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永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


49話 今、ここに生きる者たち
















 先行したユートたちを追って遺跡に足を踏み入れた途端、いきなり風景が変わった。
 いや、風景ではなく世界そのものが変貌したと考えたほうが相応しい。

「なんだ、ここは?」

 思わず疑念を口にする。
 長大な回廊が延びている。その両側にあるのは星空のような光景。相変わらず気持ちの悪い。
 彼方に見えるのは光の渦か。法皇の用意した世界なのか、それとも別の存在かは判断しかねる。

【なるほど、この奥が中枢で……媒体となっているのは上位神剣か。大それた機構を用意したものだ】

 『律令』の思考が伝わってくる。
 この場所の正体はさておき、ここがロウエターナル側の本拠地であるのは間違いない。
 そして、この回廊の奥に生産機構としての上位永遠神剣が存在していて、おそらくそれがスピリットたちを生み出しているのだろう。

「はじまりの地、だったな。言い得て妙というやつか」

 それらしい空間だと思う。
 もっとも、その呼び名はまったく別の所以に拠るのかもしれないが。
 進んですぐに道が二手に分かれていた。
 回廊の奥から複数の上位永遠神剣の気配こそ感じるが、どちらの道が近道となるのか判断する材料にはできない。
 ふと足元を見ると、床に名前が刻み込まれていた。左右に分かれて、名前が上下に連なっている。

(どっちに誰が進んだのか、か)
【ふむ……法皇の罠という可能性もあるが】

 『律令』の意見を吟味してみる。
 罠の可能性は低いと判断する。
 いくら法皇でも、まさかこんな小細工はしないと思う。というより法皇の手口にしては小さすぎる。
 思い込みかもしれないが、法皇はもっと大がかりな謀略を好む。その過程で些事が必要であれば、それにも着手してくるが、これはその類ではない気がする。

(誰か……誰かは分からないが、スピリットたちが名前を残すようにでも考えたのかもしれない)
【では、どうする?】

 改めて刻まれた名を見ていく。判断とすべき基準は。

(左側はエターナルがアセリア一人だ。ならば左に向かう)

 すぐに走り出す。全て終わる前に合流できればいいのだが。
 左側の道に刻まれていた名を思い返していく。

【この道を選んだのは、あの妖精がいるからではないのか?】

 アリカを指しているのだと、すぐに分かった。

(お前まで冷やかしか?)
【違う】

 返ってきた反応はふざけていなかった。

【主は後悔しているのではないか? あの妖精に対しての行いを】

 即答しなかったが、自分の考えは分かっていた。

(今になって気にしてるのなら、やっぱり後悔しているのかもしれない)

 あのような――持ち上げてから落とすようなやり方で、別れを告げたのを。
 冷たいというか血の通っていないというか、感情のこもっていないやり方だと思う。
 やりようなら他にあった。言いようだって、もっと上手くできたに違いない。
 それでも。

(はっきりと別れを伝えたかったんだ)

 有耶無耶にしたくなかったから――しかし、所詮は俺自身の身勝手だ。
 アリカのためを考えるならば、逆に曖昧なまま忘れさせてしまったほうがよかったのかもしれない。
 あのような形で傷つけることはなかった。緩やかに、忘れたことさえ気づかせずに。
 それでも。

(あいつには嘘を吐いていたくなかった)

 優しい嘘よりも、辛い現実を。手を離すのを知っていて欲しかった。
 例えそれで疎まれるようになったとしても。

【……口惜しいが、この世の中に最良の方法も結果もおそらく存在しない。だからこそ、生きる者全ては在り方に苦しむ。必死に生きようとするからこそ】

 『律令』はそんなことを告げてくる。俺にはなんとも言いようがなかった。
 ただ、一つだけはっきりしたことがある。

「『律令』、俺はやっぱりもっとアリカと一緒にいたかったんだ」

 この先に待ち受けているのが別れなのに変わりない。
 それでも、もう少しだけ言葉を交わしたかった。声を聴いて、彼女を見て。時には彼女に触れて、同じ時間を過ごして。
 望みはやはり小さいようで、しかし叶いそうになかった。












