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永遠のアセリア
Recordation of Suppressor


51話 王に抗う者たち













「私は悠人さんに謝らなくてはいけないのかもしれません」

 悠人にとっては、唐突な切り出され方だった。
 そう告げてきた相手、時深に悠人は視線を向ける。
 現在は併走しつつ回廊を進んでいた。ミトセマールの相手を今日子たちに託して以来、一度もロウ側の迎撃は受けていない。

「謝るって……何をさ?」

 悠人には心当たりがなかった。だからこそ不思議に思う。
 時深は悠人とは目を合わせずに、答えもしなかった。
 だから悠人としては、どことなく居心地が悪かった。仄めかされただけで、すっきりとしないからだ。
 それでも、ややしてから時深はもう一度口を開く。

「悠人さんたちがこの世界に召還された時……光陰さんや今日子さんだけなら、私は巻き込まずに助けられたかもしれないんです」

 あくまで、可能性の一つとして。
 決して不可能ではなかった。あの段階ですでにロウエターナルの介入と妨害を受ける羽目になるのだが、それでも手がなかったわけでもない。
 いくらかの無理と無茶さえすれば、決して不可能では。

「させたくもない戦いをさせてしまったのは……私にもまったく原因がなかったとは言えませんから」

 悠人もいざ言われて、すぐに答えられなかった。
 時深が原因と言われても、悠人にはすんなりと受け入れられない。
 だから悠人はほとんど直感的に、違うと思った。筋違いであると。
 悠人は正面を見据えている。前方からは強い力を感知している。距離はもうあまりない。だから、言えるうちに言ってしまう。

「謝ることじゃないだろ、それ。それに……確かにあの戦いは辛かったけどさ。今はみんなこうして無事なんだし」
「……結果が良ければ、それでいいと?」
「そんなことは言ってないよ。けど、あの戦いは辛いけど大事な戦いでもあったんだ。大体、時深だって遊んでたわけじゃないんだろ」
「……そう、ですね」

 時深の歯切れはよくない。しかし、後ろめたさから来る態度ではないと悠人は思う。

「とにかくだ。時深が謝ることでも気にすることでもないからな。責任なんか感じないでくれよ」
「……悠人さんは、優しいですね」

 本当に、という言葉を時深は飲み込む。甘えてしまいたくなる気持ちを、この時は抑えて。
 そして二人は揃って空間に飛び込んだ。

「遅かったですわね。待ちくたびれましたわ」

 白い王、テムオリンが二人を迎え入れた。
 悠人は自分たちが来た道とは別に、二つの回廊と繋がっているのを見つける。そしてテムオリンの奥にはさらに別の道が続いていた。
 現在地は回廊の最中にある広い空間。中継点らしい位置だ。
 それまでの回廊は壁で覆われているが、この広間のような空間には壁が存在しない。その向こうには、宇宙にも似た遠大な光景が広がっている。

「随分と余裕がありますね」
「それはそうでしょう。私たちの戦いが、これだけで終わってしまうわけではありませんのに」

 テムオリンはおかしそうに笑う。彼女にとって、この戦いはあくまで局地戦という位置づけでしかない。
 一方、悠人は視線を巡らす。テムオリンと言えば、常にタキオスが控えていると考えていたからだ。
 しかし、タキオスの気配はどうしても感じられない。

「タキオスはいないのか……」
「タキオスなら別の場所で坊やの連れの青い妖精と戦っていますわ」

 テムオリンの言葉に、悠人の表情が強ばる。
 タキオスの強さは身をもって知っていたのもあり、アセリアの安否を気遣っての反応だった。
 それに加えて、どこかで悠人自身の手でタキオスとの決着を着けたいという気持ちがあったからかもしれない。
 だが、それもごくごく短い間でしかない。

