が、響いた。












 門は頭上で開いた。
 統べし聖剣シュンは、本能に従ってその場から離れる。天敵の出現を感知していた。
 門から一人の女が降り立った。女は女性と少女の中間的な顔立ちをしている。
 紅白の巫女装束、髪を結うのも紅の布。彼女に関して言えば、それはリボンと呼べない。白の足袋に紅の革草履を履いている。
 右手に握られているのは、銅剣によく似た剣。左手には扇。
 悠人はこの世界に召還される直前に、その女と会ったのを思い出した。

「倉橋……時深?」
「お久しぶりです、悠人さん。ですが、正式な挨拶は後ほど」

 時深は悠人へたおやかに微笑みかけると、シュンに向き直る。
 シュンの目には初めて感情らしいものが浮かんだ。それは憎悪だった。

「貴様……混沌に属する者か」
「生まれたての割には詳しいようですね……私は倉橋時深。混沌の永遠者にして、第三位永遠神剣『時詠』の主、時詠のトキミ」
「ならば冥土の土産に名乗ってやろう。我は統べし聖剣シュン……第二位永遠神剣『世界』の主だ」
「主ではなく、『世界』そのものに訂正してはどうですか?」

 時深は開いていた扇を閉じる。
 シュンを守っていた六本の刃が一斉に動く。全てが時深を取り囲む。

「危ない!」
「心配は無用です」

 時深は目を伏せ、袖から三枚の紙を投げ出した。人形の紙は時深と刃の間に違わず割って入る。
 薄い紙切れのはずのそれは、シュンの刃を通さない。
 そして時深は舞を演じるように、シュンへと近づいていく。
 その間に六本の刃は代わる代わる、あるいは同時に時深を狙うが、人形の紙に阻まれるか舞う時深の体を掠めずに外れるばかりだった。

「なるほど……それが時詠の力か。厄介なものだな」
「あなたでは私に指一本触れられません」
「だが我は二位で貴様は三位。それを覆せるとでも思っているのか?」
「剣の位階にこだわっているようでは私には勝てませんよ、坊や」
「ふん……年増がべらべらと喋る」
「……どうやら消滅させられる覚悟は出来ているようですね?」

 時深は『時詠』を構える。しかしシュンは刃を戻すと、時深から距離を取る。

「今回はこれまでにしておこう……まだ起き抜けで馴染んでいないのでな」

 その言葉に反応したのは時深ではなく悠人だった。

「逃げるのか!」
「逃げる? それは傑作だな。剣を砕かれたお前と剣を覚醒させた俺。どちらが上なのかは一目瞭然」

 シュンの眼差しは完全に悠人を侮蔑していた。

「敗者は地にひれ伏しているがいい。お前たちのようなか弱き者が、いくらあがこうと破滅の運命は変えられない」
「そんなことはありません」

 時深は静かにシュンの言葉を否定する。
 だがシュンはおかしそうに笑う。

「全ての世界を守れるわけではないのによく言えたものだ。それにお前たちにとって、この世界の一つぐらい救えなくても困らないだろうに」

 時深は答えなかった。肯定も否定もせずに、ただシュンの言葉を流す。
 シュンの視線は他の者に移る。

「せいぜい最期の時を待つがいい。貴様らは生かされているだけなのだからな」

 何人かの胸にクェド・ギンの言葉が蘇ってくる。
 シュンは彼と真逆のことを言っていた。

「違う……俺たちは生きてるんだ!」

 悠人は、クェド・ギンの全てを肯定できない。
 それでも、彼が貫こうとした意志。それだけは否定できなかった。
 シュンは酷薄に笑うだけだ。その体は突然マナの光に包み込まれ、旋風が巻きこる。
 光が収まり、風がやんだ時にはシュンの姿は消え去っていた。
 時深以外で立っていた誰もが申し合わせずにへたり込んだ。
 一様に憔悴しきっていた。その中でアリカだけがランセルに治療を施そうとし続けている。
 時深はそれを一瞥し、きっぱりと言い放つ。

「そこのあなた、そんなことをしても無駄です。あなたの体力を削るだけで、彼には意味がない」
「でも……」

 アリカの腕の中でランセルは完全に意識を失っている。表情は穏やかではない。

「その症状は自然治癒に任せるしかありません。彼に神剣魔法をかけるぐらいなら、他の者にそうしなさい。そのほうが彼も喜ぶのでは?」

 いくらか冷たく取れる物言いでもある。それでもアリカは頷き、言われた通りにするのであった。

「時深……あんた一体……」
「私はあの統べし聖剣シュンと同質の存在……エターナル。あなたたちの味方です」

 その日、ラキオス王国とサーギオス帝国の戦いに終止符が打たれた。
 しかし大陸――世界を賭けた戦いは未だに終わる気配を見せていない。
 それでも多くの者が疲れ切って、まだそこまで考えが及ぶ者はほとんどいなかった。










38話、了





2007年6月9日 掲載。

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