 アセリアたちと分かれた悠人ら一行はミニオンの妨害を凌ぎながら、少しずつ回廊を踏破していった。
 すでにアセリアがロウエターナルの誰かと交戦したらしいのを、悠人たちは力のぶつかり合いとして感じている。
 今では途絶えたそれが、どちらの勝利によるものかは分からない。もっとも悠人はアセリアが負けるとは考えていなかった。
 先頭を進んでいた時深が、突然足を止める。道は一本道となっていた。

「この気配……不浄のミトセマールですね」
「さすがに鼻が効くじゃないかい」

 時深の正面、床から浮き上がるように緑の影が姿を現わした。
 不浄のミトセマールは億劫そうな動作で首を動かす。悠人と時深を交互に見るような動きだ。

「さてと……どっちが私の相手だい? それとも、まとめて相手をしてあげようか?」

 気怠そうでありながらも、その態度は好戦的だ。
 悠人も時深も戦闘態勢に入っていたが、双方の間に割って入る声がある。

「ちょっと待ちなさい」

 今日子だ。
 悠人たちの前に進み出て、『空虚』の切っ先をミトセマールへと突き出す。

「なんのつもりだい、嬢ちゃん?」
「あんたの相手はあたしよ、ミトセマール」

 今日子はミトセマールと向き合い、そのまま後ろの悠人たちに話しかける。

「こいつは引き受けるから、二人は先に進んでちょうだい」
「引き受けるって、エターナルの相手は無理だろ!」

 悠人は即座に反発する。時深も同じだ。

「悠人さんの言う通りです。ここは我々に任せて……」
「いや、あながち今日子の言ってることは間違えちゃいないぜ」

 二人は驚いて振り返る。光陰だ。
 光陰は悠人に向けて笑ってみせた。気負いはなく、いつものどこか不敵な笑みで。

「ロウエターナルはランセルとアセリアが一人ずつを倒したとしても、あいつを除いてもまだ三人いる。だったらユウトと時深はそっちに集中したほうがいい」

 言いながら、光陰も前に。今日子の隣に並んだ。

「いくら二人でも無傷で勝つってわけにはいかないんだろ? 時間がどれだけ残されてるかも分からない上に、ここで消耗するとテムオリンや瞬との戦いに響いてくるかもしれないぜ」

 実際にタキオス、テムオリン、シュンの三人はロウエターナルの中でも別格と言うべき相手だった。
 万全の状態で立ち向かうのが望ましいのは確かだ。

「戦いに犠牲はつきものだけどよ……それでも俺は犠牲を強いるような戦い方はしてこなかったつもりだ。今もそうしてきているつもりだ」
「けど……」

 なおも言い募ろうとする悠人に、今日子が上から言葉を被せる。

「あたし、あんまりユウトたちにばかり頼ってちゃいけないと思うの」

 今日子は思案するように言葉を絞り出す。

「そりゃあ、あたしだってこの世界で生まれて育ってきたわけじゃないけど、じゃああたしたちが見ているだけでいいってことにはならないでしょ? これがエターナル同士の戦いであたしたちの力が足りないとしても、滅ぼされようとしてるのはこの世界なんだから」
「そういうことだな。俺たちはもう、見て見ぬ振りなんてできないんだ。この世界にも、それなりに長くいるしな」

 見れば、稲妻のスピリットたちも二人に同調しているようだった。
 時深は説得が無駄だと判断した。というよりも、意を汲んだというのが正解か。

「悠人さん、ここは皆さんにお任せして私たちは奥へ。意思を尊重しましょう」

 悠人は口にこそ出さないが、顔は未だに難色を示していた。
 そんな悠人に向けて光陰は伝える。

「俺たちはあんたたちほど強くはないけどさ、頼ってくれて構わないんだぜ?」
「……そう、だったな。お前は前から頼りがいのあるやつだったよ」

 悠人が前を見据える。その視線は力強く。

「ここは頼んだ」
「言われるまでもないさ。それからユウト。本当はお前にこんなこと頼めた義理じゃないが……瞬を止めてやってくれ。あんなになっても同じ世界で生きてきたんだ」
「ああ」

 悠人は手短に答える。しかし、それこそが自分の使命だと改めて感じた。
 瞬との因縁も全ては悠人から始まっている。ならば、悠人がそれを断たなくてはならない。
 悠人と時深はミトセマールの横を通り抜けて奥へ向かおうとする。
 ミトセマールが行動を起こす前に、今日子が稲妻を放って牽制した。