「……ということは、後は貴様と瞬だけを倒せばこの戦いは終わる!」

 悠人は『聖賢』を構える。横の時深もすでに『時詠』を抜いている。

「うふふ……それは実力をわきまえての発言かしら? この私を本気で倒せると?」
「……テムオリン、あなたらしくもない。悠人さんの実力を見抜けないなんて」

 テムオリンは言葉では応じなかった。代わりに悠人と『聖賢』を観察していた。

「確かに……その忌々しい剣に選ばれるとは夢にも思いませんでしたわね。まあ、いいでしょう」

 テムオリンが右手を伸ばす。手元の空間が暗く歪んだ次の瞬間には、その細指に錫杖が握られていた。
 第二位永遠神剣『秩序』だ。力が波動のように放出されている。

「私の後ろにある道を進めば空間の中心に辿り着けて、そこには『世界』もおりますわ」
「そこが終着ってわけか」
「ええ。ですが、あなたたちはこの法皇を退けて、そこまで辿り着けるかしら?」
「……悠人さん、テムオリンの相手はせずに奥へ進んでください。『世界』との……いえ、秋月瞬との決着は悠人さん、あなたが着けるべきです」

 時深が一歩前に進み出る。悠人を庇っているようにも見える位置に。

「一人で戦うのは構いませんけど……『時果』を持たないあなたに、私は倒せません」
「どうかしら? それに、あなたと戦うのは私だけではない」

 テムオリンの視線が悠人たちの奥へと移る。悠人たちが来たのとは別の回廊だ。

「……なるほど。どうやら、この場の役者はあなたたちだけではなかったようですね」

 回廊の向こうからランセルたちが現われたのは、程なくしてだった。












 回廊を抜けてすぐに、ユートたちと法皇が睨み合っている場面に出くわした。
 まだ激突には至っていないようだが、そうなるのも時間の問題だ。
 法皇の後ろには別の回廊への入り口が見える。法皇が直接出ている以上……終着は近いのだろう。
 現に少し前からミニオンの襲撃は受けていない。頭数の打ち止めだったのか、ここまで来ると不要と見なされたのか。

「では、どうしましょうか」

 法皇の声が明瞭に聞こえてくる。正確には声ではなく思念に近い。周囲全体にそれを向けている。

「坊やが先に進みたいのなら進んでもいいですわ。ですが時深さんと法官だけで、本当に私に勝てますのかしら」
「……先に行け、か」

 状況を察する。
 ユートを先に行かせて統べし聖剣シュンとの決着を着けさせようということなのだろう。
 実際問題、この世界に残された時間が判らない以上、ユートを先行させるのは間違いではないはずだ。
 懸念すべきは法皇の言う通り、俺とトキミで対抗できるかということ。

(それ以前に協同戦線が取れるのか……?)

 不安材料なのは間違いない。しかし……後ろから斬られるような真似はされないだろう。
 だったら、後押しの一つぐらいが必要だと思った。

「進め、ユート」

 聞こえているのを見越して言う。

「因縁は自分の手で断つから意味があるんだ。それは他の誰にも任せられないんじゃないのか」

 いくらかの問いを含めつつ、少しだけ前へ。
 俺と法皇の間にあるのも因縁だろうか。だと言うのなら、それもやはり俺が自分で断たなくてはならない。
 そもそも、他の誰かに断つのが無理だ。ならばこそ。

「進むんだ」

 返ってきたのは、承諾の反応。
 そして、ユートたちが動いた。ユートは奥の回廊を目指して一直線に進む。
 トキミが法皇に斬りかかり、高音が連続して響き渡る。絶え間のない攻撃を全て法皇は防いでいく結果だ。
 法皇はユートを見逃すつもりらしい。トキミに抑えられているというより、ユートを無視しているように感じた。

【本当に戦うのだな?】

 『律令』が確認してくる。最後まで抵抗しているのは俺ではなく、他ならないこの剣だ。
 こうなるのは、ずっと前から解っていただろうに。

「腹を括れ、『律令』」
【……括るべき腹はない】

 人に置き換えるなら、ため息混じりの諦めか。
 後ろの四人を見る。いずれも戦う意思こそ見せている。
 『律令』を介して四人の神剣と共鳴をさせる。ミニオンならともかく、法皇の前では気休めにしかならないが。
 準備をしておきながらではあるが。

「お前たちは法皇に絶対に近づくな。見かけはあんな少女でも」

 年端のいかない白い少女。それは秘めた強さとは正反対の外観でもある。
 例えば、タキオスなどは見た目だけで内に秘めた強さというのを想像しやすい。
 この法皇はそういう連想からは離れている。タキオス以上の戦闘能力を秘めているくせに。