「ちっ……邪魔だねえ!」

 舌打ちをしつつミトセマールが『不浄』で電撃を打ち据え床を叩く。その間に悠人たちはミトセマールの横を通り過ぎている。
 ミトセマールはその背を追おうとはしない。

「やれやれ、行ってくれたか。それにしてもユウトか……」
「どうかしたの?」
「いや……なんでもない」

 光陰は言葉を濁らせたが、内心では一つの疑念を抱いていた。
 ユウトと自分たちは旧知の仲だったのではないかと。
 初対面の割に互いの話が深い部分で通じている点、ユウトと一緒に現われたアセリアがブルースピリットに酷似している点、さほどの説明がなくとも瞬を把握しているなどからの推測だ。
 もっとも、それは推論でしかなく、判断材料が揃っていないとも光陰は考える。
 そして何より旧知の仲だったとしても、それを問い詰めるのは筋違いだと思っていた。
 そうであったとしても、自分たちには以前の記憶が残されているわけではなく、それなら黙っていたほうがいいと考えて。
 エターナルが全ての過去を代償にする存在であるならば、自分らに関係があろうとなかろうと、そう決断したユウトを慮ってでもある。

「まぁ、あいつらなら大丈夫そうだな」
「そうね。なんか不思議とそんな気がするのよね」

 根拠はなくとも。曖昧な感じ方ではあるが、光陰は決して悪い気はしなかった。

「あーあー、行かせちゃったねえ」

 一方、ミトセマールは鼻で嗤う。
 その態度は、完全に光陰ら稲妻を見下している。
 実際問題として、稲妻の総力をもってしてもミトセマールに通用するかは厳しい。

「あの二人のどっちかが残るならともかく、あんたらじゃ束になっても私には勝てないよ。自分たちから勝ち目を放棄するなんて、お馬鹿さん」
「うるさいわね。勝ち目があるかないかは、やってみなくちゃ分からないでしょうが」
「そうやって、この前はあたしの前にひれ伏したんだよ」

 ミトセマールが言っているのは、先のラセリオでの攻防戦を指していた。
 稲妻はミトセマールを前に惨敗を喫し、消滅した五人の隊員の内三人はミトセマールの手による。

「あの時はたったの三人だけだったけど、今回はまとめて糧にしてやるよ」
「……今度はもう、誰もやらせない!」

 今日子が飛び出そうとする。
 だが、それより先に後方から複数の神剣の反応が現われた。ミニオンの気配だ。

「ここで挟み撃ちかよ」
「ミニオンどもめ。これじゃ、せっかくの獲物が減っちまうじゃないか」

 ミトセマールも予期していなかったのか、ミニオンの出現に不快感を隠そうとしなかった。
 しかし、光陰たちが前後に敵を抱えたという状況に変わりない。
 どちらも一筋縄ではいかない相手である。
 光陰が指示を下すよりも先に今日子が行動に移った。

「光陰、あいつはあたしが相手をする! あんたは後ろのミニオンたちを!」

 光陰の返事も待たずに今日子はミトセマールに斬りかかっていた。
 ミトセマールはそれをいなして、距離を取る。激突はもはや避けられない。勝手に飛び出たのを咎める暇もない。
 こうなってくると、光陰には止める手立てがなかった。だが、彼の頭は思考を止めない。
 すぐに手を打つ。自分たちだけでミトセマールと戦う段階で、最善の策などなくなっていた。

「クォーリン!」

 光陰はその場にいる最も信頼のできる相手の名を呼ぶ。
 稲妻結成当時から付き従ってきてくれた副官は、今も変わらず側に付き従ってくれていた。
 この時に限って、光陰はそんな副官に一抹の後ろめたさを感じてしまう。

「今日子の面倒を頼む。三、四隊もクォーリンの指揮下に入って行動するんだ」
「了解しました」

 簡潔にクォーリンは返答し、光陰は小さく付け加えた。

「……すまないな、クォーリン」
「謝罪の理由は計りかねますが……気になさらずに」

 すでにクォーリンと稲妻の半数が今日子の支援に向かおうとしている。

「どうにも私は、このような生き方が似合うようなので」

 自嘲めいた言葉をクォーリンは残していった。
 光陰は彼女たちの背を一瞥してから、すぐに残りの半数を引き連れて後方から迫ってくるミニオンたちの迎撃に向かった。












 クォーリンに率いられた稲妻たちが到着した段階で、ミトセマールは今日子に一度も攻撃をしかけていなかった。
 対する今日子の攻撃はミトセマールには届いていない。
 いずれも空を切り、あるいは『不浄』によって阻まれていた。
 ミトセマールは今日子から距離を引き離し、稲妻たちへ顔を向ける。
 そうして、顔を歪めて。