「――喰われるぞ」

 あれはそういう相手だ。何を決心してどう行動しようと、法皇の力は十分に理解しているつもりだ。
 だからこそ、俺は恐れているのかもしれない。
 トキミの攻撃が続いている間に接近する。決して緩い攻撃ではないのに法皇の張り巡らした障壁を突破した攻撃は一度もない。
 法皇がその場から消えては現われる。短距離の転移を行っての移動だ。
 それを小刻みに行い、俺とトキミを両側に向かえる位置で止まる。

「不思議な構図ですこと。これではまるで三つ巴ではありませんか」

 さもおかしそうに笑う。決して不適切な喩えではないかもしれない。
 ……歩み寄れないのは俺のほうなのか?
 法皇の顔がこちらを向く。口元は小さく曲線を描いている。笑みの形に。少女には似合わない笑みの形に。

「縁は自分の手で……その通りでしょうね、法官。ですが我々と結ばれた縁、容易く切れるとは思わないことですわ」

 『秩序』が音を奏でる。気圧されそうなほどの圧迫感が押し寄せてくる。

「では戦いましょう。『律令』も返していただきますわ」
「……『律令』!」

 神剣の力を解放する。地を蹴り飛ばして法皇との距離を瞬く間に詰める。
 そうして打ち込んだ『律令』の刃は届かない。手応えもなく、法皇の姿が消えている。
 法皇の気配は背中から感じた。すぐに前へ出つつ後ろに向き直ろうとする。
 その間に、背後の法皇へトキミが飛びかかっている。
 トキミの対応はこちらの反応よりも遙かに速い。おそらく攻撃を外すところまで予測していたに違いない。
 振り抜かれた『時詠』が、法皇の体を後ろへと弾き飛ばす。だが、それでも傷を与えられない。

「やはり崩れてくれませんか」
「それはお互い様でしょう?」

 法皇が答えるのと同時に、無造作に『秩序』を振り上げる。
 トキミは『時詠』といつの間にか左手で広げていた扇を合わせて受け止めた。
 難なく受け止めたはずのトキミが、猛烈な勢いで吹き飛ばされる。床を足で引っ掻くようにトキミは制動をかける。
 それを意識の端に収めながら、再度の攻撃に移る。
 法皇の背は低い。切り落としの要領で『律令』を振るうが、それもオーラフォトンの障壁によって阻まれてしまう。

「小細工がなければ私に勝てるとでも思っていたのですか? 正面から戦っても、あなたでは私の力に及びませんわ」

 余裕の態度を崩さずに告げてくる。
 法皇が左の掌を突き出してきた。こちらも輝線の浮かんだ左手を突き出す。防御ではなく、攻撃。

「打ち砕いて差し上げましょう」

 同時にマナ光が放たれる。白光は均衡し、しかし光のせめぎ合いは長く続かない。
 法皇の光が周囲を薙ぎ払う。直前の攻撃でいくらかは減殺しているが、それで抑え切れるような出力ではない。破壊の力が、こちらの身を削っていく。
 光の収まった後、まだ体は存在していた。傷ついているが、これぐらいの負傷は初めから分かりきっていた。
 むしろ、まだまだこの程度で済むはずがない。
 法皇は悠然とこちらを見下ろしている。

「同じ法の名を冠していても、あなたは所詮は官。僕であり従者。群れたる下賤の身にして、高貴たる王の捨て石に過ぎません」
「……従者?」
「いかにも。あなたは付き従いて隷属する者。まさか違うというのです?」

 俺たちの間に何かが風に乗ったように舞い込んできたのは、その時だ。
 白い紙切れ。よく見れば、それは単純化された人型をしていた。
 法皇がそれを左手で払う。手が触れた瞬間に、人型はトキミへと変貌していた。
 肉薄する位置に出現したトキミが『時詠』を素早く突き込んだ。
 法皇は即座に転移し、離れた位置に現われる。
 左手と法衣の胸の付近が紅く染まっていた。初めて負わせた手傷だ。

「相も変わらず面妖な真似を」
「それこそお互い様でしょう?」

 トキミは応じ、胸元の高さで『時詠』を構える。視線は法皇を向いたまま、はっきりと言ってくる。

「法官、戦い難いのなら下がっていなさい。私はあなたのお守りまでするつもりはありません」
「言ってくれる……今のも俺の攻撃が外れるのを見越しての行動だったんだろう?」
「その通りです。ですから、お礼ついでに一つ忠告しておきましょう。下がらないと、一生分の後悔をするかもしれませんよ」
「……どういう意味だ?」