「あははははは!」

 突然、ミトセマールが大声で笑い始めた。
 彼女は、待っていたからだ。クォーリンら餌食となる者たちが揃うのを。

「そうかい、あんたたちは何かに似ていると思ったけど虫だったのかい。私という花の蜜に誘われて集まってくる虫ども」

 一頻り笑い終えると、満足げに周囲を睥睨する。
 いや、目が見えていない以上は睥睨とは言えないだろう。ミトセマールは純粋に、周囲を圧倒した。
 『不浄』の力はすでに周囲一面に広がっている。それは緩やかに、確実に今日子ら稲妻たちを蝕み、力を奪っていく。
 ミトセマールと戦う以上、それを防ぐ手立てはない。

「さあさあ、いい声でお鳴き!」

 そうして、ミトセマールが襲いかかってきた。稲妻の敷いた陣形を駆け抜け、手当たり次第に打ち据えては薙ぎ倒していく。さながら竜巻のような暴挙だ。
 初めの一撃で半数の者が被害を受けていた。特に後方支援を目的とした赤スピリットたちを中心に狙われている。
 しかし誰も消滅には至っていない。
 あくまで手を抜いているからだ。ミトセマールにとって、これは戦いではない。狩りであり遊戯だ。
 故に長く楽しむために、わざと生かしている。少しずつ責めを苦しくして、限りある命の抗いを弄ぼうと。

「好き放題やって!」
「包囲してかかります!」

 今日子が飛び出るのに合わせて、クォーリンが指示を下す。
 即座に動けたのは今日子を初めとして六名。そのいずれもが、各々の判断で攻める。
 真っ先にミトセマールと接触するのは今日子。雷の力を纏って、『空虚』を縦横に振り抜く。
 ミトセマールは機敏に避けるが、今日子がなおも肉薄する。
 そこにクォーリンらが包囲して突きかかる。ミトセマールは全ての攻撃を避けることはできなかった。
 種々の神剣がミトセマールの体に食い込む。深く斬れないのは『不浄』による加護だけでなく、『不浄』によって今日子らの力が抑えつけられているためだ。

「頑張っちゃってまあ」

 『不浄』がしなり、さらに跳ねる。次の瞬間には今日子たちも薙ぎ倒されていた。
 ミトセマールの攻撃を、彼女たちは誰一人として捉えられない。

「でも、あんたたちはこれが精一杯だろうね」
「勝手に決めつけないでちょうだい!」

 起き上がりざまに今日子は電撃を放つ。『不浄』によって防がれるが、直後にミトセマールの体が背中から燃え上がった。
 今日子がやったのではない。最初の一撃から立ち直った赤スピリットたちの神剣魔法だ。
 三人の赤が横に並び、それぞれ可能な限りの速さで火炎を撃ち込んでいく。
 ミトセマールの動きがしばし停まる。その間に他の者も動く。
 今日子や黒スピリットは炎に包まれるミトセマールに神剣魔法で攻撃し、クォーリンら緑スピリットは治療に奔走しようと。
 好機が巡ってきたと誰もが思った瞬間だった。
 赤スピリットの一人、中央にいた者が強打されたように後ろへ吹き飛ぶ。
 (つる)だった。大木の枝のように太い蔓が足下から赤スピリットを打ちつけたのだ。
 蔓は一本だけではなく三本あり、それぞれが赤スピリットに絡みついて拘束する。締め上げる力はスピリットの力よりも強い。
 そして、蔓は周囲のスピリット全員に対して伸びていた。瞬く間に全てのスピリットが蔓に絡み取られる。

「ふん……確かに嬢ちゃんの言うように見くびりすぎてたみたいだね」

 炎が割れた。そこから『不浄』が伸びて、今日子の首に巻き付く。
 咄嗟に今日子は左手を挟み込んだため完全に首を締め上げられはしなかったが、締め上げる力は彼女に太刀打ちできるものではない。
 炎の中からミトセマールが姿を現わす。皮膚や衣服が所々が焼けていて、完全に無傷ではないらしい。
 そして蔓が足下から幾重も伸びている。まるで根を張っているような姿だ。