 トキミはそれ以上、何も言わなかった。すでに前へ進んでいたからだ。
 思考を巡らせる。現状で最悪の展開は……アセリアたちが合流して、あいつが戦闘に巻き込まれることか?
 回廊での位置関係はぼやけてはっきりとしない。それだけに可能性は捨てられなかった。

「……そうだったら余計に下がれないだろう」

 戦闘に巻き込まれて命を落とす可能性があるというなら、退いてはいけない。
 守るのは、俺がやらなくては。
 『秩序』が鳴り響いたは、その時だった。
 無数の永遠神剣が周囲に実体化する。位階は低位から上位まで様々だ。いずれも法皇の所有している永遠神剣たちだ。
 神剣の総数は判らない。しかし俺とトキミ、四人のスピリットたちでちょうど同じ数になるよう三群に分かれているようだ。
 俺とトキミはまだしも、エスペリアたちでは到底防げない。
 そこに『時詠』の力も発現する。『時詠』から光が周囲に広がり、エスペリアたちにも届く。
 おそらく未来予測の力を一時的に与えているのだろう。
 俺にはそういった力は与えられない。確かにお守りをする気はないらしい。それもやむを得ないと思いつつ、頭上を完全に占位している神剣に注意を戻す。

「さあ、存分に踊りなさい!」

 法皇の合図が下された。右の『律令』と左手でどこまで防げるのか。
 俺とトキミに向けて神剣が落ちてくる。速度は不規則。だからこそ、逆に対応が難しく――左側から強烈な力を感知する。
 法皇がいつの間にか現われていた。飛来する神剣に備えていたところに、マナの光弾が放たれる。
 左手を振り上げた。マナを収束しての防壁を複層で作り上げ、光弾の前に展開する。本来は全方位に展開するはずだったものを一カ所に束ねて。
 マナのぶつかり合いが衝撃波を生み出す。
 神剣を防ぐはずの傘はこうして失われた。同時に防壁の安定のためにも、この場から離れられない。
 第一派の神剣を『律令』で叩き落としていく。代わる代わる、入れ替わるように落ちてくる神剣たちは不規則な速度と軌道を見せる。
 力を失った神剣は次々に消えていく。消滅とはまた違い、実体を失っているようだ。
 しかし次第に数を増してくる神剣の全てを落とすのは無理だった。
 肩や背中、足を次々に切り裂かれて貫かれる。
 傷が増えていく中、ようやく法皇の光弾が完全に消滅した。
 直後、左肩に短剣が突き刺さり、別の剣が額の右側を斬り裂いていく。流血で視界が狭くなる。
 抵抗するように左手を上へ振り上げる。目前に迫ろうとしていた神剣たちを弾き返す。

(これで残り半分……!)

 両手が使えるようになった分、今度は先より防げるか。
 悲鳴じみた警告が届いたのは直後。

「ランセル様!」

 誰の声だ。ヒミカか、シアーか。たぶん、二人同時だ。
 視線だけを動かすと、その理由が分かった。
 スピリットたちを狙っていたはずの神剣が全て逸れている。彼女たちが避けたからではない。
 初めから外していたそれは、地表すれすれで軌道を俺に切り替えてくる。
 与えられた未来視の力は、俺をどう映しているのだ。
 初めからこの場で法皇にとって敵となるのは、俺かトキミしかいなかったんだ。
 そうして、ようやく時深の言葉の意味に気づいた。
 この世界での俺の死は、純粋に消滅を意味する。記憶に残されたままでの死を。
 だから、一生分の後悔か。俺の死は残る。与えた傷が残ってしまう。

「……ふざけるな」

 全てを防ぐことは敵わずとも、諦められない。
 視界を遮るほどの神剣が迫る。それらが驟雨のように打ちつけてくる。
 『律令』を振り上げ、左手で払い落とす。そこからすり抜けるように神剣が飛来し、零れるように体から何かが失われていく。
 全ての神剣の攻撃が終わった後、体中に神剣が突き刺さっていた。
 それでもまだ、俺は倒れていない――。