「けど、これでもう終わり。そのまま絶望しながら、弱いやつ同士で仲良く死んでいくんだ」

 ミトセマールは満足げに恍惚と笑う。そのまま今日子のすぐ近くまで近づいてくる。
 今日子は痛みをこらえながら、ミトセマールを直視する。

「あたし……はね」

 喘ぐような声だった。小さく、聞き取りにくい。

「あん?」
「あたしはね……普通の女の子でいたかったのよ……普通に部活をやって、普通に好きな男の子に恋して……」
「それは災難だったねえ」
「本当にそう……でも……それは、あんたたちが、そうしたからでしょ!」

 拘束されたまま今日子が右手を振り上げる。『空虚』は逆手に握られている。
 振り上げた状態の右腕が、即座にミトセマールの蔓によって押さえつけられた。
 それでもなお、今日子は右腕を振り下ろそうとするが拘束は緩むどころかますます強くなる。
 だが、今日子の言葉は止まらない。力強さが、戻っている。

「あたしたちをここに連れてきて! 誰もしたくなかった戦いをさせて! そうやって、あんたたちはほくそ笑んで……許せるもんか!」
「ご託はそこまでかい! 小娘!」
「がっ!」

 右腕が捻り上げられて、異音を発した。砕けたとも破れたとも取れる音が。

「笑わせてくれるねぇ。力もないくせに偉そうなことを言うんじゃないよ!」

 ミトセマールの右手が今日子の頬を叩く。乾いた音が大きく響く。

「弱者はまとめて私の糧になりな。そうするのがせめてもの存在意義ってやつさ」

 締め付けがきつくなっていく。その中にあって、今日子はなおも諦めていない。

「『空虚』……あたしはあんたが好きじゃないし、あんたもそうなんでしょ? でもね、こいつらはあんたさえ利用したのよ? そんなのが許せる?」

 問いかけに『空虚』が応える。今日子にしか伝わらない、剣の声で。

「あんたが名前の通りに空っぽじゃないって言うなら……見せてやりなさい!」

 『空虚』の剣身から電撃が迸り始める。

「こいつ!? 自滅覚悟かいっ!」
「あたし一人であんたを倒せるなら、それで帳消しよ!」

 電撃が両者を包み込んだ。それは今までミトセマールに浴びせたどの電撃よりも苛烈だった。
 いかに電撃の使い手といえど、今日子自身も長時間は耐えられないほどの。

「離れな!」
「冗談!」

 ミトセマールは今日子を引きはがそうとするが、渾身の力で今日子は抵抗する。
 その間にも両者の体を電撃は焼き貫いていた。
 やがて電撃の影響か、スピリットたちを拘束していた蔓がのたうつように解かれる。
 解放されたスピリットたちは一様に倒れ込む。大きく消耗しているが、それでも意識は鮮明だった。
 その中にあって、クォーリンは今日子とミトセマールの二人を見上げる。

「自分ごと仲間の敵討ちってわけかい!」
「……どうなのかな。あたしは傷つけてばかりだから……ここにいるみんなを傷つけて、そうやって生きてきて」

 『空虚』に支配されていた頃を指しているのだと、クォーリンは気づいた。

「だから帳消しなのよ。傷つけた償いを、この命で!」
「は! それなら、嬢ちゃんが――」

 ミトセマールの左腕が今日子の首を掴み上げる。
 電流を浴びているためか、動きはいくらか鈍くはなっていた。それでもまだ、今日子の力よりも強い。

「独りで逝きな」

 力が徐々に込められていく。今日子の表情も変わっていく。
 それでも、両者を包む電撃は緩まない。あくまでも今日子は相打ちを狙おうとしている。

「それは……いけません……」

 クォーリンが立ち上がろうと、両腕を床に着く。
 犠牲が出るのは仕方がない。これは戦争だから。けれど、犠牲を前提にした戦いは間違えている。
 それをクォーリンは光陰から教わっていた。自身の体験からも実感している。
 だから、彼女は今日子の言葉を肯定できない。自分が犠牲になって周囲を救おうなどというのは。

「残される者は……どうしろと言うのです!」

 ありったけの力を込めて、床を突き飛ばすようにして立ち上がる。
 すごく、悔しい。クォーリンはつくづくそう思う。
 今日子が死んだら光陰は誰よりも悲しむだろう。クォーリンがもし死んでも光陰は悲しむだろうけど、今日子の場合はそれ以上に悲しむに違いなかった。
 だから悔しい。どんなに願っても、クォーリンは今日子の代わりになれなければ、彼女以上の大切な誰かにはなれない。
 やはり悔しい。それを暗に認めてしまった自分も、命を粗末にしようとしている今日子にも。

「それでも私は……コウイン様が、好きだから!」

 力が入らない。体は休息を求めていて、今にも倒れてしまいそうで。
 それをクォーリンは意志で退ける。
 枷を、重圧を振り切って。神剣を拾い上げて、前へと渾身の力で駆け出す。
 今日子の電撃は止まっている。限界がきているからだ。
 クォーリンの体が突き動かされる。熱に浮かされたように、後先を考えずに。
 とにかく彼女は、今日子を助けようとして。

「エターナル!」

 神剣を投擲する。
 今日子の相手に忙殺されていたミトセマールは、クォーリンへの対処が遅れる。
 開いていた右手が『不浄』を振るって神剣を払うが、クォーリンはなおも足を止めていない。
 そして彼女は踏み切って、ミトセマールへと跳んだ。
 クォーリンは空中で両足を揃える。その両足でミトセマールの頭を蹴り飛ばす。ミトセマールはもんどり打ちながら、弾き飛ばされる。
 その弾みに今日子が解放された。今日子は二度三度と咳き込んでから、苦悶の表情のままクォーリンを見上げる。

「……クォーリン?」
「キョウコ様。ご自分が犠牲になろうなどという思想、私は認められません! 確かに私たちは以前のあなたには手を焼かされました。しかし、それとこれは別なんです!」

 荒く、熱くクォーリンは息を吐き出す。取り乱しているのではない。興奮しているのに似ている。
 そんなクォーリンの姿を、今日子は初めて見た。

「キョウコ様は私たちの大切な仲間なんです……その仲間の犠牲を前提にした勝利に、一体どれだけの価値があるというのですか!」

 心情を吐露したクォーリンは肩を大きく上下させている。
 今日子はかすかに俯く。

「そう……だったんだよね、あたしでも……」

 そして今日子は思い返す。佳織が元の世界へと帰る前に、稲妻のスピリットたちに引き留められたのを。
 認められて、頼られていたのだと実感した。そして、許されているのだとも。
 背負い込もうと、しすぎていたのかもしれない。自分の限界以上に。
 甘えすぎて頼りすぎてもいけない。だからと、何もかも全てを自分一人ではできない。

「できることをするしか……ないんだ……」

 頼って頼られて。その中で自分のやるべきこと、できることに努める。

「なら……まだ寝てられないな……」

 傷だらけの体で、今日子は立ち上がる。
 もう引き下がれない。引き下がりたくもない。
 その間にクォーリンは神剣魔法の詠唱に移っていた。周囲の味方全員を治療するつもりだ。
 癒しの風が吹いた。暖かみのある風が周囲を抜けるように吹く。
 傷が少しずつ癒え、痛みも和らいでいく。しかし、完治にはまだまだ時間がかかるだろう。
 その中でミトセマールがよろめきながらも体を起こした。左手は頭を抑えている。
 怒りに震えた声が届く。

「雑魚の分際でよくも足蹴に!」

 今日子もクォーリンも答えない。その代わりに、今日子は苦笑混じりにクォーリンに言う。

「言われてみると……エターナルを蹴り飛ばすなんて、なかなか豪快ね」
「あ、あれは……その場の勢いです! 気がついたら足が出ていたと言いますか……」

 しどろもどろに言い訳する。
 確かに普段の彼女なら、そんなことはしないだろう。当の本人に行動に至った理由が思い浮かばないぐらいだった。
 それでも恥じ入ったようにクォーリンは言う。

「私の足癖が悪いのでしょうか……」
「……まあ、あんなやつは蹴飛ばすぐらいがちょうどいいのよ」

 今日子はさらりと言う。その視線はすでにミトセマールを捉えて放さない。
 現在も少しずつ傷が癒えてるとはいえ、満身創痍という状況に変わりなかった。

「確かにあたしたちはあいつと比べたら弱いし、ずっとちっぽけなのかもしれない。でもね、だからなんなのよ?」

 今日子は腰を落として、前屈みになる。姿勢は陸上の走法と同じだ。違うのは、左手で『空虚』を掴んでいる点だ。
 右腕はまだ完治しておらず、剣を握るには不安があった。それなら利き腕じゃなくても左の方がまだいいとの判断がある。