「いくら法皇といえど……そう簡単に食い潰せると思うな!」

 貫いていた神剣たちを外へと押し出す。
 しかし、そこで膝から力が抜けて、思わず倒れそうになる。限界が近いのかもしれない。

「法皇……」
「まだ立っているのですか。少しだけ見直しましたわ」

 言葉が口から出なくなった。そもそも、何を言おうとしていたのか一瞬だけ分からなくなる。
 遠のきそうになっていた意識を、繋ぎ止め直す。
 体中に風穴が空いているが、それでも身体的な急所だけは外れせたらしい。
 右手に握った『律令』の力を引き出す。頭が、久々に痛んだ。
 何か、おかしなものが頭に入り込もうとしている。余計な、何かが。

「何があなたをそこまで駆り立てるのです? 我らは永遠たる存在。所詮は泡沫の如く消え行く命に、何をそこまで懸命になるのです?」
「鈍くなって無視をするのが……永遠を生きる価値観ではないはずでしょう」

 法皇はすぐ近くにいた。手を伸ばせば届くのではないかと思えるぐらいに近い。しかし、その距離でさえ今の俺には途方もなく遠く感じる。

「……やはり妖精たちに感化されたようですね。あなたはただ流されているだけがお似合いでしたのに」

 残念そうに言われた。けれど、俺はそんな自分も否定しよう。
 胸が強く高鳴る。鼓動が痛く、激しく、それでいて力強い。
 俺と『律令』は恐れてはいけない。畏れてはいけない。この、少女を。
 従者と呼ばれた際に言いそびれたことを唐突に思い出す。それが口に出ていた。

「名は法官。法に従いて隷属する者」

 『律令』を振り上げた。また掠めることさえなく消えていた。やはり、届かない。

「故に、王に従う者ではない。了解したか、テムオリン?」
「ええ、使えない駒など要りませんわ。役に立たない味方が不要なように」

 断続的に消えながらテムオリンが移動する。その度に『秩序』が鳴り響き、テムオリンのいた場所に神剣が残されていく。
 その全てが俺を狙っている。手負いのためか、先程よりも包囲はずっと薄い。
 今の俺を仕留めるには、十分な数だったが。

「お別れですわ、法官」

 宣告が合図だった。一斉に、神剣たちが向かってくる。
 研ぎ澄まされた刃が輝いていた。足が動かない。避けられない。
 腕を上げる。遅い。反応が遅すぎる。防げない。
 だから、それがどうした。最後の瞬間まで、もがき足掻くまで――。

「タイムシフト!」

 突然、体に力が戻った。
 理想通りに反応する体が神剣を叩き落とし、あるいは避ける。
 一度も命中することなく、全ての神剣を防いでいた。

「時詠の……助けてくれたのか?」
「時深さん……どういう風の吹き回しですか?」

 俺とテムオリンが同時に口を開いていた。
 トキミは疲れたように息を吐き出したところだ。よく見ると額にはうっすらと汗が浮かび、表情には疲労感が見て取れた、ような気がした。

「まさか、このような形で彼の時間を操作するとは考えもしませんでしたが」

 時間を制御する力。
 おそらく、俺だけの時間が巻き戻されたのだろう。テムオリンの神剣たちに貫かれる以前に。
 戻されたという実感こそないのだが、そう考えて問題なさそうだ。
 しかし、それだけの力を行使するトキミにも相応の負担がかかっているらしい。
 多用していないのは、それが理由か。
 トキミは俺を見て、それからすぐにテムオリンへ視線を戻す。

「これで戦えますね?」
「ああ」

 今一度、動き出す。俺もトキミも、テムオリンも。
 トキミが先に攻撃を仕掛ける。続けざまに叩き込まれる攻撃の合間にテムオリンは転移を行ってトキミから離れた。

「法官、左に現われます!」

 意識を言われた向きへ切り替える。法皇がすぐに姿を見せ、こちらもそれに反応できる。
 思っていたよりも近い。そのまま攻撃へ。

「テムオリン!」
「呼び捨てとは無礼でしょう」

 突き込んだ『律令』が、『秩序』によって正面から受け止められる。
 同時に頭上やテムオリンの背後に神剣が次々と浮かび上がっていく。矛先はすでに俺を向いていた。
 前回よりも数は少ないが、依然として脅威である。
 反射的に後ろへ飛び退いた時には、神剣たちも飛来してくる。
 初めから狙っていたのだろう、神剣のいない隙にトキミがテムオリンの背に回り込んでいた。
 身を守らなくてはならないので、それを追う暇はない。左手を大きく振り抜く。収束させたオーラフォトンでまとめて神剣たちを薙ぎ払う。
 腕の延長上にあった神剣たちの軌道が一斉に乱れるが、全体の一部でしかない。
 迎撃行動に移る中、トキミもまたテムオリンに攻めかかろうとしていた。