「あたしたちにも生きてるって意地があるのよ。簡単に踏みにじられてやるもんか!」

 地を蹴った。今日子とミトセマールが同時に。互いの距離は数秒を要さずに詰められる。
 ミトセマールの『不浄』が胸元目がけて振るわれる。まだ今日子の間合いよりも外だ。
 咄嗟に今日子は『空虚』で『不浄』を防ぐ。乾いた音がして、今日子が後ろへと追い返された。
 前へ出ようとするよりも先に、『不浄』が応酬される。
 防戦に手一杯で前へ進めない。そして防御の上からでも、『不浄』は今日子の体を傷つけていく。

「キョウコ様だけに!」

 横合いから黒と青のスピリットが近づいてくる。
 ミトセマールが向き直って『不浄』の軌道が変わった。横から迫るスピリットたちを一度二度と打ちつけ、叩き伏せる。

「こんのぉぉぉっ!」

そのわずかな時間の間に今日子はミトセマールとの距離を詰めている。
 『不浄』が今日子の首を狙うのと、彼女がさらに一段体を落としたのは同時。
 空気を裂いて、『不浄』が外れる。見切ったのか偶然なのか、それは判らない。
 外れた一撃の間に、ミトセマールは別のスピリットたちが先程とは逆方向から急速に接近してくるのに気づいた。
 そして、今日子はついに自らの間合いに入り込んだ。
 電流を纏った『空虚』を突き立てるように、今日子は体ごとミトセマールにぶつかってくる。
 ミトセマールは身を捻るが、浅く体を斬りつけていく。電撃はそれだけで行き先を見つけたように流れ込んでくる。
 そこに至って――ミトセマールは『不浄』からの加護が弱っているのに気づいた。
 一時的に退くべきだと思い、それよりも先に横からスピリットたちに取りつかれる。
 舌打ちをする間もなく、神剣が次から次へと繰り出される。
 正面と左右。打ち倒したはずのスピリットもいつの間にか包囲に加わっている。

「雑魚どもがしつこいんだよ!」

 周囲をまとめて薙ぎ倒す。だというのに、誰も諦めて怯えた獲物の目をしていない。
 実力差は歴然としている――していたはずなのに。どこで、何が狂ってしまったのか。
 直後、幾条もの熱線がミトセマールに放たれていた。その大半が吸い込まれるように足へと突き刺さる。
 耐えきれず、ミトセマールが膝を突く。膝を突きながらも、『不浄』が報復として放たれている。

「火線を集中させろ! とにかく叩くんだ!」
「図に乗ってんじゃないよ!」

 赤たちの神剣魔法と『不浄』が行き違って、互いの目標へと到達する。
 足を封じられたミトセマールを神剣魔法が襲い、『不浄』は今一度スピリットたちを打ちのめす。
 すでに戦いは一方的にはならず、どちらも傷つけ合う痛み分けの戦いに変貌していた。
 再三の神剣魔法を凌ぎきったミトセマールは立ち上がろうとして、足が不自由なのに気づく。
 意識した通りに動かせず、反応や知覚も鈍い。そうして異常を把握した。

「あたしの体が……」

 炭化が始まっていた。足は完全に封じられたに等しい。
 ミトセマールは小さく、しかし愉快そうに笑う。不自由な足でなお、体を立ち上がらせる。

「こうなったら、どっちが先に消えるかの潰し合いか」

 応じる言葉はない。しかし、稲妻の取った行動こそはミトセマールの言葉を肯定していた。
 足を止めたミトセマールに、今日子たちが雪崩を打って殺到する。
 ミトセマールもそれを次々に迎撃していくが、執念深く粘り強く迫る今日子たちを完全には抑えきれなかった。
 仲間が一人、また一人と倒れようとも侵攻は止まらず。
 引き離せず、引き剥がせない。
 ここに至ってミトセマールは、自分の認識が一つ間違えていたと感じる。
 稲妻は虫ではなく、むしろ獣だったのだと。
 生半可な手傷を負わせたことで、怒り狂って逆に手強くなる獣。その闘争本能は、決して侮れない。
 狩人は他の誰でもない、ミトセマール自身のはずだった。
 しかし、狩る者は同時に狩られる者でもあった。同じ線の上を歩いていたのに変わりはない。
 ミトセマールは『不浄』を振るい続け、次々にスピリットたちを倒していく。
 しかし、いずれも最後の止めには至らない。倒しきれず、しかし戦力は減っていく。
 そして稲妻も徐々にではあるが、確実にミトセマールの存在を削っていく。
 そうして、血で血を洗うような打ち合いを経て――最後に立っていたのは今日子とミトセマールの二人だけになっていた。
 両者ともすでに息も荒く、全身の至る所に傷を負っている。出血はすでにマナへと還り始めていた。

「結局、最後に残ったのが嬢ちゃんかい」

 荒い呼吸の今日子は答えられない。余計な口を聞く余裕がないからだ。
 今日子は『空虚』を右手に持ち替え、息を大きく吐き出す。堪えるように前を、ミトセマールを直視する。
 残された体力を考えると、次の一撃が限界だった。
 そこに至って、光陰たちがどうなったのか今日子は気になりだす。だが、すぐに心配はいらないと思い直した。
 ミニオンに負けるような男じゃないのはよく知っていたし、ここで自分が倒れてしまっても後のことは全部任せられるのだから。
 だから、心配はいらない。

「……やっぱ頼っちゃうんだな」

 自分に向けて呟き、それでもいいと考えて。
 『空虚』の力を体に伝えていく。もう防御は考えていない。攻撃のみに集中する。
 雷が疲労しきった肉体を刺激し、体を内側から奮い立たせる。
 今日子とミトセマールの一騎打ちを見守るのはクォーリンら稲妻のスピリットたち。その中に二の足で立っている者は誰もいない。

「これで、最後よ!」
「なら来な!」

 今日子が身を沈め、ミトセマールがそれを待ち構える。そして、クォーリンは神剣に向かって囁いた。
 渾身の踏切は、今日子の足下を踏み砕いた。逆に、それが元で初動が遅れる。
 ミトセマールは今日子の動きを把握していた。そのまま動きに合わせて攻撃して、終わらせるつもりだ。
 出だしで遅れた分、ミトセマールはより正確に今日子の動きを捉え、そして『不浄』を振るった。
 狙いは胸。正面から打ち砕くつもりだ。それが可能な一撃だった。

「大地の息吹よ。どうかあの人を護って……ガイアブレス!」

 ミトセマールにとって、完全に予想外の出来事だった。
 『不浄』が到達するよりも先に、マナの壁が今日子の前面に発生した。
 それでもなお『不浄』は防壁を突き破り、今日子の軽鎧を打ち砕く。
 破砕音と残骸を撒き散らして、今日子の体が後ろへ引かれるように浮いた。
 しかし、それは――ミトセマールが想像していた光景ではない。余計な防壁のせいで。

「こ――んのぉ!」

 強引に今日子が地に足を着く。弾みで血を吐き出す。内臓を傷つけられていた。しかし血を吐きながらも、体が前に動いている。
 走りながら、体を大きく動かして『空虚』を振りかぶった。
 そして、ミトセマールの胸を『空虚』が完全に貫いた。
 ミトセマールは左手で、自身を貫いた『空虚』に触れる。今でもまだ、信じられないというように。

「これだけの力を……どうして……ちっぽけな、すぐに消えてしまうお前たちが……」
「だとしても……あたしたちは一生懸命に今を生きるしかないのよ! あんたみたいなやつなんかに、負けてられるかぁぁぁぁ!」

 閃光が走った。『空虚』が電撃を放って輝く。ミトセマールの体が少しずつ消失していく。
 そして今日子も膝から崩れ落ちた。完全に倒れきる前に、その背中を誰かに抱き止められる。誰がそうしたのか、今日子にはもう分からない。
 光陰なのか、クォーリンなのか、それとも他の誰かなのか。
 けれど、と今日子は消え入りそうな意識で思う。
 やれるだけはやったのだと。彼女の意識はそのまま沈んでいく。安堵と充足感が広がりつつあるのを、今日子自身が気づかないままに。
 三人目のロウエターナルは、こうして消滅していった。
 残るのは半数。限られた時間の中で、最後の戦いが近づいてきている。










49話、了





2007年8月25日 掲載。

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