「今度は逃がしません……覚悟してもらいます」
「しつこいですわ……」
「タイムアクセラレイト」

 そこから先は、はっきりと判らない。
 次から次へと飛び交う神剣たちの対処に追われていたのもあるが、それ以上に――俺が満足にトキミの動きを捉えられなかったからだ。
 始まりは突然の轟音だ。幾重にも重なった打撃音と甲高い音が鳴り響く。
 音の正体は、法皇の障壁をトキミが破ろうとして生じたものだ。
 そして、実際にトキミはすでにいくつかの障壁を完全に打ち崩していた。
 初めからテムオリンは自身の周辺にいくつもの障壁を用意していたらしい。
 それが一枚一枚、瞬時に無数の攻撃が打ち込まれて破壊される。
 トキミはいつの間にか前に進んでいて、体の動きもはっきりと見えない。いる場所だけは判るが、細かい動作が見当もつかない。
 音が重なって聞こえるのは、トキミの攻撃が絶え間を感じられないからだ。一瞬を越えた速さで繰り出されている。
 その音は始まりと同じように、突然止まった。俺を狙っていた神剣の残りも同時に消える。
 テムオリンはいつの間にか、またしても距離を取っていた。腹部は血に塗れている。
 トキミはと言うと、先程までテムオリンのいた場所まで進んでいた。

「まだ……続けますか?」
「無論ですわ。と、そう言いたいところですが、どうやら潮時のようですわね。タキオスも敗れてしまったようですし」

 ため息をつくような素振りを見せつつ、テムオリンは言う。
 テムオリンの態度からはまだ余力が見て取れる。それとも実際には虚勢を張っているのか、どちらも断定はしかねる。
 逆にトキミは疲労の色を隠せていない。額に汗を滲ませ、顔つきにも精細さを欠いている。

「残るはどちらの坊やが勝つのか……ふふ、私たちの代理戦争ですわね」
「……なんとでも言いなさい」

 テムオリンは鈴を転がしたような声で笑う。

「今回は思っていたよりも楽しめましたわ。それでは、時深さんに法官。またいずれ、どこかの世界で相見えましょう」

 それはこの戦いがまだ何も終わってないと、暗に言っていた。
 永遠は、未だに続く。これは誰かにとっての終わりで、誰かにとっての始まりなのかもしれない。
 テムオリンは囁くような笑い声を残して消えていく。風の吹かない空間に一陣の風を残して。

「やれやれ……」

 トキミが本当に疲れきったような声で呟くのが聞こえた。
 この戦い、俺にとっては……通過点になるのだろう。行く末こそ分からないものの。

「……法官」

 トキミに声をかけられたので、顔をそちらへ向ける。

「私たちはもしかしたら馴れ合えないのでしょう。ですが、今の関係が決して望ましいとも思えない」

 トキミはゆっくりと言う。言葉は確かに俺に向けられている。

「けれど、対話を諦めても終わり。違いますか?」
「……その通りだろうな」

 まさかトキミの口から、そのような言葉が聞けるとは思わなかったが。
 そこで、気づく。
 そのように考えていた自分こそが障害だと。完全な歩み寄りはできなくとも、それでも通じる部分は確かにあったはずなのだから。

「トキミ、助かった。ありがとう」
「……それはどういたしまして」

 慣れないことは言いづらい。あちらも同じように感じているのだろうか。
 そして、最後の時が近づいている。それはもう、俺たちの手の届かないところに離れている。
 法皇テムオリンが整えた世界一つを弄んでの舞台劇。
 その終幕は、二人の中心によって幕を引かれようとしていた。終わりが、始まる。










51話、了





2007年9月15日 掲載。

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